『俺が着たい夢のウェディングドレスと帽子』女装趣味のある帽子デザイナー真樹の幸せな結婚式 - エッチでハッピー!!✩★✩ゲイ要素の高いオリジナル小説✩★✩
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『俺が着たい夢のウェディングドレスと帽子』女装趣味のある帽子デザイナー真樹の幸せな結婚式

長編完結/あらすじ/真樹(まさき)は双極性障害の母親が17才の時産んだ、父親の分からない子供だった。父性を求める彼は、いつも父親くらい年上のオッサンに恋しては振られ、その度に抗不安薬のオーバードースで23日、目を覚まさずに寝て忘れる、という危険なことを繰り返していた。真樹にも双極性障害があった。おまけに女装趣味がある。高校を卒業し近所の洋裁教室に通う。彼は帽子デザイナーになって19世紀のヨーロッパで貴婦人達が被っていたような帽子が創りたかった。そうなると造花も創れなくてはならない。彼は造花の会社に入り、佐山というオッサンの職人に出会い、告白し付き合うようになる。彼からは花創りの他にも芸術、クラシック音楽について影響を受ける。しかし真樹にはもうひとつの夢があった。海外に1年という長い旅行をすること。ヨーロッパでもアメリカでも真樹はなぜかアラブ系の男達に愛され、しばし生活を共にする。日本に帰った真樹は佐山と別れて、女装バーで働き、ある夜客として来たドイツのカップルと出会う。男性はフォトグラファーで真樹の女装した姿を撮りたい、と頼まれ彼らのホテルに行く。そこにはもうひとり男性のモデルがいて、父親がレバノン人で母親が日本人。名前はトオル。真樹は背が高く身体もガッチリしていて、どうしても女性に見えない自分にコンプレックスがあった。しかしトオルは真樹に興味を持ち付き合うことに。ある日本のファッション雑誌が、ドイツ人の撮った写真に興味を持ち、女装した真樹ともうひとり男性モデルを使って撮影をする。真樹とモデルの性的なからみを見ていたトオルは嫉妬を抱く。そのショックで真樹はトオルと別れて忘れるために、抗不安薬のオーバードースをするが、なん日経っても目が覚めず、長期入院を強いられる。真樹はトオルのことを本当に忘れてしまった。カウンセラーの吉田先生と、足しげく見舞いに通うトオルのおかげで、真樹も少しずつ彼のことを思い出す。結婚式場やブライダル雑誌のモデルで人気のトオル。真樹は自分で創ったウェディングドレスと帽子で、トオルと結婚式の写真を撮りたいと頼むが、トオルはやるなら本物の結婚式にしよう、と真樹にプロポーズ。退院した真樹はトオルのことはすっかり忘れ、夢のウェディングドレスを創る費用を作ろうと、必死に働き、ドレスと帽子創りに熱中する。そのためぎっくり腰になり、トオルの世話になる。結婚式が終わり、彼と一緒になりオーバードースや自殺願望のこともすっかり忘れ、幸せになる真樹。




俺が着たい夢のウェディングドレスと帽子


久し振りに起きた。3日間くらい寝たんじゃないかな、って見たら、たったの2日間だった。これは俺が男に振られた時にやる作戦で、抗不安薬をしこたま飲んで、そのまま起きるまで寝るというヤバいもの。大抵は3日間くらいイケるんだけど。薬の数を決めるの難しいんだよな。今回はいつもより、もっとたくさん飲んだのに。いつか友達に話したら、そういうのやるのは勝手だけど、3日も水も食べ物も取らずに寝ているのは身体に悪いから止めろ、と忠告された。別に死にたいからやるんじゃなくて、忘れたいからやるだけで、まあ、別に死んでも文句言えないから、死んだら死んだでいいし。可能性のほとんどない人になんで告白なんてしたかというと、もう我慢の限界だったから。言わずにいられなかった。好きなのになにも言わないの、俺の性格だと無理だし。でも大分忘れた。2日間寝てる間に。やっぱりこれっていい方法だな。また男に振られた時に使おう。2日間無断欠勤をした。もう辞める職場だから関係ないけど。夜、仕事に行ったら当然だけどフロアマネージャーに呼ばれて、でもその時、「辞めます」って言った。ソイツは友達みたいないい関係だったから心配してくれて、理由を聞いてくれて、俺もうどうでもいいし、ほんとのことを言った。

「オーナーに告ったら、振られた。」

「お前!マジ?年いくつ違うか分かってんのか?」

21。」

「分かってんならなんで?」

俺が思いっきりマジな顔をして下を向いて黙ったら、

「本気で好きだったのか?」

俺は小さくうなずく。

「オーナー今夜は来ないって言ってた。」

別に関係ないけど。もう忘れたし。


俺、すごく年上の男が好きなんだよな。20くらい上とか丁度いい。そういうのって普通、父親がいなくてどうの、っていうのがありそうなパターンだけど、俺の場合マジでバカみたいにパターン通りで、母子家庭で父親がいない。俺は母親の17の時の子で、父親が誰なのか本人にも分からない。母は双極性障害で、高校生の頃いつもハイで、しかもマズいことに美人だったから、よく知らないヤツとも寝てて、「性的逸脱」とか医学用語かなんか知らないけど呼ばれてるらしくて、母にDNA検査をしよう、って言ったら、誰からサンプルを取ればいいかさえ分からない、ということらしい。俺は母の同級生だった友達のお父さんに聞きに行ったことがある。別に今更自分の父親には興味なかったけど、そのお父さんが俺のタイプのちょい悪な感じで、日々妄想をたくましくしていたから。

「真樹君のお母さんは美人でおっぱいも大きくて誰とでもデートしてくれて、でもあれ病気だって分かってみんなビックリした。それで入院したら妊娠してるって。それでまたビックリしたんだけど。悪いけど、俺は君の父親が誰かとか全然知らない。俺じゃないのは確かだけど。」

そう言って、なんで自分じゃないのは確かなんだろう?それは自分は寝てないからとか、避妊してたからとか、俺はそう思ったんだけど、訳を聞かなかった。なんとなく遠慮したんだよな。聞けばよかった。それからその人は、

「君があんまりお母さんとうりふたつで、綺麗な顔してて、それはいいんだけど、だからお父さんの見当は全くつかない。」

って、言ってた。父性のない俺の人生。俺の身体は、常に年上の男を求めている。その俺の身体にも双極性障害の血が流れてる。大抵すごく年上の男とヤってるけど、本気になったってバレると逃げられるかもしれないから、気を付けようと思うけど上手くいかない。フロアマネージャーが俺に声をかける。

「お前、あっちのテーブル行って。」

あっちのテーブルを見ると、白人の観光客。30才くらいのカップルで、ふたり共見てくれがよくて品のいい感じで、男の方は金髪、女はダークブラウン。俺はマネージャーに文句を言う。どうせ辞めるから関係ないし。

「なんで俺なんですか?」

「だってこの店で英語喋れんのお前だけだろ?」

「マネージャー、大学出てんでしょう?」

全く、大学出てんのに英語喋れないなんて、日本だけだよな。最近ガイドブックに新宿2丁目がよく出てるらしいから、時々こういうのが来るんだよな、面倒くさいな、ってブツブツ言いながら、

Hi, how are you?(こんばんは、元気?)」

We are fine, thanks and you?(元気だよ、君は?)」

I'm OK, my name is Masako. Where are you visiting from?(元気。僕の名前はマサコ。おふたりはどっから来たの?)」

Germany.(ドイツ。)」

Oh, really! You know, I think there is some similarity between German and Japanese.(え、ほんとに?僕ね日本人とドイツ人には似たところがあると思う。)」

What is it?(どんなとこ?)」

Curiosity. Wherever I go in the world, I see a lot of Japanese and German tourists.(好奇心。世界中どこに行っても日本人とドイツ人の観光客がいっぱいいるもん。)」

俺はふたりにおしぼりを渡す。金髪の彼氏が、

Can you tell me why you want to dress like a girl?(どうして君は女の子のカッコがしたいの?)」

That's a real German curiosity!(これが本物のドイツ人の好奇心だね!)」

This is my job, that's why. No, sorry, that's not true. I love wearing lady's clothing but I can't explain. I was born this way.(これは仕事だからだよ。って言うのはウソ。ほんとに女のカッコするの好きなんだけど、説明できない。こういう風に生まれたんだよ。)」そうとしか説明できない。俺の高校、共学で文化祭の時、毎年余興で男子が女子のセーラー服借りて着るんだけど、メチャイケメンの先輩がいて、化粧してセーラー服着てて、俺、最初誰だか分かんなかったんだけど、先輩だ、って分かった瞬間のショックは絶対忘れない。魅力的だった。俺はその次の年の文化祭でセーラー服着て、自分の姿を見てやっぱりいいな、って思った。なんなのかは分からない。魅力的。カップルの女性の方が、

Do you like school girl's uniforms?(貴方は女子の制服が好きなの)」

I hate this stupid sailor fuku because Japanese guys like it. I like vintage dresses from 1920's.(僕はこういうバカみたいなセーラー服大っ嫌いなんだけど、日本の男がこういうの好きだから。僕はほんとは1920年代のビンテージのドレスが好き。)」

そのカップルはビジネスカードをくれて、あと1週間東京にいるから、ホテルに遊びに来てだって。男性の方はフォトグラファーで、よかったら君の写真を撮らせてくれ、って頼まれて、俺はその時は女のカッコと、男のカッコとどっちがいいか?って聞いたら、考えてるみたいで、俺が被ってた長髪のウイッグと、つけまつ毛と、カラコンを外して、客のおしぼりでメイクをこすったら、フォトグラファーが、分かった、分かった君の好きにしていいから、って慌てて言って、それからマネージャーが俺達のテーブルに走って来た。

「真樹、大丈夫?」

そしたらカップルがふたりで、

「ダイジョウブ、ダイジョウブ。」

って、微笑んで。俺はその日はそれで帰ってもいいことになった。それが俺がそこで働いた最後の日になった。


俺のドクターが、去年俺の精神が不安定だからってカウンセラーをつけてくれた。週に11時間。1時間なんてすぐだけど。吉田さんというお嬢さんっぽい若い女性で、意外と頭がいい。

「結局振られた。でももう忘れた。」

「またあれやったんでしょう?」

「なに?」

「抗不安薬たくさん飲んで3日寝るんでしょ?振られたら。」

「そんなことよく覚えてますね。」

「商売だから。なん日寝たの?」

2日。」

「そう。」

彼女はなんか憐みの視線で俺を見る。俺はちょっとムッとして、

「そのくらい、いいじゃないですか?」

「忘れられたの?オーナーのこと。」

80%くらい。」

「効果あるんだ。」

「あの仕事も辞めたし。」

あのバカみたいな女装クラブは、オーナーに言われて始めたんだから。そうじゃなかったらやらない。俺が女のドレス着て2丁目を歩いてたら、やらないか?って。いきなり。でも俺オッサン好きだからついてっちゃった。週末だけだったし、まあ、大した給料でもなくて。

「丁度よかったんじゃない?君があんまり仕事し過ぎるの心配だったし。穏便に辞められたんでしょう?」

「そうでもなかった。」

「え、どうして?」

「俺の最後の客、ドイツ人の観光客で。カップルで男の方がフォトグラファーで、俺の写真撮りたいから他で会おう、って言われて、俺が女のカッコか男のカッコか?って聞いたら考えてるから、俺がウイッグとつけまつ毛とカラコン取って、おしぼりでメイク落とそうとしたら、俺の好きな方でいいって。」

「どうしてお客さんの前でそんなこと?」

「なんかイラついて。どっちの俺を撮りたいのか。女の俺か男の俺か。」

「なんでそれでイラつくの?」

「俺みたいにどんなに頑張っても、絶対女に見えないようなヤツより、他に小っちゃくて可愛いのいっぱいいたのに。」

「貴方に興味を持ったんでしょう?」

「こんな、女にあり得ない背の高さと体型で、俺それがすごくイヤで。」

「君がそんな風に思ってたの知らなかったわ。男としてはカッコいいのにね。そのドイツ人の人達に会いに行くの?」

「考え中。どっちの俺を撮りたいのか分からないし。」

「あっちはなんて?」

「だから、俺の好きにすればいいって。」


病院のあと、電話したら女性の方が出て、彼女の名前はクラウディア。男の方はニコラス。クラウディアは、ホテルに来る時いくつか俺のドレスを持って来てって。彼女はヘアメイクアップアーティストだって。撮影はアートよりもファッションより。

That's good. I am a fashion designer.(よかった。俺、ファッションデザイナーだから。)」

What kind of designer?(なんのデザイナーなの?)」

I make hats.(帽子。)」

Bring them too, please.(それも持って来て。)」


高校出てファッションをやりたかったけど、母子家庭だから、そんな学校バカ高くて無理で、バイトしながら近所の洋裁教室に通った。先生は俺好みのオッサンで、生徒はほとんどそこらの奥様方で、何十万もするようなミシンを買って、子供のために刺繍をしてあげようと思ったら、真っ直ぐ縫うこともできないのに気付いて、とかそういう人が多かった。俺はその頃もう自分の作りたいのは帽子だ、って分かってて、 先生は俺には服作りは基礎だけで、学校の経費でいくつか帽子の型を買ってくれて、俺のやりたいのは、19世紀に流行った、ビスコンティの映画に出て来る貴婦人の被ってたような、花やリボンがたくさん付いた、ボンネットや頭の上にハットピンで留めるような小さい帽子。先生は自分の学校で習った、ストローハットや、フェルトの帽子なんかは教えてくれたけど、あとは知らないからお前が勝手に勉強しろ、と言って、場所とミシンを使わせてくれて、俺がビンテージの帽子創りたいのに、造花が創れなくてはお話しにならないということに気付き、先生の知り合いの会社に頼み込んでバイトさせてもらった。金を使いたくなかったんで、造花のお教室に通ってまた暇な奥様方と一緒に習う、ということは考えられなくて、その会社は地味で、職人さんが内職仕事してるみたいなイメージが最初あったけど、次第にこの人達がやってることは、マジで文化の継承だなって気がついた。伝統工芸の世界。友禅とか陶芸とか。でも取引先はファッションメーカーだから、当然そういう要素もあった。その花を俺の帽子につけて、今のファッションに取り込んで行く。それが俺のやりたいこと。その洋裁教室には2年通って、卒業間際に先生に告ったら、やっぱり玉砕した。その時はたっぷり3日間、1度も目を覚まさずに寝た。


そのあとも花を創るバイトは続けてて、そこは女性が多かったけど渋いオッサンが何人かいて、1番バラの花を創るのが上手な佐山さんていう人がいて、その人はオーナーの弟さんで、オートクチュールやブライダルや、皇室関係者にも花を提供しているという、俺にとっては神様みたいな人で、メチャ憧れて告ったら、意外なことに、奇跡的にオーケーで、その頃は生活がすごく楽しかった。佐竹さんは納品に行く時、わざわざ俺を連れて行って、自分達がどんな華やかな世界とつながっているのかを見せてくれて、そういうのにも俺は憧れて、俺もいつか佐山さんみたいなバラを創れるようになりたい、って思った。彼は自分の持ってるテクニックを全て教えてくれて、でもその通りにできるようになるにはまだまだ何年も必要で、彼のバラを見てため息をつく日々。彼は、俺のバラを見て創るんじゃないぞ、生きてるバラを見ながら創るんだ。聞けばきっとヤツ等が教えてくれる、ってよく言ってた。だから俺は今でも花を創る時はそうしてる。バラだけじゃなくて、パンジーや、百合や、忘れな草や、カメリアや、スズランや、アネモネや、カーネーションを、みんなそんな風にして創った。きっと花屋には不審人物と思われてた。面白いことを教わった。人間には色彩感覚のあるヤツとないヤツがいて、ないヤツにはどう教えても色を創ることができない。

「君は花の色を見て、染料を混ぜ合わせて、その通りの色を出すことができるだろう?」

「そんなに簡単じゃないですけど、できることはできます。でもそんなことできない人いるんですか?」

「結構いる。そういう人は色を数字で覚える。赤と青と黄色が、211とか。でもそういうヤツは他のことに才能がある。形を創ることが上手いとか。」

いつかやりたいことがあって、朝早くアトリエに行ったことがあって、その前の晩、佐山さんが創ってた大輪のバラの花が部屋の隅に干してあって、その熟成されて発光したような、美しいピンクに涙が止まらなくなったことがあった。気恥ずかしかったから、彼には内緒にしたけど。佐山さんは俺の病気のことも理解してくれて、他のオッサン達みたいに、俺はお前の父親じゃない、とかいうバカなことは言わないで、俺を俺として愛してくれた。仕事を離れた場所で彼と一緒にいる時、なぜか俺はよく泣いていた。最初はどうして?って当然聞かれたけど、すぐに意味はないんだ、って分かって、説明するのは難しいけど、きっと佐山さんの存在が俺の双極性障害の、脳の泣く中枢に触るんだと思う。一緒にご飯食べに行っても泣いてたし、ベッドの中でも泣いていた。


佐山さんとの関係は、俺がもうひとつの夢だった海外旅行へ出発する時に崩れた。彼はそれが1年という長い期間だって知って、若い俺がその旅行でどう変わっていくかも予想してて、なんとなく、帰って来て君が俺のことを忘れても、俺は理解するから、みたいなことを言われた。日本へ帰って来て、聞いてみたら佐山さんは身体を壊して、故郷に帰ったって聞いた。佐山さんの実家は代々芸者さんのかんざしなんかを創ってる家らしい。どうしようか考えたけど、その時はやっぱり会いに行くのは控えることにした。彼の言う通り、旅行のあと、俺は変わってしまった。だけど帽子を創っている時、どうしても佐山さんのことを思い出してしまって、京都なんてすぐそこなのに、なかなか訪ねて行かれなくて、ある時、夏の始めでちょっとハイな時があって、朝電車に乗る時に、バイト先に行かないで京都まで切符を買って、電車に飛び乗った。聞いていたかんざし屋さんはすぐ分かって、彼は俺を見て微笑んで、家の中に入って、俺がなにも言えずにずっと泣いているのを面白そうに眺めて、十分くらい泣かしておいたあとに、

「君、いつも持って歩いてる薬、あったじゃない?」

俺が男に告って振られた時に飲む、抗不安薬。肝心な時には絶対忘れてる。飲んだら即座に泣き止んで、

「病気、いいんですか?」

「もう大丈夫。仕事もボチボチ始めたんだけど、もう東京に住もうとは思わないな。」

顔色はそんなに悪くなくて、ただ大分痩せた。

「俺、帽子創ってると、どうしても佐山さんのことばっかり考えちゃって。」

やっと止まった涙がまた流れて来る。

「旅行はどうだったの?」

「色々あった。それから佐山さんに聞いてもらいこともあった。ロンドンの美術館で、昔のロココとか、ビクトリアンとかの展示を見て、衣装とかアクセサリーとか、圧倒されて、もうあんなに素晴らしい物を昔に誰かが創って、もう俺なんかがやることに意味無いな、って。」

「それ分かるけど、だからなに?君はビンテージの帽子、創りたいんだろ?」

「創りたい。俺の手がいつも作りたがってる。」

「ほらな、それでいいんだ。」

「それからこないだ、これは日本でだけど、なんか知らないけどデザイナーの人に、ビンテージのコピーしてどういう意味があるの?って言われて。俺、コピーはしてないし、オリジナルでビンテージインスパイアだ、って言ったら同じことだって。」

「モダンな作品創りたいヤツもいれば、真樹みたいなヤツもいる。俺もそれ、考えてみたことあるんだけど、じゃあ、クラシックの音楽家はどうなるの?なん百年も前の曲弾いて。それでも毎年必ず新しいスターが現れて、ピアニストやら指揮者やら。それで俺達を感動させる。」

佐山さんは俺の病気のことよく知ってて、俺が泣き止まないのも我慢して笑って見ててくれて、

「真樹な、俺、最近よく思うんだけど、アートって結局なんでも同じだな。花創るのも、絵を描くのも、文章書くのも、音楽創るのも。」

俺はそこで激高しちゃって、彼に抱き付いて思いっ切りキスしちゃって、

「じゃあ、こうやってキスするのも?」

「そうそう、なんでも同じなんだよな。きっと脳の構造がそうなってる。」

「じゃあ、俺の脳の構造は他の人と違うから、なにを創ってもなんか変なことになる。」

「多分な。」

佐山さんとは今でも時々連絡取り合う仲だけど、いつも会おうね、って言うけど、なんか言ってるだけ。あっちにもきっといい人がいるんだな、と俺はいつも思ってた。


旅行の話しに戻ると、それは楽しくて、何年もバイト代を貯めてやっと実現した旅行で、主にヨーロッパの各国を回ってアンティークマーケットや、美術館巡りをして、お金が余ったらアメリカに行って、それから日本へ帰るつもりだった。旅行に行く直前、母が少しまとまったお金をくれて、これは真樹が学校へ行く時のために貯金してたんだけど、今これをあげる。でもそのかわり、外国へ行ってもドラッグだけは絶対やっちゃだめ。それが約束できるならお金をあげるから、って言われて、俺もなんのことだろう?ってその時はピンとこなかったけど、外国へ行ってみて確かによく分かった。ドラッグの誘惑は多かった。どこに行ってもそうだった。女装好きのゲイの集まるような所にもたくさん行ったから、そういう理由もあって、母に言われなかったら俺もどうなってたか分からない。母みたいに俺も双極性障害を抱えて、ただでさえ壊れた頭に危険な物を注ぎ込むことになった。ヨーロッパでもアメリカでもなぜか俺はアラブ系の男に好かれて、ジャパニーズのそそられる身体だと言われて、それほどオッサンはいなかったけど、俺はひと月とかもっと、そういう男の家に住んだこともあったし、金持ちで大きな家に住んで、なにもしないで遊んでいるような人もいて、本物の贅沢を教えてくれて、ソイツは絶倫で、俺は毎夜寝る前にシャワーを浴びたらもう服は着ない。それはどうせ毎日セックスするんだから、服を着る意味ないのを悟ったから。それからこれもアラブ系の男だったけど、ソイツは、俺がドレスを着て自分の創った帽子を被って、そんな俺を社交界に連れ回すのが好きで、ソイツの周りでは、みんな俺のことを認めてくれて、変な目で見るヤツもいなかった。その男は女の俺を気に入ってて、セックスする時も下着まで全部女の服で、それは結構燃えた。


だから例のドイツ人カップルのホテルに行く前、考えて下着とかも持って行った。俺は母親に似て見てくれがいいってよく言われたけど、俺は女の服が着たかったから、俺の背の高さやガタイのでかさがイヤでたまらなかった。しかし大きい物を小さくはできない。俺がドレスを着ても男だってすぐ分かる。でもそれが退廃的でいい、って俺のアラブ人が言ってた。そういうものなのかな?俺のカウンセラーとその話しをしたことがある。

「退廃的、ってどういうことなの?俺がドレス着てると、それは退廃だって。」

「私の解釈でいくと、なにかが衰退、滅びていくのを知りながらそれを味わってることじゃないかしら?」

カウンセラーの吉田先生は、ファンシーなお嬢さん大学で、心理学とかじゃなくて、明治時代の日本の文学者の研究をしていた。クラウディア達の泊まってるホテルに向かって歩きながら、先生との会話を思い出していた。俺って衰退して、滅びていく者なんだろうか?そうかもしれない。古典的な精神病を患って、ビンテージ風の帽子や花を創って、1920年代のドレスを着て、下着はストッキングにガーターベルト。あの時忘れたくなかったから、吉田先生に紙に書いてもらった。「衰退して滅びるのが分かっていながらそれを味わう。」味わうってどういうこと?楽しむ?それよりもっとネガティブなことだと思う。衰退するものって、ある意味美しい。俺は病気のせいかもしれないけど、小さい時から魂のどっかに、「いいや、別に死んでも。」っていう投げやりなところがあった。オッサンに告って振られる度に抗不安薬をしこたま飲むけど、あれは新しい薬だからどんだけ飲んでも死んだりはしない。ただ内臓に傷はつく。芥川龍之介の頃の薬では死ぬことができた。今でも使われている薬もある。でも俺のは病気が違うから、処方されることはない。そういえば吉田先生に聞かれたことあったな。

「真樹君、よく告ってるけど、ちなみに相手になんて言うの?」

「なんでそんなこと聞くんですか?」

「個人的な興味で。」

「カウンセラーの先生が、個人的な興味で聞いてもいいんですか?」

「まあ、時には。」

「先生、旦那さんいるんでしょ?」

「それは関係ない。」

別にそんなこと言う義務ないよな、って思ったけど、先生にはいつもお世話になってるし、

「あのね、俺の場合は言ってることより、態度が大事なんです。でもこんなこと言っても、いっつも振られてるから参考にはなりませんよ。」

「態度?」

「そう、うつむき加減で、って言っても俺背が高いからあんまり意味ないんですけど。」

「うつむき加減で、なんて言うの?」

「多少暗めの感じで、俺と付き合ってもらえませんか?」

「結構ストレートなんだ。」

「普通はどうなんですか?旦那さんの時は?」

「まあ、付き合ってとかはなんにも言わないで、ご飯食べに行ったり飲みに行ったり、それでお互いなんとなく。」

「俺、20才くらい上のオッサンじゃないとやだから、なんとなく、なんて向こうも絶対思ってないし、ストレートにいくしかないです。」


知らなかったんだけど、そのホテルは俺なんかの庶民には到底縁のない高級なもので、そんなとこに泊ってるふたりはひょっとして金持ち?慌ててもらったビジネスカードにあるウェブサイトで、彼らの正体を探ってみる。ニコラスはファッションフォトグラファーで、名の通ったファッション雑誌やなんかの、モードのページを撮ってたりとか、広告写真とか、俺も見たことあるようなのもあって、なんだか急に緊張してきた。作風はクリアで静止した冷たい感じ。なんで俺みたいなの撮りたいの?エレベーターに乗りながら考えた。俺がもし海外から来た外国人で、プロのフォトグラファーだったらなにを撮る?日本のなにを?やっぱりまともな物は撮らないだろう。東京タワーとか浅草とか。日本の若者。今という時間。女のカッコをした男。海外の人が知らない日本。でも大都会の隅の退廃、なんて割とありそうなシチュエーションでもある。ニコラスはそれをどういう風に撮るんだろう?あんなにたくさんいた女装クラブのスタッフの中から俺を選んだのはなぜ?俺はたまたまあのテーブルに行かされた。それは俺がたまたま英語が話せたからだった。長期の海外旅行をするのが夢だったから英語は行く前から勉強してた。ネットとかテレビとかの無料の講座だったけど、あっちにいた時は専らベッドでの寝物語から覚えた。ホテルのフロントを通り過ぎようとすると、今時大袈裟なモーニングコートの男がいる。白と黒のストライプのネクタイ。その男は背が高くて身体つきもいいから、よく似合ってた。結婚式でもあるのかな、って顔を見たら、丁度俺が旅行の時出会ったアラブ系の男達と、日本人の丁度半分半分くらいの顔立ちをしている。年は多分30ちょい前くらい。アラブ系って俺の好みじゃないんだけど、あっちが俺のこと好きなんだよな。その男はどうだか知らないけど。ドアの前でしばらく立ち止まる。俺、デザイナーだよな。モデルじゃないよな。でもクリエイターだよな。そんなことを考える。どうでもいいようなTシャツとジーンズを着て来たけど、ドレスは2着持って来た。ひとつは黒で、少し厚手。もうひとつは渋い色の花柄で、素材はシルクのジョーゼット。両方とも近所の洋裁教室で習った技で俺が創った物。帽子は最近の作品を3つ持って来た。それぞれ丸い帽子の箱に入ってて、どれもドレスに合った、花がついた華やかな物。


ノックするとクラウディアがドアを開けてくれる。この人はいつも目元と口元が両方笑ってて、優しい感じのする人。ニコラスはまだシャワー浴びてる、って。彼女はゴメンなさい、夕べ飲み過ぎて、って彼のために謝ってくれる。彼女のメイク、この前の夜もそうだったけど、自分によく似合う色を知ってる。夜の色と、今日の昼間色と、ちゃんと使い分けてる。この人、やっぱりメイクアップアーティストなんだよな。俺は持って来たドレスと帽子を見せる。素敵ね、って特に俺の帽子を褒めてくれる。そして自分で被って鏡で見て、楽しそうに。ニコラスがバスローブのまんまで出て来て、遅くなってゴメン、って謝って、じゃあ今日の撮影のテーマから。そこまで言ったところで、誰かがドアをノックする。あのモーニングを着てたアラブ系っぽい男が入って来る。男は既にクラウディアとニコラスを知ってるみたいで、片言の英語で話しをしている。俺はショックで、俺ひとりじゃないんだな、どういうからみなんだろう?ニコラスが俺達ふたりに、これは動画だから、って説明を始める。テーマは、「好奇心」。

'Curiosity', Masaki, just like you said the other night.(好奇心だよ、真樹。こないだ君が言ってたこと。) 」

Curiosity?(好奇心?)」

俺が繰り返す。言ったのは覚えてるけど、それが撮影のテーマになるなんて、そんなつもりで言ってないし。

Masaki, you are the main character of this video.(真樹、君がこのビデオの主人公だよ。)」

What kind of curiosity are you talking about?(貴方の言ってるのって、どんな種類の好奇心のこと?)」

Your curiosity about a party. Just pretend, you are going to the big party today with Touru. You're excited about it and the video will start when you're changing. (君のパーティーへの好奇心。君は今日トオルと大きなパーティーに行く、と仮定して、君はそのことを楽しみにして、ビデオは君が着替えてる所からスタートするから。)」

なんとなく退廃っぽいのかな、って思ってたけど、これじゃあ全然逆だな。楽しい演技なんてできないかも。俺はそれをそのトオルさんという人に言ってみた。好奇心で楽しみで、でもちょと不安っていうのも自然でいいんじゃないって言ってくれて。ビデオカメラは1台が固定で、もう1台はニコラスが構えている。固定してあるビデオカメラにケツを向けて、俺は思いっ切り着ていた物を脱いで、女の下着を身にまとう。黒いストッキングにガーターベルト。大きめのブラジャー。パーティーだったら花柄のドレスにしよう。ドレスを着たら、さっきの遊んでた俺の帽子を被ったままのクラウディアが来て、俺にメイクをしてくれる。すごく手早い。女装好きの俺達が好むような、濃いファウンデーションじゃなくて、軽いパウダーファンデーション。品のいい雰囲気。色は俺のドレスから取って、アイラインとつけまつ毛は当たり前だけど、プロフェッショナルで、嬉しくて俺も自分のケータイで何枚も写真に撮って、それもニコラスがずっと撮ってて、ドレスの色が地味だから、帽子は少し明るめのを選んだ。トオルと並ぶと俺の方が少し背が高くて、ハイヒールを履くと大分俺の方が高くなる。準備できたけど、どうなんの、その先?って思ったら、俺とトオルがドアから出て、そこでビデオを止めて、そしたらまたニコラスが説明を始めて、今度はパーティーから帰って来たところ、だって。もう帰って来たの?はや過ぎ。

Masaki, now your curiosity is about yourself. Your creativity, your sexuality, your future and everything about yourself.(真樹、今度は君自身に対する好奇心だよ。君のクリエイティビティ、セクシュアリティ、未来のこと、君に関する全てのこと。)」

それ考えだすとキリないんだよな。俺はハイヒールを蹴り飛ばして、ワザと日本語で話し出す。

「俺ってなに?母子家庭の、双極性障害の、オッサン好きの、女装好きの、ビンテージ好きの。」

さっき部屋の外で雑談してたんだけど、トオルはやっぱりお父さんがアラブ系なんだって。完璧に整った顔してて、ティーンエイジャーの頃からモデルやってるらしい。

「そんなこと言ったら、俺だってこんな顔して日本語しか喋れないし、英語さえほとんど喋れないし。なにもかも中途半端で。」

そう言いながら、台本もないのに俺のハットピンを器用に外して、帽子を脱がせて、軽くキスしてくれて、頼みもしてないのに後ろのファスナーを下ろして、俺の背中に唇を這わせる。こんなとんでもないイケメンになら、なにされてもいいけどさ。俺のドレスが肩から床に落ちて、ランジェリーの後ろ姿を見られるのが恥ずかしかったから前を向いたら、ブラジャーを見られるのが恥ずかしくなって、両腕を交差させて隠して、彼の顔が近付いて来て、彼はオッサンじゃないけど、外国でさんざんヤってたアラブ系の男達を思い出して、なんだか恥ずかしくて下向いちゃって、そしたら俺の顔を上に向かせて今度は濃厚なキスをして、俺はため息をつきながら、でもこれって、「好奇心」の話しなんだよな、好奇心ってもっと明るくて未来に向いてるものだよな、って思って、俺は彼がパーフェクトに着こなしているモーニングを脱がしにかかる。ニコラスはずっと俺の顔をアップで撮っている。俺の顔はきっと好奇心に満ちて、トオルの裸を想像してる。俺の身体を愛してくれたアラブの男達。ヨーロッパでも会ったし、アメリカでも会った。礼服って面倒くさい。ボタンがいっぱいある。やっとのことで彼の裸の胸が現れる。俺はお気に入りのビンテージ風の先の尖ったブラを脱ぎ捨てて、彼の胸と俺の胸を合わせる。ニコラスとクラウディアはドイツ語でなにか話してる。言ってること分かんないし、どっちみちどれどころじゃなかったから、どうにもできない。俺の好奇心。クリエイティビティ、セクシュアリティ、それから未来のこと。トオルが俺を優しくベッドに倒して、ニコラスのビデオカメラが俺の全身を舐めるように捕えて、俺はまだ黒いストッキングとガーターベルトとパンティーだけはつけてて、こんな時はハイヒールを履いていたかったけど、さっきどっかに投げちゃったので、どこにあんのか分からなくて、それは今後の反省点にしようと思って、トオルも限りなく全裸に近くて、なんと俺のパンティーの中に手を差し入れてくる。俺は爆笑しちゃって、これってなに?エロビデオ?それでその手が俺のペニスをパンティーから引きずり出して、俺の可愛いペニスが世間のさらし者になって、そんなことになると、それが少しずつ大きくなって、俺はまだ笑ってて、ニコラスが初めて俺達のポーズに口を出してきて、俺は素直に従って、トオルも素直に従って、そしたらアメリカで毎晩セックスしてた絶倫のアラブ人を思い出して、俺のペニスがマックスになって、夜シャワーを浴びたら絶対服着ないで、それはどうせ毎晩ヤるから意味ないからで、そんなことを思い出して、俺が笑うの止められなくて、そしたらトオルが手で俺の口を塞いで、俺はそれがチャンスだと思って、彼の指を噛んで、でも全然痛くない噛み方で、俺の脳のどっかのスイッチが入って、笑い始めるとなかなか止まらない。そしたらクラウディアがなんか音楽をかけ始めて、それが佐山さんの家でよくかかってたクラシックの曲で、すごい偶然だな、って思いながら聴いてると、佐山さんの胸でよく涙を流してたな、っていうことを思い出して、その曲なんだっけ?ピアノの曲。でもショパンじゃない。19世紀の音楽だったら俺は大分詳しい。佐山さんの影響。チャイコフスキーの作品集「四季」から、6月の曲。クラウディアはきっとワザと悲しい曲をかけた。でもきっとすぐ後悔する。ビデオカメラを横目で睨みながら俺は涙を流し始める。

「なんで泣いてるの?」

トオルが下手くそな俳優みたいに棒読みで、

「この曲のせい?」

「そう。」

佐山さんといると、いつも俺の脳の悲しい中枢にスイッチがかかって、よく泣いていた。今思うと、きっとハッピーだから泣いていた。いい男だった。たくさん影響を受けた。俺の好奇心。クリエイティビティ、セクシュアリティ、それから未来のこと。好奇心は過去に戻らない。未来に向かう。俺はまだ泣きながら自分の未来について思う。チャイコフスキーの作品はどんな曲でもバレエの音楽みたい。これも佐山さんから聞いた。でも本当。なにを聴いてもバレリーナがクルクル回りながら踊ってる。俺がバカみたいに泣いてて、クラウディアとニコラスがなにかドイツ語で話してて、俺の予想だと、俺のメイクが涙で流れちゃって、クラウディアはメイクアップアーティストとして手直ししたいんだけど、ニコラスはそのままでいい、って、そんな感じ。泣いてて、俺のペニスは少し後退気味だったけど、トオルのはもう限界に近くなってて、それには気の毒だなって思ったから、泣きながらにしては乱暴に、彼をベッドに突き飛ばして、彼に口の中を舐め回すくらいの勢いのキスをしてあげて、それしながら彼のペニスを握った。俺は泣くには笑うのの3倍くらいのエネルギーを使うんで、ぐったりしてきて俺にしては優しくしてやったつもりだったけど、俺のフェラは佐山さんの影響じゃなくて、ヨーロッパとアメリカで会ったアラブ人達の影響で、だからトオルのペニスにも懐かしいものがあって、優しくしてやった割には、すごい声で喘いでて、将来、俺はどんな男と出会うんだろう?どんなセックスをするんだろう?ゲイでドレスを着るのが好きで。そういうのが好きなヤツとも付き合ったけど、そうじゃないヤツもいて、そういうヤツは俺の純粋に男の部分が好きだった。俺のオッサン好きはそのうちなくなるのかな?カウンセラーの吉田先生に今度よく聞いてみよう。トオルがそろそろイきそうな声を出してて、俺のもまた盛り返してて、ほんとはパンティーを脱いでトオルのバックに入れたかったけど、これってファッションのビデオだよな、って一瞬脳裏をよぎってそれは止めにして、そしたらトオルがまた俺のをパンティーから出してそれをヤってくれて、俺は彼のアラブの匂いの刺激が強過ぎて、恥ずかしいくらいさっさとイって、俺も彼のをイかしてあげて、ニコラスは俺のイった時の、メイクが流れた顔をアップで撮って、これってなに?やっぱりファッションのビデオなの?それともエロビデオ?気持ちよかったからいいけど。


最後にビデオカメラに向かって自己紹介して、って言われたけどなに言っていいか分からなかったら、クラウディアが質問するからそれに答えてって言われた。その時はもう顔洗って、もとのTシャツとジーンズで、でもまだ涙目で、目が赤くて。

What's your name?(お名前は?)」

Masaki.(真樹。)」

What's your occupation?(ご職業は?)」

I am a fashion designer, making hats.(帽子のデザイナー。)」

What would you like to do in your future?(将来の希望は?)」

I don't know. I always think about the past. All my hats are inspired by lady's hats in the 19th century with ribbons and flowers.(分かりません。私はいつも過去のことを考える。私の創るのは、19世紀のリボンや花の付いた、ああいう帽子ばかり。)」

How do you describe yourself?(貴方について教えてください。)」

I'm homosexual, transvestite with bipolar disorder.(ゲイで女装趣味があって、双極性障害。)」


全部終わって、そのビデオどうすんのかは言わないで、こっちも聞かないし、それで絶対また会って一緒になんかしようね、って言って別れた。 ギャラまでくれて、トオルが俺のあとからついて来て、一緒にエレベーターに乗って、俺が封筒の中を見てビックリして、

「こんなに入ってる!」

「ほんとだ。でも俺のエージェントがたっぷり持ってくから。」

「言わなきゃいいじゃない?」

「バレるかもしれないだろ?また仕事頼まれたら。」

「ふーん。」

「真樹はエージェントいないの?」

「いない。俺、帽子屋だし。」

「紹介してやるよ。」

「俺、忙しいし。」

「才能あるぞ。俺プロだから。」

「そんなことより、この暑いのにその服で着たの?」

「そう。モーニングで、って言われたから。」

「俺、もう帰るから。じゃあ。」

「まあ、まあ。」

「まあ、まあ、ってなに?なんでついてくんの?」

「このまま別れるのも忍びない。」

俺、笑っちゃって、こんな超モデル顔のハーフの男が、忍びない、なんて言っちゃって。

「忍びない、ね。いい言葉だね。」

「そうだろう?俺、本読むの好きだから。英語はよく分からないけど。」

「他にはどんな言葉、話せるの?」

「レバニー。」

「レバノンか、へー。」

「知ってんの?」

「アメリカ行った時、しばらく家に住まわせてもらって、お世話になった。」

「なにしてたの?そんなとこで。」

「毎日セックス。」

「なるほど。」

暑いの我慢できなくなったから、ふたりでカフェに入った。人々がトオルの方を見る。やっぱり見るよな、ここまで端正な顔だと。背は俺の方が少し高いけど。

「みんなが真樹のこと見てるだろ?やっぱりモデルやれば?」

「あれはトオルのことを見てるんだろ?」

「俺、よくジロジロ見られるけど、今日のは見てる数が違う。」

ふたりで席について、

「なんで俺達ふたりでお茶してんの?」

「ギャラもらったから、なんか食べに行こう。」

「やだよ。俺、母親に少し渡さないと。」

「偉いな。」

「母子家庭。」

「家も似たようなもんだな。家は母がしょっちゅう家出してたから。」

「父子家庭?」

「まあ。」

「その顔だと、虐められた?」

「それはあったな。この顔で成績よかったし。特に国語。漢字テストとか得意だった。」

「俺は女みたいな顔だから虐められた。母親とそっくりで。おかげで父親はいまだに誰か分からない。」

「なるほど。お母さんも美人だな。」

「あの、さっきから身体もぞもぞ動かすの、気になるんだけど。なんかあんの?」

「いやあ・・・君のこと、どうやって落とそうかなって。ゴメン。」

「いいけどさ。俺、父親いないから付き合うのいつも20は上だよ。」

「マジで?それすごいわ。今はいるの?」

「また振られた。」

「へえ。俺、こう言ったらなんだけど、母親家出ばっかしてたから、弟と妹の世話はみんな俺がやってた。だから父親的な部分はあるつもりだけど。」

「なんでそんなに家出したの?」

「恋多き人なんで・・・笑ってる。なにが可笑しいの?」

「恋多き人なんて、トオルが言うと可笑しい。」

俺はマジで笑い始める。

「そうだろう?俺と一緒にいると楽しいだろ?」

「トオルは誰かいないの?」

「こないだ振られた。」

「なんで?どんな人が振るの?見当つかない。」

「じゃあ真樹は?どんな人が君のこと振るの?」

「だからさ、20も年が違うからどうとか。」

「ふーん。」

「そっちは?」

「ソイツモデル仲間で、国に帰った。」

「どこ?」

「デンマーク。あっちも俺も英語も怪しいし。君はどうやって勉強したの?」

「旅行に行きたくて。あとはね、そのレバニーにベッドで教わった。」

「その人のことが好きなの?連絡取ってんの?」

「ううん。あっちが俺のこと好きなの。ヨーロッパでもそうだった。いつもアラブ系に声かけられた。ジャパニーズの身体、そそられるとか言って。」

「確かに、そそられる。」

「トオルは俺がドレス着てんの好きなの?」

「まあ、それはおいおい考える。」

「おいおい考えるんだ。」

ここでまた俺は笑い出す。

「おいおい、おいおいくらい普通に使うだろ?」

「俺は使わないよ。」

「じゃあ、なんて言うの?」

「あとで考えるとか、ゆっくり考えるとか。」

「さっきの話しだけど、俺父親的なとこあるよ。そういうのを求めてるなら。」

「弟と妹って、いくつ違うの?」

「そういうことが大切なんだ。」

「そう、そう。」

「弟が8つ下で、妹が10違う。」

「いいなあ。」

「そうだろ?」

「それより、トオルっていくつ?」

29。」

「え、もうそんなになるんだ。」

「若く見える?」

「結構。」

「鍛えてるから。あと、気持ちも前向きだし。君は?」

23。」

「父親は無理でも、兄になら絶対なれる。俺達セックスもよかったじゃない?」

「そうなんだよな。」

「なに考えてんの?考えることなんてあんの?・・・あ、ゴメンちょっと仕事の電話。」

トオルは席を離れて、3分くらい話してて、帰って来て、

「仕事忙しくて。もう行かないと。」

「ご飯食べにいく話しは?」

「夜行こう。またここに戻って来られる?6時くらい。」


俺はそれから下町の問屋街に行って、帽子や花を創る材料を買い込んで、またそのカフェに戻って来た。彼は今度は普通のバリっとした麻のスーツにネクタイまでしている。

「この暑いのに大変だね。」

「俺みたいな仕事してるとどうしても。」

「モデルの仕事って儲かるの?」

「モデルの仕事なんかじゃ食えないぞ。男でモデルだけで食えるのなんて世界でも少数だ。」

「じゃあ、なにしてんの?」

「俺はフリーの経営コンサルタント。」

「へー。似合わない。」

「業績はいいんだ。最近は仕事断る方が多い。」

「カッコいいね。でも俺も最近仕事断ることあるな。滅多にないけど。」

「帽子屋だけじゃ大変だったら、モデルやればいいじゃない?」

「どんなのやんの?」

23だったら、色々あるだろ?」

「年関係あるんだ。」

「君なら20才でいけるから、ファッション雑誌とか、広告とか。」

「なんの広告?」

「俺は君くらいの時は、スーツとか多かったな。」

「俺はスーツっていう柄じゃないよな。」

「逆にそういうのがスーツ着ると面白い。少し髪伸ばせば?似合いそう。」

「俺、顔が女みたい、って言われんのやだったから、髪伸ばしたこと一度もないよ。」

「明日、家のエージェンシーの社長に紹介するよ。」

「そういうの、男を落とす時の、常套手段?」

「それもあるかも。」

「正直。」

そのあとエジプト料理のお店に連れてってもらって、お酒もちょっと飲まされて、熱いキスをされて、すっかり騙されて家に連れ込まれて、

「経営コンサルタントの手腕にヤられた。」

ベッドでキスされながら、

「あの時。」

「どの時?」

「ビデオ撮られてる時、なんであんなことになったの?」

「あんなこと?」

「いきなり俺の服脱がして、パンツに手入れて。」

「テーマが好奇心だからさ。君の身体がどんな反応をするのか知りたくて。」

トオルがまた俺の服を脱がそうとする。

「やだ。」

「やだ、ってなに?」

「もうちょっと色々知っときたい。」

普段はそんなことどうでもいいんだけど、なんとなくこの人のことをもっと知りたいと思った。きっとそれはなにか、普通の簡単な付き合いとは違うような気がして。トオルは自分の家族の写真とか、自分のモデルの写真とかを見せてくれて。

「俺の弟は父親に似てて、妹は母に似てて、俺だけがこういう顔。」

「弟さんは今なにしてるの?」

「俺の仕事を手伝ってる。」

「妹さんは?」

「まだ大学生。」

俺が写真を見ている間にお茶を入れてくれたり、お風呂まで沸かしてくれた。

「昔の写真、いいね。このスーツ着てんの。イタリアの若いマフィアみたい。髪オールバックで。俺、ここまでバリバリのスーツは自信ないけど、このカジュアルなスーツ、こんなんだったらできそう。」

「君なんて俺より背が高いんだぜ。」

「うん、知ってる。」

「なんで今までやらなかったの?」

「言われたことは何度かあるけど、興味なかったし、忙しかったし。」

「スカウトされたりはあったんだ。」

「電車の中とかね。よくあるパターン。聞いたんだけど、今時ほんとにやる気のあるヤツは、自分から売り込みに行くって。」

「俺はそうだったな。」

「へー、やっぱりね。俺、男の自分に興味というか関心がない。女のカッコの俺には興味あるけど。モデルやってるヒマあったら帽子創ってる時間が欲しい。」

「今、帽子の方はどうなってんの?」

「帽子はね、食えない。それは最初から分かってて、だからファッション業界に帽子創ってる人って少なくて。」

「だったら競争相手がいなくていいじゃない。」

「前向きな考え方だね。」

「前向きなの、俺のポリシーだから。」

「今、3人の作家でマンション借りてて、みんなビンテージ趣味だから上手くいってて、ジュエリーの人と、あとお人形創ってる人。」

「お人形?」

「そう。可愛いよ。縫い包みもあるけど、本格的なアンティークドールも創れて、俺はそれに小っちゃい帽子や花を創ってあげる。3人で展示会も何度かやった。」

「あとのふたりって男性?」

「ううん。女の子。ビンテージ好きで知り合った。初めての展示会の時、まだ少なかったけど業界の人が見に来てくれて、その中にスタイリストさんがいて、こんなのが創れるの?って俺の帽子見てびっビックリして、いくつか借りてってくれて。俺のとこみんな貸し出しもしてて、そういうの結構金になるから。それでしばらくして、街歩いてたら、デパートの壁に10メートルくらいの大きさのポスターがあって、そのモデルさんが俺の帽子被ってて、しかもふたりだったからふたつも出てて。ほら見て。」

俺はそのポスターの写真を見せて、

「俺、これ見た時、自分もやっとプロの帽子やになれたな、って思った。」

「よかったな。これなんの宣伝?」

「これはね、国産の新しいスパークリングワイン。若い女性がターゲットで。クライアントがメジャーな会社で、その次そのスタイリストさんに会った時、あんなにでっかく載るんならもっと貸し出し料高くすればよかった、って冗談で言ったら、それシリーズもので服もみんなレトロだから、もっと他のも借りてってくれて、その時はもっとお金もくれた。」

「やったね。」

「ここまで凝った帽子創ってるバカいないから。そのスタイリストさんが言ってたけど、今まではそういうの欲しい時、アンティーク屋で借りてたんだって、でも俺のみたいな新しくてファッション性の高いのを捜してたんだって。」

「じゃあ商売は順調なんだ。」

「全然。」

「そうなの?」

「だって俺みたいな帽子の需要ってないでしょ?」

「ブライダル。」

「それもね、始めたとこ。」

「俺、ブライダルのモデルは散々やった。」

「礼服似合うもんね。今度やったらスタッフの人とか紹介して。」

「そんなのいっぱい知ってるぞ。みんな教えてやるから。帽子たくさんできたら教えて。」

「えー、ありがとう。」

それからブライダルの帽子の検索を始めた。俺の好きなブライダルといえば、クリスチャン・ディオールとオスカー・デ・ラ・レンタ。服にも花がついてる。そういうアプローチもあるな。帽子も少しあるけど、あんまりない。だから俺の帽子に需要がない。あれ、でも花輪がある。生花もあるけど造花の花輪もある。それいいな。スケッチまで始めた。早く創りたい。俺があんまり夢中になってるから、トオルが、

「君、いつ寝る予定なの?」

見たらもういい時間で。彼が手を握ってきたけど、俺なぜかすごく緊張して、1回ヤってんのにそれって変で、そしたら彼は優しく、

「いいよ。アーティストにとって、思い立ったが吉日なんだろ?」

俺は爆笑して、トオルも笑ってて、

「ゴメンね、でもダメ。その顔で言われたら。」


朝起きたら食卓に豪華な朝食が乘っていた。豆腐のみそ汁に納豆?鮭の焼いたのもある。

「すごい!いつもこんなの食べてんの?」

「プロテインだから。豆腐も納豆も魚も。」

「すごいね。父子家庭なのに、どうやって学んだの?」

「弟と妹のために勉強した。でも俺の母親、たまに帰って来てたから。」

「そういう時って、お父さんはなんて言うの?」

「割と事務的だよ。父親にも彼女色々いたし。それより君、一晩中仕事してたの?」

「思い立ったが吉日なんで。10個くらいデザイン決めた。早く創りたい。創るまで落ち付かない。」

「アーティストだな。」

夕べは結局、トオルは先にベッドルームに行って寝ちゃって、俺は真剣に仕事してた。隅々のディテールまで考えた。ベールのついた帽子や、帽子と同じ花がドレスについてるのとか。トオルがそれを見て、

「こういう時は花婿も同じ花を胸につけるよ。」

「あ、そうなんだ。俺、勉強しないと。」

「花婿と花嫁のご両親もつけるよ。」

「へー。」

「今度ね、人気経営コンサルタントの俺が、ご指導させてもらうから。経営について。」

「いいな、それ。だって俺みたいな仕事って、営業にとられる時間が多くて。」

「そういう時にはな、その見事なデザイン画を自分のウェブサイトに載せて、ブライダル本格的に始めました。作品できたら写真載せます、みたいな感じでやる。」

「できるまで待ってちゃダメなんだ。」

「あとで俺の知ってるブライダル関係のヤツのアドレス渡すから。」

「そんなのよく知ってるね。」

「俺モデルやる時必ず連絡先聞いて、営業するから。モデルエージェンシーのヤツ等なんて、不甲斐ないのが多くて。」

俺が笑いをこらえる。

「不甲斐ない、だろ?笑われると思った。」

朝食のあと、トオルに襲われて、徹夜明けってなんかテンション高いじゃない?だから盛り上がった。でも、やや納豆くさいセックスだった。


それからトオルからは音沙汰がなくて、これも経営コンサルタントの手のひとつかなって、こっちから連絡してもなにも言って来ない。俺の方もブライダルをスタートさせて、心がそっちに持って行かれたりはしてて、でも思い切って彼のエージェンシーに電話してみたら、彼は今、仕事が忙しいらしい。仕事の合間に経営コンサルタントってどんな仕事なのか調べてみたりしたけど、なんだかんだ大変そうな仕事。トオルはよっぽど頭が切れるに違いない。いいお兄ちゃんを見付けたな。逃げられないように大事にしよう。ラインを送った。

「元気?仕事忙しいの?」

「ゴメン。連絡しなくて。」

「いいよ。ちゃんとご飯食べたりしてるの?」

「そうでもない。」

「一緒にどっかに食べに行こうよ。」

「今、トラブルを抱えてて。コンサルタントもしてないのに、やったことにされてて。」

「そんな!どんな会社なの?」

聞いてみると、俺も当然知ってるようなレストランチェーン。

「前に雇ってたコンサルタントが、かえって業績悪化させて、しかも金も持ち逃げしてて、それをみんな俺に押し付けてきて。」

「証拠とかはないの?」

「まだ請け負ってもいなかったから。唯一あるのは、日にちとサインの入った初回の相談料の請求書で、でもそれがどうしても見付からない。手書きだからコンピューターにも入ってない。問題が多い上に、会社の方に経営方法を改革する気持ちが薄い。それで俺は断ったんで、きっと捨ててしまったんだろう。でも普通は入金があるまで取っておくはずなんだ。」

「おかしいね。でも食べないとダメだよ。」

「じゃあ、明日。また連絡するから。」


次の日トオルから連絡で、夜会って食事することになった。俺は久し振りに会える、って嬉しくて、なにを着て行くべきか悩んで、決まらなくて、新しいジーンズ気に入ってるんだけど、いいレストランだとジーンズマズいし、スーツとかちゃんとしたのはないし、でも一応ジャケットとカジュアルだけど落ち着いた茶系のパンツにして、着てみたらうやっぱり気に入らなくて、時間もなくなるし、パニックになって脱ぎ捨てたパンツが、デスクの上にあった俺のデザイン画にぶつかって、何枚かがフワって飛んで床に落ちた。

「なんだこれ?請求書?初回コンサルタント料、5万円?高いな。ぼったくりだな。」

次の瞬間、俺は青くなった。あの時トオルの家でそこらにあった紙にブライダルの帽子の絵を描いて。ヤバい。俺はそんなことどうでもいいからジーンズを穿いてそこらにあった適当なシャツを着て、駅まで走って電車に乗った。電車の中でもう1回見たら、確かにレストランチェーンの名前と日付が入ってる。青い顔がさらに青くなる。言われた場所に着くと、そこは静かな裏通りにある、常連さんだけみたいな感じのレストラン。トオルはもう来てて、イケメン台無しの疲れた顔で、あとトオルの弟さんと、弁護士という人が一緒にいて、俺好みの渋いオッサンで、それはどうでもいいけど、俺はトオルの顔を見るなり、請求書を出して、

「ゴメンなさい。」

って、深々と頭を下げる。

「さっき出る時見付かって。」

トオルと弟さんと弁護士さんはそれを見て顔を見合わせる。そしてトオルはその紙の裏を見て、

「なるほどね。」

「ゴメンなさい。」

「いいよ。俺も目の前で見てたのに、すっかり忘れてた。」

弁護士さんが、

「明日これ見せて、先方とまた話し合いましょう。今日はゆっくり休んでください。」

と言って、先に席を立った。弟さんも俺と少し自己紹介的な話しをして、それから先に帰って行った。

「トオル、なんか食べよう。」

「うん。俺なあ、いつも前向きに生きてるつもりだったけど、意外と弱いとこもあるな、って。」

俺はまた罪悪感を感じる。

「俺のせい。」

「あの時、ブライダルやったら?って提案したの、俺だし。」

この人はほんとに優しいんだな、って俺はちょっと涙ぐむ。

「いつも前向きなんだけど、今回はやっぱり俺、差別されてんのかな、って。」

俺はなんて言っていいのか分からなくて、そしたら昔言われたこと思い出して、

「高校の時の友達にイギリスのハーフがいて、差別されてる、って思う時、それってほんとに差別されてんのかどうか証拠もないのに思う時って、実は差別してるのは自分の方なんだって、そう言ってた。上手く言えないけど。」

「うん。なんとなく分かる。」

「だからそういう会社って、トオルだから陥れようとしたんじゃなくて、誰だったとしてもやるんだよ。俺だって、学校で俺の病気のこととか、ゲイだってこととか知ってるヤツたくさんいたし。差別されてる、って思った時、いつもソイツの言ったこと考えてた。もしかしたらただの思い過ごしなのかも知れないのに、そうだって決めつけて、差別してんのは自分の方なんだって。友達と夜の街ドレス着て歩いてたら、バカみたい、って言われたことある。腹立つけど、俺のカウンセラーの先生が、そういう時は自分は他の人より複雑な人生を歩んでると思えばいいんだって。だからと言ってそれって、あんまり意味ないような気もするんだけど。あんまり役に立つこと言わないんだよね。俺の先生、お嬢さんで世間知らずで、いつもそうなんだ。暖簾に・・・なんだっけ?」

「暖簾に腕押し。糠に釘・・・あれ、笑わないな。」

「慣れてきた。」

「そんこと言ってる割には、ちょっとだけ口元が上がってるぞ。」

「そうかな?」

「でもその先生、少なくとも、前向きだな。」

「そうでしょう?」

俺はメニューを見ながら、

「今日は奢らせて、って言おうと思ったけど止めた。」

トオルは笑って、

「じゃあ、今晩ゆっくりサービスしてもらうから。」

「え?どういうのがいいの?マッサージ?泡で洗うヤツ?」

「なんだそれ?」

「よく知らない。」


一緒にお風呂に入ってたら、ふたりともたってきちゃって、ヤバくなったからそのままベッドでエッチしちゃって、やっと落ち着いて、ビールなんか飲み始めた。俺はヤバいことにまた泣く中枢にスイッチが入った。佐山さんの時みたいに、やっと落ち着いて付き合えるかもしれない人ができると、なぜか意味もなく泣き始める。

「なんで泣いてんの?真樹って泣き上戸なの?」

「ゴメンね。理由はないんだけど。ハッピーだと泣きたくなる。脳が変だから。」

「俺、妹が泣いてる時、よくおんぶして公園まで行って。」

「苦労されたんですね。」

俺はますます涙を流す。

「そうでもないけどな。その頃はティーンのファッション雑誌でチヤホヤされてたし。でも君をおんぶはできないし。」

「気にしないで。勝手に泣かせておいて。」

「気になるな。」

そこで俺は珍しく、奇跡的に思い出す。

「思い出した!こういう時に飲む抗不安薬があって、それを飲めば大抵泣き止む。」

「どこにあんの?」

俺はポケットの中とか色々調べるけど出て来ない。

「ダメだ。今日は持ってない。思い出す時は持ってない。持ってる時は思い出さない。」

「役に立たない薬だな。」

「まあ。でも効果は抜群。ま、いいや。もうひとつ有効なのが、ビールかな。」

「酔うと泣き止むのか?」

「時々。」

彼はキスしてくれたり、頭を撫でてくれたり、色々してくれるんだけど、まだずっと泣いてて、そしたらビールよりもっと強い酒を出して来て、カッコいいカクテルを作ってくれて、俺はそれがすごく気に入って、ほんのり甘みのちょっと苦みのいい感じで、色も綺麗な淡い緑色。それをライトに透かして見るとなんとなくロンドンで見たミュージアムのことを思い出す。圧倒的に美しい、ビンテージのドレスの数々。あの頃のファッションはもう完成されて、終わってしまって、でも俺はやっぱりあの世界を追っていたい。このカクテル、結構強そう。

「どう?効いてきただろ?」

「ちょっと。」

「なにが入ってるの?」

「秘密だ。」

「秘密兵器?これで男を落とすの?」

「時々。」

「トオルはどんな人と付き合ってきたの?」

「君は?」

「言わなかった?俺、オッサン好きで、告っていつも振られてた。」

「そうだったな。俺はアレだな。」

「アレって?」

「色々だな。」

「じゃあ、一番最後の彼氏は?」

「モデル仲間のヤツ。言ったろ?」

「イケメン好きなの?」

「そうだよ。だから真樹も好きだし。」

「ふーん。」

「なに?でも俺もモデル業界では顔が知られてるから、あんまり変なことはできないな。」

「変なことって?」

「適当に遊んだりとか。だから付き合う時は真面目に付き合う。」

「意外です。」

「あ、泣き止んだ。」

「あ、ほんとだ。」

「あれ、メッセージが来た。」

「ほんと、俺のも。クラウディア。写真送ってきたんだ。」

ふたりでPCで観てみると、相当ヤバい感じのエロい感じ。極めつけはトオルが俺のパンティーの中に手を入れてるところ。

「トオル、なんでこんなことしたの?」

「だってテーマが好奇心だろ?中になにが入ってんのかな?って。」

「そんなん見なくても分かるだろう?」

「でもどんなかな?って。」

俺はトオルを激しく睨む。他の写真は、トオルが俺の服を脱がしてるところ。それから俺がトオルの服を脱がしてるところ。俺が笑ってるところ。それから泣いているところ。なんで俺、あの時こんなにバカみたいに笑ったり泣いたりしてたんだろう?クラウディアが、

These photos will be in the German's major art magazine. Could you send us more photo of your hats? We are going to introduce you as a hat designer.(この写真はドイツの有名なアート雑誌に載るから。君の帽子の写真もっと送ってくれない?貴方のことを帽子デザイナー、って紹介するから。)」

って、言ってる。

「あの人達、もっとファッション寄りの写真にする、って言ってたのに。」

「いいじゃない。きっと俺達がアートなんだよ。」

って、トオルはあんまり気にしてないみたい。その雑誌のウェブサイトを見たら、ほんとにアートっぽい。

「真樹の帽子のいい宣伝になるじゃない。よかったな。」

こんな本に俺のパンツに手入れられてる写真が載るなんて。

「俺、お婿に行けなくなっちゃう。」

「大丈夫、俺がもらってやるから。」

やだー、恥ずかしいそんなこと言われたら、本気にしちゃう。俺は走ってバスルームに駆け込む。鏡で俺の顔を見ながら、トオルは本気なのかな?俺があんなドレス着たとこも見てるし。それでも構わないのかな?そしたら俺ってすごくハッピー。オッサンより長生きすると思うし。もっと長く一緒にいられる。俺、なに考えてんの?こういう時、笑った方がいいの?それとも泣いてる方がいいの?俺って小さい時から聞こえてはいけない物が聞えたり、見えてはいけない物が見えたり。どっちが本当の世界?自分はどこに存在してるの?お母さんに聞いてみたら、私達はこの世には存在してない。あっちの世界に存在してる、って真面目に言ってた。俺はそれが母がロマンチストだからだ、って思ったけど、本気だったのかも知れない。帰ったら聞いてみよう。だけどもし、本当にトオルが俺のことお婿にもらってくれたら、俺はきっと、もっともっとこの世に存在してるような気持になる。絶対。

「真樹、そこでなにしてんの?」

そんなに長い間ここにいるわけでもないのに、トオルが声をかける。

「今、お取込み中だから。」

俺はやっぱり泣くことに決めて、静かに泣き始める。薬を持ってない時に限ってこういうことになる。

泣きながら、クラウディアに俺のウェブアドレスを送る。あと一番最近創った帽子の写真。朝焼け色のバラの花弁が帽子の上にたくさん乘ってて、それをグリーンのチュールレースで包んである。超ロマンティックで泣ける。きっとクラウディアに似合う。送ってあげようかな?住所をくれたら送ります、って書いてメールした。すぐ返事が来て、

That's wonderful, thank you very much!(まあ、素晴らしい、どうもありがとう!)」

って、返事が来て、俺としては実物があった方が宣伝しやすいかな、っていう戦略もあったんで、なんだか複雑。可愛い帽子用の丸い箱に入れて送ってあげよう。俺のウェブサイトには花や帽子の創り方も出ていて、それを見た人はみんな驚く。ほんとに花びら11枚染めてるんですか?って聞かれる。時々ビンテージの花創った人ってどんな人だろう?って考える。意外と俺みたいに普通のヤツみたいな気もする。貧しく生まれてたまたま花の工房に丁稚奉公したりとか、それか10才くらいの子供が内職に駆り出されたとか。そんな大したアーティストじゃなかったはず。そう考えるとビンテージが特別なんていうのもウソだな。誰かが創り方を知ってて、それを教えた。でもその誰か、って誰?俺が泣きながらそこまで考えたらまたトオルが、

「ハーゲンダッツあるから一緒に食べよう。グランマニエ垂らして。」

食べ物で釣るとは。巧妙な作戦。俺は側のタオルで涙をぬぐって、戸を開けて、彼の顔を見ないで恐る恐る出て来る。分かったこれって、小さい弟や妹にやってた作戦。そうに違いない。泣いてる子供を食べ物で釣る作戦。お洒落なウエハースまで乗っている。一生懸命味わって食べる。トオルは俺の様子をチラチラ見ながら食べてる。俺は一生懸命食べてるから、彼の方は見てないんだけど、存在はメチャクチャ感じてて、さっきから頭に響いてる、お婿にもらってくれる発言。アイスクリームを食べてるうちに泣きたい気持ちがなくなった。それは知らなかった。きっと冷たい物が俺の脳の泣く中枢に働きかける。覚えておかないと。でもきっとすぐ忘れてしまう。

「泣き止んだみたいだね。」

「冷たい物が効くみたい。」

「じゃあ、覚えとくから。」

「ありがとう。」

俺はまだ彼の目が見られない。でもトオルが覚えててくれるなら心強い。その時、どういうわけか俺、家を出る時、抗不安薬を財布の中に入れたの思い出した。頭の構造がイカレてる。テーブルの上にその綺麗な青色の錠剤を出して、

「もう遅いけど。」

「そういうのなんだ。覚えとくから。ここに少し置いておけば?」

ということは、俺ここにちょくちょく来てもいいってこと?トオルはここを仕事場にしてるみたい。俺なんていつもいたら邪魔だよな。

「ありがとう。ごちそう様。じゃあもう帰るから。」

「仕事忙しいの?」

「別に。」

「なんか約束でもあるの?」

「別に。」

「じゃあ、なんで帰るの?」

「トオルも色々忙しそうだし。」

「さっき弁護士から連絡が来て、あの請求書があれば勝てるらしい。だからもう大丈夫。」

「俺のせいで、弁護士まで雇って。」

「あの人は家の顧問弁護士だから、余分に費用はかかってないよ。」

「え、そうなの?じゃあ、泊ってく。」

「そんなこと気にしてたのか?」

そんなつもりなかったけど、多分無意識に気にしてた。俺は自然にまたトオルのモデルのポートフォリオを見始めて、

「へー、やっぱりスーツが多いんだ。」

「実生活でもそうだしな。」

「あ、こんなに髪長い時もあったんだ。」

「一時な。あんまり人気なかったけど。」

「髪にこんなにウェーブかかってんだ。可愛い!」

「可愛い、か。それが23才くらい。そんな昔の入れなくていいんだけど、髪長いのも入れときたいな、って。」

「ブライダルも多いね。いいな、ウェディングドレス。俺も着たい。帽子も創って。」

「じゃ、やるか。」

俺は笑ってごまかす。調子のいい男には気をつけろ、って誰か言ってたな。誰だっけ?でも人気ブライダルモデルと結婚式するのもそそられるな。

「あ、そういえば、あの請求書の裏に描いたデザイン画。あれ写真撮って送ってくれない?」

「あれいるのか?」

「ゴメン。写真撮るの忘れてた。」

ブライダル、ってもちろん白が基調だけど、それに白い花じゃ芸がないような気がして、あの請求書の裏には俺の創った色見本があって、それぞれどの色を混ぜ合わせるとできる、っていう情報が書いてあって、あれ創るのに半日かかった。

「あれ色見本がついてて。」

「色塗ってあったよな。」

「あれで混ぜる色のパーセントが分かるから。」

「そんなことまで書くんだ。」

「それがないと、また同じのを創る時に困る。」

「なるほど。設計図みたいなもんだな。」

俺はトオルのポートフォリオに戻って、

「あ、水着とかもあるんだ。ナイスボディ。」

「ありがとう。これは最近だぞ。」

「そうなの?でも俺、写真写りいいと思えないし。自信ない。」

「さっきクラウディアから来たヤツ、最高だったじゃない。」

「あれねー。なんかバカみたいに笑ったり、泣いたりしてるだけみたい。」

「いいじゃない。表情がいい。」

「トオルって、他のモデルさん達と一緒にいると、なんかひとりだけ違って見える。」

「そう?ハーフだから?でもこの俺の隣にいるヤツ、ブラジルだぞ。アラブも入ってる。」

それは5人くらいのモデルのショットで、お高めのメンズブランドの広告写真。

「じゃあさ、この顔ちょっとやってみて。」

「やだ。」

「なんで?いいじゃん。後学のために。」

「ちょっとだけだぞ。」

ちょっとだけやってくれたんだけど、プロ過ぎてよく理解できない。

「カメラに向かって振り返るの?」

「動きが出るだろ?」

「難し過ぎる。でもトオル、やっぱり他の人となんか違う。なんか体温が高そう、っていうか。」

「なんだそれ?俺って体温高い?」

なんか触ってみたけど、よく分からない。

「体温高そうで、なんか押し倒されてヤられたいというか。」

「セクシー?」

「ああ、そうかも。」

「それは、よく言われる。」

「ひとりだけ違うもん。俺もモデルやるのはいいけど、トオルほど特徴ないし。」

「俺はな、プロだから分かる。家の社長に君の例の写真送ってみるよ。」

「なに、例の写真、って?」

「今、来たヤツ。クラウディアから。あんなに特徴ある写真、他に絶対ない。」

「マジで?こんな写真見て、誰が仕事くれるの?」

「この泣いてる写真。メイク流れてて。退廃的。今、退廃って少しモードから外れてるけど、っていうことは、また来るってこと。」

「前向きだね。俺なんて、存在そのものが退廃だもんね。ゲイの女装趣味の双極性障害の。じゃあ経営コンサルトさんにマネージメントお願いします。お金ないと材料の仕入れもできないし。」


トオルのモデルエージェンシーに行った。そこはお洒落な表参道とか青山とかじゃなくて、なぜか赤坂にあって、ビルの2階にあって、ガラス張りでなんだか美容院みたいな感じ。若い男性が出て来て、話しはちゃんとその人にも伝わってて、すぐ社長室に通された。社長は俺の思考が一瞬止まるほどの、俺好みのオッサン。思わず顔がほころぶ。それまで緊張して、ネガティブな考えで頭がいっぱいだったのがウソみたい。その人は谷崎という名前。社長室の中にはちょっと古臭い映画のポスターなんかが貼ってあって、モデル事務所っていうより、芸能事務所みたいな怪しい雰囲気に包まれてる。俺がポスターを気にしてるのを見て、社長は、

「ここはもともと俳優のマネージメントをしてて、しかしどうも俺のあとに続く人材に巡り合えなくて、今はモデルだけ。」

「じゃあこのポスターは谷崎さん?」

「みんなそうだよ。」

聞いたことのない映画ばっかりだけど、それは世代の違いなのかも知れない。

「トオルに聞いたけど、例のドイツ人の撮影で一緒だったって?あれ、大分激しい撮影だったらしいね。」

「はい。初めてであれだったんで、ビックリしました。」

俺の頬はずっと緩みっぱなし。こういうオッサンのお膝に乘って、甘えたい。

「君はここでどんな仕事がしたいの?」

頭の中にはこのオッサンにヤられるシーンが浮かんでるけど、まあ、それはおいといて。

「私、帽子のデザイナーなんで、仕入れの資金の足しになればいいかな、と思います。」

「正直なのはいいけど、もっと大きな野心とかはないの?」

「そこまで自信ないですし。」

「また君、正直なのはいいけど。トオルとも相談したけど、我々は君を普通に売るつもりはないから。あの写真知ってる所に送ったら、さっそく撮影の話しが来たから。」

「え?もう決まってるんですか?」

「そうだよ。家の会社、古くからあるから、取引先は多いんで。アートとファッションの中間くらいの雑誌があって、それのグラビア。撮影はあさって。」

「あさって?」

「朝9時から湾岸のスタジオ。」

「ちなみにどんな撮影なんですか?」

「まあ、この間のあんな感じ。」

「この間のあんな感じって、あんな感じですか?でも、俺のサイズのドレスなんてないですよ。どうするんですか?」

「そういうことはなんとかなるから大丈夫。あっちにスタイリストがいるし。」


帰ってから帽子を縫って、花を創ろうとして、考えてみたら指に染料がついちゃったらダメかな、って手袋して染め始めたけど、やっぱり細かい所とか、そんな手袋なんてしてちゃできないし、もういいや、って思いっ切り手が染まってしまった。昨日と今日できた帽子を撮影に持って行くことにした。トオルに連絡したら、仕事が忙しくて一緒に行けなくてゴメンね、だって。だから現場には知らない人ばかりで、その雑誌なんて見たことも聞いたこともないし、現場に行く途中で思い出してウェブサイトを見たけど、ほんとにアートとファッションの中間みたいな本で、きっとよくあるファッション雑誌みたいに本の半分が広告みたいな、そういうノリだと思う。そしたら驚いたことに、っていうか考えてみたら、この間のあんな感じなんだから、当たり前なんだけど、相手役というのがいた。トオルよりは大分若い。下手すると俺より若い。雰囲気もトオルとは正反対くらいの線の細い感じの子で、顔は綺麗で、ハーフ?みたいな国籍不明な感じ。なんか眠そうで、受験生?とか思っちゃった。この子にパンティーに手を入れられたら、マジで笑いそう。スタイリストは誰が見てもオネエな感じの人で、ちゃんと俺のサイズのビンテージ風のドレスを持って来てて、俺がビックリして聞いたら、それは本物のビンテージ、といっても1950年代くらいので、その人の知り合いが、でっかい倉庫いっぱいそういう衣装を持ってて、ビンテージの店に卸してるんだって。

「そんな所があるなんて全然知らなかった。」

「色んなサイズがあるから。便利よ。」

下着とかもちゃんとあの写真みたいなのを用意してて、俺は自分のも持って行ったんだけど、クレジットが入るから、メーカーの名前が分かった方がいいんだって。それってどういうことかイマイチ理解できなかったけど。雑誌とメーカーの関係?スタイリストさんに俺の帽子を見せてみた。

「キャー、これほんとに自分で創ったの?信じられなーい!」

「よかったら使ってください。俺、帽子のデザイナーなんで。」

「分かった。ちょうどドレスの色にも会うし。」

ドレスの色はストロベリーレッド。襟は大きく開いてて、袖は信じられないくらい膨らんでて、前にいっぱい小さいボタンがついてて、1950年代だからフルスカートで共布の細いベルトがついてる。あんまりセクシーな感じはしないな、って俺は思った。セクシーなドレスって、やっぱりこないだ着た1920年代の細いライン。って、思ってたらなんと、スタイリストさんがコルセットを出して来て、

「え、これすんの?」

って、固まったんだけど、よく考えたらそれってセクシー。それ着せるとこからカメラで撮るんだって。

「そろそろ撮影始めますよ。」

誰かがそう叫んで、その人がフォトグラファーなの?ってまた固まって、ニコラスをイメージしてたから。その人なんと若い女性で、小柄できっと余計若く見える。男の子はモーニングじゃないけど、立派なタキシード。この子じゃトオルに遥かに及ばないな、どうするんだろう?って別に俺の責任じゃないけど、心配になってきた。フォトグラファーの女性はなんの説明もしない。雑誌の人とかも来てないし、多分彼女がアートディレクターとか色々兼ねてるんだろう。それはニコラスのやり方に近いから俺には分かりやすい。俺はバスローブだけ着てて、フォトグラファーにじゃあ、全部脱いでコルセットつけるところやりましょう、って言われて、マジでフルヌードでスタイリストがコルセット着せてくれるところを撮るんだけど、サディスティックなほどギュウギュウ引っ張られて、俺マゾじゃないし、泣きそう。絵としては上手くいったんじゃないかな?タキシードの子は遂に椅子に座って寝ている。俺も知らなかったんだけど、コルセットがガーターベルトにもなってる。そしてストッキングとパンティー。それ全部つけてまたショット。このスタイリストちゃんと時代考証ができて、素晴らしい。下着も50’Sになってる。俺の好きな尖がったブラ。ヘアメイクアップアーティストも男性で、時代考証もちゃんとできてて、っていうか、50’Sのメイクって今とほとんど同じだけど。ストロベリーピンクのドレスに手を通す。フォトグラファーが寝てるモデルの子に声をかける。

「陽士君。」

そう呼ばれた彼は、スタイリストが下から順に留めていたドレスのボタンを、自分が代わって留め始める。そして俺の顔を不遜にジロジロ見て、

「俺がパーティーに誘ったからって、誤解すんなよ。」

俺は、え、っと思ってみんなを見渡す。彼は俺のアゴをつかんで顔を自分の顔の方へ向けて、

「聞えてんのか?お前!誘ったのは酒の上の戯言だからな。」

そして俺の首の横に噛み付く。マジで痛いし、俺マゾじゃないし。俺はまた、え、っと思って、誰かが助けてくれるのを待つけど、そういうことは起こらない。シャッターの音だけが激しく。

「お前のこと気に入ってる訳じゃないからな。」

1番上までボタンを留め終わった彼は、ドレスの裾を持ち上げて、俺の両方のケツに手を当てて痛いくらいに握りしめる。シャッターの音が後ろから聞こえる。それがエロい執拗な触り方で、俺もだんだんその劇?言葉責め?なに?にはまっていく。あの時ニコラスはなんて言ってた?「好奇心」俺はパーティーが楽しみで、好奇心に満ちていた。陽士はやっと俺のケツを離してくれて、

Don't come close to me. You are ugly.(俺に近付くなよ。お前は醜いから。)」

俺はいいチャンスが来たと思って、彼の頬を思いっ切り引っ叩く。ヤッター!あっちは細い子で、俺の方がよっぱどでかいし、力もある。でもなんで急に英語なの?気がついたらマズいことに、陽士のマネージャーみたいなのが来てて、俺に向かって文句を言おうとして、陽士がそれを止める。その時フォトグラファーが、

「じゃあこれから、パーティーから帰って来たところをやるから。」

もうパーティーから帰って来たんだ。はや過ぎ。「好奇心」。あの時はトオルの身体に対する好奇心だった。俺は陽士のタキシードジャケットに手をかけて、

Show me your pretty body!(君の可愛い身体を見せて!)」

彼は英語で話してる俺を、ハッとして見る。ふたりでスタジオの冷たいコンクリートの床に寝転がって、陽士はしばらくの間、俺がするままになっていて、俺の手がパンツのジッパーに触ると、俺の手をつかんで止めて、

You bitch! 俺のものになりたいのか?」

俺は笑って、

「あんたが俺のものになりたいんだろう?」

彼のジッパーを全部下ろして、ブリーフの中に手を入れる。カメラのシャッターの音がする。俺の脳の笑いの中枢にスイッチが入って、こうなるとなかなか笑いが止まらない。陽士の可愛いペニスが次第に大きくなり始める。その時、なんでか知らないけど、トオルと、俺好みのオッサンの谷崎社長が、なにやら話しながらスタジオに入って来る。トオルが俺達を見て、

「真樹、なにやってるんだ!」

「撮影。」

俺はまだ笑いが止まらない。自分より若い男性のペニスを弄んで、いつもオッサンとヤってる俺には普段起こらないことで、とうとう俺はヤツのペニスをブリーフの中から引っ張り出して、世間のさらし物にする。陽士のマネージャーがなにか言いたそうだけど、陽士がそれを阻止して、俺は自分のドレスのボタンを外し始めて、でもあんまりボタンの数が多いからなかなかできなくて、それが可笑しいからまた笑って、やっとのことでドレスを脱いだら紐をきつく絞ったコルセットがあらわになる。撮影はそのまま続いて、でもフォトグラファーがそんなに笑ってちゃ意図する絵にならない、と文句を言い始め、俺は悪いけど止まらないから、って言いながら、陽士にフェラしながら、

Yours tastes good!(あんたのいい味!)」

そしたらどういうわけか、トオルが俺のケータイを持ち出して、俺のクラシックミュージックミックスをかけて、その中にはヤバいことに俺を泣かせるチャイコフスキーが入ってる。俺の脳の泣く中枢にスイッチが入る。あの時、ニコラスはなんて言ってた?「俺のクリエイティビティ、セクシュアリティ、それから未来のこと。」俺の涙が流れて、この前みたいにメイクも流れて、ヘアメイクさんが走って来たけど、フォトグラファーがそれを制してそのままで撮って、俺がフェラをストップしたもんだから陽士が怒って、

What's going on?(どうしたんだ?)」

って言うから腹が立って、って泣きながら腹立てるのも変なんだけど、

Shut up!(黙れ!)」

ってもう1発引っ叩いてやろうとしたけど、その時はさすがにヤツもよけて、俺のパンティーの中に手を入れてきて、トオルが、

「おい、ちょっと!」

て、言いながらこっちに来ようとして、谷崎社長がそれを止めて、俺のペニスが世間にさらされて、泣きながらの割にはこれが意外と元気で、なにこれって、エロ本の撮影?と思ったらすっかりその気になっちゃって、

Make me come, you little chick! (イかせてみろ、坊や。) 」

とは言ってみたけど、come って女にだけ使う単語?それとも男でもいいの?って俺の頭の中の辞書をくってたら、あ、どうせ俺女装してるから、どっちでもいいや、って思って、そしたら、chickって女の子に言う言葉だよな、って思ったけど、こいつ細くて女みたいだからまあ、いいや、って色々考えながらの割にはふたり共しっかりイって。撮影は無事に終わった。陽士と別れる時、どっから来たのか聞いてみたら、「ブエノスアイレス」だって。ブエノスアイレスって英語じゃないよな。まあ気持ちよかったからいいけど。可愛い子だったし。また会えそうな気がする。


トオルと社長はフォトグラファーに挨拶して、色んな仕事の話しもして、そのフォトグラファー若いのにパワーがあるんだな、って俺は感心して、みんなで今撮ったのを観て、エロ本並の出来栄えで、ってそれっていいこと?だけどニコラスが撮ったのとはまた違うタッチもあって、トオルとやった時より、俺の存在感が出ていたのは確か。俺はまだ泣いてる目で、トオルが俺のジャケットのポケットを探って抗不安薬を見付けてくれて、それで治まった。他の人達と別れて、俺はトオルと一緒に帰った。彼の機嫌は非常に悪くて、俺がアレをやったのは仕事だから、って言いたかったけど、俺も開き直ってなにも言わなくて、自分だってニコラスの時、俺のことヤってたクセに、って思うと腹が立ってきて、俺が自分の家のある駅で電車を降りようとしたらトオルに腕をしっかりつかまれて、電車は結構混んでて、俺がそれでも降りようとしたら、力いっぱい抱き締められた。

「なにすんだよ。」

俺はトオルの耳元で囁く。彼は黙って俺を睨む。トオルの家のある駅で無理やり降ろされて、通りを歩く時、俺は3mくらい彼の後ろを歩いて、彼は時々俺がちゃんとついて来てるか確かめて、俺は逃げるより、好奇心が強くて、それに惚れた弱みもあって、その割にはトオルの目の前で他のヤツと、ヤったけど。玄関から入って、ドアを閉めて。俺ってなんでこんなとこまで来たんだろう。バカなの?どうせさっき出しちゃったから、もうできないよ。俺から先手を打つ。

「この間のあんな感じって言われたから。」

「だからって、なんであんな子供みたいなヤツと。」

「仕事だから。」

「だからって、あんなこと。」

「あれはね、トオルから始めたんだよ。台本もなかったのに、あんなこと。」

俺とトオルってそもそもなに?付き合ってるのかどうかも分からない。俺は今までオッサンとしか付き合ってこなかった。オッサンなら俺が泣きそうなこんな時、膝に乗せて頭を撫でてくれた。もういいや、この人とはこれっきりにしよう。悲しいけど、今度こそ量を間違えないで3日間寝よう。そうすれば忘れられる。俺は今脱いだばかりの靴をまた履いて、玄関のドアを開ける。外に出て、ドアを閉める。トオルは追って来ない。最後にチラって顔を見た時、なにか考えてるような、少し悲しそうな顔をしてて、怒ってるような顔ではなかった。俺は実家住まいで、といっても俺と母親だけだけど、母は仕事が忙しいし、あんまり俺のことは干渉しない。俺は3日間寝る準備をして、水も飲まないのはヤバいって聞いたから、水のボトルは一応用意したけど、薬の量を間違えなければ3日間目を覚ますことはないはず。量は難しい。以前なら6錠くらいでいけたんだけど、こないだそれでやったら2日で目が覚めてしまった。身体がオーバードースに慣れてきたのかも知れない。致死量というのはないはず。1度母親に起こされた。

「あんた、なんでずっと寝てんの?疲れてるから?それともなんにもすることがないから?」

俺はどっちにしようか迷ったけど、

「なんにもすることがないから。」

と答えて、また目を閉じた。母は、

「あっそう。」

と言って、部屋を出て行った。俺はすぐ、もといた深い眠りに落ちて行った。夢も見ない、不思議な眠り。これで俺の脳がリセットされてトオルのことを忘れて、トオルに会う前の俺に戻れる。


鋭い男の声が、

「なにを飲んだ?」

って聞いている。俺は意識の遠い先でその声を聞いていて、答えることはできなくて、身体が重くて全く身動きできなくて、俺は死ぬのかな?それならそれでいいし。その次に気付いた時は誰かが俺に血圧計を巻いている。冷っとした。その次に気付いた時、何人かの人が相談していた。

「一体なにを飲んだんだろう?」

俺は、どうして俺の飲んだ薬が分からないんだろう?って考えたら、俺はいつも抗不安薬を色んな服のポケットに入れて持ち歩いてるから、分かるような所には置いてない。カウンセラーの吉田先生の声がする。

「抗不安薬だと思います。そんな話ししてたから。」

俺はほんの少し目を開ける。本物の吉田先生がそこにいる。これって便利だな。俺が死んだら色んな人が葬儀に来てくれて、色んな人に会える。同級生とか、職場の子とか。来てくれればの話しだけど。そんなバカみたいなことを考えていると、重かった瞼が少しだけ軽くなった。色んな声が聞こえて来る。

「少し意識が戻ったようだぞ。」

「君、君!なにを飲んだの?それ分からないと僕達困るから。」

周りを見渡すと、そこはなんていうんだっけ?緊急なんとか室。俺はやっとひと言。

「死なせてください。」

吉田先生が泣き声で、

「真樹君!」

って俺を呼ぶ。誰かが先生と喋ってて、

「抗不安薬飲んで、意識が戻ってるんなら、死にはしませんよ。」

「よかった。いい子なんです。ほんとに。」

俺、別に死のうと思ったわけじゃないんだけど。忘れたかっただけ。でもなにを?よかった、ほんとに忘れられた。いいやり方だな。でも先生には迷惑かけたな。俺の精神科医が怖いな。あの先生すぐ怒るから。母には、病人なのに叩かれて、精神科医は、

「俺の患者からは絶対、自殺者は出さない。」

とかそういうカッコいいことを3回くらい言って出て行った。


俺の脳ってどういう構造になってるのか全く分からないけど、そのあと俺は重度のウツになって、自殺願望はもともとそんなにないけど、どうなってもいいや、的な気持ちはあった。吉田先生は時々来てくれて、話しを聞いてくれる。

「俺、ほんとに死にたかったわけじゃないですよ。」

「でも緊急救命室では死なせてください、って言ってたじゃない?」

「ああ、緊急救命室か、どうしてもその言葉が出て来なかった。」

「真樹君!」

「だから死にたかったわけじゃないけど、あそこまで行ったんなら、せっかくだから死んだ方がいいかな、って。みんなが葬式に会いに来てくれるし。」

「なにを忘れたかったの?」

「それがね、ほんとに忘れちゃった。」

「効果はあるのね。いつもビックリするけど。でももうやっちゃダメよ。」

「今回は量が多過ぎた。」

「真樹君。」

「ゴメンなさい。」

「ドクターには記憶障害があるみたいだって言っておくから。」

「でも思い出したくはないですよ。せっかく忘れたんだし。」

「ウツの方はどうなの?」

「息も絶え絶え。」

「今は大丈夫みたいじゃない?」

「人と一緒にいる時は楽なんです。人にもよるけど。」

俺のいる部屋は6人部屋で、男ばっかで、俺の好みのオッサンタイプはいなくて、オッサン通り越したおじいさんや、働き盛りの2030代みたいな感じ。前に入院した時もそうだったけど、ウツ病の患者ってなぜかウツ病同士同じ部屋になるんだよな。鬱陶しくて仕方がない。俺もそのひとりだけど。気力がなくてしばらくシャワーにも入ってなくて、枕に重たい頭を乗せて、1日中なんで死ねなかったんだろう?って考えてて、でも死ぬ気はなくて、っていうかもともとなくて、新しく発売されたばかりの精神安定剤を処方されて、ますますグッタリしてたところに、誰かが見舞いに来てくれた。その人が部屋に入って来て、俺だと思わなくて、そしたら俺の所に来て、

「真樹。」

って、俺の名を呼んで、俺はウトウトしてて半分寝てて、もしかしたら夢見てんじゃないか、って思うようなイケメンで、

Do I know you?(俺の知ってる人?)」

って、思わず英語で聞いちゃうほど日本人離れした顔で、でもその人笑って、

「俺のこと忘れちゃったの?」

顔を見ても身体を見てもサッパリで、首を傾げて、でも、っていうことは、俺が忘れたかったのってこの人か、この人の周辺のなにかだな、ってそういう予測は簡単にできて。

「忘れちゃったんだったら、思い出すまで時々来るから。」

「これ、失礼かもですけど、忘れたくて忘たんなら、思い出したくないです。」

「大丈夫。思い出しても。」

前向きな人なんだな、って俺は思った。


その人が時々来てくれるようになってからは、ちゃんとシャワーも浴びられるし、病室を出て、テレビのある部屋に行ったり、食堂に行って座ってたり、ということができるようになった。なんだか変な話し。その人のことを忘れようとしたのに、彼が来るのが楽しみで、病棟の人が、あれ誰?すごいイケメン、って言うのを聞いたりすると嬉しくて、この間来てくれた時、

「貴方、なにしてらっしゃる方ですか?モデルさん?」

「君、マジで忘れちゃったんだな。俺はね、モデルもやってるけど、仕事は経営コンサルタント。」

「へー、すごいね。」

「人間、って不思議だな。忘れるんだな。」

って言いながら、俺の手をにぎって、俺は心臓がバクバクして死にそうなくらいドキドキしてしまった。なんでこの人を忘れようとしたんだろう?吉田先生が、

「こないだ見たわよ。君を訪ねて来た人。メチャイケメンの。」

「もしかして先生に話してなかったですか?彼のこと。トオルさん、っていうんですって。全然覚えてなくて、でもあっちはよく覚えてるみたいだから、きっと俺が忘れようとしてたのはあの人のことですよ。」

「多分そうね。なんで忘れたかったんだろう?」

「さあ?いい人ですよ。優しくて。」

俺が病院でボーっとしてる間に秋になって、そうなるとウツ病になる人が増えて、病棟がいっぱいになって、さらに鬱陶しい。こないだトオルさんが来てくれた時、

「表を散歩したりはできないの?」

「ダメですよ。俺、そんなつもりはなかったのに、自殺未遂したことになってるから。外には出してもらえません。」

「まだ死にたいと思ってるの?」

「だから、思ったことはないんですよ。ほんのたまたまくらいしか。」

「ほんのたまたま、って?」

「誰でもほんのたまたまくらいだったら、死にたいと思うでしょう?そのくらいのもんですよ。でもドクター達、信じてくれないから。」

「君とふたりきりでデートがしてみたい。」

「ゴメンね。それより、俺となにがあったか教えてください。」

「急いで思い出さなくてもいいから。」

「でも、悪くて。」

「いいよ。こうして会うのも楽しいから。」

「俺、早くここを出たいんだけど、まだ新しい薬がちゃんと効いてないって。」

「そうなの?」

「俺、早く仕事したい。ああいうのって、毎日やってないと、どんどん忘れちゃうから。」

「仕事のことは覚えてるんだ。」

「よく覚えてる。それから自分で創った帽子を被って、写真に撮ってもらった。」

「どんな人に撮ってもらったの?」

「なんか外国人の人。」

「ちょっと思い出してきてる。」

「ほんと?じゃあそのうちトオルさんのことも思い出すかな?」

「そう思うけど。」

「そしたらどうなるんだろう?」

「どうにもならないよ。ハッピーになるんじゃない?」

「そう。ならいいけど。」

昨日、隣のベッドの人が誕生日だったんで、家族の人が花束を持って来て、俺はそれに見入って、どうして花ってこんな形なんだろう?こんな色なんだろう?って考えて、それって虫を呼んで交配して、タネを作って、そのためなんだな、ってそういうことを考えた。俺の手が花を創りたがってる。早くここを出たい、って強く思った。その次にトオルさんが来てくれた時、思い切って話してみた。

「ここを早く出て、花や帽子が創りたい。俺の手がなにかを作りたがってる。」

この病院には患者のリハビリのためのクラスがいくつもあって、エクササイズとか患者同士の体験談を話すクラスや色々あって、俺は手芸のクラスというのをやった。簡単な押し絵みたいなので、やっぱり針持ったりするようなのはなくて、それでもなにかを創るのはやっぱりいいな、って思った。

「早くここを出るには、俺がどうして薬を飲んで、なにを忘れたかったのか知る必要がある。」

「焦っても、いい結果にはならないだろう?」

「花の形を見て、色を見て、でもなにも創れないなんて。俺、もうここに2カ月いるんですよ。」

もう泣きそう。泣こうかな。泣いてやったら教えてくれるかも。

「あんな大変なことになったんだから、2カ月以上はかかるだろう?死ぬところだったんだろう?」

そしたらあろうことか、隣のベッドのサラリーマンがそれを聞いてて、

「俺なんて、もう半年ここにいるぞ。」

だって。バカ、バカ、なんでそんなこと言うの?もう。俺、マジで泣き声上げて泣き出して、そしたらまたそのサラリーマンにナースコールされて、そんなに大した長さではなくて、すぐに泣き声は止んで、それでもずっと泣いてて、ナースが話しを聞いてくれて、その人はいつも優しくしてくれる、俺の母親くらいの年の女性で、

「俺はここを早く出たい。」

「もう少しよくなればすぐ出られるから。」

それからナースが俺に、トオルさんはいた方がいいかどうか聞いてくれて、俺はいてくれた方がいいって言って、

「もう少しよくなる、ってどういう風なことですか?」

って、聞いたら、

「もう君が薬飲んで忘れたい、って思うのを止めたら。」

そう言われたら、確かに今度また忘れたい、って思うことがあったら、同じことをしてしまうと思う。

「でもあの時は薬の量が多過ぎただけだから。」

「あの薬はものを忘れるために飲む薬じゃないから。」

「普通の人は忘れたいことがあったら、どうするんでしょう?」

「なんとか問題を解決していくんでしょう?」

「俺は双極性障害だから。」

「大変だとは思うけど、言い訳にならない。」

って俺の背中を軽く叩いて、

「カウンセリング、明日でしょう?先生によく聞いてごらんなさい。」

それからトオルさんは消灯までいてくれて、俺の親でさえここまで一緒にいてくれないのに、どうしてこの人はこうなんだろう?

「トオルさんはなんでこんなに俺によくしてくれるんですか?」

「俺にも反省することもあったかな、って思うし。」

「そんなことないですって。ってなにがあったか知らないけど。でもきっとそれは俺が悪かったに決まってます。」


次の日、吉田先生に、

「俺ね、また今度忘れたいことがあったら、また同じことやりそうな気がするんですけど。」

「あそこまで死に損なって、後悔してないんだ。」

「止めたい、とは思ってるんですけど、他のオプションが考えられなくて。普通どうするんですかね?」

「そうね、忘れてしまうんじゃなくて、反省するとか、それを次にいかすとか。」

「じゃあ俺がオッサンとかに告って振られて、いつものパターンで。そのつらい気持ちをどうやって忘れるんですか?」

「君だったら、アーティストなんだから、作品を創って、そっちに没頭する。人に話して相談する。私にでもいいし。」

「これね、正直に言うとまた病院出してもらえないかもなんですけど、でもちゃんと治さないとしょうがない気持ちもあって。」

「なあに?」

「俺、またやりますよ。今回より多少、量は少な目で。」

「じゃあ、ドクターに抗不安薬出すの止めてもらうから。」

「あ、でもそれね、よくない。だって俺、一度泣きだしたら止まらないから。」

「死ぬよりはいいでしょ?」

「あ、でもね、そうしたら次の案を考える。」

「どんな?」

「睡眠薬とか。それで1週間とか寝る。寝たり起きたりで。ちゃんと水とかは飲んで。死なないように。」

「私もそれやってみようかな?そんなによく効くんだったら。」

「ダメ、ダメ。身体に悪いから。」

「ほらね。人にだったら言えるでしょ?ダメよ、身体に悪いから。どうしても忘れたいことがあったら、誰かに相談する。それか、物創りに没頭する。」

「関係ないですけど、あのトオルさんっていう人、なんであんなに俺に親切なんでしょう?」

「君のことが好きなんでしょう?それで早くよくなって欲しいから、ああやってよく来てくれるんでしょう?」

「こないだ、自分も悪かった、って言うから、絶対俺の方が悪かった、って言ったんですよ。あんなイケメンの人を悩ませるほど俺って魅力あるんですかね?」

俺が真剣にそう言うんで、先生は笑って、

「そうなんでしょう?」

「どういう所が?」

「今度来たら、聞いてごらんなさい。」

「あのね、先生。俺よく思うことがあるんですけど、俺の母親、ああ見えて編み物が得意なんです。俺はあんまり興味ないんだけど、まあ、物を創るという興味でよく見てたんですけど。時々毛糸の玉がこんがらがったりするでしょう?その時母は、1度くぐらせると最後までくぐらせないとダメだって。だから、こんがらがった時もくぐらせたわけじゃないから、くぐらせなくてももとに戻るはずでしょ?よく説明できないけど、だからよくそれを考える。1度くぐらせると、最後までくぐらせないとダメだって。先生、分かりました?」

「分かった。それ、これから使わせてもらう。」


トオルさんに聞いてみた。

「俺ってこんなにイケメンで優しい人を悩ませるほどの魅力があるんですか?」

彼は笑いを堪えてるようで、でもやっぱり笑って、

「そうだね。」

「へー、どういうところ?」

「こういうことを言っちゃいけないんだけど、生きるとか、死ぬとか、一本勝負なとこ。」

「なんだ。可愛いからかと思った。」

「それもある。あと、そのまるでサンタクロースでさえ信じてしまいそうな純粋さ。」

「だけどあれは。」

「なあに?」

「誰かが最初、ほんとに見たから、ああなったんですよね?」

「え、なにを?」

「サンタクロース。」

隣のサラリーマンが爆笑して、

「あんなの家の息子だって信じてないぞ。」

トオルさんが、

「息子さん、おいくつですか?」

3才。」

ああ、あの時々来る可愛い子。トオルさんに、

「ほんとに信じてるとは思わなかった。」

って、あきれて言われて、俺もややムッとする。隣のサラリーマンがトオルさんに、

「サンタクロース信じてるなんて、真樹さん相当おかしいから気を付けた方がいいですよ。まあ、ここにいるヤツはみんな頭おかしいけどな。」

俺はそれを無視して、

「そんなことより俺ね、ちゃんと病気治そうと思ってるから、色々ほんとのこと言っちゃたら、例の抗不安薬、取り上げられることになって。」

「そうなんだ。」

「あんなことがあったから文句は言えないんだけど。ちゃんと駄々もこねないで賛成しましたよ。偉いでしょう?でもあれ、今、世界で1番人気のあるヤツで、多分、次のを探すの大変だと思う。だからそれまでは泣き始めたら止められない。」

「死ぬよりはいいでしょう?」

「吉田先生と同じことを言う。そんなこと言うけど、俺ひと晩くらい平気で泣けますよ。前そうだったから。声も枯れるほど、ワーワーと。」

「なんでそんなに泣けるの?」

「理由はあんまりない、病気だから。理由があることもある。あの抗不安薬ができる前は、俺の母親、泣いてる俺を、うるさいから眠れないからとか言って、納戸に押し込んでひと晩泣かせとくんですよ。まあ、自分も同じ病気だから、泣かしとけばいいって分かってるんですけど。あ、今なんか思い出した。俺がトオルさんの大事な書類の裏にデザイン画描いちゃって、大変なことになった。」

「そういうことから思い出すんだ。他には?」

「納豆?」

「いいこと思い出したな。納豆と一緒に出て来たのは?」

「え、とね、豆腐の味噌汁。」

「それから?」

「なんか魚の焼いたの。」

「よくできました。」

「どんな立派なレストランに行ったら、あんなすごい朝ごはん食べられるんですか?」

「あれは俺が作ったんだよ。」

「え、マジで?トオルさんが?」

「トオルでいいよ。」

「呼びすてなんて失礼な。」

「前はそう呼んでたし。」

「分かりました。じゃあ、トオル。え?朝ごはんってもしかして俺、お泊り?」

「そう、そう。」

「ということは、俺達?」

「そう、そう。」

「俺ってオッサンとしかヤれない体質だと思ってた。」


トオルは来る度になにかしら花を持って来てくれて、この病棟はウツの患者が多いから、先の尖った鉛筆やペンを持ち込めなくて、俺は彼のいる間にペンを借りて、もったいないけどその花をバラバラにして型紙をとって、それが今後の作品に活かせればいいな、って思ってた。その花の中には俺が今まで挑戦したことのない種類もあって、デルフィニュームとか、トルコギキョウとか、ダリアとか。トオルの持って来るかわいそうな花達は、時々俺に花輪にされて、それを頭に乗せて写真に撮った。生きてる花の色。佐山さんの布のバラの、あの発光したような色もよかった。人口の色。染料を合わせて創られた。生きてる色は死んでしまうけど、創られた色は残って、百年も、それよりもっと残って、でもそれは目的のない生き残りで、自分達でさえそんなに長く残されるつもりはなくて、そういうのが「退廃」っていうのかな?滅びる物を味わう。なんだっけ?吉田先生に、紙に書いてもらったのに、なくしてしまった。


秋も深くなって、俺はまだここにいて、新しい精神安定剤は効き目が遅いんだか悪いんだか、なかなか効いてこないし、取り上げられた抗不安薬以外にちゃんと効くのがなくて、俺が夜中に、息も止まるくらい泣き叫んでることが3回もあって、結局もとの抗不安薬が処方された。俺の容体は攻撃的になってきて、トオルを見る目も懐疑的になってきて、いつも空気中に弾丸が発射されて、すごい勢いと音で、お互いを撃ち合ってる音で、目には見えないけど、音と、それから空気圧を感じる。マシンガンだから相当うるさい。薬を変えた方がいい、って言う吉田先生と、その薬をもう少し試したい、と言うドクターの仲は今、最悪で、それからドクターに3回会って、3回ともマシンガンがうるさい、って言ったら、やっと別の精神安定剤に変えてくれた。それプラス少量の抗精神病薬が加わって、驚いたことにマシンガンは急にいなくなって、その代わり、ハイになって、1日中俺がヨーロッパとアメリカで会った、アラブの男達のことを考えていた。


ヨーロッパで会ったヤツはレバニーじゃなくて、モロッコの金持ちでパリに住んでいた。俺にドレスを作ってくれて華やかなパーティーに連れて行ってくれて、そういうパーティーでは俺のことなんて変な目で見るヤツはいなくて、俺は言葉は分からなかったけど、ソイツがずっと俺と一緒にいて、他の男が近づかないように。だからそれは便利で言葉の不自由もなくて、本物のハイエンドのブランドのドレスやオートクチュールを着た女性もいて、そんな女性達も俺の創った帽子を羨ましがって、売ってくれ、って言われたりもしたけど、それは俺の思い入れのあるヤツで、手元にずっと置いておくつもりのヤツだったから、高い値段を言われても売らなかったから、それでかえって尊敬されたり。そのモロッコ人は本物の変態で、セックスの快楽のためなら手間と金は惜しまなくて、俺は彼の、ドレスを着たジャパニーズのお人形で、いつも側に置いて可愛がって、家にいる時も外出する時もいつも俺に女の服を着せて、ソイツはパリにたくさんいた東南アジアの小柄な、女性にしか見えないような、ドレスを着た美しい男性達には目もくれないで、背の高いガッチリした男の身体の俺を気に入ってくれた。その男は女ともできて、いつも同じ女を金を払って呼んで、ひと目でそうだと分かるボディービルダーで、その女に全身黒い服を着せて、女性性器には決して触らないで、バックからアヌスを突いていた。女とヤる時も俺も必ず一緒にいなくてはならなくて、女の下着で、男の手の届くところにいさせられた。その女も変態だったけど、俺に性器を見せてやる、って言って、俺は実際見たことなかったから見せてもらったら、その女は白人だったからかも知れないけど、色とかもそんなになくて、それは大丈夫だったけど、その時は女もすっかり濡れていたから、なんだかそれが内蔵っぽくて、やっぱり気持ち悪かった。俺は男の性器を愛していた。男は時々自宅でパーティーをして、その時はその女も呼んで、彼女はいつもドラッグでイってて、パーティーの客もそんな感じで、ドラッグが回って来ても俺は母親との約束があるから絶対避けて、それでかえって尊敬されたり。でも酒は飲んでたけど。


アメリカで会ったアラブの男はレバニーで、金持ちで何もしないで遊んでて、ほんとは親には大学に行ってることになってて、俺に目をつけて近付いて来て、よくアメリカのドラマや映画に出て来るような大きな金持ちの家にひとりで住んでて、もちろん使用人は何人かいたけど、俺達は好きな時に好きな所でセックスしてたけど、使用人とかはよくトレーニングされてるんだかなんだか知らないけど、俺達がヤり始めると、静かに姿を消した。俺達が好きだったのは、大きなガレージの中に置いてある大きな車の中や、熱く日で焼けたプールサイドや、ジムのマシーンの上や、外から人に見えそうなポーチでヤったこともあった。その男は絶倫で、俺は毎夜必ずヤられてて、ソイツが好きなのは俺をうつ伏せにして、ペニスを俺の中に入れて同時に俺のペニスをしごくやり方で、男は俺の中を突くのと同時に俺のペニスをグッと引いて、その快感は半端じゃなくて、俺は身体の底から出るような声を出して、ソイツは、いい泣き声だ、もっと泣けと言ってケツの動きを速くして、男は俺には絶対入れさせないで、ヤツのペニスはいつでも必ず俺のケツの中にとどまって、俺はすぐイかされて、でも男をイかせるのは容易じゃなくて、だんだん慣れてはきたけど、それでもソイツがイくのを見るのは嬉しかった。彼はいつも俺の顔に出して、それで俺にバカみたいなビッグなキスをしてくれた。


病院に時々会いに来る、トオルという男が、パリのモロッコ人に見えることもあれば、アメリカのレバニーに見えることもあれば、そのどっちにも似てることもあれば、どっちにも似てないこともあった。俺はハイでセックスのことしか考えてなかったけど、トオルのことはそういう対象じゃなくて、もっと神聖で、だからトオルとセックスしようとかそういうのはなかったけど、その割には彼に俺がどんなセックスをしてきたか、どんな体位が好きだったか、そういう話しをノンストップでしていて、トオルは俺の病気を理解してるかなんだかよく知らないけど、普通に俺の話しを聞いていて、変態のモロッコ人がいつも同じボディービルダーを呼んで金払って、ケツしかヤらなかったとか、アメリカのレバニーとガレージの中のベンツでヤって、ヤツが後ろの座席で俺がその上に乗ってヤったとかそういう話しをしても、黙って聞いてて、それでも嫌がらずにまた会いに来てくれる。トオルが帰ってしまってから、もっと早くナースに頼んで、抗不安薬もらって飲んでれば、あんなバカな話ししなくてすんだのに、って思うけど、来てくれて顔を見ると、そんなことすっかり忘れてしまう。吉田先生は俺に少し仕事させてみらたどうか、ってドクターに言ってくれてるらしい。そうすれば俺の過剰なエネルギーが消費されて、不安感が減るんじゃないか、って。トオルが持って来てくれた花で、たくさん型紙を取ったけど、当然まだハサミは持たせてくれないし。吉田先生が舐めても死なないフェルトペンを持って来て、ビックリしたことに、病棟から許可が出て、俺はそれで絵を描くことができる。それで俺は食事時以外の食堂を使って絵を描いた。帽子の絵。そして花の絵。そのフェルトペンは高級なヤツで、混色もできるし、水でぼかすこともできる。午前中2枚、午後3枚、夜にまた2枚くらい描ける。すぐに画用紙がなくなる。俺はその裏も使って描く。俺のベッドの周りの壁にテープで貼ると、1週間もしないうちに壁がいっぱいになって、天井は高過ぎて届かなくて、窓に貼ったら怒られて、そしたらトオルがポートフォリオを買って来てくれて、俺は自分の絵を整理して、そこに収めた。これだけのペースで絵を描いていると、セックスのことを考える時間があんまりない。頭の中は色でいっぱい。それでもセックスのことはまだ考えてはいて、俺はそれを色で考えることを学んだ。パリでのセックスは軽いレモン色に3滴白を入れたくらいのお洒落な色。アメリカでのセックスは太陽の下で見た時のウルトラマリンブルー。

「トオル、そんなに高い画用紙買わなくてもいいのに。」

「だってそのマーカー、いいヤツなんだろ?」

「そう。吉田先生が買って来てくれて。36色で1万円以上するんだって。毒性のない特別ので。でもこんなもん食うヤツいるんですかね?」

そしたら隣のベッドのサラリーマンがまた口を出す、

「いざとなったらなんでも食うだろ?」

「例えばどういうの?」

「俺は靴墨食ったことあるぞ、チューブに入ったヤツ。」

「で、どうなったんですか?」

「どうにもならない。ちょっと気持ち悪くなった。」

「なんだ、そんなもんか。トオル、俺トオルが買って来てくれた花、みんな描いた。早く創りたい。」


「吉田先生、ありがとうございました。あのペンほんとに綺麗で使いやすくて。」

「随分たくさん描いてるらしいじゃない。」

「1日に7枚から10枚くらい。」

「すごいわね。」

「問題はアトリエに帰ってからそれだけ創るのが大変、ってこと。なんだか苦しいです。やりたいことができないって。」

「ドクターとも話したんだけど、君のそのフラストレーションが、正常なアーティストのものなのか、それとも病的なものなのか、判断できないって。」

「俺はアーティストですよ。正常ですよ。」

「そうだけど。」

「もうバカなマネはしないし。こんなつらい思いするくらいなら、オッサンに振られたくらい、なんでもないです。」

「真樹君、まだ私にどうしてあんなことしたのか、話してくれてないわよね。」

「だって覚えてないですもん。」

「そうだったわね。」

「トオルに関係あるのは分かってるんだけど、あの人教えてくれないし。」

「あのイケメンの彼ね。聞いてみたんでしょ?」

「はい。でもあんまり急に思い出すのはよくないみたいに。」

「そのこともあるのよね。記憶障害。ドクターも心配だって。」

「じゃあ記憶障害が治れば、ここを出られる可能性が増える、ってことですよね。」

「でも無理はしないで。人間の脳って、限界を超えると、忘却っていう方法をとるの。忘れるのにも理由があるのよ。」

「思い出さない方がいいってことですか?」

「それは分からない。少しずつ思い出す。」

「分かりました。俺、トオルに少しずつ教えてくれるように頼みます。」


次にトオルが来た時は、また花を買って来てくれて、

「俺は花には詳しくないから、なに買っていいのか。」

「これ、すごいですよ。ラナンキュラス。」

「よく知ってるな。」

「知ってるけど、創ったことはない。いいです、やってみたい。」

俺はいつものように、せっかくの花をバラバラに分解する。かなり複雑な形。バラに似てるんだけど、全然違う。花びらの形をなぞって型紙を作る。それしながら考えて、もしかしてなにか自分から思い出せないかな、って。彼がここにいるうちなら思い出しやすいかも。型紙を作る手を止めて、彼を見る。

「どうしたの?」

「なんでもない。なにか思い出せないかな、って。」

「なんで?」

「吉田先生が、記憶障害のせいで退院が遅れてるみたいに。」

「少しずつ思い出せばいいよ。」

「先生もそう言ってて。俺、多分あれだけバカみたいに薬飲んでなん日も寝ちゃったから、頭が変になってる。」

俺は急にこの間シャワーの時、ぼんやりと考えてた時のことを思い出した。

「外国人の人。俺の写真を撮ってた。あの人と一緒にいた女の人を思い出した。顔だけ。綺麗な人。」

「クラウディア。」

「俺に名前教えてくれたの?ありがとう。もう少し教えてくれない?あの人達、誰?」

「ニコラスはプロのフォトグラファー。クラウディアはメイクアップアーティスト。ドイツから来てた。」

「ドイツから?俺が自分の帽子を被って、その写真を撮って。っていうことは、俺は女のカッコしてた?」

「真樹。俺、君に自分から俺のこと思い出して欲しいんだ。」

「どうして?」

「俺が君にとって特別な存在なんだったら、きっと思い出せるはずだろう?思い出せなかったら俺が君にとって大した存在ではないってことになる。」
「俺の頭、そういう風に単純にできてませんよ。」

「そうかな?」

「俺、思い出さないとここから出られない。」

俺はパニックになりそうな意識を、花に向けた。ラナンキュラス。そうだ分かった。あの時の帽子。どんな花がついてた?それを思い出そう。あの時俺が創ったばっかりの帽子。ドレスに合わせた色。あのプリントのドレス。俺が創った下手くそなドレス。シルクシフォンのプリント。薄い生地だからファスナーを縫い付けるのが大変で。

「あの時誰かが、ドレスの後ろのファスナーを下ろしてくれた。」

「それは当ってる。それから?」

「俺は笑って、それから泣いて。」

「それも当たってる。大分思い出した。」

「もう少し教えて。」

トオルは少し考えてて、

「俺もそこにいた。君に初めて会った時だった。」

俺はそれ以上思いだせなくて、脳のパニックボタンを押しそうになったけど、それするとまたここを出るのが遅くなると思って、その代わり、トオルの手を握った。

「俺、大分思い出したよね。」

「うん。俺は君に俺のことを思い出して欲しいんだ。悪いけど。」

「分かった。やってみるけど、あんまり長い間はできない。じゃあその日って、俺の1番ハッピーな日だったね。」

「どうして?」

「トオルに出会ったから。」

俺はまだトオルの手を握っていて、彼はそこにキスをしてくれた。


次の日もなんだかボーっとしてしまった。あんな素敵な人が、俺のこと大事に思ってくれるんなら、別に忘れたこと思い出さなくてもいいかな、って思っちゃった。あ、でも彼は俺に思い出して欲しいって。夕べ、帽子とドレスのこと思い出したから、少し進展があったんだよな。服装から入ろう。帽子とドレスは分かった。靴はそんなに持ってないから、多分あの薄いピンクのハイヒール。そうだ、下着。あのプリントなら下着は絶対黒。黒のストッキング、ガーターベルト、パンティー?なんか考えてると恥ずかしい。背中のファスナーを下ろしてくれた人。トオルが持って来てくれたラナンキュラス。ばらしたヤツはもうダメになったけど、まだ何輪も残ってる。見ていると、不思議な気持ちになる。誰がこんな花創ったの?天国にお花のデザインルームがあって、天使達がいっぱいいて、花のデザイン画を描いて、花びらの形に切ったり、染めたりしている。じゃないとこんな花創れない。自然にできたとは思えないような複雑で上手くデザインされた花。トオルの大事な書類の裏に描いたデザイン画、あれはブライダルの帽子。白だけじゃつまんないから、色も加えた。俺もあんなドレス着て結婚式したい、って言ったら、「じゃあ、やるか。」って。あれはトオルの声だった。やっぱり花やドレスのことを考えてると、思い出すな。え、でも、「じゃあ、やるか。」って、なに?冗談?ひとつ思いだしたら、またひとつ思いだす。「Curiosity」。なにこれ?なんかのキーワード?「好奇心」。なんに対する?


ナースが呼びに来て、ドクターに会った。

「俺ね、相当感情をコントロールできるようになりましたよ。いつもならパニックボタンを押すところを、フッと他のことに気持ちを向けるんです。こんなこと前はできなかったから。前なら抗不安薬飲んで3日寝るとか、朝までワーワー泣くとかしかなかったけど。」

俺はあんまり喋り過ぎるとハイだって思われると困るな、って黙ろうと思ったけど、ドクターがなんにも言わないんで、

「大分思い出してきましたよ。全部じゃないけど。」

「そうか。それはいい思い出か?悪い思い出か?」

「今のところ、いい思い出です。」

「君のケースはほんとに難しい。今、野に放してまたこの間みたいになったら困る。」

「早く仕事したいんですよ。それに今、好きな人もいるから、そんな簡単に死んだりしませんよ。」

「でもその彼を忘れたいがために、あんなことしたんだろう?」

「だけど彼は俺のこと好きなんですよ。だからきっとあれは俺の思い過ごしだったんですよ。」

「そこら辺がちゃんとハッキリしないと、またあんなことが起こるだろう?なにかつらいことがある度に、

薬に逃げるようなことでは困る。」

「でも精神安定剤、効いてるんですよね?」

「君の場合はそれだけじゃないから。」

「抗精神病薬も効いてるんでしょ?」

「じゃあ、あと3週間なんともなかったら出してやる。」

3週間なんてひどいですよ。」

「じゃあ、20日間。」

「先生、それって1日しか違いませんよ。」

「え、そうか?じゃあ、半月。」

「じゃあ、2週間。」

「それだって1日しか違わないぞ。」

「え、そうですか?じゃあ、2週間ね。約束ですからね。」


ナースステーションから俺のケータイを返してもらった。俺はブライダルの、世界のトレンドと日本のトレンドを調べ上げ、本格的にブライダルのコレクションをスタートさせた。ブライダルは楽しい。自分の着たいウエディングドレスを想像して、それに合わせた帽子に花に、花輪に、ベールとかドレスに縫い付ける花、そして花婿と、両方の両親につけてもらう花。あれ、これ誰かに教えてもらった。誰だっけ?両親にもコサージュをつけてもらう。花嫁とお揃いの。ドレスと同じ布地で創った花。ウエディングケーキの上にも、それと靴にも同じ花。アイディアがどんどん膨らむ。これがハイだ、っていうんなら、世の中のアーティストはみんなハイ、ってことになる。ウエディングドレスのサイト。今時の花婿はタキシードも多い。つまんないな、タキシードなんて普段着だよな。俺は持ってないけどさ。モーニングスーツを着ているモデルもいる。似合わないな。いいモデルもいないな。みんな細過ぎるか、ゲイ過ぎるか。女ってこんなのが好きなの?高級ホテルのフロントに、モーニングを着ているトオルの姿を見た。あの時が初めてトオルを見た時。俺はすぐ彼にラインを送った。彼は忙しいのか、1個だけスタンプを送って来た。変なウサギが、「ヤッター!」って言ってるヤツ。Claudiaからのメールを発見。俺とトオルの恥ずかしいからみの写真。俺のパンティーに手を入れてる?え?俺が笑って、それから泣いて、メイクが涙と一緒に流れ落ちてる。最近来たメールもある。俺が入院してケータイ取り上げられてから来たもの。動画。トオルが俺のドレスのファスナーを下ろして、俺の背中に唇を這わして、俺のドレスが肩から落ちて、俺がトオルのモーニングを脱がして?なに?これってAV?俺ってトオルとこんなことしたの?初めて会った日に?でもこれは撮影だからね。「Curiosity」。またこの言葉が脳裏をよぎる。


3日間ぶっ続けっで働いて、ウエディングのデザインを仕上げ、今度は家に帰る支度を始めた。壁に貼った絵を全部はがして、ポートフォリオにしまって、洗面道具も服もパッキングしたら、まだ1週間以上ここにいるのに気付いて、また出して。外に出るのが待てない。あそこに行きたい、ここに行きたい。あれもしたい、これもしたい。退院が延期されないように、最新の注意を払う。いい子にする。吉田先生にも、いつも笑顔で、ハッピーに。

「結局あのトオルさんとはどういうトラブルがあったの?」

「それなんですけどね、きっと大したことじゃないと思うんですよ。それがなぜか大袈裟なことになっちゃって。ロミオとジュリエットみたいなもんですよ。彼女が仮死状態だったのに彼氏は死んだと思って、自分も毒を飲む、みたいな。」

「すれ違い。」

「そんな感じ。だって俺、トオルに初めて会って撮影した時の写真もビデオも観ましたけど、ラブラブですもん。」

「へー、それ観たい。」

「あ、それはね、ちょっと。」

「え、なんで?」

「また今度。それよりブライダルの仕事、楽しいですよ。早く帽子とか花とか創りたい。トオルがブライダルのモデル散々やってるから、知り合いいっぱいいるらしいんですよね。コレクションができ上ったらプロモーションして、じゃないや、デザイン画描いたら、もうそれでプロモートできる、って言われたな。ほら、先生、俺どんどん色んなこと思い出してますよ。」

「いいなあ。私もウェディングドレス着たい。」

「もうやったでしょう?そうだ。先生の時はどんな感じでした?」

「ドレスはデザイナーさんと話し合って、オーダーして、ウェディングプランナーも雇って、式場とかみんな手配してもらった。」

「本格的ですね。ヘッドドレスはどんな感じ?」

「私はプリンセスのティアラとベール。」

「花とか帽子はなし?」

「花は生花しか使わなかった。」

「きっと普通そうですよね。新しい提案、ですね。帽子に花つけて、それが後ろのベールにも落ちて行くみたいにしたいんです。」

「ロマンティックね。」

「いいでしょう?それでね、すごいこと思い出したんですけど、俺がある日、俺もウエディングドレス着て結婚式したい、って言ったんですよ。そしたらトオルが、じゃ、やるか?って。」

「すごいじゃない。あ、そういえばこの雑誌、内科のナースに借りたんだけど、真樹らしいモデルが出てます、とか言って。でも違うわよね。メイクしてるからよく分からなくて、でもそのナースは間違いないって。」

「なんですか?」

「ほら、これ。」

それはファッションとアートの中間くらいのコンセプトの雑誌で、半分くらいが広告で、よくあるノリで、グラビアのタイトルが、「好奇心」。サブタイトルが、「危険な相手への危険な好奇心」。あんまり上手くないサブタイトルだな、まあいいけど。俺ってまたこんな淫らなポーズで、え、マジ?俺がこんないたいけな若者のブリーフに手を入れてる。なにこれって、エロ本?

「どう見ても俺ですね。」

「覚えてないの?」

「ここ等辺の出来事だけは思い出せないんですよね。でも待って、やっぱり少しずつ思い出してきた。この俺が若者を引っ叩いてるシーン、本当なんですよ。」

「ほんとに叩いたの?」

「はい。成り行きで。そうそう、その子ブエノスアイレスから来たって。このドレスね、最初好みじゃないと思ったんだけど、なかなかよくできた服で、あの時買わせてもらえばよかった。俺のサイズだし。あ、でも俺あの時のスタイリストさんの連絡先知らない。」

「綺麗な色ね。なに色っていうのこれ?」

「俺に言わせるとね、ストロベリーレッド。」

「なるほど。」

「あ、また思い出した。俺ね、実はファッションモデルとしてデビューして、これが第1作目なんですよ。事務所の社長が俺好みのオッサンで、あ、それは関係ないんですけど、その人が、俺のことは普通に売り出すつもりがないから、とか言ってましたよ。だからこんなことに。」

「いいじゃない。ドレス着るの好きなんでしょ?」

「そうだけど。あ、そうだ、あの社長に言って、スタイリストさんに連絡とってもらおう。谷崎さん。ほらね、もうほとんど全部思い出しましたよ。」

「でもトオルさんとのことが。」

「あの人が納豆ご飯と、豆腐の味噌汁と、焼き魚を朝ごはんに作ってくれたのは思い出したんですけど。」

「あの顔で?」

「そう。面白いでしょ?あの顔で、暖簾に腕押し、糠に釘とか言うんですよ。国語が得意だったんですって。ほら、また忘れてたこと思い出した。でも今時のナースって、こんな雑誌買うんですね。」

「若い男性。」

「へー。どっちかっていうと女性誌ですよね。どこで俺のこと見たんだろう?」

「聞いてみればよかった。」

「別にどうでもいいですけど。あ、もしかしたら、この前、そこの1階のコンビニに行きたかったから、精神科のナースについて来てもらったんですよ。そこのコンビニ大きいから、もしかしてブライダルの雑誌ないかな、って思って。買うつもりはなくて、ちょっと立読みしようと思って、セコイですけど。高いんですよね、意外と。きっとその時見られたんですよ。」

「その時以外は病棟出てないんならそうでしょうね。」

「内科のナースがこっちに来ることないですよね。」

「さー、私は知らない。」

「その時の精神科のナースですけど、俺のこと全然信用してなくて、もう退院する日も決まってるのに、逃げたりしませんよ、って言ってんのに。あの人はね、警察官とかになった方がいいですよ。あの1番でかくて、目付き悪い人。」

「あの人ね。実はね、去年患者に逃げられて大変な目に会ったそうなのよね。」

「そんなことって、あるもんなんですね。映画みたい。どうやって逃げたんですか?」

「それはちょっと。」

「え、先生も俺のこと信用してないんですか?」

「君のことは信用してるけど、病気が人を変えるから。」

「逃げたって、病院服しかないし、靴も取り上げられてるし、どうするんでしょう?お金があればいいですけど。」

「君はお金は持ってるの?」

「あるのはケータイくらいですよ。こないだ返してもらった。そういえば、昔観た古い映画で、ロシア人の男性バレエダンサーの話しなんですけど、アメリカ公演が終わって、ロシアの役人が両側についてて、それで空港に行くんです。ゲートをくぐってアメリカを出て、ロシアに帰るって安心させたところで、ダッシュしてまたアメリカ側に戻って亡命するんです。アメリカ側にもね、それを知ってて待ってるエージェントがいたんです。カッコよかったですよ。」

「君はダッシュして亡命する予定はあるの?」

「だからもう少しで出られるのに、そんなことしません、って。」


吉田先生にさようならを言って、自分の病室に戻る途中、俺の頭の中に、「現実逃避」という言葉が浮かんだ。それが俺がずっとやってきたこと。我慢できないつらいことから逃げるため、抗不安薬をたくさん飲んでなん日も寝て、起きた時は別の人間になったように、つらいことが軽減してる。でもその言葉を意識して使ったことはなかった。それはまさしく、「現実逃避」。現実から、逃げて、避けて、でもそれでどうするつもりなの?自分のベッドに戻って、横になる。枕に乘った頭はいつもよりずっと重たい。「現実逃避」をして、なん日かして予定通りに現実に戻れることもあるけど、この前みたいにいつまでも眠り続けて、救急車を呼ばれることもある。でも、もっと薬の量を増やしたら?俺の周りの物が、さっきここを出た時と、今帰って来た時とでは違って見える。俺が今いる所は、前の所とは違う。色が違って見える。空気の濃度も違う。全てが緊張して見える。色が固まっている。空気も固まっている。明らかに俺は別の世界にいる。どうしてこうなった?さっき吉田先生の所から帰って来た。先生の所でなにかあった?別に。なにもなかった。でも俺が違う世界にいるのはなぜ?この世界では空気が動かない。写真に撮ったみたいに、3次元の振りをしてるけど、本当は2次元。俺を騙そうとしている。悪意を感じる。俺はどうして、「現実逃避」をしようとした?思いだせない。不信感がつのる。今度やる時は絶対失敗しないように、現実から逃れよう。戻って来られないくらいの量。こないだ何錠飲んだか覚えてない。6錠?10錠?そんなに強い薬ではないはず。今俺がいるのはほんのちょっと空間のずれた、現実。でも本当の現実とは明らかに違う。今日もトオルという男が、綺麗な花を持って来てくれた。愛想よく受け答えしている自分が見える。本当の自分はそこにはいない。今日彼が持って来てくれた花。アジサイ。花言葉は?「移り気」。俺がこの世にいなくても誰も困らない。俺が帽子を創らなくても誰も困らない。世界は俺なしで十分動いている。トオルの端正な顔と前向きな話しの内容に、俺の明るい未来が見える。だけど俺の欲しいのはそんなものではない。いつもの抗不安薬はナースに頼まないと、もらえないことになってる。俺はなにか違う方法を考えないといけない。さっき話した映画のシーンが浮かぶ。なんの映画だった?調べてみたけど分からない。演じていたのは、ジョルジュ・ドンだと思う、それか、彼の伝記映画?あのシーンしか覚えてない。安心させておいて、そしてダッシュして逃げる。あと1週間とちょっとでここから出られる。ここから出て、安心させておいて、「現実逃避」して、戻って来ない。1週間ちょと。それまで待てる?無理。この空間のずれた非現実に我慢できない。去年逃げた患者はどうやって逃げて、それからどうなったんだろう?深い湖で、浮かんで来ないように足に重りをつけて、飛び込む。誰かに聞いた話し。ほんとの話し。死んだのは40代の女性。航空会社のエリートだった。一酸化炭素中毒。睡眠薬と痛み止めと酔い止めをウオッカと一緒に飲む。夕べから、今日1日中死ぬことばかりを考えている。でも表面上は今までと同じ俺で、余程上手な女優にならないと。自分で女優と言ったところが面白い。混乱の多かった俺の人生。ほら、もう過去形になっている。サンタクロースは信じてるけど、神は信じてないよ。天使は信じてる。彼らはデザインルームで、花や蝶や魚や動物のデザインをしている。時々失敗して、変な動物を創ったりして反省する。目付きの悪い、身体のでかいナースに話しかける。月がかわったから、新しい雑誌見に、またコンビニ行きましょうよ。ダッシュして、ソイツから逃げられる?俺は体力はある。ソイツほどじゃない。俺は父親を知らない。背が高くてガッチリした、俺みたいな体格だったと思う。母もそんなに大柄じゃないし、親戚にもそんな人はいない。刃物?刃物があればそれで脅して逃げられるし、上手くいけば自分の首を切ることができる。でもそれは怖いな。でもそれで逃げることはできる。やっぱり予定の退院日まで待つ?待てるとは思えないけど。待てばもっと計画的に死ぬことができる。ベッドの上で絵を描いている振りをしている。描いているのは道。迷路。どうしても抜け出せない。違う色を使ってみる。歯車。小説の題名。それを黄色と赤で描いて、やっぱり思い直して黒で描く。歯車がなんだか花のように見える。何個も連なって動く歯車。大きさも様々で。幻覚としてはまあまあ怖い。どうやって自分の足に重りを巻き付けて、湖の深い場所に身を投げることができるのだろう?そこまで這って行ったのかな?どうやって発見されたんだろう?遺書?人里離れた所で。人間の身体が浮かんで来なくするためには、何キロくらいの重りが必要なんだろう?適当にそこらの石を使ったのかな?ロープで石を縛るのは簡単なことじゃない。石の形にもよるけど。湖の1番深い所、ってどうやって知るのかな?泳いでみたのかな?石をロープで縛ってそれを引きずって、深い所まで行って、自分の足にロープを巻いて、相当の精神力を必要とする。原因は職場のストレス。誰かに復讐しようとした?メンタルな病気だった?旦那は保険と会社の年金で遊んで暮らしているらしい。結婚すると会社からお金を切られるから、絶対結婚しない。女は周りに多い。誰にこんな話しを聞いた?外国で。ヨーロッパの航空機会社に勤めてた人だった。バスの中で聞いた。後ろのふたりが話してた。なぜか事細かに覚えてる。飛行機に乗って乱気流に巻き込まれるようなこと。今いたとこから急にスリップして、ジェットコースターみたいに落ちて行く。今の俺がそれ。誰かに気付かれてはいけない。ここから出られなくなる。自分がなにをしているのか分からなくなったから、数値化した。何時に起きてなにをして、自分が1番自然に健康的に見えるスケジュールを紙に書いた。そしてそれを実行する。午前中は食堂に行って絵を描く。花の絵を描く代わりに、歯車の絵を描く。遠くからは罪のない花の絵に見える。白い菊の花は、日本ではお葬式の花だけど、海外では結婚式にも誕生日にも、好まれる。お葬式の花。死んでしまった人が被る帽子。


最初に気付かれたのは、トオル。彼の持って来る花に興味を示さなくなった。いつもならなんでも喜んで、すぐ破壊して型紙にした。上手い女優だと思ってたけど、そこまで気付かなかった。

「この花、気に入らないの?」

「そうじゃないけど。」

「これ、なんていう花?」

「ホリホック。」

「綺麗だね。ありがとう。」

「具合が悪い?」

「どうして?」

「いつもと全然違う。表情とか。違う人みたい。」

俺はこの人を騙すのは無理だと思って、彼の手をつかんで、隣のサラリーマンに聞えないように小声で、

「誰にも言わないで。」

「だけど。」

「退院できなくなる。そしたらもう死ぬ。」

「矛盾してるぞ。よくなるまで退院できないぞ。」

「ここにはいられない。」

「俺にできることがあればなんでも言え。」

「じゃあ、教えて。なにがあったか。なんで俺が薬飲んだか。」

「単純なことだ。俺が君に嫉妬した。あの雑誌の撮影で、あの若いモデルと。」

「だから俺、トオルのことを忘れようとした?」

「俺と別れようとして、忘れようとして、そしてほんとに忘れてしまったんだ。」

「あそこに連れてって。」

「どこ?」

「あのホテル。初めて会った。」

「行ってどうする?」

「気持ちが落ち着く。」

「ドクターに聞かないと。」

「今。」

「無理だよ。それは違法だよ。」

「だからなに?」

「俺の仕事は信用第一だから。」

「だからなに?」

ベッドの境のカーテンが開いて、隣のサラリーマンが顔を覗かせて、

「聞いてたわけじゃないぞ。聞えたんだから。」

ウツ病で半年以上入院してるって言ってた。小さい子供のお父さん。

「行きたいとこがあるんなら、行かせてやれ。」

トオルが、

「そういうわけにはいかない。」

「なんで?真樹君が勝手に出て行ったことにして、貴方が後ろからしっかり見張ってればいい。ここは俺がなんとかごまかしておくから。」


週末で、まだ見舞いの人が大勢いる時間。ナースステーションの周りにある娯楽室にもたくさん患者がいて、テレビの音もうるさいほど。俺はトオルの帰るのを見送る振りをして、一緒に肩を並べて歩いて、そのままドアの向こうへ。廊下に出て歩き始める。トオルは俺の5mほど後からついて来る。そこにはコンビニや、花屋や、ギフトショップがあって、病院服で歩いている人が何人かいる。病院服は内科や、外科と同じだから、俺がすぐ捕まるということはない。スタッフが見てないスキを突いて、正面玄関からタクシーに乗る。トオルが後続のタクシーに乗ったのが見えた。行き先はあのホテル。幸い俺の乘ったタクシーの運転手は、俺が患者の服を着て、高級ホテルに行くつもりだということに、疑問を呈するつもりはない。数カ月振りに見る病院以外の世界。自殺願望で満ちた俺の心が少し緩んでくる。何度かトオルの乘ったタクシーを振り返る。ちゃんと後からついて来る。あのホテルに行くには、どうしても人の多い通りを抜けなくてはいけない。観光客の多い地域。信号が赤なのに、平気で走って来る若者達。車のクラクションがあちこちから聞こえる。遠くからホテルが見えてきた。でもなかなかそこまで行けない。この喧騒の中でも、トオルのタクシーはちゃんと何台か後ろからついて来る。タクシーはやっとホテルのエントランスに入る。俺は、

「すいません、お金は後ろの人に貰ってください。」

と言って降りる。ホテルに入る。ホテルという所は高級なほど、客のプライバシーに口出さない。余程他の客に迷惑をかけない限り。俺はそれを海外の高級ホテルで学んだ。ベルマンも他のスタッフも俺の変な病院服に見向きもしない。団体旅行が2組ほどロビーにいて、添乗員さんから説明を聞いている。ピアノの音が静かに流れて来る。広いロビーの隅の所にグランドピアノがあって、大学生くらいの年の男性が弾いている。聞いたことのあるクラシックの曲。俺のクラシックはみんな佐山さんから教わった。その曲が終わって、俺はその大学生に近付いて、チャイコフスキーの「舟歌」弾いてくれる?って聞いてみる。作品集「四季」の6月の曲。彼はもしこのタブレットで見付かったら弾いてあげる、って言ってくれて、有名な曲だから当然すぐ見付かって、彼は静かに弾き始める。


トオルが入って来て俺を探してロビーを歩き回ってる。曲が始まって、トオルも俺が好きな曲知ってて、ピアノの側にいる俺を見て安心する。どうして6月の、しかも舟歌がこんなに暗い曲なの?今まで考えてみたことがなかった。日本の舟歌って、民謡とかで、みんな陽気だよな、って考えたらちょっとクスっとしちゃって、ピアニストの彼が俺の方をチラって見る。「退廃的」っていう言葉を思い出す。この曲を聴きながら、もう死んでもいいや、みたいなことを考えた。泣きたくなったけど、こんなとこでこんなカッコでそういうことすると、ヤバいかな、って思って堪えた。その人の弾き方が割と平坦で、綺麗だけどそこまでドラマティックな弾き方じゃなかったから、きっとそのせいもあって、泣かなくてすんだ。この曲の最後の所、佐山さんはいつもチャイコフスキーのバレエの、「金平糖の踊り」の最後と所とそっくりで、だからこの舟歌の最後の所を聞くと、いつもバレリーナが回っているように感じるって言ってた。俺はそこまで似てるとは思わなかったけど。曲が終わって、大学生にありがとうを言って、気がつくと、トオルは俺が初めて見た時と同じ場所、同じポーズでフロントのスタッフと話している。いい男は言わなくても分かる。俺がなにを欲しがってるのかを。俺は彼を初めて見た場所で、もう一度彼を見たかった。あれは現実だった。そうじゃないかと思ってた。今ならそれを信じられる。これで大分気持ちが落ち着いた。それだけで十分だったのに、トオルはフロントでキーを受け取っている。部屋とったの?そこまで期待してないのに。今度は俺が彼の後ろからついて行く。エレベーターは俺達だけ。俺達はしっかり抱き合う。

「真樹がどこかへ行ってしまうんじゃないかと思って、気が気じゃなくて。」

「ありがとう。大分落ち着いた。部屋とるなんて思ってなかったからビックリした。」

「こうしたかったから。」

トオルは俺にキスして、俺がうっとりするほどの気持ちのこもったキス。トオルがドアを開けると、そこはあの時と同じ部屋。俺はビックリして、

「こんないい部屋!ありがとう。」

「俺達の記念の場所だから。」

俺は泣かないようにしようと思って頑張ったけど、やっぱり泣いて、バカみたいな病院服を脱いで、トオルの裸の胸に抱き付いた。

「泣き始めたら止まんないから。ゴメンね。」

トオルが自分のジャケットの内ポケットから、俺の抗不安薬を取り出す。ペパーミント色の。

「どうして?」

「君が家に少し置いてっただろ?念のために、って。」

それを飲むと、気のせいかも知れないけど、いつも脳の中を、ペパーミントの風が吹き抜けるような、変な感じがする。その時ちょっと落ち着いて、涙も止まったんだけど、なぜかその一瞬あとに、「疑い」を感じる。

「いくつ持ってるの?」

俺はトオルの着ているジャケットに手を伸ばす。彼は跳ね起きて、

「今のだけだよ。」

「本当に?」

俺は彼のポケットに手を入れようとして、彼がそれを止めて、

「もっと持ってるでしょう?」

「持ってたらどうする?」

「全部ちょうだい!」

「もし持ってたとしても、君には渡さないよ。」

俺はずっと、あのジャケットのポケットにはあと何錠入ってるんだろう、って考えてて、もしそれが10錠とかもっとなら、そしてそのミニバーにある強いお酒と一緒に飲んだら、ってそのことを考えてた。

「君があの薬のこと考えてて、眠りたいとか死にたいとか。そしたらいつまでも病院を出られないよ。」

トオルの言ってることは聞えてて、俺はひと言、

「現実逃避。」

「そうだよ。君がしていることは。」

「現実は俺のいる所じゃない。」

なんだか寒気がして、俺はホテルのバスローブを探して着て。

「真樹、俺はしばらく君とふたりだけでいたかったけど、早く病院に戻った方がいいかも。」

「俺はあそこへは戻らない。」

「そういうことはさせない。」

「どうして?」

「言っただろ?俺の仕事は信用第一だから。」

「どういう意味なの?」

「それが俺の現実だ。」

「俺が逃げても、死んでも、トオルの責任じゃないから。」

「誰かに一緒にいる所を見られてるかも知れない。」

「分かった。」

「病院に帰る?」

「病院には帰らない。」

「じゃあどうする?」

「一緒に死んでくれない?」

彼はベッドに座って、ネクタイをとってジャケットを脱いでベッドの上に置く。

「なあ、少し落ち着こう。」

俺は彼のジャケットをひったくって、全部のポケットに手を入れる。

「もうないよ。少し落ち着こう。」

俺はジャケットを逆さにして、ベッドカバーの上で乱暴に振って、そしたらケータイとカードケースと、なんかをメモ書きした物が何枚かと、それだけが出て来た。俺はガッカリしてベッドの上に倒れ込む。

「なにか飲もう。なにがいい?冷たい物?温かい物?」

トオルはミニバーからジンジャーエールを出して来て俺に飲ませる。冷たい物を飲むと頭も少し冷えてくる。

「俺なあ、妹が1才の時、弟が3才だろ?母親は男の所へ行っちゃって、父親は仕事で遅いし、妹が病気になって、夜中に病院に連れて行って、弟は怖がって泣くし。俺だってまだ小学生だろ?どうしたと思う?そんな時。」

俺は黙って聞いている。

「みんなで知ってる歌を全部歌う。自分の好きな物の数を数える。俺だって泣くこともできたし、親を怨むこともできたし、弟を殴ることもできたし。」

「俺はトオルみたいに強くない。そんな時、俺だったらなにもできない。」

「今みたいな時、自分の好きなことを考えろ。やりたいことたくさんあるんだろ?」

「俺は帽子が創りたい。」

「そうだろ?病気がよくなったら、いくらでも創れるだろ?」

「ブライダルの帽子。お花もたくさん創って。ドレスにもベールにも靴にもウエディングケーキの上にも花を飾るの。」

「いいんじゃない?」

そしたら俺、トオルお兄さんの癒しの効果が出たのか、変なこと言っちゃって、

「俺の帽子はね、小さ目の白いストローハットで、ちょっと斜めに被って、花はバラで、中心だけ微妙にピンクに染めて、その帽子にベールがついてて、後ろと前に。帽子から花びらが舞ったみたいに、ベールにもドレスにも花や、花びらを縫い付けて、そして花婿が花嫁にキスするところで、花婿が俺のベールを上げて、それでキスするの。そういう結婚式をしたい。」

「じゃ、やるか?」

俺の脳裏に、人気ブライダルモデルのトオルと結婚式してるシーンが浮かんで、いかにも大事そうなものを抱くみたいに彼に抱き付いて、彼が頭を撫でてくれる。

「消灯時間の前に帰ろうな。」

「うん!」

病棟に入るのは出るよりも簡単で、お掃除のカートの影に隠れてまんまと中に戻った。サラリーマンにお礼を言って、ベッドに入って考えてみたら、俺の方がトオルより背が高いから、ハイヒールは履けないな、でもそれって残念だな、もうそんなことどうでもいいから、ハイヒール履いちゃおうかな、ってそういうことを思いながら眠りに落ちた。


人気No.1の結婚式場。新しく出たばっかりのポスターに、トオルが。

「吉田先生、見てください、これ。」

「わー、すごいわね。この結婚式場、私のやったとこ。」

「え、マジで?都内で1番人気のある結婚式場なんですって、ホテルとかを抜かして。」

「この相手の女性、今、人気の女優さんね。」

「そうなんですか?」

「トオルさんってやっぱり女性が1番憧れる、結婚相手のイメージなんでしょうね。」

「メチャイケメン。こないだまた俺がウェディングドレス着て結婚式したいって言ったら、じゃあ、やるか、って」

たくさんの女性の憧れる花婿像。その女優さんのドレスは、長い間流行っていたベアショルダーじゃなくて、袖なしでVネック。頭にパステルカラーの花の冠。いいな、花輪が流行ると、俺のビジネスに非常にいい。トオルはモーニングをカッコよく着こなして、花嫁を見ながらハッピーに微笑んでる。ゲイのくせに、まあ、それはいいとして。

「先生ね、俺あと5日で退院です。」

「それまでにトオルさんとなにがあったか思い出すといいんだけど。」

「トオルは俺に嫉妬して、どうとか言ってました。そして俺は、別れようとして、忘れようとして、ほんとに忘れてしまった、とかなんとか。単純な出来事だ、って。」

「じゃあ君は、それを必要以上に大げさに受けとって。」

「そういうことだと思います。トオルは俺に思い出して欲しいそうなんで。」

「どうしてかしら?」

「なんかトオルが俺にとって大事な存在なら、思い出すはずだ、って。」

「そうなの。」

「こないだの雑誌であの若いモデルと、結構ヤバいからみがあって、それからなにかあったらしいんですよ。先生が心配することないですよ。だって記憶障害は抗不安薬のオーバードースでなるんですから。俺もうやんないし。」

「絶対?」

「やる予定は全然ないです。」

って、言うか、今度やるなら死ねる量を飲む。ウオッカと一緒に。ここを出たらまずしたいのは、トオルとラブラブにハッピーなデートをたくさんする。1番最初に創るつもりの帽子は、俺がウェディングで被る小さ目の白いストローハット。薄地の絹のバラがたくさんついてて、ドレスにもベールにも同じ、繊細なバラがついてる。バラの中心には淡いピンク色。この色なら、赤と黄色と青と緑の染料を合わせればできる。中央から外側にぼかす。そして花婿にも同じ花を創ってあげる。あんまりお金かけられないから、ドレスも自分で創らないと。相当時間かかりそう。さっさと、とりかからないと。でも俺、よく考えてみたら別にプロポーズされたわけじゃないし。「じゃあ、やるか。」って言われただけで。ほんとにやるとなったら、話題になりそう。ゲイ同士の結婚式でも、両方タキシード、なんていう方が多いし。俺みたいにでかい男がウェディングドレス着て、相手がブライダルのNo.1モデルで。俺はケータイで、男にプロポーズさせるには、という方法を調べていた。「彼氏に尽くす」。いつも見舞に来てもらって、尽くしてもらってんのこっちだし。「癒し系になる」。癒してもらってんのもこっちだし。「料理上手をアピール」。こっち料理できないし。あっち上手いし。望み薄。あれ、谷崎さんから連絡来てる。

「退院したら、会いたいから来てください。」だって。また変な役をやらされるに決まってる。ちょっと待てよ、俺だってウエディングのモデルくらいできるぞ。トオルには及ばないけど、タキシードくらいなら着こなす自信あるし。さっそく返事を出す。

「トオルの結婚式場の見ました。私もああいうのやりたいです。」

そしたら、

「前にも行った通り、君のことは普通に売るつもりはないので。」

それって、どういうこと?また、前のみたいなヤツ?金のために開き直るか?仕入れの金ないと物創れないし。俺のドレスとか帽子の花は絶対本絹でやりたいし。ちょっと待ってよ、俺まだプロポーズされてないし。あ、それからちょっと待ってよ、もしも俺がプロポーズされて、俺達の結婚式が話題になったら、さすがにもうトオルもブライダルモデルできなくなるよな。他で稼げるからいいのか?そもそもモデルは副業だし。あのくらいでかいポスターとかの仕事だと、どんだけもらえんのかな?

「谷崎社長、帽子の材料費がいるので、手っ取り早くお金になる仕事をください。」

「分かった。なにか考えておくから。」

嫌な予感。


退院の日。トオルも母親も忙しくて迎えに来れない。なんだかせっかく刑務所を出所したのに、誰も迎えに来ない寂しい囚人になった気分。荷物をトランクに詰めてゴロゴロ引きずって、ひとりで電車に乗る。久々のシャバ。街の喧騒。たくさんの人々。こないだトオルとホテルに行った時も外に出たけど、あの時のことは夢の中の出来事。俺ってあの時みたいに、トオルがお兄さんみたいにいつも側にいてくれてあやしてくれるような人生を歩むのかな?でもそれって、一人前の大人にしては少し情けないな。あの時、頭まで撫でてもらった。俺にもなにかトオルにできることがあったらしたいな。俺がアメリカでレバニーに教わった、必殺フェラテクとか。それもいいな。家に着いて、病院から運んで来た服や色んな物をもとの場所に戻して、ふと俺のベッドを見て、ぼんやりと、どうして死ねなかったんだろう?って思って、でも死にたかったわけじゃなくて、忘れたかっただけ。なにもかも。結局また処方してもらったあの時と同じ抗不安薬。薬局に寄ってひと月分手に入れた。ひと月分だと、60錠。絶対2度と目を覚まさない、そのくらいの量。ケータイに入ってる俺の、「6月」の曲をかけた。最後まで集中して聴いた。ゲイで双極性障害だったチャイコフスキーはどんな人生を送ったのか?伝記なんかでは計り知れない本当の人生。俺もこのくらい泣ける作品を創りたかったな。パリで俺の帽子が欲しい、って言う人達がいて、でもあの帽子は俺が自分で被るために、保管しておきたかったから売らなかった。アトリエに行くと、まだそれが飾ってある。吉田先生に何度も教わった。死にたくなったらどうするんですか?もう忘れた。「現実逃避」。ここにいるのがつらい。逃げ出したい。理由はあるけど、あんまりない。Psychosis。病気の見せる幻。トオルからラインが来る。

「退院おめでとう!今晩一緒に食事しよう。」

「今日は家で休みます。」

「それじゃあ明日は?」

「明日のことは考えられません。」

「君のお母さんは?」

「いつも通り遅いです。」

「食べる物はあるの?」

「知りません。」

俺はなにを待ってるんだろう?俺の前には60錠の薬がある。母は俺が死んでから帰って来る。失敗するとまた病院に入れられて、気が狂うまで出て来られない。お決まりの涙が出て来る。薬を2錠飲む。即座に涙が止まる。人間の脳はケミカルでできている。だから脳の病気はケミカルで治る。人間は燃えるとカーボンになる。それは人間がケミカルでできているから。本当はよく知らないけど。多分そんな感じ。30分くらい死ぬことを考えて、そしてまた、俺はなにを待ってるんだろう?って考える。トオルからまたラインが入る。

「食べる物見付けた?」

「探してない。」

「遅くなってよかったら、そっちに行こうか?住所を教えて。」

「これから休むから。」

6月」の曲を最初から最後まで集中して聴く。涙が出て来たから、薬をあと2錠飲む。涙が止まる。この曲を初めて聴かせてくれた佐山さん。若い時通ってたカフェがあって、いつもこの曲がかかってて、佐山さんはこれはシャンソンかなにかだろうと思ってたらしい。チャイコフスキーだって分かった時はビックリしたって。最初から最後までちゃんと聴けた。俺はなにを待ってるんだろう?って考える。Running Away from Reality。 現実逃避。Suicidal Thoughts。 自殺願望。なぜか英語の方が先に出て来る。我に返って、俺はなにを待ってるんだろう?って考える。チャイコフスキーの「四季」はもう8月まで行ってしまった。机の上に置いたポートフォリオが目に入る。病院で山ほどデザイン画を描いたけど、みんな無駄になってしまった。涙が出て来てまた2錠薬を飲む。すぐに効かないから、もう2錠飲む。それで涙は止まった。俺の脳が現実に存在してなくて、どこか他の空間にいて、だから薬を何錠飲んでも眠くならない。俺のイカレタ脳細胞が緊張している。緊張していて外からの刺激が入って来なくなって、ただ自分の頭の中にあることだけが動いている。あんまり緊張するとつらいから、今度は3錠飲む。しばらく待っても効いてこない。身体が固まってくる。頭が重くなる。今までいくつ飲んだかな?覚えてない。残った薬の方を数えてみた。前だったらこのくらい飲んだら2日は眠れた。1度も目を覚まさずに。この薬が身体に慣れるということはないはず。俺の脳が緊張してるから、だから効かない。身体は少しだるくなってきた。試しに立ち上がろうとしたら、よろけてしまった。でもなんとか机につかまって立ち上がった。ポートフォリオをめくってみた。いいのもあればどうしようもないのもある。いいのだけ残してあとは破り捨てる。それでも20作くらい残った。そのうちの半分がブライダル。俺はバラはやっぱり尖った形がいいな。丸いカメリアみたいなのじゃなくて。昔のバラみたいに。ピースとか、ホワイトクリスマスとか、ブルームーンとか。写真でしか見たことないけど、写真を見ながら夢中で創った。気に入らない箇所を見付けて、修正する。ペンが俺の手から落ちる。拾って続けて、また落ちて。パンジーとジャスミンのコサージュ。ミニチュアローズと忘れな草。ビロードのバラ。薄絹のバラ。シルクジョーゼットのバラ。スイートピー。コスモス。ヒヤシンス。ベルフラワー。クローバー。カーネーション。薬が身体に回って、俺は椅子の上から床の上に崩れ落ちる。意識ははっきりしている。まだ脳が緊張している。どうしてかは知らない。ベッドに這い上がって、その上で仕事を続ける。もう半分くらい観た。大事なことを注意書きにした。色は全部塗ってある。吉田先生に買ってもらった高級ペンは、時間が経つと少しくすんで、それが美しい。こないだ下町の布地屋さんで、ビンテージのチュールレースを見付けた。高過ぎて買えなかった。あれに薄絹で創った空気のように軽いバラを縫い付けたい。ベージュに1滴だけ緑色を入れた色のバラ。それを想像したらあんまり綺麗なんで涙が出て来て、3錠飲んだ。ほんとはもっと飲もうと思ったけど、あとちょっとだけ仕事がしたかった。涙は止んで、頭の中がさらに凍ったように静かになった。誰かから電話があったけど、ケータイが机の上にあって、俺はベッドから落ちて、床を這って、腕を伸ばしてやっとケータイをとった。トオルの声。

「真樹、大丈夫。」

「うん、なんで?」

「さっき様子が変だった。」

「久し振りに帰って来たから。」

「なにしてるの?」

「少し仕事。」

「休みたい、って言ってたのに。」

「やり始めたら止まらなくて。」

ろれつが回らないと思われないように、できるだけハッキリ喋るように努力するけど、それももう限界だったので、

「ゴメンね、もう行かないと。」

そう言って、電話を切る。もう3日くらい寝られるほどの薬を飲んだ。もう一度ベッドに這い上がって、残りのデザイン画を観る。ブライダル。俺は男だからドレスは厚地のサテンにして、胸と背中と裾の所に繊細な刺繍をして、ビーズやパールを縫い付けたい。そんなことしてたら、できるまで何カ月もかかるな。そしてその間にケンカして別れる。バカみたいに薬を飲み続けて、やっとそれが効いてきて、脳の緊張を解いて、俺は突然、忘れていたことを思い出した。確かに大したことではない。トオルが嫉妬して、俺達一緒に電車に乗って、俺が家の近くの駅で降りようとしたら、腕をつかまれて止められて、込んだ電車の中で抱き締められて、トオルの家の駅で降ろされて、家まで歩いて、玄関に入ったら、それから?そこまで思い出した。確かにあんな風にアグレッシブにつかまれたり、抱き締められたリしたことがないから、ショックだったのかもしれない。どうなんだろう?あの時はまだお互いのことそんなによく知らなかったし。そのあとはどうなったんだろう?分からないけど、あのあとトオルは何度も見舞に来てくれて、優しくて大好きになって。何度目かにペンが俺の手から落ちて、今度は絶対届かない床の先の方へ転がって行った。時計を見たら、まだ母親が帰って来る時間までは大分あった。薬をなんとか身体から流し出さないと。俺はベッドから降りて床を這って、廊下に出て、階段から落ちないように、お尻をついて、一段一段努力して1階のキッチンへ。床に座ったまま椅子を流しに引きずって、それによじ登って、そこらにあった湯飲みで蛇口から水を出して、何十杯も飲んで、トイレに行きたくなる頃には、ゆっくり歩けるようになって、トイレにペットボトルを持ち込んで、座ったまま、また水をガブガブ飲んで、コーヒーを沸かして飲んで、一度寝たら、きっと23日は目を覚まさない。この薬は水にすぐ溶けて吸収されるから、吐いても多分意味がない。寒かったけどTシャツ一枚になって、こういう時どうする?歌を歌う。好きな物のことを考える。ウェディングドレス。お花のたくさんついた帽子。なんだろう?好きな物?俺は冷蔵庫を開ける。なんか残り物みたいな変なものばっかり。美味しそうな物はない。フリーザーを開けると冷凍のドリアが入ってる。俺はそれを食べよう、と決心する。よく分かんないけど、胃の中が空っぽなのはよくない。でもあんまりお腹いっぱいになると眠くなる。ドリアを温めて、タバスコをしこたまかけて食べる。2階でケータイが鳴っている。しまった。置いて来た。俺は必死に階段を上がろうとするが、足が重くてなかなか進まない。とうとう自分の部屋に入った時にはもう遅くて、でも俺はすぐかけ直す。

「出ないから、どうしたのかと思った。」

トオルはひどくあせったような声を出す。

「トイレ。」

「なんだ。なにか食べた?」

「うん、今。冷凍食品だけど。」

「俺、行かなくて大丈夫?」

「大丈夫。それより俺、また少し思い出した。俺達電車に乗ってた。それでトオルの家に行って、玄関に入って、そこから覚えてない。」

「大分思い出したね。」

1階に戻る時、俺は忘れないように電話をポケットに入れた。なにかを食べる作戦は上手くいった。身体が動き出したような感じがする。もう一度フリーザーを開けて中の物をかき回す。ギョウザ?俺、ギョウザ好きなんだけど、電子レンジでできる物を探さないと。シュウマイ?俺、ほんとはギョウザの方が好きなんだけど。シュウマイにたっぷり、からしをつけて食べる。目が覚めてきた。俺はまた乱気流に巻き込まれたんだな。知らない間にジェットコースターみたいに落ちて行ったんだな。トオルに心配させた。まだ仕事してるのかな?ラインのギョウザスタンプを送ってみた。またあの変なウサギがプッて吹いてる絵が来た。母が帰って来て、俺がトイレを水浸しにした、と言って怒り出し、あれは緊急事態だったから、言い訳はしないで、そしたら今度は俺がフリーザーの物をみんな食べてしまった、とう言いがかりをつけて来て、だって俺、ドリアとシュウマイしか食ってないし。まあ、母にしてみれば何カ月もいなかったヤツが帰って来て、鬱陶しかったんじゃないかな?


週末だったし、俺は母親の顔を見たくなかったんで、電車に乗ってトオルの家に行った。ラインで行く、って言ったんだけど、なんだか寝てんのか知らないけど、返事が来ない。もしいなかったら、どっかで時間潰せばいいや、って思ってドアをノックすると、男が出て来てドアを開けてくれて、見たらソイツは風呂から出て来たばっかみたいな、腰にバスタオル巻いてる。俺はUターンをする。 もういいや、トオルとはこれっきりにしよう。悲しいけど。きっとそのうち忘れられる。長くかかるとは思うけど。外に出て、ドアを閉める。誰も追って来ない。と思ったらドアが開いて、

「真樹くーん!」

と俺を呼ぶでかい声。さっきの男。

「兄ちゃーん!真樹君、帰っちゃったよ。」

え?兄ちゃん?そうだ、一気に思い出した。あの時なにがあったのか。俺、玄関に入ってUターンして、出て行ったんだ。もういいや、トオルとはこれっきりにしようと思って。3日寝れば忘れられると思ったんだ。それで3日じゃあ目が覚めなくて、スッキリ、サッパリ忘れることはできたんだけど。俺が外の階段で固まっていると、トオルがエプロン姿で出て来て、あ、なんだお料理中か、って思って、今時エプロンしてお料理する人いるんだな、って思ってたら、

「弟、会ったことあるだろう?」

って、極、冷静に言って、俺はトオルのあとについてまた玄関に入る。弟さんは、

「ゴメンね、奥さんとケンカしちゃって。でももう仲直りしたから、朝ごはん食べたらすぐ帰る。兄ちゃんの朝ごはん、奥さんのより旨いから。」

それで、いいって言ったんだけど、俺達一緒に朝ごはん食べて、その分みんなの納豆と魚の量が減って。弟さんが帰ってから、

「真樹、あの時もそうだった。なんにも言わずに出て行って。」

「うん。思い出した。」

「さっき、もし誰も追わなかったら、自分の家に帰ってやっぱりこの間みたいにして、俺のこと忘れるつもりだったの?」

「病院に帰るのはイヤだから。」

「そのまま目を覚まさないつもりだったの?」

「多分そう。」

「俺のことはどう思ってんの?」

「好きだけど、でももういいやって。忘れようって。」

「俺のことはそれくらいのものなんだ。」

「俺には現実感がないから。」

「俺のことは現実じゃないのか?」

「俺の人生が現実じゃないから。」

「サンタクロース信じてるもんな。」

彼はクスっと笑って、それは皮肉な笑いじゃなくて、俺は特別深刻な話し合いをしてるつもりだったから、ビックリして、

「俺はサンタクロース信じてるし、いつも19世紀のヨーロッパに住んでて、死んだ人達と一緒に。」

「やれやれ、君のことをどうやって理解すればいいのか。」

俺は帰ろうとして立ち上がって、

「朝ごはん、美味しかった。ごちそう様。」

だけどトオルはまだ俺に話ししてて、

「俺は現実にいる。でも君はここにいない。じゃあ、どうすれば?」

俺に聞いてるみたいでもないから、俺は黙ってる。

「君の夢に付き合いたいけど、俺はサンタクロースは信じてない。」

「近頃は宅配システムが充実してきたから。」

「なに?」

「サンタも楽になった。」

自分で言って笑っちゃって、トオルも笑って、

「俺、君のそういうとこ好きだ、って言ったんだよな。だけどそんな風に俺のこと、簡単に忘れられたら困るんだけど。」

「なんで?」

「君のことを愛してるから。」

俺はそういうことをこの人に言わせるようなことを、なにかしたかな?って考える。思い当たらない。会ってからデートした回数より、病院で会った回数の方がずっと多い。ということは、俺が病院でなにかしたのかな?思い当たらない。なんか言われたな、サンタの他にも。 生きるとか、死ぬとか、一本勝負なとこ?それってどういうことだろう?聞いてみる?

「前、言ってた、生きるとか、死ぬとか、一本勝負なとこってどういう意味だったんですか?」

「ちゃんと覚えてたんだな。あれは普通の人は君みたいに死にたいだのなんだの、って考えて生きてないだろ?」

「俺は毎日、1日中考えてる。」

「そういうところで生きてる。俺達とは生きてる場所が違う。」

「そういうこと?」

「でも、マジで死なれちゃ困るけどな。こうしたらどうかな?俺はできるだけ君に歩み寄る。そして君はできるだけ俺に歩み寄って欲しい。」

「どうやるのか分からない。」

「当面の目標は、俺のこと忘れようとしない、ってことかな。」

「はい。」

「いいお返事。」

「じゃあ、忘れません。」

「よかった。それじゃあ、君は俺にどう歩み寄って欲しいの?」

「こんなこと言うの、大変虫のいい話しなんですけど。」

「なに、なに?」

「トオルさんのような有名なブライダルモデルと、一度ドレスでお写真を。」

「なんだそれ?俺と一緒に写真撮りたいの?」

「そう。俺の夢のウェディングドレスと帽子で。」

「じゃあ、やるか。でもやるんだったら本物だから。」

「本物?」

「本物の結婚式。」

「ヤバイ、それ。ちょっとお時間いただかないと。」

「なんで?」

「俺の創りたい物、金のかかるのばっかで。」


こうなると頼みは谷崎社長。次の日さっそくオフィスに行って、

「社長、お願いしますよ。即金が必要なんで。」

「なににそんな金がかかんの?」

「結婚式。」

「誰の?」

「俺の。」

それで回してくれた仕事第1番目が、なんだかよく分かんないけど、結婚相談所の広告。俺が背広にネクタイで、仕事は超楽で、パスポート写真を撮るのと大差ない。あとで見たら、俺が一流大学を出て、一流企業に勤めて、年は26才、身長185cmだって。ほんとなのは身長だけで、世の中のことがなにも信じられなくなりそう。俺なんて高卒で、母子家庭で、父親不明で、ゲイで、女装趣味があって。同級生とかあれ見たら爆笑だよな。そしたらなんと谷崎社長、手っ取り早く金欲しいんなら、って知り合いの女装バーを紹介してくれて、そこはニコラスとクラウディアに会ったバーとかより品のないバーで、俺はホステスだから客の席に呼ばれて行って、胸揉まれたり、って別になにも入ってないからいいけど、客のひとりに気に入られて、その人はどっかの社長で、まあまあ俺の好みのオッサンで、10万でひと晩って言われたけど、10万ってイマイチ半端だよな、って思って断ったら、じゃあ、20万って言われて、マジで迷ったけど、オッサン好きだし、身体の相性よさそうだし、でもゴメンね、彼氏いるから、って断って、そしたら帰りに封筒渡されて、君のこと尊敬したから、とか言われて、中見たら、10万入ってた。ヤッター!そんなこんなで、忙しくてトオルに会えないでいたら、

「真樹、最近なにしてんの?」

って聞かれて、

「ちょっと、金の工面を。でも、もう半分以上貯まったから。」

あと少しで、あのビンテージのチュールレースが欲しい分買える。

「すごいじゃない。真樹、クリスマスなにしてんの?」

「あ、ゴメン、仕事。」

「年末年始は?」

「年末年始も。」

「君のお母さんにご挨拶を、って思ったんだけど。」

「家の母は今、彼氏できて忙しいから。」


クリスマスと年末年始に荒稼ぎをして、やっと自分のウェディングドレスを創る金ができた。服創るのなんてもともとあんまり習ってないし、習ったことは忘れてるし、高価なシルクにハサミを入れるのが怖くて大変。シルクのサテンにしようと思ったけど、やっぱり透ける生地にギャザーたっぷりでいくことにして、それにしても透ける生地っていうのもやっぱり高価で、思い切って、昔振られた洋裁教室の先生に頼んでハサミ入れる前に全部チェックしてもらった。上手くできてる、って褒められた。よかった。帽子はお手の物だから大丈夫。ドレスから出た端切れに糊付けして、花びらを創っていく。わー、素敵!俺の夢だから。子供の頃からの。トオルからラインが来て、

「まだ忙しいの?」

「まだ、ちょっと。」

「なにしてんの?」

「色々。」

「俺達もう3週間も会ってないぞ。」

「なにかの間違いでは?」

「だってクリスマス前から会ってないだろ?もう2月の半ばだよ。」

「じゃあ、ベールができあがったら。」

「それってあとどのくらいかかるの?」

ベールの長さが3mで、周りにグルッと刺繍と花びらが手縫いでつくから、そうですね、

「あと2週間くらい?」

「あの、それちょっと置いといて、晩ご飯くらい食べに行けるだろう?今夜。」

「あ、でもこれ、ブライダルの雑誌の人に見せる約束してるし。」

それはほんと。できたら写真撮って見せてねー、ってこないだ言われた。

「渡すものがあるから。」

「え、なになに?」

俺は話しながらも、刺繍の手は休めない。

「結婚式する前に、普通渡すものがあるだろう?」

「結納?」

「そういうのはしなくていいんじゃない?」

俺とアトリエをシェアしてる女性がふたりいて、ひとりはジュエリーで、もうひとりはお人形創ってて、みんなビンテージ好きで仲がよくて、さっきから俺達の会話を聞いていて、こっち見ながらクスクス笑ってる。人形作家の方が、

「真樹、エンゲージリングでしょう。早くもらいに行って来なさい!」

「え、マジ?」


俺はベールはちょっと置いといて、トオルと例のレストランで待ち合わせた。いつか俺がトオルの大事な書類にデザイン画描いちゃった、あの時行った所。俺は作業に夢中になると、ノンストップでゴーゴーゴーでいけるんで、ここんとこ2日くらい寝ないで仕事をしていた。トオルは先に待てって、カッコいいタキシードなんて着ちゃって、俺なんて花を染める染料が染み付いた、ボロボロの作業着を着ている。そういえばこのレストラン割と高級なんだよな、って思い出したけど、もう遅いし。

「作品の方はどうなの?」

「ドレスは大分めどがついてきた。今やってんのはベール。帽子はそろそろできる。ベールは帽子にくっつくから。」

「なるほど。」

「雑誌の人とか、スタイリストさんとかが待ってるから。」

「でもさ、結婚式って式場とか予約して、招待状出したりするんじゃないの?」

「え、でも写真撮るだけでしょ?」

「本物の結婚式だよ。言ったでしょ?」

「写真撮るだけかと思った。」

「どこでやるつもりなの?」

「さあ?広場?公園?」

「場所はどこでもいいんだ。」

「まあ。天気のいい日に。できれば。」

「招待客は?」

「いらないんじゃない?写真だけだし。」

「真樹、ちょっとハイだろう?ちゃんと寝てんの?」

2日前に寝た。」

「どのくらい?」

2時間くらい。」

「家には帰ってんの?」

「アトリエで寝泊まりしてる。」

「病院は行ってるの?」

「ここんとこ調子がいいから、予約取り消した。」

「カウンセリングは?」

「それも取り消した。」

それでオーダーした立派なステーキを食べ始めて、俺があんまりすごい勢いで食べるから。

「真樹、ちゃんと食べてんの?」

「食べた。」

「いつ?」

3日くらい前。」

真剣に食べて、デザートになって、美味しそうなチーズケーキで、俺が真剣に食べようと、最初のひと口を食べた途端、トオルが改まって、ポケットから何か出して、

「真樹、俺と本物の結婚式をしてくれるだろう?」

俺はそのものがなんなのかをよく見ようとして、身をかがめた瞬間、腰に激痛が起こる。

「あれ!腰が痛い!」

「真樹?」

「痛い!痛い!」

レストランの人が来てくれて、オーナー婦人の優しい人で、

「それね、きっとぎっくり腰ですよ。」

トオルと俺が同時に、

「ぎっくり腰?」

彼女が、

「なにか無理なさったでしょう?明日の朝、病院に行った方がいいですよ。」

「痛い!痛い!」

「どうする?家来る?」

「行ってもいいの?実は母親、今男連れ込んでて、仕事も忙しいし。」

「じゃ、俺が面倒見てやるから、心配すんな。」

オーナー婦人が、

「もしぎっくり腰だったら、34日休んでたらよくなりますよ。」

トオルの肩につかまってなんとか歩いて、トオルの車で家まで行った。そしてまたトオルの肩につかまって家に入ってベッドに横になる。

「ふふっ、これでやっと君の側にいられる。」

「痛たた!そんなノンキなこと言ってる場合の痛さじゃないですよ。」

「来週はほとんど家で仕事だから、ずっと一緒にいられる。ところで、君は俺と本物の結婚式をしてくれるだろう?」

「痛い!」

と言いながら、くれた物を受け取る。よく見ると、ダイアモンドの周りにバラの彫金がしてある、見事な指輪。男の指にはもったいない、ファンシーな物。


次の日の朝、病院に行ったらやっぱりぎっくり腰で、正式な病名も聞いたけど忘れた。何日も寝られなかったし食べられなかったから、ここでゆっくり寝て、ゆっくり食べた。夕方母親から着替えや薬やその他が、なんと宅急便で届いて、手紙というか、メモ書きみたいなのが入っていて、

「もしかして佐々木さんが、貴方のお父さんかも知れない。DNA検査を受けようって。」

「佐々木さんって、誰?」

「母の昔の知り合いで、今連れ込んでる男。俺は会ったことないんだけど、身体つきが似てる、って、書いてある。」

「よかったな、それがほんとなら、結婚式に来てもらえる。」

もし父親が分かったら、俺のオッサン趣味もなくなるのかな?レストランの人が言ってたみたいに、確かに4日目くらいになると大分歩けるようになって、トイレに行くのもトオルの肩にしがみついて、ということはなくなった。ベールの刺繍は顔の周りと裾だけにして、なんとか帽子もドレスも完成した。その写真を、今回のキューピッドだった、ニコラスとクラウディアに送った。喜んでくれた。よかった。俺はウェディングドレスと帽子を創って着て、トオルと一緒に写真を撮りたいだけだったのに、教会で式を挙げて、写真はもちろんたくさん撮ってもらって、家族だけの内輪の式だったこともあって、奇跡的にマスコミにはバレず、トオルは相変わらず式場やブライダル雑誌のモデルをやっている。なんか変な感じはするけど。母は、その佐々木さんという人と結婚することになって、だからどっちにしろ俺には父親ができる。吉田先生と話したけど、俺はあんまりトオルに頼って生きて行くのはつらいかも?って言ったら、お互い助け合って生きて行く、というのは家族なら当たり前だし、って言われて、そうかも、って思った。俺の冬眠願望と自殺願望はトオルが側にいる限りは起きないと思う。って、いうか、普段はそんなこと忘れてる。でも、チャイコフスキーの、「6月」を聴く時だけ、そのことを思い出す。





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千本松由季

Author:千本松由季
東京都出身。カナダ在住。
男同士の恋愛を、様々なテーマで書いています。作品は長編を中心に50作以上。
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©Yuki Sembommatsu 2017-2018