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『Part5バロックの空に天使が山のようにバタバタしてた頃の』 

  11, 2018 07:41
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連載完結/あらすじ/光軌は同級生の岡田君と一緒に、維織の知り合いが経営する小さなギャラリーで合同展をすることになる。非常にナーバスになる光軌を維織が励ます。

暁登の個展のオープニングパーティーが華々しく行われる。維織と光軌は、暁登や鉄司に仲のよさを見せつけることに成功。

維織は個展を開き、昔、暁登をモデルに描いた絵画を安く売りさばこうとしていた。その会場に暁登が現れる。しかし彼が維織の頬にキスしているところを光軌に見られてしまい、光軌は家を出てる。

維織が光軌の実家を訪ねると、彼の母親に彼の怒りは3日はもたないと言われる。待っている間に維織は堪りかねてオーバードースを繰り返す。そして知らない間に2か月が経ってしまう。

ある日フラストレーションで維織は大事に育てて来た観葉植物を切り裂いてしまう。後悔の念にかられた彼は、植物を生き返らせようと必死な努力する。そして彼は光軌に会う決心をする。

維織は光軌の学校に行く。学校で偶然岡田君と出会い、彼と光軌は合同展の打ち合わせのために、維織のスタジオにやって来る。

維織は光軌は一緒に住んで幸せだった時を思い出し、また一緒に住もうと仲直りする。



Part5バロックの空に天使が山のようにバタバタしてた頃の


朝、いつものように光軌の腕の中で目が覚める。俺はなぜか、どんな男とでも必ず抱かれる側だ。このマンションは俺のビジネス兼住居で、特にこのベッドルームが気に入っている。天井から床までがガラス張り。ベッドの中から見たら丁度雨が降り終わるところ。光軌を起こさないように腕から抜け出て、そっとベッドから降りる。虹を探したけど、見当たらない。

「なにしてんの?」

彼の甘い声がする。

「虹を探している。」

言ってから、それはいくらなんでもキザなセリフだと思ったけど、もう遅い。

「見付かったの?」

「まだ。」

光軌はこの頃、急に大人びて、それが俺を不安にさせる。暁登が行ってしまったように、彼もどこかへ行ってしまうような気がする。どうして暁登のことを思い出したんだろう?ふたり共俺の絵のモデルだから?分かった。それは暁登から夕べメールが来たから。どこで俺のメールアドレスを知ったのか不思議に思ったけど、彼が鉄司の所に住んでるなら当然のこと。例の大きなギャラリーでやる彼の個展の招待状。行けるわけない、って思う。でも次の瞬間に、そんなことない、行ってやろうかとも思う。招待状が来た時、なんとなく挑戦状が来たような気がした。俺の過去のふたりの男から。暁登と鉄司。でもヤツ等と争う意味はもうない。

「また他の男のこと考えてる。」

彼はまだベッドにいて、俺は夕べ自分が脱ぎ散らかした服を集めて回る。

「暁登の個展のことを考えてた。」

「いつ?」

「明日がオープニング。」

「行ってみたい。」

「なんで?」

「どんな絵を描くのか観てみたい。」

俺と暁登が別れる直前、彼はペインティングとステンドグラスの中間みたいな作品を創っていた。透明感、というのがその頃の彼のテーマだった。そういえば光軌も透明感という言葉を口にしていた。行ってみるか?光軌と一緒なら怖い物はない。最近俺には怖い物がたくさんある。前はそうじゃなかった。年齢かな?失うと困る物がある。俺の方にも個展の話しがある。暁登のギャラリーとは比べ物にならない、小さくて新しいギャラリー。ファッショナブルな通りにたくさんのブティックと並んで、これまではほとんどイラストか写真の展示だったらしい。俺にオファーが来た時、いい度胸だなって思ったけど、断るのも面倒くさいと思って引き受けてしまった。暁登をモデルにした俺の昔の絵をそこで叩き売るつもり。でもまだよく分からない。俺の絵は一部のマニアにしか売れないくせに、値段だけ上がっていく。俺が決めた値段ではなくて、よく知らないけどなにか公的な機関が毎年決める値段。


俺は服を着てオフィスに行く。光軌はまだベッドにいる。あんまり若いのと一緒にいると疲れるな。なかなか離してくれない。それに彼は、なかなかイかないから余計疲れる。女の子にはいいかも。女とリズムが合いそうだ、って笑ったら、妙に憤慨していた。NYのギャラリーからもっと絵を送れって言ってきている。例の仏陀の絵。滋通の。なんで売れるのか分からないけど、よく売れている。滋通に連絡しようと思ったけど、こないだ新しいのを何枚か持って来て、それからいくらも経っていない。まあ、電話くらいいいだろうと思ってかけてみる。

「新しいのある?」

「いくつかあるけど。」

「相変わらず描くの速いな。」

「売るための絵だから。」

「じゃあ、他にも描いてんの?そっちも持って来て。」

「いつ?」

「今。」

彼は近くに住んでるので、ビックリするほどのスピードでやって来る。いつもはビジネススーツだけど、今日は普段着みたいな適当なカッコで、それが逆にそそる、けど当然なにもできない。それを感じたのか、光軌がオフィスに顔を出す。彼はなにも言わなくても俺のよこしまな気持ちを察する。仏陀の絵は相変わらずで、俺は全部それを引き取って、今度は彼の売るためじゃない方の絵を観る。

「天使なの?」

「まあ。」

仏陀の絵とタッチは似てるんだけど、色はずっと暗い。俺の描くようなバタバタ空を飛んでるんじゃなくて、肖像画に近い。バロックじゃなくて、もっと今時の天使。その表情も暗い。象徴主義的とさえ言える。その天使自身の他に、なにか別の意味があると思わせるような。

「こっちの方がずっといいじゃない。」

と俺が言うと、滋通の顔が急に明るくなって、

「そうかな?」

「テーマもいいし、色もいい。」

そしたら滋通は光軌の方を向いて、

「君の言ってた方法でグレーを出そうとしたけど、全然ダメだった。」

でも光軌はなにも言わずに口元だけで微笑む。多分俺がなんか言った方がいいと思って、

「塗り方が違うんじゃない?筆とか。もしかして温度かも。」

光軌はちょっと考えて、

「あれはね、下に1度白い絵の具が塗ってある。」

「そうなの?じゃあそれやってみてもいい?」

光軌はまた微笑むだけでなんにも言わない。


滋通が帰ってから、

「なんで滋通にあんなこと言ったの?」

「なんのこと?」

「下に白が塗ってあるって。」

「別に俺の特許じゃないでしょう?」

「そうだけど。企業秘密?」

結局俺は、滋通が持って来た天使の絵を全部引き取った。3枚ある。光軌はそれをジロジロ観ながら、

「それはこの絵が気に入ったから。」

って、つぶやいて、

「でもアイツのことは今でも好きじゃないけど。」

そう付け加えた。彼は俺の座ってる椅子の隣に来て、俺の太ももに手を乗せる。いつか滋通が俺にそうしてたの、まだ覚えてるんだな。可愛いなって思う。でも、どんどん大人びてくるこの若者に、可愛いはもう似合わないかもしれない。スタジオでいちゃつく画家とディーラー。窓から斜めに陽が差して、退廃的なイメージ。

「光軌。これから俺のクライアントで、久保木さんっていう方が来るから、君の絵も見せてみたい。」

「マジで?」

「今日、学校午後からだろ?丁度いいと思って。」

「久保木さんは、絵を欲しがってる商業ビルとかレストランチェーンとか、そういうお客さんをたくさん持ってて、最近自分でも小さいギャラリーを始めた。」

「あ、今度維織が個展やるとこ?」

「そう、そう。その打ち合わせもあるから。」

久保木さんは、まだ30前後の若い女性。いつも彼女自身言ってるけど、彼女は絵を描かないから、客観的にお客さんと同じ目で絵を観られる。俺は絵を描くけど、どうだろ?自分ではビジネス的に、客観的に画家達の絵を観ているつもりだけど。


こないだ珍しく、絵の売り込みに来たヤツがいた。3日くらい前のこと。光軌が通ってるアートスクールで、俺の生徒だったヤツ。なんとなく顔は覚えてたけど、あんまり印象にない生徒で、でもあっちはこっちのことをよく覚えていた。

「そのうち、先生に1度僕の絵を観てもらおうと思ってて。」

きちんとした、アイロンのかかったシャツを着て、少し緊張気味に見える。俺が誰かを緊張させるなんて、考えてみたら可笑しい。絵は10枚あって、キャンバスじゃなくて、みんな厚手の画用紙に描いたパステル画。相当長い間このスタイルでやってきたんだろうな、ってパッと見て俺は思った。色の混ぜ方に独特の手法がある。抽象なんだけど、その陰になにかが描いてある。変なモノ。なんだかは分からない。

「君って、幽霊とか見える方?」

彼はハッとして、

「なんで分かるんですか?」

「だってそこに描いてある。」

「見えないんですけど、気配を感じて。いる時は気付かないけど、いなくなった瞬間に、あ、いたんだなって分かるんです。」

「それは君の家で?」

「それもあるんですけど、友達の家とか。」

「怖くないの?」

「目には見えないし。」

「その何者かを描いてるんだ。」

「なんで分かるんですか?」

「まあ、俺もプロだから。」

なんてカッコつけて言ったけど。昔、俺が美大に行ってた頃、クラスにこれに似た絵を描いてるヤツがいて、同じような話しをしていた。いい絵だとは思うけど、売る自信がいまいちない。テーマが重い。どうしよう?ハッキリ言った方がいいかな?しばらく考える。幽霊の絵。

「その幽霊はなにしにやって来るの?」

「それは分かりません。」

「それはひとりなの?それともいつも違うの?」

「いつも違います。」

「へー、そうなんだ。」

「実は、人間よりも動物の方が多いんです。」

「カナリアは?」

「えっ?この絵、これカナリアですよ。」

彼はその中の1枚を指差した。

「飛んでるんだ。」

「そうです。」

「カナリアってすぐ死んじゃうって聞いたけど、本当かな?」

「長い間人間によって勝手に交配されたものだから。」

「なるほどね。」

「なんでカナリアって分かったんですか?」

「さあ、不思議だな。俺には霊感ってヤツは全然ないんだけど。最近カナリアにはまってて。」

「飼ってらっしゃるんですか?」

「でもすぐ死んじゃうって言うから。」

「原種に近いヤツだったら丈夫だと思うんですけど、逆に人間に飼われたら弱くなるでしょうし。」

「じゃあ、もうカナリアを飼うのはよそう。」

そしたら彼は笑い出して、

「先生は学校にいる時から相当変わってましたけど、変わらないですね。」

「もう先生は止めようよ。」

俺は彼の笑い声を聞いて、やっぱりハッキリほんとのことを言ってやろうと思った。

「俺がマネージメントしてる画家の絵はね、これよりずっと軽い絵。ほとんどビジュアルだけの。君のはいい絵だと思うけど、テーマが重すぎるから、俺に売る自信はない。」

「そうですか。」

あんまりガッカリしてる風でもない。

「他にも色んな人に見せたの?」

「はい。暗いとかって言われます。」

「色彩は明るいのにな。でも、暗いって言う人は君の絵を分かってくれてるんだよ。」

「はい。そう思います。」

俺はふと思い立って、彼の10枚の絵をテーブルの壁際に並べてみた。少し遠くから観ると、やっぱり明るい色彩の方が目立って、暗いテーマの方が後に下がっていく。

「俺のアドバイスだけど。」

「はい。」

「君の絵を買う人は、幽霊なんて絶対見えないタイプだ思う。だけど潜在的にはちゃんと、君の絵の中に感じてて、だから欲しいと思う。そういう人達。」

「そうは考えたことなかったです。潜在的にですか?」

「だからもっとコマーシャルな、若い人をターゲットにした所に行くといいと思う。」

その時俺は、彼に久保木さんの名刺を渡した。


インターフォンのカメラで見たら、久保木さんだ。いつも通り、彼女の職業にしては流行のスタイル。俺は彼女の派手なネイルを褒めてやる。これが1番効く。

「維織さんの生徒さんいらしたわよ。」

「ほんとに?早いな。」

「綺麗な絵でビックリした。」

「どうするんですか?」

「他の若い子達と1緒に合同展やろうかなって。」

「へえ。どんなアーティストと組ませるんですか?」

「まだ分かんないけど、明るいの。」

よかった。彼女は絶対幽霊とは縁がないと思った、俺の判断は正しかった。そしたら彼女は、

「フレンドリーなゴーストだから。」

「えっ?」

「あの絵の中にいるゴースト。」

「見えるんですか?」

「もちろんよ。私のことを誰だって思ってるの?」

って、自分で言って、ケラケラ笑っている。そこへ光軌が入って来る。緊張気味。当然だけど。学校の先生達と俺以外のプロフェッショナルに自分の絵を見せるの初めてだから。彼女はパッと観て、

「あの子と組ませましょう。」

と顔を輝かせる。俺は、

「あの子って?」

バカみたいな質問をする。

「ええと、岡田君。」

例のゴースト画家。彼は姿も印象薄いけど、なぜか名前も絶対覚えられない。ゴーストの影響?岡田と光軌。同じクラスで抽象で、色彩も明るい。でもテーマが全然違うから、確かに悪くない。似過ぎてもいけないから。久保木さんは嬉しそうに光軌の絵を手に取る。

「私って、青田刈りがモットーだから。学生さんなら、なおいいわ。」

それを聞いて俺は焦る。俺も彼女の所で個展をすることになっている。やりたくてやる訳じゃないけど。

「えっ、でも俺は?」

「維織さんは、私の所みたいなトレンディーなギャラリー初めてでしょう?私、初めてなことが好きだから。」

トレンディーなギャラリーね。まあ、いいか、って考えてたら、しばらく固まっていた光軌がとんでもない声を出す。

「えっ!なに、なに?」

俺がなにか言う前に、久保木さんが説明する。

「だから、君と岡田君ふたりで、合同展をやりましょう。」

「でも、俺。」

「なあに?」

「岡田は何度もコンテストで優勝してるような絵描きですよ。外国のコンテストにも入賞してるし。」

「それじゃあ、君は自分のことなんだと思ってるの?」

「俺は2浪して、やっと今の学校にやっと入って。」

俺が横から口を出す。

「岡田君と同じクラスなんだろう?」

「岡田は美大出てから、家の専門学校に来てるんですよ。」

「なんで?」

「知らないけど。暇潰し?」

「彼にはまだ学びたいことがあるから来てるんだろう?」

久保木さんは、

「私がやるって言ってるんだから、君に断る権利はないから。」

と言って、いつもみたいにケラケラ笑う。俺は感心して、彼女は見てくれはアネットなんかと変わりないくらいの、チャラチャラした感じなんだけど、きっとこの強引さで世の中渡って来たんだな。


久保木さんが帰ってから、光軌が意外なほどナーバスになる。俺に抱き付いてくるほど。

「維織。俺どうしたらいいの?断る権利がないって?」

「プロのギャラリーオーナーとして、彼女は君と岡田君の絵が同等に売れると思ってるんだよ。」

「実力に差があり過ぎる。」

「俺はそうは思わないけど、あと3ヶ月あるんだから、もっと描いたら?」

「そんな簡単なこというけど。」

光軌はいつもの、あんまり色々気にしない性格の彼らしくなく、涙を流してそれを俺のシャツの肩で拭う。

「岡田と比べられるなんて。」

「誰も比べたりしないよ。」


今日は暁登の個展のオープニング。俺はやはり気後れがしたが、光軌と一緒だからかなり心強かった。なぜだろう?俺にもこんな若くてイケメンの彼氏がいることを、昔の男達に知らせたい?多分そんなこと。そのギャラリーは贅沢な造りで、都心にしては広くて、作品はやはり昔のように、ペインティングとステンドグラスを組み合わせた独特のもの。そのふたつの素材がパッチワークみたいにつなぎ合わさっている。そしてそれらは壁に貼ってあるのではなく、宙に浮いたような感じのディスプレイだ。オープニングのパーティーだから大勢の人がいる。光軌と一緒に人ゴミに紛れる。そうすると少し安心する。作品は良くできている。昔とは違う。ステンドグラスにしても、もっと高度なテクニックを使っている。暁登や鉄司に見付かる前に、こないだ会ったゲイ雑誌のエディターとフォトグラファーに捕まった。エディターの彼が、

「おふたり相変わらずお熱いですね。」

そう言って近付いて来て、俺は、

「はい。お陰様で。」

と冗談っぽく返す。

「少しインタビューいいですか?」

「ええ。」

近況を聞かれて、もうすぐやる自分の個展のことをたっぷり宣伝させてもらう。カメラのフラッシュが光って、鉄司がやって来て、

「こんな所でお前がインタビュー受けてるなんて。」

彼にしては本気で怒りを見せる。俺は関係ないと思って、返事はしない。エディターの方から来たんだから、俺のせいではない。俺はエディターに向かって、光軌の合同展の宣伝をしてやる。光軌は恥ずかしそうに俺の後ろに隠れる。俺達は数カ月違いで同じギャラリーで個展をやることになる。エディターに光軌のフルネームを聞かれる。雑誌に載るのは確実だな、って思って、鉄司の方を見る。ヤツは、

「こんなところで自分達の宣伝なんて。」

エディターが、

「すいません。暁登さんのインタビューしたかったんですけど、お忙しかったので。」

鉄司は返事もせずに暁登の側に戻って行く。光軌が俺の腕を引っ張って、ギャラリーの2階の展示室に連れて行く。そこはあまり人がいないので、少し静かに話しができる。

「今の人、俺の学校の理事ですよね。今、思い出したけど、あの人俺達が暁登さんに会った時にあそこにいた人ですよね。」

「君はそんなこと気にしなくていいから。」

「でも、気になります。あの人なんで暁登さんのこと知ってるんですか?」

「それは俺にも分からない。ふたりが出会ったのは、俺が暁登に会う前なんだ。」

「じゃあどうしてさっきの人、維織のこと知ってるの?」

「それは俺があの学校で教えてたから。」

「ウソついてる。」

「君がそう思うのは勝手だけど。君が気にすることはなんにもないから。君が来てくれなかったら俺は今日ここに来られなかった。暁登の所に行って改めて君のことを紹介するから。」

俺達はまた階下の人ゴミに紛れる。徐々に暁登に近付いて、やっと話ができて、作品について社交辞令の御世辞を言ったりやらして、光軌のことを紹介する。

「一度会ったと思うけど、光軌と俺は一緒に住んでて。」

俺はわざとらしく、俺より背の高い光軌の背中に腕を回す。そうしたら、さっきまでシャイに俺の後ろに隠れていた光軌が暁登と握手して、堂々と会話を始める。

「作品素敵です。ステンドグラスってちゃんと観たことなかったけど。俺も絵を描いていて、透明感っていうのがテーマなんですけど、こういうアプローチもあるんだなって。」

暁登はこないだ会った時みたいに、流行っぽくヒゲを伸ばして、ボータイはしてなかったけど、タキシードだったから、よけい昔とは違う人みたいに見えた。コイツをモデルにして俺はいくつ絵を描いただろう?ヤツは、俺と光軌を交互に見ながら、

「俺の作品は透明感というより、色んな色のガラスを通して見える別の世界、みたいなそんなテーマ。」

光軌は、

「なるほど。維織の絵に描かれた暁登さんをいつも観てたから、本人に会えるなんて不思議な感じです。」

それを聞いて、暁登はちょっと皮肉っぽく笑って、

「あの時の俺はもう存在しないから。」

「どうしてそう思うんですか?」

なんだか噛み合わない会話。それは俺だけが感じているのかもしれない。俺は光軌を引っ張って暁登のいる場所を離れる。さっきからずっと鉄司が鬱陶しく、暁登を守るように側にいて、俺達の会話を聞いている。それがイヤだった。さっきのゲイ雑誌のエディターとフォトグラファーが側を通りかかったから、いつかみたいに俺と光軌の熱いキスをしっかり写真に撮ってもらった。暁登のオープニングに来るような連中はゲイが多いから、みんなに拍手してもらった。嬉しかった。


ギャラリーの近くにちょっと名の知れたレストランがあって、俺達はそこで食事をすることにしていた。席に案内されるなり、光軌は泣き始める。最近彼はよく泣いている。

「悔しい。俺だって今に立派な作品を創って、立派なギャラリーで発表したい。もしかして俺の作品って地味過ぎるかも。」

「他のヤツと比べることないって言っただろ?アイツ等は人間的に破滅してるから。」

そしたらなぜか彼は目に涙を浮かべたまま、ゲラゲラ笑い出す。情緒不安定?3ヶ月後の合同展がストレスになってるんだろう。まだ学生なのにプレッシャーなんだろうか?俺の最初の個展も俺がまだ大学に行ってる時だった。あの頃も写実だったけど、静物とか水の流れるようなランドスケープが多かった。

「久保木さんのギャラリーは、トレンディーな若者のファッションストリートにあって、見に来るのは多分アネットみたいなヤツばっかりだよ。」

「そうなの?」

「行ったことないんだろ?これから行ってみよう。見たら安心するから。」

「ほんと?」

食べる物が来たら、光軌は猛烈な勢いで食べ始める。


「え!こんなに狭いの?」

光軌は素っ頓狂な声を上げる。

「こんな家賃の高い場所に、大きな店出せないだろ?」

久保木さんはいなくて、客は数人。今展示してあるのは若い女性のイラスト。光軌はそのイラストレーターと話しをしている。それを聞いていると、彼女はまだイラストの学校を出たばっかりだそうだ。絵は綺麗な花とかテディベアとかアニメっぽい人物とか。よくあるイラストの題材。帰り際に光軌は、

「維織はあんな狭いとこに、どうやって絵を飾るつもりなの?」

「さあ、全然考えてない。」

「個展もう来週でしょう?」

「これから考える。どうせ暁登がモデルやった絵を叩き売るつもりだから。」

「そうなんだ。あんまり深刻に考えることないな。」


そう言ってた割に彼はまたナーバスに戻って、自分の部屋に閉じこもって絵を描いている。なぜか俺が彼の学校の宿題を手伝っている。レポートとか、俺がざっとでっち上げて、後は彼が自分で文章を校正する。自分が普段使わない漢字とかを平仮名に直したり。そんなことをしているうちに、俺の個展の日になった。ここでは暁登のギャラリーみたいにオープニングパーティーもないし。でも朝方、若者が入って来て、サインを求められた。俺にもファンがいるんだな、って嬉しくなった。俺のファンは金を持った年上のコレクターだけだと思っていた。夕方近くになって、驚いたことに暁登がひとりで現れた。ビックリしている俺にひと言、

「ネットで見た。」

そしてヨーロッパ人がするみたいに、俺の両頬にキスをする。そしてそれを、花を持って来た光軌に見られた。光軌は走り去って俺はあとを追って、やっと腕を捕まえて、

「アイツはヨーロッパに住んでたから、あんなの挨拶に過ぎないよ。」

「男同士ではしないでしょ?」

「それは俺がずっとアイツの女だったから。」

なんでそんなこと言ったのか分からないけど、光軌は俺に花を投げつけると、走って行ってしまった。俺は道に落ちた花を拾ってギャラリーに戻った。暁登が、

「懐かしい絵ばっかりだね。こんなに安くして。この倍でも売れるのに。」

そう言いながら絵を観て回っている。

「お前の絵なんて邪魔だから、サッサと売ってしまいたい。」

暁登は鼻で笑って、俺の顔をジロジロ見詰める。俺は腹が立ってきて、

「邪魔しに来たんならサッサと帰ってくれ。」

「随分な言い方だな。」

そう言い残して、夕暮れの街に消えて行った。


家に帰ると、光軌の部屋は開けっ放しで、絵の道具やキャンバスがゴッソリなくなっている。今度は置き手紙もない。俺はあの時みたいに無意識にオーバードースでもして、1週間くらい意識不明になりたかったけど、俺の個展はまだ終わっていない。俺にも最低限の責任感はあるんだな。どうすればいいんだろう?でも暁登とはなんでもないんだから、ただの誤解に過ぎないわけだし。念のために電話をしてみたけど、やっぱりつながらない。前回は学校しか知らなかったけど、あれからさり気なく実家の住所を聞いておいた。ほんとに尋ねることになるとは思わなかったけど。ギャラリーの帰り、実家を訪ねた。母親が出て来て、俺が光軌と一緒に住んでる、と言うと家に上げてくれた。光軌と雰囲気のよく似た静かな感じの女性。

「そろそろバイトから帰って来る頃ですよ。」

って言ってくれて、しばらく世間話をしていると、玄関のドアが開く音がして、そしてすぐまた閉まる音がする。そうか、俺の靴があったから。光軌の母親は、

「家は母子家庭で可哀想だからって、甘やかしてしまって。」

そして彼女は目を細めた。もしかしたら光軌が帰って来て、嬉しいんじゃないかな、ってふと思った。「あの子は頑固な子ですけど、怒っても大抵短くて3時間、長くても3日くらいしか持ちませんから。」


3日と言われて待つことにしたけど、光軌が管理している俺の薬がどこにあるか分からない。人の部屋を捜すのもイヤだし。木越さんの病院に電話しようと思ったけど、自分一人で長いこと電車に乗って行けないような気がする。痛み止めを買って飲む。少しは胸の痛みに効くような気がして。決められた量の3倍くらい飲んだら、さすがに電車の中で立っていられなくて、席を譲られてしまった。それからはタクシーで通うことにした。ギャラリーに行って機械的に接客をして、これだけ値段を下げてもまだ値切るような客もいて、俺がすぐ言うことを聞きそうになるから、久保木さんがしっかり俺のことを見張っているようになった。3日だけ待とうと思ってたけど、昼間は痛み止めを大量に飲んで、夜は酒を飲んで、そんな無謀なことをしてるうちに、とっくに3日が経って、それから知らないうちに俺の個展が終わって、俺はこれでもう、自分の身体を好きなようにできるって思った。いつかみたいに、5日間ということはなかったけど、2日ちょっと意識がなく、ベッドにいた。ひとりで起き上がって、家は静かで、また元のようにひとりで生きていくんだなって、やや冷笑的な気持ちになる。意味もなく惰性で冷蔵庫を開ける。今度は光軌からの手紙は入っていない。もうすぐ元のように俺のフリーザーは氷とアイスパッドだけになるんだろうなって思う。光軌と岡田君の合同展は、久保木さんがしっかりオーガナイズしてくれるだろう。俺のやることはもうなにもない。光軌とアネットがモデルのキリストの死と、それを嘆く聖母マリアの絵。もう一息ででき上るところだったけど。このままモデルなしで仕上げようと思って絵筆を取ったけど、やっぱり上手くいかない。天使の間にカナリアを3羽飛ばした。この絵が俺の遺作になるんだろうか?死はいつも俺にとって魅惑的だった。光軌に会うまで。最後にモデルを頼んだ時、光軌は疲れ切って死んだマネをしている間にスヤスヤ寝てしまった。それはまあ、いいんだけど、アネットはエクササイズをすることと、インストラクターの彰直に夢中で、なんだか嘆きの顔はしてなかった。


現実逃避とそれに続く自殺願望。それはどうしても抜けない。病院に行くのはとっくに諦めた。あんな遠い所までひとりで行けない。仕事をしていない時間はベッドの中にいる。絵は全く描いていない。そういうことは珍しい。滋通が新しい絵を届けに来て、俺の様子に驚いていた。ヒゲも剃らないし、パジャマに毛の生えたヤツしか着てないし。できることはないか、って聞いてくれたけど、笑って誤魔化した。光軌が出て行ってからもう2カ月くらいになる。絵の調子はどうなんだろうか?自信がなさそうだったから心配だけど、彼ならきっと上手くやるだろう。酒の量が増えていくのが自分としても困ったことで、ありとあらゆる国のウォッカを買ってみて、結局、安いアメリカ製のが1番気に入った。高いフランス製のは開けてひと口味見をしただけで、俺には洗練し過ぎていて、そのアメリカ製のを買って来て、何本も空けた。考えて、やはり光軌の部屋を捜して、病院でもらった抗うつ剤を見付けた。大した量ではなかった。それと酒を一緒に飲むと、きっと1日や2日は眠れる。それはこの週末に決行することに決めた。金曜日のまだ明るい時間から酒を飲み始めて、判断力が鈍ったところで薬を飲む。オーバードースなんて普通、女のすることだ。どうして俺は、暁登の女だったって言ったのだろう?ヘルムート・バーガーはヴィスコンティ監督の女だって言われてたらしい。そのことを思い出したのかな?ゲイの戯言?よく分からない。俺がよく分からない、という時は、分かってることだって、光軌が言ってた。俺はもう暁登には興味はない。正直、昔の彼にはまだ思い出があって、簡単に忘れることはできない。でもそれはもう、いなくなってしまった昔の彼だから。


金曜の夕方寝て、起きたら月曜日の朝方だった。思ったより強い薬だったな。それなのに何度も目が覚めた。起き上がって時計を見た。それはなかなか進まなくて、でも見た時の曜日が分からないから、ほんとのところは分からない。今の分からないは、ほんとに分からない。時計を見たら、今、朝の2時で、朝の3時に死ぬ人が1番多いって聞いたことがあって、3時に起きなくてよかったと思った。もし3時に起きたら、きっと自分のことを死んだと思っただろう。マンションの部屋をウロウロして、残酷なことが俺の狂った頭をよぎって、大事にしていた観葉植物をハサミで切り裂いて、みんなゴミ袋に詰めてしまった。ベッドルームやスタジオにあった、長い間生活を共にして来た植物。背が高い木が多かったから、大きなゴミ袋が4ついっぱいになった。生きている物が側にあるのが我慢できなかった。やってしまって、植物が可哀相で泣いてしまった。もう1度袋から出そうと思ったけど、あれだけ根元から切ってしまって、また生き返るとは思えなかった。自分を殺したかったのに、大事な植物を殺してしまった。ひどい罪悪感を感じる。そんなバカなことをしているうちにすっかり疲れてしまって、またキャビネットや引出しの中をかき回して、なにか目ぼしい物はないか捜した。光軌がすっかり綺麗にして行ったから、薬入れは空っぽだった。バスルームで自分を見たら、まるでホームレスみたいに酷い様子だった。どうでもいいと思ってそのまま外に出た。ドラッグストアは閉まってたけどコンビニは開いてて、でも死ねそうなものはなにもなくて、俺は首を吊る勇気もないし、せいぜい薬で数日寝て、現実逃避をするくらい。心底死にたければ、とっくに首を吊っている。痛み止めをあるだけ全部買った。小さい箱に少ししか入ってなくて、まあ、コンビニならそんなもんだと思ったけど、店員に聞いたら、そこにあるだけだって言われた。本当のことを言ってないのは顔を見て分かった。家に帰って、ゴミ袋を見て、やっぱり袋を破って中身を見た。そしてネットで真剣になって調べて、その中のいくつかの木は、丈夫だからまた生えてくる可能性があるみたいだった。根はそのまま土に戻して、茎は水に挿した。もしかしたら新しい芽や根が出て来るかもしれない。あんなに大事に育ててきたのに、と思うと後悔の念に駆られる。もし生き返るなら、俺はなんでもしようと思った。なんでもってなんだろう?分からない。今の分からないは、本当は分かっている。光軌の言うように。


もう朝の5時になっていた。俺は1週間ぶりにシャワーを浴びて、綺麗にヒゲも剃った。しかし顔色は死人のようだし、目も憔悴している。まさかこんな時間に人様の家に伺うわけにはいかない。何時まで待ったらいいんだろう?それより学校へ行った方がいいんだろうか?学校へ行ったからと言って、会えるとは限らない。いざとなったらなんでもできるだろうと思って、学校の始まる時間に、例のカフェに行った。そこは何度も来たことのある、アートスクールのカフェなんだけど、通りに面していて、外からも客が入れるようになっている。近所の主婦のグループがいて、なんだかうるさい。俺は学校の出口から1番近いテーブルに座る。そこからでも、そのグループの声が聞える。みんな子供の先生の悪口を言っている。先生になんかなるもんじゃないよな。どんなに一生懸命やっても報われない。俺がここの講師だった頃を思い出す。光軌とはどうやって知り合ったのだろう?あの時俺が酔払って、彼が俺をタクシーに押し込んで、家まで送ってくれた。そしてあっちが俺の所に転がり込んで来た。こんな所に座ってて、彼に会えるんだろうか?生徒を捕まえて、捜してもらおうかな?いざとなったら、自分で校舎に入って行く。そこまでしないと、俺の植物に申し訳ない。そんな変なことを考えていると、なんとこないだ売り込みに来て、光軌と一緒に合同展をやることになった岡田君がカフェに入って来た。

「あれっ、先生どうしたんですか?」

「実は光軌を捜してる。」

「一緒に住んでるって聞いてますけど。」

俺の必死な様子を見て、彼は校舎の方へ戻って行った。そして10分程して戻って来て、

「光軌は授業中で、でも実習だったから、教室に入って先生のこと言っときました。」

「ありがとう。君達の作品はどうなってる?」

「まあ、なんとか。もうあと3週間ですからね。ジタバタしてもしょうがないですよ。」

「余裕だな。光軌は大丈夫だろうか?」

「いつか俺が、自分の描きたいものを描けって先生が言ってただろ?って言ってやったら、そうだよなって。」

「なに、その先生って俺のこと?」

「そうですよ。覚えてるでしょう?」

「まあ。」

「自分の言ったことには責任を持たないと。」

「そうだな、そうだよな。」

俺は、光軌にちゃんと付き合うって言って、それから一生面倒見るとも言った。思い出した。言ったことには責任を持たないと。それから彼と一緒に暮らして、俺の人生で一番幸せだと感じたことも思い出した。俺の人生なんて大したものではないけど。周りにはロクな男がいなかったし。岡田君が時計を見て、

「授業もうじき終わりますよ。」

「君、ちょっとここにいてくれない?」

「いいですよ。ついでだから、合同展の打ち合わせしましょう。」

「打ち合わせって、俺は関係ないんだろう?」

「先生が最初に俺のこと久保木さんに紹介したんでしょ。責任持ってくれないと。」

また責任か。

「光軌、呼んで来ます。」

岡田君は席を立って、次に現れた時は光軌も一緒だった。彼は俺の顔を見ずに、

「打合せって聞いたから。」

って、誰に言ってるのか分からないほど、遠くを見てつぶやいた。俺は自分が殺そうとした植物達のことを心に描く。もし俺がこの若者の心をもう一度つかめたら、きっと彼等も生き返る。

「作品はどうなの?」

「描きたい物を描いてるだけです。」

「よかった。」

それを聞いて光軌はちょっと不思議そうな顔で、今度は俺の方角をチラッと見る。でもまだ顔は見ない。

「なんなんですか?ふたり共。ケンカかなにか?」

岡田君は呆れたような調子で、

「ダメですよ。合同展のタイトルが、ハッピーに弾ける色達、なんだから。ハッピーにいかないと。」

俺と光軌は黙り込む。岡田君は、

1度先生にも俺達の作品を観てもらいたいです。いつがいいですか?」

そんな風に聞かれると、やらざるを得ない。

「俺はいつでもいいよ。」

「じゃあ光軌と一緒にスタジオにお邪魔しますから。」

次の授業が始まって、ふたり共校舎の中に戻って行った。


玄関のドアを開けると、光軌と岡田君が一緒に入って来る。光軌は俺の背の高い植物達がなくなって、代わりにまだ床に残された、無残に切られた残骸を見て、

「どうしたんですか?」

ショックのあまり、俺の目を見る。彼が俺の目を見るのは久しぶりのこと。俺はなんて言っていいか考えたけど、正直に言うのが正しいなって思ったから、

「生きてる物を見たくなくなって。でも、ああやって水に挿しておくと、根が出て来るらしい。」

俺がそう言うと、光軌は部屋部屋を見て回って、ゴミ箱から俺がコンビニで買って来た、大量の痛み止めの空箱を見付けた。でもその時は彼はなにも言わなくて、岡田君が自分の絵をテーブルの上に並べ出して、光軌もそれに習って、自分の絵を並べ始める。スペースがないから床にも敷いて歩く。今日、光軌がここに来たということは、やっぱり俺になにか言ってもらいたいのだろうか?俺になにが言ってやれるのだろう?って考えていると、やっぱり正直に言うしかないなって思う。

「ハッピーに弾ける色達。」

俺は口に出してみる。

「ふたり共あんまりハッピーな感じの絵じゃないのに、なんでそんなタイトルを?」

岡田君は、

「ハッピーには見えないかも知れないけど、その色達の下のハッピーさを感じてもらいたい。そうやってふたりで決めたんです。」

そう自信を込めて話す彼に反して、光軌は、

「俺はハッピーってなんだろう?って考えながら描いたから。」

少し動揺してるみたいに聞える。俺が岡田君に、

「そのタイトルはもう決定なんでしょう?」

と聞くと、

「そうです。もう印刷に回ってるから。ネットの情報誌にもそのタイトルで載ってるし。でもどうしてですか?そのタイトルそんなに似合いませんか?」

「分からない。」

光軌はそれを聞いて、俺に向かって、

「維織が分からないって言う時は、分かってるってことだから。ハッキリ言って。」

「どっちにしろもう遅いんだろ?」

岡田君が、

「まだ3週間ありますよ。もっとハッピーっぽくしたいんなら、これから少しそういうの描いてもいいですよ。」

と言い出して、光軌は、

「俺はこれ以上ハッピーになれない。ハッピーになりたいと思って描いたけど、それがハッピーに見えないんなら仕方がない。」

なんだかぶっきらぼうに。俺はどうしたらいいんだろう?作品は水準以上だと思う。俺自身にも、どうしてそんなにタイトルにこだわるのか分からない。岡田君の絵には、相変わらず人や動物の幽霊がいる。光軌の新しい絵は今までよりも、強い色が観える。チューブから直接絞り出した色。叫んでいるかのような。もしこれがあの、流行りのブティックに囲まれたギャラリーに飾られるとしたら。人々は普通、タイトルなんて気にしない。俺にとってハッピーに観えなくても、あのファッションストリートを歩く若い子達にはハッピーに観えるのかもしれない。

「久保木さんはなんて?」

岡田君が、

「カラフルでハッピーそうだって。」

「そうか。やっぱり俺の目が可笑しいのか。」

「あと何点か、本気でハッピーな絵を描きますから。」

そう言って彼は先に帰って行った。


光軌と俺だけが残された。彼はまだスタジオの床に散らばっている、俺が破壊した木や土を見て、

「どうかしてる。木越さんには会いに行ってるの?」

「いや。」

「どうして?」

「ひとりで行くには遠過ぎる。」

「俺は維織に一生ついて回れるわけじゃないから。」

俺はここでなにか言わなければ、と思ったけど言葉にならない。そこで思い出す。正直に言うしかない。

「俺と暁登にはもうなんのつながりもない。」

「それだけじゃない!維織はいつも他の男のこと考えてる。」

「それは考えてるだけで、好きだからじゃない。」

「なんで俺はいつも維織の考えてることが分かるんだろう?」

「それじゃあ、今俺が考えてることも分かるだろう?」

光軌は黙って考えている。ほんとに俺の今の気持ちが分かってくれたらいいと思う。

「俺は頭が変になって、こんなことをしてしまったけど。」

俺はまだ床に落ちている枝を拾う。

「もしこの木が生き返るためならなんでもしよう、って決めたんだ。そして君に会いに学校に行った。覚えてるだろう?俺達一緒に生活して幸せだっただろう?あれをもう一度できないか?」

光軌は自分の絵を観て、

「先生は俺達に、人のことは気にするな、描きたい絵を描け、そうすれば絵が売れるって言ってたでしょう?」

俺は今更、光軌が俺のことを先生って呼ぶのを聞いて、つい苦笑してしまう。彼はムッとした顔をする。

「それから先生は、自分の描きたいものを見付けるのも大変だ、みたいなことを言って、それから自分の中の真実を見付ける訓練をしろって。」

正直言って俺、そんなこと言ったの全然覚えてない。その程度の教師だったんだけど。

「だから今とっさに考えただけで、実は自信ないんだけど、自分の中の真実で言えば、俺は維織と一緒にいたい。」

「ほんとか?」

「だから自信ないけど。」

俺は光軌を抱き締めて、それは俺がどんな男にもしたことのない愛のこもったハグで、彼もちゃんとそれに答えて、俺を抱き締めてくれた。








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