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新作長編『1泊2食海の見える温泉で彼に捧げた僕の童貞』

  04, 2018 15:25
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あらすじ/彩飛(あやと)はブティックで働くフリーター。少し気が小さいが、ひとりっ子で母と仲のいい優しい子。もうすぐ二十歳の誕生日を迎える。

彼はポエムや短編小説を書くのが好きで、ある投稿サイトの常連だった。彼は同じくそのサイトに投稿している、敬史(けいし)という人物とメールをやり取りする仲になる。敬史は双極性障害のウツで長期入院中だった。彩飛は会ったことのない敬史に惹かれている。

彩飛は、「二十歳になったらゲイバーに行って危険な男と出会い、童貞喪失をする。」というストーリーをポエムにして投稿。それを読んだ敬史から、「誕生日には俺に会いに来るように、それは俺が一番危険な男だから。」というメールが来る。

誕生日の朝、彩飛は敬史の病院に行く、初めて会った彼はウツから躁になったところで、意外にも明るく賑やかな人物だった。

彩飛は職場の店長と一緒に、初めてゲイバーに行く。そこで彩人は店長にキスされる。彩飛は初キスを奪われたと敬史に告げ、あと1カ月の間に退院しないと、童貞も誰か他の人に捧げると彼を脅かす。

敬史のドクターは彼に1日外出を認め、彩飛は彼の付き添いを頼まれる。敬史にはパニック障害もあり、特に人ゴミが苦手。ドクターは通勤ができるようになれば、退院させると言う。ふたりは1日中必死に電車に乗る練習をする。

彩飛はバーで偶然ブティックの本部で働くデザイナーと出会い、彼にアシスタントになるように薦められる。それがきっかけで、彼は書く仕事がしたいのだと気付く。

敬史の退院の日、彩飛が行った時には彼の姿はもうなく、残されたメモには、書く仕事がしたかったらこの人に会うようにと、名前とメールアドレスが書かれていた。

彩飛が言われた所に行くとそこは大きなビルで、いきなり女性ファッション誌の仕事を任される。ライターとして、本のほとんどの見出しや記事を書く仕事。

アイディアに富む彩飛は、気に入らない箇所を変更したいと思う。スタッフに変更は編集長に許可をもらうように言われる。

編集長のオフィスのドアを叩く彩飛。驚いたことに、そこにいたのは敬史だった。

彩飛と敬史は一緒に面白い特集記事を創り上げる。雑誌の売り上げも上がった。

敬史はボーナス替わりに彩飛と、1泊2食海の見える温泉に出掛ける。彩飛はとうとう念願の童貞喪失を果たす。

クリスマスの日、彩飛は敬史の願いを受け入れて、ふたりは一緒に住むことになる。




1泊2食海の見える温泉で彼に捧げた僕の童貞



知らなかったけど、って知ってたけど、その人はリアルだった。ネットの向こう側にいて会ったこともないし、喋ったこともないし、いつも僕の投稿に「いいね!」してくれたりとかコメント入れてくれたりとか。だから彼が現実の人間だって知ってはいたんだけど、なんだか人間じゃないコンピューターだとか人工知能だとか、そういう意味不明の生物ではないモノのように感じていた。

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その人が「一度会わない?」って気軽にメッセージをくれて、僕はえっ、この人本物の人間なの?ってしばらくあっけに取られて、それからなぜか突然シャイになって返事が出せなくて、昨日も出せなくて今日もまだ出せなくて、あっちもなんにも言ってこなくて。

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それは出会い系サイトでもなんでもない、どっちかというとシリアスなエッセイや日記や短編小説なんかを投稿するサイト。それからイラストやマンガなんかもあって、僕はもちろん匿名で、ゲイ丸出しの詩や短編小説なんかを書いてて、でも彼のはゲイとか全然関係ない、精神科の闘病記みたいな感じので、それによるとその人、敬史さんで、本名かどうかは知らないけど、あっちが僕の投稿したのを読んで感想を書いてくれたのが始まり。そしてメルアドを交換して、自分達の投稿した物以外のことも話すようになった。

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そもそも会わない?って言うんならあっちもゲイだってことだよな、普通。僕のことなんか見たらきっとガッカリする。こんなひょろくて長いって言うか、ひょろ長いって言うか、一緒か。そういう人間。あ、でも僕のチャラい詩とか読めばそんなにマッチョな感じじゃないって分かるか?会いたいって言ってくるってことは、あっちは自分に自信があるのかな?でも精神科に入院中だって。それがほんとだったらの話しだけど。

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僕のいつも使ってないメルアドを教えたんだけど、その日からそのアドレス1日に何度もチェックしちゃう。今見たらメッセージが入ってる。どうしよう?僕があんまりなかなか返事出さないから、なんか変だって思ってるのかも。ただシャイなだけで、敬史さんとは会ってみたいと思ってる。

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「会いたいなんていきなり書いたもんだから、ビックリさせたのかな?ゆっくり考えて返事をください。」

だって。どうしよう?色んな妄想が広がって。もし会ってそれで好きになって、そしたらどうしよう?書いてる物を読んだら、あっちの方が年上なのは明らか。きっと大分年上。もしかして僕のこの若い身体が目当てなのかも?考え過ぎ?病院とかにいると外の誰かと会ってみたくなるのかも?僕は入院したことがないから分からない。彼の闘病記にはそんなこと書いてなかったけど。

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会わない?って言われてから、もう一度彼の投稿した記事を読んでみた。一個一個は短いんだけど、言葉を選んだ、そして迫力のある調子に文才を感じる。古風な文体。僕、芥川龍之介が亡くなる前に書いた短編とか好きなんだけど、あれに通じるものがある。自殺した作家に似てるなんて言ったら悪いかな?芥川龍之介ってなんで自殺したの?確か彼の短編に、「寝てる間に誰かが首を絞めて殺してくれないか。」っていうくだりがあった。どういう気持ちなのそれって?ウツじゃなくてもっとイライラした感じ。彼の焦燥感、不安感、それから幻聴、幻覚。

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敬史さんは彼が投稿した物によると双極性障害で入院している。でも今入院してるのはウツ状態だからって書いてある。その病気のこと勉強した方がいいのかな?それともそんな病気の話し、僕とはしたくないのかも。僕が投稿して、彼にコメント書いてもらった詩。詩っていうよりもっとチャラいから、ポエムって言った方がいいかも。

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「貴方の残り香を感じた。

でもそれは香りじゃなくて、体温みたいなものだった。

僕は貴方がほんとにここにいたことを確かに感じて、

どうしてまたあのことを伝えなかったのか、

苦しい思いがした・・・」

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そんなチャラい感じでその3倍くらいの長さで終わるんだけど、敬史さんは、「言いたかったのに言えなかったという気持ちがよく伝わって来るね。」とかそういうコメントを入れてくれた。その詩が10個目くらいの投稿で、今まで誰もコメントなんて入れてくれなかったからビックリして何回も読んじゃった。ほんとは芥川龍之介ばりのインテリっぽいのが書きたいんだけど、僕インテリじゃないし。アイディアは豊富だから、ああいうポエムっぽいストーリーだったらいくらでも書ける。それがなんの役に立つのかは知らないけど。今考えてるヤツで、今夜までに終わらせて投稿しようと思ってるのがある。

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「二十歳になったらやろうって決めてた。

男の人しかいないバー。

そんな場所に慣れてる振りして、

男達の視線を無視して、

飲んだことのない強い酒。


一番危険そうな男を見付けて、

近付いて、微笑んで、

慣れてる振りして・・・」

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まだそこまでしか書いてないけど、字余りばっかでどうにもならない。でもそれはほんとの話しで、僕もうすぐ二十歳になるんだけど、そしたらやろうって決めてること。ひとりでそういうバーに行って。

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仕事帰り。急いで改札を出て階段を駆け上がったのに、電車は行ってしまった。まあいいや。さっきのバーに行く話しの続きを書こう。その前に母親にメールしよう。いつも僕のことを心配し過ぎる母。僕はいつまでも女の子みたいに女々しくて、結局大学に行くのも諦めて、世間で言うフリーター。好きなファッションのお店だから楽しいんだけど。店長は僕を昇格させたくて、そしたらもっと給料も上がるし、頑張ってくれてるんだけど、僕は気が弱くてお客さんに強く出られたらもうなにも言えない。「できることとできないことを、ハッキリ言えばいいだけのことだから。」って店長に言われるんだけど。そんな難しいことどうしてできるの?

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ファッションは好きだけど接客は好きじゃない。もうすぐ二十歳になるのに将来のことが決められない。ファッションの学校に行こうかって調べたけど、どこもすごく授業料が高い。文章を書く仕事も調べたけど、忙しいだけで給料が安いっていうウワサ。大手は大学出てないと難しい。僕の書くのもはチャラい、よく言えばコマーシャルだから、コピーライターとかならできそうだけど、そんな職業どうやって探すの?多分コネの世界。

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やっと家の近くの駅に着いた。ここから夜道を10分ほど歩く。僕の生まれ育った所。高級住宅街ではないけど下町でもない中途半端な地域。父はいつも仕事で遅くて、僕はひとりっ子で、小さい頃から女の子みたいなことに興味があったから、いつも母親と遊んでいた。近所の友達も女の子が多かった。男の子にいじめられてるとこを、女の子に助けられてる時もあった。母親とずっと一緒だったから言葉も女みたいで、小学校でうっかり「お洋服」って言っちゃったらみんなに笑われた。学校の勉強でできるのは国語だけで、国語の教師はみんな僕のことを愛してくれた。

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晩ご飯が終わって、さっきできた、二十歳になってバーに行ってどうとかいうポエムを投稿した。すぐに敬史さんから「いいね!」が来た。それからメールが来て、あれはほんとの話し?って聞かれて僕は、そうです。僕もうじき二十歳だから。

「もうじき、っていつ?」

「来月です。」

「そうなの?どこのバーに行くの?」

「まだ決めてません。」

そこで一度会話が途切れて、僕は一気にシャイになってなにも言えなくて、それでもケータイはじっと握ってて、僕はきっとあんな変なポエム書いたから呆れてるのかなって思った。さっき投稿したのはこんな感じ。

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「二十歳になった時したいこと。


男しかいないバー。

慣れてる振りして、

男達の視線を無視して、

飲んだことない強い酒。


一番危険そうな男。

慣れてる振りして、

近付いて微笑んで、

上級者の言葉を操る。


僕に触れる男の手。

慣れてる振りして、

知らない男の誘惑に、

僕は思わず背を向ける。」

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ほんとはもっとグッと大人っぽくセクシーなのにしたかったんだけど、なんか上手くいかなくて、結局最後は逃げちゃうみたいなそんなノリ。

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そうしたらしばらくしてまたメールが来て、

「あの話し、最後にどうなるの?逃げちゃうの?」

「そうだと思います。」

「なんで?」

「上手く説明できないんですけど、もったいなくなっちゃって。」

「へー。(笑い)」

敬史さんが笑ってる。もったいなくなっちゃって、って言ったら可笑しいかな?そう思って僕は、

「純粋な恋愛がしたいな、って。」

「へー。あ、ゴメン。看護師のチェック。」

「ゴメンなさい遅くに。」

「じゃあな。」

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僕は、いつもなら彼は、「じゃあね。」なのに、「じゃあな。」って言ってくれたのが少し彼に近付いたような気がして嬉しかった。ただの偶然でそんな意味ないのかも知れないけど。あのバーに行くっていうポエムが、いつもよりずっと自分の本心を出した物だったから、きっとあっちもそれ感じて、「じゃあね。」が「じゃあな。」になった。そう思いたい。バカみたいだけど、「じゃあな。」っていう言葉をずっと見詰めてしまった。

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数日後、敬史さんの新しい投稿を読んだ。


「また映画の話しです。

大昔観た映画で、検索しても出て来なかったので、記憶だけで書きます。

女は確かカトリーヌ・ドヌーヴ。違うかも知れません。


無実の罪で懲役刑になる。人生のほとんどが奪われるほど長い長い刑。

彼女は希望を求めて、掃除夫を誘惑し男の子を生む。

子供はすぐ養子に出される。彼がティーンエイジャーの頃、やっと会うチャンスが訪れて・・・。


それから先は覚えていない。もしかしたら全然違う、私が勝手に記憶したストーリーなのかも知れません。


今自分が病院にいるのも同じように長い長い刑なんだなって思う。私は女じゃないから子供は無理だし。女に興味がないから生ませるのも無理。


希望が欲しいということには共感する。いつ退院できるのかも分からずに。でも時折窓にとまる小鳥にも静かな希望を感じることがある。」

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やっぱり芥川龍之介の書いた文章に似た所がある。会ってもしできたら聞いてみたい。ファンなんですか?とか。それより女に興味がないって、彼がそんなことを書いたのは初めて。そう言ったって、どういう風にも解釈できるんだけど。単に女嫌いなのかも知れないし。

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僕はその映画もしかして見付からないかな?と思って、試してみた。やっぱり難しい。頑張って英語でいくつかのキーワードを入れたら、それに近い映画が出て来た。急いで敬史さんにメールを送った。

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「あの映画見付けましたよ。主役はカトリーヌ・ドヌーヴで筋も大体あんな感じです。」

「ほんとう?よく見付けたね。」

「英語で検索して。」

「すごいね!それは考えてなかった。」

「日本語のタイトルが、『愛よもう一度』です。観たかったらDVDあるか調べましょうか?」

「どうもありがとう。でも本当はあの映画怖いから観たくないかも。」

敬史さん、ほんとに懲役刑になった主人公と、入院している自分とを重ねて見てるんだな。精神科に入院するってどんな気持ちだろう?

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僕は敬史さんに、「一度会わない?」って言われてまだ返事してなくて、会いたいんだけどシャイだし、でも段々会いたい気持ちもつのりだして、でも自分の日常生活に追われてて、なんとなく返事も出しそこねていた。敬史さんとはそんなことしている間もお互いの投稿した物に感想を書いたり。でも最近は投稿サイトのコメント欄じゃなくて、いつも個人のメールに出していた。僕はこないだの二十歳になったらバーに行って男を引っかけるみたいなポエムをもとに、短編小説を書き出した。短編なんだけど連載にして、少しずつ書いていった。

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敬史さんからメールが来て、

「誕生日いつなの?」

「9月9日です。」

「覚えやすくていいね。」

「はい。」

「それよりほんとにひとりでバーに行くの?」

「それは分かりません。でも勇気ないかも知れません。」

「あんなバーに行ってもいい出会いはないよ。」

俺はそれを読んで一瞬固まった。あんなバーって、当然ゲイバーって分かって言ってるんだよね?

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僕はなにを思ったのか、

「そういうバー詳しいんですか?」

って、書いて送った。

そしたら敬史さんは、

「一番危険そうな男に会いたいんでしょう?」

「そうですけど。でもあれは創作だから。」

「創作には常に願望が現れる。」

そうかも知れない。僕があのポエムを書いた時、危険そうな男にはほんとに会いたいと思ってた。でも誕生日を目前にして考えたら、やっぱり自分にはそんな冒険できないんじゃないかな?もうあと一週間。

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敬史さんがいきなりショッキングな文章を送って来る、

「9月9日に俺に会いに来なよ。俺が一番危険そうな男だから。」

僕はまた固まって、それはマジなのか冗談なのか考える。高校生のクラスの友達から、僕は欲しい物があって、でももう少しで手に入りそうになったら逃げちゃうんだって言われた。今度こそ逃げないで欲しい物を手に入れる?二十歳の記念に?

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夕べ敬史さんにはちゃんとした返事はしないで誤魔化して、今日1日そのことについて考える。仕事中も考えてるから、変なお客さんに嫌味言われてもいつもなら落ち込んじゃうのに、今日は全然なんともない。気にしないと言うより、言われてもすぐ忘れてしまう。そして嫌味を言った人に、にこやかに、ありがとうございました、なんて言えちゃう。店長がそれを見ていて、

「接客、上手になってきたんじゃない?」

「え、なんのことですか?」

「さっきの客、イヤな客だったのに、しっかり話ししてたじゃない?」

そんなこと言われても全然心当たりがなかったけど、店長には、

「ありがとうございます。また頑張ります。」

なんて言っておいた。僕の心には誕生日に敬史さんに会いに行くことしかなかったから、っていうかまだちゃんと決めてはいないけど、だからどんなことでもできちゃう。

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また変な客が僕の所へやって来た。僕って気が弱そうに見えるから変なのが寄って来やすいのかな?よくある質問をされたんだけど、ネットに載ってる商品が見当たらない。じゃあネットで買えばいいじゃない、っていつも思うんだけど。

「すいません。オンラインショップと店舗では置いてる商品が違うんですよ。」

「なんでなの?」

「家は商品数も多いですし。全部は入れられないんですよね。すいません。」

「じゃあ頼んだら取り寄せしてくれるの?」

「それってMサイズあと3点って書いてありますよ!早く買っちゃった方がいいですよ!」

それで客は慌ててショッピングを始めて僕は解放された。店長には上手くやったね、って褒められたけど、僕の頭には敬史さんのことしかなかった。

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家に帰って僕は短編の最後の場面に取り掛かった。

32

「僕はトイレに行くのにわざわざ遠回りをして、男の方を見て軽く微笑む。僕がカウンター席に戻ると男がゆっくり歩いて来て、隣の席に座る。男の存在感の眩しさに、僕は目をパチパチさせる。彼はなにも言わずに僕に少しずつ身体を近付ける。そうか、危険な男ってクールになにも言わないんだ。店の音楽が急にうるさくなったように聴こえる。なんの意味もない無機質な音楽。ファッションショーでよくかかってるみたいな。」

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今夜ので最終回にしようと思ったのに、話しが終わらない。もう夜中近くで僕は明日仕事がないから遅くまで書いてて、だから投稿した時、敬史さんからすぐにメールが来て驚いた。病院ってどうなってんのかな?消灯時間とかってないのかな?彼がベッドの中でこっそりケータイをいじってる姿を想像して可笑しくなった。

34

「経験ないにしてはすごい想像力だね。」

「ありがとうございます。」

「君と危険な男はそのあとどうなるの?」

ほんとは最後までストーリーは決めてるんだけど、ネタをバラしたくないんで、

「まだ分かりません。」

って言っておいた。そしたら彼は、

「変な男についてっちゃダメだぞ。」

最近敬史さんのメールはどんどん言葉使いがカジュアルになる。僕の方はあんまり変わらない。やっぱりあっちが年上だからその辺は考えてる。でも今夜、僕は明日休みだっていう緊張感のなさも手伝って、少し冗談を言ってみる。

「こんな夜中になにしてるんですか?」

「なんか面白い投稿がないかなって。」

なんだ、彼は他の人達の投稿も読んでるんだな。なんとなく僕だけみたいな気がしてたけど、よく考えたらそんなわけないよな。

「なにか面白いのありましたか?」

「自殺未遂の体験談を読んでいた。」

突然そんなシリアスなこと言われて、僕はショックでなにも考えずに、

「ダメですよ。そんなの読んじゃ!」

「そんなにシリアスなのばかりじゃないよ。ジョークも多いし。」

「それでもダメですよ。そういうの、潜在的に頭に残るから。」

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そこで会話が切れて、僕はしょうがないからベッドに入ったけど、なんだか敬史さんのことが気になって、まだ会ったこともない人なのに僕の頭の中ではしっかり存在してる人で、どんな顔してるのかもなんとなく想像できたり。でも実際は全然違う感じの人かも知れない。

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それからも仕事中でも1日中彼のことを思い出してボーってしてて、だから接客には相変わらず押しが強くて、ハッキリ物事を言うし、できないことはできないってしっかりお客さんに言える。僕の別の人格が出て来たみたいな気がしている。だけど例の危険な男のラストがどうしても書けない。書こうとしても敬史さんのことを考えちゃって、なにを書いても危険な男イコール敬史さんになるから、あんまり変なこと書いて、彼がモデルみたいに思われたらどうしようってナーバスになる。だから投稿もなかなかできない。

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3日目くらいに敬史さんからどうしてる?みたいな軽いメールが来た。

「僕しばらく書けなくて。」

「どうしてだろう?今までそんなことなかったのにな。」

「想像力がありすぎて。」

「そんなことってあるんだな。」

それには笑ってる顔がついてて、そして彼が続けて、

「自信なくなってんのかなって、少し心配してた。」

「それもあるかも知れません。」

自信ないかな?自分で言っておいて後で考える。自信ってなんだろう?書くことにはいつも通り自信あるつもりだけど。迷い?多分それだと思う。

「色々迷っちゃって。」

「そういう時は自分が一番したいことを書くんだよ。他のことは気にしないで。」

そうか、そうだよなって僕は思って、今夜はどうしてもそれを仕上げようと決めた。

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「危険な男がなにを言うだろうか?って耳を澄ましていると、店の音楽が余計響いてくる。僕は彼の目をチラッと見る。なんだか僕のことを面白そうに見ている。やっぱり僕は初心者の二十歳になったばっかりで、冒険心に溢れている、でもホントはナーバスで、みたいに見えるのだろうか?


男は突然僕の肩に手を置いて、顔を覗き込む。なにを言うんだろうか?緊張が走る。


そしたらまた突然誰かが後ろから僕に話しかける。


ゴメンね、待たせて。


その人は年上の紳士。キチンとした服装の、見たことのない人。人違いじゃないですか?って言おうと思ったけど、その人はしっかりと僕の顔を見ている。


危険な男はなにも言わずに席を立つ。紳士は男の座ってた席に腰を下ろす。


あの男はよくないから。


僕はなんて言ったらいいのか途方に暮れる。助けてくれたの?そんなに悪い男だったの?僕ってそんなに初心に見えるの?


もうどうなってもいいやって、投げやりになって、今頭に浮かんだ3つの質問を全部してみる。


助けてくれたんですか?そんなに悪い男なんですか?僕ってそんなに初心に見えますか?


紳士は楽しそうに笑って、


助けないと。アイツは評判の悪いヤツだから。君は失礼だけど、こういう所は似合わないよ。


そういう風に見えますか?


見える。君、冒険したくて来たんなら、私とデートしよう。このバーで1番危険な男は私だから。」

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これを投稿して、敬史さんがどんな感想言ってくれるかなってメールをチェックした。彼はなにも感想は言わずに、自分のフルネームと病院の場所を送って来た。高山敬史。病院はここからそんなに遠くない大きな総合病院。敬史って本名だったんだな。誕生日に来てって言われたな。あと3日。腹をくくるしかないな。そう思ったら、腹をくくるっていい言葉だな、今度なにかに使おうって考えて少し可笑しくなった。

40

母に誕生日どうしたい?って聞かれた。

「特別なことはいらないよ。普通の誕生日でいいよ。」

「誰かを呼んでレストランでやってもいいわよ。」

「家でケーキ食べたりするくらいでいいよ。」

「二十歳なんだし。」

母は少し残念そう。大きなパーティーしたいのかな?でも僕はそんなのいいし、病院にも行かないと。何時に行ったらいいんだろう?なに着て行ったらいいんだろう?誕生日の話しをしていたら急に心配になって来た。母に誰かのお見舞いに行くこと言った方がいいのかな?って思ったけど、知らない人のお見舞いなんて言えないし。だからその日ちょっと出かけるけど、夕方には帰るからって言っておいた。

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職場の休み時間、敬史さんに初めて会うというイベント用の服を色々試着した。年上の人なんだし初めてだし。僕のことどんなだと思ってるのかな?ブティックで働いてることなんかは伝えてあるし、当然年は知ってるし。細くて背がバカに高い。それが大きな特徴。顔とかは、知らないけど母親似で女顔ねって言われる。試着室に服を並べて考え込んでたら店長が、

「彩飛、デート?」

だって。僕、思わす真っ赤になって下を向いてしまった。

「あ、ほんとにデートなんだ。」

彼に隠し事はできない。この店に入ってからいつも僕のことを気にかけてくれている。

「なに着て行けばいいのか全然分からない。」

「へー。どんな人なの?」

「知らないけど、大人の人。」

「知らないんだ。ブラインドデート?」

「ネットで知り合って。あ、でも変なのじゃないですよ。真面目なサイト。」

「どこで会うの?」

どうしようかなって思ったけど、店長には言ってもいいやと思って、

「病院に入院してる人。お見舞いに行くんです。」

「そしたらあんまり派手じゃなくてキチンとして見えて、でもデートだったら彩飛が可愛く見えるのがいいんじゃない?」

可愛く見えるっていうのが見当つかなかったから、結局店長の意見を大いに取り入れて、明るいプリントの半袖シャツにディテールに凝ったネイビーのパンツに決まった。

「彩飛の足すごく長く見えるね、そのパンツ穿くと。」

「そう?それっていいこと?」

僕はいつも背が高過ぎるのをコンプレックスに思ってて。

「いいことに決まってるだろ。」

42

これで服は決まった。あとは時間だな。その病院のウェブサイトで面会時間を確かめる。え、午前7時から午後7時まで?そんなに長いんだ。そうだよな、お見舞いの人達だって働いてる人もいるんだから。そうなると逆に時間が決めにくいな。敬史さんに聞いてみた方がいいかな?そう考えたけど、なんだかサプライズの方が面白いような気がして、連絡するのは止めた。僕のことを見て僕だってすぐ気付くかな?僕、顔とか背のこととか全然言ってないし。僕だってあっちの見た目は知らない。敬史さんはプロフィールにすごく遠目で見た写真をつけてるけど、そんなんじゃ全然分からないし、僕は写真は載せてないから、あっちは全く知らないはず。

43

リビングにかけてあるカレンダーとにらめっこしていると、母が、

「やっぱりもっと派手になにかしましょうよ。」

ってクスクス笑う。

「そんなんじゃないから。」

僕はそう言って、とうとう明日だなって覚悟を決める、じゃなくてなんだっけ?腹をくくる。

44

当日。病院は近いし電車一本で行ける。夕べ色々悩んだんだけど、食事時は避けて、となると朝ごはんの後か昼ごはんの後かな。母に夕方には帰るって言ってある。ということはやっぱりあんまりバタバタしたくないし、朝の方が落ち付いて会えそうだから、10時くらいにしようと思う。サプライズだから会ってもなんにも言わないで。でもそれって変かな?サプライズって言っても誕生日なのはこっちだし。

45

僕のシナリオだと、ベッドに静かに横になる彼。音もなく病室に入る僕。それまで目を閉じていた彼が何気なく気配を感じて目を開く。そこに僕みたいなひょろい若者が立っている。誰コイツ?彼は不思議に思う。なにしに来たの?誰かと間違えてるんじゃないの?そしたら僕が恥ずかしそうに微笑んで、「僕です。彩飛です。」

46

支度をして階下に行ったら、母はもうどこかへ出かけていなかった。急になにかお見舞いに持って行った方がいいのかな?って思い付いて、でも咄嗟になにがいいのか浮かばない。なぜか花を持って行く気がしない。僕には病院に花を持って行くことは縁起が悪いように思える。変かな?普通なに持って行くのかな?僕はまた自分の部屋に駆け上がって検索してみる。母がいたら聞けるのに、と思って、お見舞いは内緒だってことを思い出した。

47

え、お金?フルーツ?雑誌?全くピンと来ない。お菓子。それならいいかも知れない。ああいう大人の男性はどんなお菓子が好きなんだろう?そしたら奇跡的に前に彼が投稿してた記事を思い出した。すぐに見てみると、コンビニのゼリーとプリンが好きだって書いてある。そうだったっけ?意外と安い物が好きなんだな。あ、でもどこかで太宰治が桃の缶詰の汁が好きだったっていうのを読んで、あの人お坊ちゃんだったのに、意外と貧乏くさいものが好きなんだなって思ったことがある。

48

コンビニのゼリーとプリンを買うのもいいんだけど、どうせならと思って、駅前のケーキ屋さんでご贈答用のプリンの詰め合わせを買った。日持ちするしいいかなと思って。プリンなんてあんまり色気はないな。まあいいか。お店で、おのしつけますか?って聞かれてつい考えもせずに、お見舞いなんですけどって言ったら、立派なのをつけてくれて、たかがプリンなのになんか恥ずかしいなって思ったんだけど、せっかくつけてもらったし、初めて会う人なんだからいいかなって思ってそのままにしておいた。

49

時計を見たら9時半。とうとう敬史さんに会える。意外とシャイになったりドキドキしたりはない。二十歳になったから?そう思ったら逆にドキドキしてきた。変な男心。昨日、彼は新しい投稿をしてた。入院患者は、特に30以上の男性はいつも寂しい、寂しいって言うらしい。そんなに寂しいものなのかな?他にたくさん患者も医者もいるんじゃないのかな?でもそういう人達だけじゃダメなのかな?敬史さんもやっぱり寂しいのかな?でも自分のことは書いてなかった。

50

電車に乗って、降りて少し歩いて病院を目指す。大きなビルで遠くからもよく目出つ。そっちへ向かって歩いている人達もみんな病院へ行くのだと思う。僕は案内図の前に立って神妙に精神科の入院病棟を捜す。見付けてもしばらくそこにたたずんで、なにかを捜す振りをする。メチャナーバス。さすがにそこにいるのも長過ぎて変だと思われるか思われないかギリギリのところで切り上げて、まず総合受付の待合室に座る。大きなソファがたくさん並んで、人がいっぱいいる。なんで僕ここにいるの?ちょっと心構えが必要で。

51

10分くらいたっぷりそこに座って、また神妙に精神科の病棟に向かう。そこは2階で、僕は階段をひとつひとつ意識して踏みながら進む。大きなドアがあって、「お見舞いの方はこのブザーを鳴らしてください。」とか書いてある。なんか意外な展開。恐る恐るブザーを鳴らす。見舞客が来る度に誰かがドアを開けてくれるのかな?それって大変な労働力だなって考えてたら、ドアが開いて立派な制服を着た警備員が重たい鉄の扉を開けてくれた。

52

入ってすぐナースステーションがあって、でも人はまばらで、みんな僕には背を向けてるからどうしていいのか分からなくて、しばらくバカみたいに突っ立っていた。そしたら大勢の声や笑い声がしてとてもうるさい。ナースステーションの隣が多分患者の娯楽室みたいになってて、大きなテレビがあって、その中でも1番うるさいのがいて、髪は肩くらいまであってウエーブがいい感じで無精ヒゲで、僕は嫌いな感じじゃなかったけど、とにかく賑やか。その人すごい人気者みたいで、みんなその人を中心にテレビについて喋ったり笑ったりしてて、その男の両側にはもっと若い男達がピッタリくっついてて、時々耳になにか囁いて、またその男がゲラゲラ笑って。精神科の病棟ってこんなに明るいものなの?

53

やっとナースのひとりが僕に気が付いて、僕はやっと、

「あの、高山敬史さんのお見舞いに来たんですけど、病室はどちらですか?」

「なんだ高山さんだったらそこにいるよ。」

そのナース、男性で、僕がビックリするくらいのでっかい声で、

「敬史さーん!」

って叫んだのに、その瞬間になにがあったか知らないけど、その1番賑やかな髪の長い男を中心に全員がゲラゲラ笑い出して、せっかくナースが呼んでくれたのに、どの人が敬史さんなのか全然分からない。

54

笑い声がひと休みしたチャンスに看護師さんは、もう1度。

「敬史さーん!」

と叫ぶ。そしたらその中の数人が僕の方を見て、でも髪の長い男は両側にいる若い男達といちゃついている。若い男の片方が気付いて、呼んでるよ、みたいに1番賑やかな男を押して、そしたら彼はナースステーションまで来て、

「なに?なんの用?」

「敬史さん、お客さん。」

俺はそれが彼だと知って完璧に固まる。全然予想と違う。

「え、誰?誰のこと?」

僕のことが全然目に入ってない。そこにいるの僕だけなのに。なんかさっき若いのといちゃついてたのも思い出してなんかムッとしてきて、黙ってたけど、ここまで来ちゃったらこれで帰ることもできないし。

「僕、彩飛です。」

55

敬史さんは自分の病室に僕を連れて行く。僕は持って来たお見舞いを手渡す。彼はそれをビリビリ破いて、

「ヤッター!プリンだ。ありがとう。今一緒に食べる?」

「冷やした方が美味しいですよ。」

「じゃあこれふたつフリーザーに入れとこう。」

彼は僕を置いて走ってどこかへ消えてしまう。会って初めての会話がプリンか。まあいいか。なんだか乱れたままのベッド。部屋は4人部屋。敬史さん以外の3人はベッドで静かにしている。そのうちのひとりと目が合って、僕は軽く会釈する。

56

敬史さんは少しして帰って来て、

「今朝急に躁転して。」

「躁転?」

「ウツだったのが急に躁になること。俺ウツが長かったから新薬の実験台みたいになってて、それが効き過ぎた。よく効く薬だ。いきなり真ん中を通り越してハイになった。今朝からずっと笑いが止まらない。悪いな。」

ほんとになにもないのにずっと笑っている。僕もつられて笑ってしまって、

「ずっとウツでいられるよりはいいと思います。」

「そうか?よかった。」

と言ってまた笑っている。僕の思ったシナリオと全然違う。

57

「あ、そうだ!君誕生日じゃない。おめでとう!」

「ありがとうございます。」

「今日はなにすんの?バーに行くの?」

「家でケーキ食べて、そのくらいです。」

「なんだ。プリンもういいかな?」

「まだだと思いますよ。」

「なんだ、そうか。」

とにかく落ち着きがない。

「あの短編よくできてた。1番危険な男。あの最後に出て来る紳士って俺のこと?」

そう聞いてひとりで笑っている。

「さあそれは分かりませんけど。あの・・・敬史さんあんまりイメージと違うから。」

「それは悪かった。そのうちまたもとに戻るから。」

「そうなんですか?」

「普通そうだから。上がったらあとは下がるだけ。どんなイメージだと思ってた?」

「ええと、ベッドに横たわって目を閉じて。」

「ふーん。」

「そして僕が病室に音もなく入って、そしたら敬史さん静かに目を開けて。」

「いいな、それ今やってあげようか?」

彼は横になって目を閉じる。でも顔が笑っている。

「ダメです、それじゃあ。顔が笑ってるもん。」

58

誰かが病室に入って来て、

「敬史。」

と呼ぶ。さっき敬史さんの隣で彼といちゃついてた若い男性。

「こらっ、入って来るな。」

犬でも追い払うみたいなジェスチャー。ちょっと可哀そう。

「いいんですか?」

彼はそれには答えずに、

「プリン、もういいだろう?」

彼はまた走ってフリーザーからプリンを出して戻って来る。

59

ふたりで食べながら、

「やっぱり高級なのは美味しいな。」

「ほんと。」

「君の誕生日なにかあげようかって思ったけど、こっから出られないし。」

「すごく警備が厳しいからビックリした。」

「逃げるヤツがいるから。」

「そうなんですか?」

「俺も2度やった。でもすぐ見付かった。」

「どうして逃げるんですか?」

「ハイの時は遊びに行きたいから。ウツの時は死にたいから。」

僕はしばらくなんて言っていいか分からない。

「今日は嬉しかった。外から誰かが訪ねてくれるってもうあんまりないから。家族や友達はもう入院も珍しくないから、あんまり来てくれない。」

60

その時今までの敬史さんに対する思いが募って、

「僕、貴方の書く物すごく好きです。」

「俺も君の書くのは好きだよ。」

「あの、どういうとこが?」

「純真で。文章も上手い。」

「ほんとに会えるとは思ってませんでした。」

彼はなにが可笑しいんだか笑い出して、笑ったらなかなか止まらない。僕が不思議そうな顔してるから、

「今、床を黒い犬が走り回ってて、それは今朝からずっとだけど。そしたらその犬がそこでこけて。」

「どこにいるんですか?」

「俺の目にしか見えない。」

彼はほんの少し真面目な口調になって、そして僕は、

「あの、僕のこと予想と違ってガッカリしませんでした?」

「それはないよ。背が高くてビックリした。」

「それね。イヤなんですよ。」

「贅沢だな。」

彼はゲラゲラ笑う。

「俺も背は高い方だけど、君の方がずっと高いよ。」

「あとは?なにか思いました?僕のこと見て。」

「品がいい感じ。」

「それ言われたことない。」

「育ちがいい感じ。」

「それから?」

「可愛い。」

「可愛いですか?僕?」

「うん。そうやって俺の目を見て、でもすぐまた目をそらすとこ。」

「それが可愛いんですか?」

「それやられると、もっと君の注意を引きたくなる。」

61

さっきの若い男がまたドアから首を出す。僕は、

「もう帰ります。」

「いいよ。もう少しいれば?」

「誕生日だし。」

とは言ったけど、これからなにか特別なことをするわけでもない。遠慮しちゃう僕の性格。

「おめでとう。二十歳だもんな。バーに行きたいんなら俺と行こう。」

「いつ?」

「ここを出たら。」

それはいつか?って聞こうと思ったけど、きっと本人も知らないんだろうなって思ったから止めにした。

62

廊下に出ると、さっきの若者がいて、多分年は僕と同じくらいかもっと上。僕とどっちが可愛いか知らないけど可愛い顔をしている。僕が部屋を出て彼が入れ替わりで部屋に入るんだと思ってたらそうじゃなくて、なぜか僕のあとについて来る。そして後ろから僕に声をかける。僕は立ち止まる。彼は最初僕の顔を少し挑戦的に見て、それから思い詰めたように下を見て、

「今朝、敬史が躁転して初めて声かけてもらって。今までずっとあの人のこと見てて・・・だから。」

なんでそんなこと僕に言うんだろう?ってムカついて僕はちょっと意地悪っぽく、

「だから?」

「貴方みたいな人がいるのはしょうがないけど、俺が敬史といる時間もください。」

バカバカしいからソイツの顔睨んで帰ろうと思ったけど、考えてみたら同じ病院に入院してるヤツの方がずっとチャンスが多い。っていうか比べ物にならないくらい。こないだから時々ブティックの仕事してる時に現れる、もうひとりの僕の強い性格の方が出て来て、

「名前なんて言うんですか?」

ぶっきらぼうに、悪ぶって聞いてやった。

「永光。貴方は?」

名乗る義理ないと思ったけど、

「彩飛。」

そう答えて警備員さんのいるドアから出た。永光はここから出られない。閉じ込められてて。でもだからヤツは敬史さんと一緒にいられる。同じ鳥籠の中で。

63

母の作ったバースデイケーキ。スポンジがしっとりしてて、僕はお店で買う高いケーキよりいつもこっちの方が好きだった。父もいつもより早く帰って来てくれた。帰ってすぐパソコンを開けて仕事の続きを始めたけど。父は就職の人気ランキングに入るような大企業の部長で、母とは職場結婚。両親は今でも愛し合っている。どうして僕みたいな勉強嫌いな子供ができたのか分からない。こんなに背が高いのも僕だけ。親戚にもいない。母はお嬢様で、結婚退職。だから敬史さんの言う、育ちがいいっていうのは当ってるかもしれない。父は僕のためにピンク色のスパークリングワインを買って来てくれた。ビックリしてたら、二十歳だからって微笑んでくれた。

64

食事が終わってケーキも食べて、いつもみたいに僕は後片付けを手伝って。自分の部屋に上がったら、敬史さんに初めて会ったことより、あの永光とかいうヤツに頭に来てる方が大きくて、ずっとアイツのことを考えてしまう。普通あんなこと言わないよな?なんだっけ?俺と敬史のいる時間もください?知ったこっちゃないよな。僕なんて今日初めて会ったのに。ヤツはそのこと知らないんだろうな。じゃあ僕のことなんだと思ったんだろう?敬史さんの彼氏?恋人?僕達一緒にいるところを見たら、そこまで親しくないの分かるはずなんだけど。バカなの?段々腹が立ってきた。

65

こういう時、なにすればいいの?ゲームに熱中して忘れる。ポエムを書いて忘れる。しかしここまで腹が立つとポエムなんか書けるかどうか分からない。そしたらあの時ナースステーションの隣のテレビのある部屋で、永光が敬史さんといちゃついてたの思い出して余計悔しくなって、そしたらあの時、永光が敬史さんの耳にコソコソなにか囁いてたのも思い出した。なにを言ってたんだろう?敬史さんはそれを聞いて笑ってた。敬史さんの投稿をチェックしてみた。なにもない。ハイの時って創造性が増すのかな?それとも逆なのかな?他の人のも色々チェックしているうちに、僕もなにか書いてみたくなった。頭にきた男のことをポエムに書いてみる?いいかも。

66

「二十歳になったお祝いに、

めかし込んで、危険な男に会いに行った。

初めて会った彼は意外と朗らかで、


それはいいんだけど、


一緒にプリン食べて、さよならした後に、

若い男が寄って来て、俺が先だからって。

こっちは二十歳の記念だったのに、


それはいいんだけど、


っていうか、よくないんだけど、それって順番の問題?


せっかくの二十歳の誕生日に、

朗らかな危険な男はどうでもいいけど、

そっちの男に腹が立つ。」

67

変かな?ポエムっていうよりそのまんまだけど。まあいいや。投稿したらきっと気が晴れる。思い切って放り込んだ。当然というか、実はそこまで予測はしてなかったけど、敬史さんから速攻でメールが来た。

「俺はどうでもいいんだ。」

「あ、あれは言葉の綾で。」

「なにあれ、永光のこと?なんて言われたの?」

「いいです。もう。あれ書いたら少し忘れられました。」

「忘れられないようなこと言われたの?」

考えてみたら、永光、初めて敬史さんから声かけられて、ずっと好きだったみたいなこと言ってたよな。でも敬史さん本人にどこまで告ってるか分かんないし。僕からはなにも言いたくない。関係ないし。適当に誤魔化して、さようならを言ったら、誕生日おめでとうってまた言ってくれた。それは嬉しかった。

68

次の日敬史さんの投稿を読んだ。

「この間の映画を捜してくれた人がいて、全部じゃないけどその映画を観た。フランス語だから分からないんだけど、ストーリーは覚えてるから。原題は、「Si c'était à refaire 」。

観ているとやっぱり刑務所は私達の病棟によく似ている。鉄のドアの向こうに警備員の立ってるのも同じ。

違うのは私達には刑期がない。いつ出られるか分からない。」

69

こないだあんなに賑やかに楽しそうにしてたのに。書くことが少し暗い。またウツになったのかな?心配になってメールを出した。

「映画見付かったんですね。」

「君のお陰で原題が分かったから。観るの怖かったんだけど、そうでもなかった。全部観たわけじゃないけど。ハッピーエンドなのは分かってるから。」

「よかったですね。」

「カトリーヌ・ドヌーヴが出所して、獄中で生んだ子供に会うシーン、まるで君がここに訪ねて来た時みたいだった。」

「じゃあ僕は敬史さんの希望ですか?主人公は希望が欲しくて子供を作ったんでしたね?」

「その通り。」

そんな風に僕のこと考えてくれるのはとても嬉しい。

「気分はどうですか?」

「少し落ち着いた。」

少し落ち着いたってどのくらい落ち着いたことを言うんだろう?

「永光は?」

なんであんなヤツのこと聞いたんだろう?どうでもいいと思ってんのに。ほんとは気になってる?多分。

「アイツね。」

「あの人、どんな病気なんですか?別に興味ないですけど。」

「アレは統合失調症で、俺と恋愛してると思い込んでる。」

「マジで?」

「恋愛妄想って言うんだそうだ。」

「え、じゃあヤっちゃったんですか?」

僕なんでそんなこと聞くの?

「まだ高校生だぞ。」

「そうなの?年上かと思った。」

「苦労してるんだろ。さっきも覗きに来たから寝た振りしといた。」

70

高校生なんだ。僕、高校生と張り合ってんだ。なんとかもう一度お見舞いに行きたいな。少し間を置いた方がいいのかな?僕は職場でずっとそのことを考えていた。高校生は敬史さんと同じ病棟で会いたい時にすぐ会える。腹が立つ。このところずっと自分の押しの強い部分が露呈してきて、店長はハッピー。また面倒な客がやって来た。なんでいっつも僕なの?他にもたくさんスタッフがいるし、レジだってあんなに暇なのに。

71

「申し訳ないですけども、レシートがないと返品はできません。」

「だってお宅の服だし、タグもついてるし。」

そのTシャツ、オンラインでしか手に入らないの僕は知ってる。オンラインで返品すんの面倒だから、そういうお客さんが来る。

「それでは商品の交換ということでいかがでしょうか?」

「でもさっき見たけどあんまり欲しいのないし。」

そいつチャラい大学生っぽいヤツで、まあチャラいのは僕もそうだけど、なんとなくイメージがあの高校生に似てるような気がする。ヘアスタイルとか。イヤなヤツ。でもなんで僕彼がそんなに嫌いなのかな?まだ高校生なのに入院してて、可哀そうな子じゃない?

「奥のセールはご覧になりましたか?Tシャツだったらたくさんありますよ。その値段だったら3つくらい買えますし、そしたら当分Tシャツのこと考えなくて済みますし。」

あとで店長が、今度本部から人が来たら、僕のことを昇格させてくれるように頼むって。だけど僕、正直言ってこの性格、いつまで続くか分からない。

72

色々考えてまたポエムにバーに行くということを書こうと思った。これは作戦で、そういうことを書けば敬史さんはきっとそんな所に行くより俺に会いに来い、とか言うはず。でもどうする?もし言われなかったら?じゃあ、ほんとに行って来たという話しを書くことにしよう。

73

「高校の時、

好きになった人も、好きになってくれた人もいたけど、

大事には至らなくて、


そのあとも、

好きになった人も、好きになってくれた人もいたけど、

やっぱり大事に至らなくて、


このまま童貞で死ぬよりはいいかなって、

怪しいバーに行くことに決めた。

もう大人だし。好きなことしたっていいし。


なに着て行けばいいの?なん時頃行けばいいの?

サッパリ分からない。だから、今日、

まず偵察に行くことに決めた。


怪しい、男だけのバー。

僕の調査では、そこが2番目にトレンディーで、

2番目というところが僕は気に入っていた。


仕事の帰り、仕事の帰りを装って、ていうか、

ほんとに仕事の帰りなんだけど、

バーの前をゆっくり横切って中をチラって見た。


普通の大学生っぽいカッコもあったし、

派手目のチャラいカッコもあったし、

露出度の高いカッコもあったし。


それが金曜日の9時頃で、

そんなに混んでなかったから、

行くならもっと遅い方がいいかな。


(つづく)」

74

敬史さんからはなにも言ってこなくて、それはちょっと珍しくて、考えてんのかな?いつかバーに行きたいなら一緒に行ってやるって言ってたな。でも実際入院してるんだから無理だし。バーの前を横切って中見たなんて、実はただの創作だし。5回も6回もメールチェックしちゃって、そのメルアドは使ってなかったヤツだから、メールくれるのは敬史さんだで、そしたら7回目にチェックした時、彼から来ていた。

75

「今度いつ見舞いに来れる?」

え、最初からその質問?

「具合はどうですか?」

「上がったり下がったりで忙しい。」

「忙しいんだったら、会わない方がいいですか?」

「その忙しいじゃなくて、俺の気分が忙しいだけだから。」

あの病院、近いから行くのは全然大丈夫なんだけど、着て行く物考えんのはちょっと大変だけど。僕ファッション好きだから、どうしても着る物を先に考えちゃう。こないだのは少し明るめだったから、今度のは渋い方がいいかな?アクセサリーとか凝ったりして。スカーフとか。まだ暑いからダメか?

「僕はいつでもいいですよ。」

「こないだのあの位の時間。」

「分かりました。」

「ポエムよかった。」

やっとソレ言ってくれた。でもアレ、ポエムっていうより、ただのそのままだよな。創作ではあるけど。

「なにか買って行きますか?」

「じゃあ今度はゼリー。コンビニのでいいから。」

「分かりました。なにゼリーですか?」

「じゃあコーヒーゼリー。」

「どんなのがいいんですか?」

「極普通の。」

「了解です。」

敬史さんっていい大人なのに、ゼリーとか好きで可愛いんだよな。

76

行く日とか、ハッキリした時間も全然決めないところが敬史さんっぽい。僕はどうせ行くなら今度はゆっくりしたいと思って、休みの日に行くことにした。それはあさって。今日普通に仕事してたら、いきなり店長に呼ばれて、本部から来た人に紹介された。その人は僕の見たことない人で、女性でやや怖い感じの人。きっと大学とか出てて、そのうちもっと出世しそうなタイプ。知らないけど。すぐ面談みたいになって、僕は事前の準備もできてないから大変だったんだけど、これはだけは前から考えてた作戦で、もしこんなことがあったら、あの永光のバカのことを考える。そうすると腹が立って、ハキハキものが言える。作戦は上手くいったと思う。

77

病院に行く日。僕は考えて、病院の中にあるコンビニじゃなくて、病院の外にある違うコンビニでそれを買った。きっと病院のは食べ飽きてる。極普通のコーヒーゼリー。それは昔からある、クリームがついてるヤツで、それを上からかけて食べる。それを4つ買った。よく冷えてる。今度はこの前みたいに案内図の前で永遠に立ち尽くしたり、用もないのに待合室に腰掛けたりすることなく、精神科の病棟に着くことができた。この間と同じ朝の10時。鉄の扉の前に立つ。これだけはどうしても怖いな。ブザーを鳴らすと警備員が開けてくれるんだけど、確かに敬史さんが言うみたいに刑務所みたい。

78

ブザーを鳴らして、そしてドアが開く。その途端、中から出て来た誰かに強く突き飛ばされて僕は尻もちをつく。その誰かはそのまますごい速さで走って行く。警備員の叫び声がする。

「君!」

そして彼を追いかける。階段を駆け降りる時その人の横顔が見えた。永光?僕はビックリしてなぜか気になって警備員のあとから追いかける。永光は走るのが速い。陸上部なのかな?そんなことを考えながら僕は走る。病院の入口で外にいた2人の警備員に捕まり、あとから追いかけていた警備員と3人に捕まって、さすがにそれ以上逃げられない。永光は病院中に聞こえるくらいの声で叫び出して、暴れて、しまいに泣き出して。僕は側で見てて、こんなに逃げたかったんだって、可哀相になったっていうか、なんでそうしたのか、よく自分の気持ちは分からないんだけど、自然に手を差し伸べて、嫌いな筈の永光の手を握る。

79

永光は僕のことは分かったみたいで、暴れるのは止めたけどまだ泣いてて、僕は、

「帰ろう。」

ってひとこと言って、ふたりで歩いて病棟に向かった。僕達の後ろから警備員が3人ついて来る。鉄のドアの所で、彼は中に入るのをためらったけど、僕がバカみたいにずっと握りしめていた袋に入ったコーヒーゼリーを見せて、

「一緒に食べよう。」

そしたら少し落ち着いたみたいで、僕達は一緒に病棟に入った。すぐ敬史さんの顔が見えた。精神科医みたいな人やたくさんの看護師さんが待ち構えてて、僕は、まだ高校生で陸上部にだって行きたいだろうに、ってほんとに陸上部かどうかは知らないけどそう思って、

「これ食べてからでいいですか?」

周りのスタッフに言って、僕は永光のためにゼリーの上にクリームを出してあげて、それから敬史さんにもひとつ渡して、僕と3人でコーヒーゼリーを食べた。大勢見てる中でそれは変だったけど。

80

永光はもう泣いてなくて、ドクターと一緒にどこかへ行ってしまった。敬史さんは、

「ゼリー美味しかった。いつものと違ってよかった。」

やっぱり違うコンビニで買って正解。僕が、

「永光、可哀相。どうなるのかな?」

と言うと、彼は落ち着き払って、

「しょっちゅうあるからあんなこと。」

「そうなんですか?さっき大分泣いてましたよ。」

僕達は彼の病室に行った。こないだは晴天だったけど今日は曇りで、なんとなく前の時より病院くさい臭いがした。ふたりで彼のベッドに座った。

「俺は病院の外まで行けた。計画犯罪。」

「そしてどうなったんですか?」

「金は少し持ってたから服を買ったりして。知能犯だから。」

「どうしてそんなこと?」

「死にたかっただけ。ここにいると死ねない。」

「いつ?」

「ついこの間。」

「僕にメールくれる前?」

「そうだな。あの後なにか希望が欲しくなって、投稿を始めて。」

数カ月前だな。敬史さんが投稿始めたの。僕はさっきの永光の必死さを思い出してなんだか怖くなる。

「僕がここに来ると希望になりますか?」

彼は黙って僕の手を握る。僕は急だったからビックリして、ほとんど飛び上がってしまう。

81

敬史さんの顔を見ると、思いっ切り微笑んで僕のことを面白そうに見ている。

「君、ほんとに童貞なんだな。」

だって。失礼しちゃう。

「敬史さん、まだハイなんですか?」

「ちょっとな。」

「そんな感じですよね。」

彼は僕の手を離さない。僕もじっと握られたまま。彼は今度は僕の顔を見ずに、

「金曜日の夜遅くに行くの?」

僕はさっき童貞扱いされて、っていうかそれほんとだけど、ややお怒りだったので、あれはただの創作だって言わずに、

「はい。10時過ぎくらいに行こうかなって。」

「2番目にトレンディーってどこ?俺、大抵のとこは知ってるぞ。」

どこかは知らないんで、その辺は上手く誤魔化して、話しをそらす。

「永光、なんで逃げたんでしょう?」

「統合失調症のヤツ等には閉じ込められてるだけでストレスだから。俺なんてかえって安心だぞ。死にたい時に死ねないし。」

82

敬史さんて髪は長いし、顔は男らしいし、身体も男らしいし、それなのになぜか僕にとって印象が薄い。姿が覚えられない。覚えてるんだけど実感がわかない。病気のせい?そうかも知れない。その夜の彼の投稿は今までの中で一番暗かった。

83

「私が投稿を始める少し前というか、それが投稿を始めるきっかけになったのだけど、私は意を決して病院から脱走することにした。


死にたい一心で、病院にいたら死ねないし。今にしたらよく考えられた脱走計画だったけど、当然ここには書けない。


梅雨時で、3日間娑婆にいた間中雨が降っていた。3日目、貯めていた小銭も底をつき、私は大昔別れた男の所へ金を借りに行った。


彼は小さなバーを経営している。金はすぐ貸してくれて、出て行こうとする私を、少し飲んで行けと彼は引き止めた。


酔いが回った頃、ふたりの警察官が入って来て、私は病院に戻された。地元が同じ彼は私の親に電話したそうだ。


なぜ?と聞くと彼は、「死相が出ていた。」


それ以来、鏡を見る度にその言葉を思い出す。「死相」。」

84

死相、って怖い言葉だな。だから敬史さんの姿を僕は覚えられないのだろうか?彼は生と死の真ん中くらいに存在している。なんとなく彼の手の感触を思い出す。それはしっかり存在する人の手だった。彼の投稿を見て、僕はどうしても彼に会いたくなった。今行っても着いた頃にはもう面会時間が終わっている。メールをしたらすぐ返事をくれるだろうか?

85

「敬史さんの投稿読みました。いい文章ですけど、内容は怖いです。」

返事を待っている間、僕は落ち着かなくて、ケータイをポケットに入れたまま、階段を下りてキッチンに行って意味もなく冷蔵庫を開けた。まだ起きていた母が、

「お腹空いた?」

って、明るく声かけてきて、僕は、

「急に変な物が食べたくなって。」

「なに?」

「コーヒーゼリー。ちょっとコンビニ行って来る。」

86

ここは商店もない住宅地なんだけど、コンビニだけは5分の距離にある。そのコンビニは敬史さんの病院の中にあるのと同じので、僕は普通のと普通じゃないファンシーなのと両方買ってみた。店の外に出て、コンビニの明かりでケータイをチェックした。まだメールは来ない。気持ちが落ち着かなくて僕は通りをゆっくり歩いた。今家に帰ったらまたさっきみたいにもっと落ち着かなくなるだろう。帰ったら母がいて、彼女の分も買って来ればよかったと思った。そう言うと、

「もう歯を磨いちゃったから。」

とクスって笑って、寝室へ入って行った。

87

僕はどうしようかと思ったけど、やっぱり普通のヤツを食べることにした。いつも敬史さんが食べているコーヒーゼリー。こないだ食べたのよりちょっと苦みがきつい。恋の味?って思ったら自分で笑ってしまった。その時メールが来た。

「怖がらせてゴメン。でもさっきのはほとんど創作だから。」

「そうなんですか?」

「ドラマティックにしたくて。」

「どこまでがほんとなんですか?」

「最期に幼なじみに会いたくて訪ねて行った。」

「バーとかじゃないんだ。」

「そうじゃない。」

「警察官が来たのは?」

「ほんとは救急車が来た。警察の方がドラマティックかなと思って。」

「あんまり変わらない。早くよくなって、僕とデートしましょう。」

そう書いて焦って消そうと思ったけど、当然もう間に合わない。

88

しょうがないから、急いで次のメールを書いた。

「死相が出てたっていうのは?」

「アレは創作。」

「よかった。そこが一番怖かった。」

「幼なじみに会ったら涙が止まらなくなって、それで一部始終を話した。」

「無事でよかったですよ。」

「まあな。」

あんまり反省してるようではない。

「永光が君にありがとうって。」

「どうしてますか?」

「大丈夫みたい。」

「よかった。」

そんな感じで会話が終わって、僕はさっきのデートしましょう、というのがどのくらい彼の心に届いたのかなって、そのあとずっと考えてて、それからベッドに入っても考えてて、そしたらいつの間にか寝てしまった。

89

こないだの本部から来た女性との面談が奇跡的に上手くいって、僕はマネージャー候補みたいな中途半端なんだけどそういう位置について、給料も少し上がった。いいことは、好きじゃない接客が減って、ストックルームにいることが多くなって、でもその代わりスタッフに指示することも多くなって、それはストレスになった。もともと気が小さいから他の人にああしろこうしろと指図するのが苦手。永光に嫉妬してた頃の僕の別の人格はやや影を潜めつつあった。彼の脱走事件以来、可哀そうって思う方が先に来て。どうしてるんだろう?なんて心配したりして。なにか他に腹の立つネタを捜さないと。

90

数日後、突然僕はなにかを思い付いた。ポエムとか短編小説とかにゴタゴタ書いてないで、ほんとに行こう。怪しいバーに。僕はそのアイディアに夢中になった。そして考えた。それほど僕にとってバーに行くということが非現実なことであったんだなって。ほんとに実際に行ってみようとは思ってなかった。分かんない。思ってたのかも知れないけど、それを文章にすることの方が大事になってしまった。っていうか、ほんとはそれで逃げていたのかも知れない、僕の冒険。二十歳の。なにか腹の立つことを見付けて、それを仕事に活かそう。いつものように形から入る。僕が仕事終わってもバタバタ試着室にいるんでまた店長が寄って来た。

91

「今度はなんなの?」

「あ、それはちょっと。」

「俺には内緒なの?」

「まあ。」

「どこに行くのか知らないと服選ぶの手伝ってあげられないよ。」

店長服選ぶのプロだし、いつも選んでもらって、それいつも正解だし、その申し出を断るのがすごく惜しくなった。

「実は。」

「なに?」

「バーに行こうと思って。」

「バー?」

「ひとりで。冒険。」

「ふーん、ってことはゲイバー?」

「まあ。」

「いつ行くの?」

店長にさり気なく上手に聞き出されて、結局みんな言ってしまった。

「二十歳の記念に。」

「彩飛、お酒飲めないだろ?」

「ですけど、それじゃあバーに行っちゃいけないんですか?」

「ひとりで行ってジュース頼んだら可笑しいぞ。」

そこまでは考えてなかった。お酒頼んで飲まないとか?それも変だよな。そしたら店長、

「俺が一緒に行く。」

「マジですか?」

「そんなにひとりで冒険したいなら別だけど。」

「最初は練習が必要かも。」

「じゃあ決まったな。」

92

店長は僕に意外とトラディショナルなシャツとパンツを選んでくれた。僕はそれをハンガーにかけて自分の部屋にディスプレイしてみた。これを着てバーのカウンターに座る。そうだ店長に絶対カウンターだって言っとかないと。大事なこと。カウンターじゃないと詩にならない。僕が思うに。店長にいつもどこのバーに行くのか聞いた。そして僕は思い付いて、

「じゃあ、店長が行ったことのない所にしましょう。その方が緊張感が出るし。」

「なるほど。いいかも。」

ふたりで休憩時間にこっそり場所を決めた。それは店長の行ったことない場所で、それは新しくできたばかりだからで、場所もあんまりゲイバーとかのない地域。僕のポエムによるとそれは金曜日の夜。10時過ぎ。

93

金曜日。店長と軽く食事して僕達はそのバーに向かった。「バー・グリーンマーブル」。僕はカッコからも入るけど、言葉からも入るから、その意味を考える。僕にとってマーブル、大理石って建築材料じゃなくって彫像のこと。ミケランジェロが使った白い大理石。でもグリーンなんだよな。僕達は少し迷って、それはそのバーが住宅地に限りなく近い所にあるからで、店長は慣れた素振りでバーの中に入って行く。僕は緊張気味に入って行く。もしこれがひとりだったら。そう考えると恐ろしい。

94

店長にしっかり頼んであったように、僕達はカウンターに座る。すぐにテーブルが目に入る。グリーンのマーブル。僕は店長と一緒ならいいやって思って、観光客みたいに店の中をキョロキョロする。ここはビックリするほど年齢層が高い。他の所を知らないけど。そう思う。僕達が浮いている。店長は店長だけど、僕より5つしか上じゃない。

95

バーテンダーさんになに飲みますか?って聞かれて、僕はそれ考えるの忘れてて、そしたら誕生日に父が買って来てくれたピンクのスパークリングワインを思い出して、バーテンダーさんじゃなくて店長にそんなようなの、って言って店長が頼んでくれた。それは淡いピンクのワインだった。泡はなかった。店長はビールを飲みながら店の人と話しをしている。その人はバーテンダーじゃなくて、多分店の経営者の人。彼はそういう人とでも対等に話しをして、なんかすごくカッコいいなって僕は思った。

96

気が付いたら店長の選んでくれた僕のシャツ、グレーにグリーンのストライプ。暗い照明の下で少し光る感じの素材。それを予測してたの?だったらすごい。僕達、服を先に決めて、それからこのバーに決めたから。店は年齢層が高いだけあって騒いでいる人なんかいなくて、大人の雰囲気。音楽はジャズでそれも渋い感じのジャズ。僕そういう音楽詳しくないけど、昔のじゃないかな?60年代とかそのくらい。店長はますますその経営者みたいな人と話し込んでて、ついにふたりは名前を教え合ったりなんだり。僕は店長の名前知ってるけど、使ったことがないから、変な感じがする。勇理。それが彼の名前。

97

僕が店長って話しかけたら、こんなところでそれ言うな。勇理って呼べって言われた。でもなんだか気恥ずかしい。そのうち僕も少し酔ってきて、そんなことどうでもよくなって、僕は店長のこと勇理さんって呼び始めた。その経営者の人も忙しそうにどこかへ行ってしまって、勇理はビールを空けてまたオーダーして、僕のはまだグラスに半分くらい残っている。話す人がいなくなって彼は静かに飲みながら、チラって僕の方を見て、それから気付いたらもっと僕の方を見てて、カウンターの反対側に座ってるカップルがあからさまに舌の入ったキスを始めて、僕はなんだか吸い付けられるようにそのふたりを見てて、勇理は僕のことを彼の方に向かせて、僕の唇に素早いキスをした。

98

それが今夜の一番の冒険で、家に帰ってからも少しボーっとして、あれは彼が酔ってたからで特に理由はなかったんだよな、って思おうとして、でもそれも難しくて、僕はそういう時いつもやるみたいに、それをチャラいポエムにすることにした。

99

「あんまり側にい過ぎた人。

だから気付かなくて、

気付いたら、

ヤバい視線でヤバいキス。


いつも行かない片隅のバー。

彼はビールを飲んでて、

僕はピンクのワイン。

いつも大人と子供みたいで。


あんまり側にい過ぎた人。

いつも尊敬してた人、

気付いたら、

僕のテリトリーに入って来て。


どうなんの?

捧げる相手が決まってた、僕の童貞。」

100

投稿したらもう夜中の2時で、さすがに敬史さんからすぐにはメールは来ないだろう、と思って僕はサッサと寝た。投稿したらもう頭の混乱も大分スッキリした。

101

朝起きたら敬史さんから、

「!!!???」

というメールが来ていた。僕は返事を出した。

「おはようございます。」

「なになに?捧げる相手が決まってたって俺のこと?」

その調子、敬史さんまだハイなのかな?

「そうかも知れません。」

「誰?その側にい過ぎた人って?」

「それは内緒です。」

「その人に君の童貞を捧げるの?」

「まだ決めてません。」

僕はあることを思い付いた。

「敬史さんが病院出るまで待てないかも知れません。」

「え、じゃあ俺ドクターにかけ合って明日退院させてもらうから。」

「いくらなんでもそれは無理でしょう?じゃあこうしましょう。今月いっぱい待ってますから。」

「今月ってあと3日じゃない?」

「じゃあ来月いっぱい。」

「分かった。」

「もうファーストキスは捧げちゃったから。」

そしたらまたこのメール。

「!!!???」

102

僕は土曜日がお休みで、日曜日は店長がお休みで、僕達は月曜日に会った。僕はこないだのポエムを書いてもうスッキリしてたんで、彼の方が仕事しながら時々俺のことをチラって気にしてる風に見ていた。仕事を始めた時間が同じで、だから休憩の時間も同じで、僕はランチルームの彼の座ってる隣に腰を下ろして、買って来たバニラシェイクをストローでズルズル飲み始めた。店長は、

「君は気楽でいいな。」

「こないだは一緒に行ってくれて助かりました。」

「他に言うことはないの?」

「なんのことですか?」

「もういいや。」

ため息をつきながら彼は席を立った。僕、しらばっくれちゃって悪いことしたかな?確かに彼がしてくれた素早いキス、すごくドキドキしたんだけど、僕には童貞を捧げる相手がいるし。

103

その1週間後、僕は敬史さんがどうしてるかチェックしにお見舞いに行くことにした。完全なサプライズ。鉄の扉が開いて僕は病棟の中に入る。テレビの音は聞こえるけど、観ている人はあんまりいない。敬史さんの部屋を遠くから見てみると、彼はベッドの上で大きめのPCをのぞき込んでなにか難しい顔をしている。僕は静かに部屋に入って行く。彼は僕に気が付いて、サッとPCの蓋を閉めて、脇の方へどける。

「邪魔しました?」

「いや。」

「なにしてたんですか?」

「そろそろ仕事に戻らないと。休職中だから。」

へー、敬史さんってちゃんと仕事があったんだ。意外。なんの仕事してるのか聞きたかったけど、あんまり好奇心丸出しでもって遠慮した。彼がなにしてる人なのか全然想像できない。俺の知ってる彼は投稿する文章が上手くて、そして双極性障害で入院してる、それだけ。あ、それからプリンとゼリーが好き。彼は小声になって、

「君さ、ほんとに俺が退院したら童貞を捧げてくれるの?」

「今月いっぱいですから。」

「期限付きか。」

彼はため息をつく。僕って最近ふたりの男を手玉に取ってる。そうだこのことをポエムにして投稿しよう。いいアイディア。

104

敬史さんは僕と一緒に中庭に出る。今日は風が強いんだけど、そこは四方が壁で囲まれているから、お日様だけがポカポカして気持ちがいい。ふたりでベンチに座った。彼は俺の顔を覗き込んで、

「あのポエムのバーってなに?どんなバーに行ったの?」

「あー、あれねー。」

「それともあれは創作なの?」

「いいえ、ほんとに行きましたよ。なんか新しいゲイバー。年齢層高くて静かで素敵な所でした。」

「そこでヤバいキスをされたの?」

「あんまり素早くて避けられなくて。」

小鳥が塀の上に乗って僕達に歌を歌ってくれる。そしたら一通り歌い終わったみたいで、また小さな翼をはためかせてどこかへ飛んで行ってしまう。僕は目を閉じる。不思議な感じ。風の音は聞こえるのにここまでは入って来ない。彼が力強い両腕で僕を抱き締めて、こないだのバーのキスみたいじゃなくてもっと長くてもっと上級者のキス。僕は力が抜けて彼の胸の中に倒れる。

105

家に帰ってもさっきの出来事が気になって仕方がない。こんな時僕がやることは、ポエムを書くこと。

106

「思わせぶりに、

ふたりの男を手玉に取って、

ワクワクさせたりジリジリさせたり、

上手くやってるって思ってた。


だけどそのキスは、ルール違反。


思わせぶりに、

大人の男を手玉に取って、

ドキドキさせたりハラハラさせたり、

とっても楽しかったのに。


やっぱり童貞には無理だった?」

107

投稿して忘れようと思って、サッサとぶち込んだ。敬史さんからメール。

「アレのどこがルール違反なの?」

「知りません。」

それはいきなりだったし、あんなに大人のキスに心構えが全然できてなかったから。

「今日ドクターに言った。今月いっぱいで退院するって。」

「え、そしたらなんて?」

「無理だろうけど協力するって。ドクターになんでそんなに早く退院したいのか聞かれて。」

「なんて言ったんですか?」

「好きな人が待ってるからって。でも今月いっぱいで退院できなかったら他に行くって。そしたらドクターが分かった、一緒に頑張ろうだって。」

好きな人、っていいな。純真な響き。あんなにハイだったりウツだったりする人がそんなに簡単に退院できそうにないんだけどな。だけど僕本気だから。それ以上は待てないし。二十歳になったのにいつまでも童貞なのはいやだし。これいいな、これで脅かそう。

「僕せっかく二十歳になったのに、いつまでも童貞なのはいやですから。」

「分かった。今日、会社の方にも退院のめどがついたって連絡したから。」

「すごいですね。」

「自分にプレッシャーをかけようと思って。」

敬史さんてどんな仕事してるんだろう?いまだに見当がつかない。僕は彼がどんな仕事していようがやっぱり好きだけど。

108

新しい仕事も大分慣れてきた。この頃は自分が残業しなくてもみんなに仕事を分配して、自分はとっとと帰る技も身に付いた。今日も定時で帰ろうとしたら店長に呼び止められた。

「あれ、店長まだいたんですか?」

「俺、今日君と同じシフトじゃない。」

「そうでした?じゃあ、お疲れ様です。」

通り過ぎる時、来ていたジャケット引っ張られた。

「金曜だろ?どっか行かない?」

「どこ?」

「違うバーに行こう。」

それは悪くない申し出で、僕考えてたんだけど、どうせ童貞喪失をするんならもっと色んな男を見てからにしようかなって。

「分かりました。」

「え、ほんとうに?」

「なんですか?」

「行くと思ってなかったから。」

109

今夜は店長がよく行くというバーに連れてってもらうことになった。そこは青山の、ファッションメーカーなんかがよくある通りで、こないだの所とは比べ物にならないほど、店も広いし人もいっぱい。女の子も混じってるけど、ファッション業界っぽくてお洒落でそんなに気にならない。テーブルもカウンター席もいっぱいで、僕達は立って飲んでいた。僕はまたチャラいピンクのワイン。店長はビール片手に知り合いと話しをしている。彼はそこに知ってる人が何人もいるみたい。僕は人ゴミの中に知ってる顔を見付けた。去年まで家の店で働いてた男性。僕と同い年。

110

「彩飛さんがこんなとこに来るなんて意外。」

「店長と一緒だから。」

「付き合ってるんですか?」

「そんなんじゃない。僕は下見に。」

彼はクスって笑って、

「なんですか、下見って?」

この彼、可愛くて店でも人気があった。スタッフにも客にも。

「君は今なにしてるの?」

「俺は十分お金貯まったんで、ファッションの学校に行ってます。」

「えー、すごいね。」

「彩飛さん自宅でしょ?楽勝ですよ。」

僕大してもらってないし、って言おうと思ったけど彼だって同じ店で同じ給料だった。僕ってあんまりそういう将来設計ができないのかもしれない。彼に聞いてみた。

「君はもう二十歳になったの?」

「あと一カ月。」

「僕はね色んな男の人を見て、勉強してる。」

「なんの?」

僕はグラス半分のワインで少し酔ってたし、その子よく知ってる子だから、いいやって思って言っちゃった。

「童貞喪失。」

「え、彩飛さんまだだったんですか?」

「ええ、まあ。当てはあるんだけど、いつまでも待ってられないし。」

「なに、その人?なんで待たせんの?」

「入院中。」

「じゃあ待ってあげないと。」

そういうもんかな。でも敬史さんの場合、背中ガンって押さないといつまでも退院できない。分かんないけど。あんまり無理させても可哀そうかな?なんか色々考えているうちに彼は友達とどこかへ行ってしまった。

111

ファッションの学校か。僕も行けたらいいと思うけど、どうしても行きたい、という熱意に欠ける。他にも文章を書いたり好きなことがあるし。そんなことを考えて、僕は店にいる男達を見てはいたんだけど目には入ってなくて、ひとりでボーっと突っ立てる状態で。

「君、ひとりなの?」

我に返ってその人を見ると、年は若くて多分店長くらいで、立派なスーツを着こなしてるイケメン。やっぱりファッション業界の人かなって僕は思う。

「ひとりっていうか、一緒に来た人がどっか行っちゃって。」

「じゃあひとりなんだ。」

「あの、なんですか?」

「なんですか?はないだろ?話しくらいさせてもらったって。」

「すいません。」

「謝らなくてもいいけど。」

その時はほとんどグラスが空になってて、

「なに飲んでたの?」

ってその人聞いてくれて、そのワイン店長がオーダーしてくれたから、厳密になんていう物なのか分からなくて、

「なんか知らないけど、ピンクの物です。」

112

そしたらその人バーに行ってなにか頼んでくれて、僕はまだ空のクラスを持って店の中でボーってしてて、そしたら酔っ払いが寄って来て、名前なんていうんだとか、どこの学校とか面倒くさいこと聞いて来るから無視してて、そしたらその立派なスーツを着てる人が帰って来て、ピンクの液体の入った大きなカクテルグラスを手渡してくれて、僕はビックリして、

「悪いですよ、こんなの。」

「いいよ。」

俺、ファッション業界って出版業界と同じくらい給料安いの知ってたから本気でそう言ったんだけど、でもその人はそんな立派なスーツが着こなせるくらいだから、もしかしたら才能あっていい会社で働いててお金たくさんもらってるのかも知れないと思って、そこまで考えたら、

「なに考えてんの?それ試しに飲んでみて。」

悪いなって思ったんだけど、ちょっぴりだけ飲んでみた。

「美味しい!」

「そうだろ?」

僕はちょっと酔ってたのもあって、それをグイグイいく。甘くてフルーティー、そしてもしかしてヤバく強そうなカクテル。キョロキョロして店長を捜したけどどこにもいない。人のこと誘っといて、きっと友達がいっぱいいて、話すのに忙しいんだろう。

「君の連れってなんで君を置いてどっか行っちゃったの?」

「分かりませんけど、ぼくがいつまでもなびかないから。」

その人は面白そうに笑って、

「君はその人のこと好きなの?」

「いいえ。ほんとは好きな人は他にいるんですよ。でも・・・」

「でも?」

「でもその人もいまいち当てになんない。」

「じゃあもっといい人捜さないと。俺でどう?」

「でも貴方のこと知らないし。」

「じゃあこれから少しずつ距離を縮めていこう。」

「いいですね。」

「え、ほんと?」

「いや、距離を縮めていこう、という言葉がいいですねって。僕ポエムとか書いてるんで。」

113

目の端に店長の姿が見える。僕のことを捜しているみたい。僕はその人せっかくそんなカクテルまでオーダーしてくれたのに、せめてその分くらいはお付き合いしたいなって思ったから、その人の陰に隠れた。

「なにしてんの?」

「ちょっとヤバい人が。」

「君の連れ?」

「はい。今見付かりたくないんで。」

僕はその時点でカクテルを半分くらい空けてて、結構酔ってて、陰に隠れるんならその人の後ろに隠れればいいのに、なぜかその人の胸に顔を寄せて、僕は背が高いからそれが結構変で。その人は僕のことをカクテルグラスごと抱き締めた。って言っても力いっぱいじゃなくて、当然グラスもあるから、軽くでもセクシーな感じで抱くという、やや高度な技。

114

「君の連れってどんなヤツ?」

「あのね、ラベンダーのセーターにグレーのジーンズ。」

「へー、あれっ、勇理?」

「知ってるんですか?」

僕は彼の胸から離れて、そしたら背の高い僕はすぐ店長に見付かる。

「北川さん?こらっ、彩飛なにしてんの?」

北川さんと呼ばれたその人は、

「俺、今日ひとりだから相手をしてもらってた。」

店長は愛想よく微笑んで、

「北川さんだったらいいですよ。」

そう言い残してまた友達の方へ行ってしまった。

「なんだまた店長どっか行っちゃって。あっちが誘ったんですよ。」

「君もあそこで働いてんの?俺アイツの上司だから。」

「え、マジ?あの、僕ヤバいこととかしてませんよね?」

「ヤバいこと?したした。」

「なになに?」

彼は丁度こないだされたみたいな素早いキスをしてくれた。

115

家の会社はチェーン店で本部が青山にある。店に十分な売り上げがあればなんにも言って来ないから、僕はあんまり本部の人は知らない。北川さんは僕のことを上から下まで見て、

「そう言えば着てるの全部家の商品だね。そのジャケット俺のデザイン。」

「ほんとですか?僕これすごく気に入ってて、涼しくてポカポカしてる。」

「涼しくてポカポカ?」

「暑い時は涼しくて、寒い時はポカポカ。」

「へー、そんなつもりじゃなかったけど。」

「裏地が厚めだから、ボタン止めると暖かい。」

116

少し遅い時間になってきてカウンター席が空いたんで僕達はそっちに行った。僕はもう飲み過ぎなの分かったからジンジャーエールをストローでズルズル飲んでて、北川さんは仕事熱心みたいで僕に商品でどんな物が欲しいかなんて聞いてきて、僕は実は個人的に欲しいヤツ、とかを適当に言っておいた。真面目な話しばっかになってきて、少しつまんないなって思ったから、

「僕ね二十歳の童貞喪失までカウントダウンなんですけど、相手がなかなか決まらなくて。」

「へー、俺も候補に入ってるの?」

「そんな。無理なの分かってるし。」

「そんなことないって。」

「でもきっといい方がいらっしゃるだろうし。」

「関係ないじゃない?」

彼はサラってそんなこと言って。僕は口を尖らせる。

「僕、ちゃんと恋愛したい方だから。」

そのことに彼はコメントもなく、

「君は将来どうしたいの?」

「僕ね、やりたいことはいくつかあるんだけど、決められなくて。」

「本部に入ればいいじゃない。君よく商品のこと見てるし。」

「無理ですよ。僕そういう学校行ってないし。」

この人マジで言ってんのかな?それともただ童貞と寝たいだけ?

「学校行ってなくてもやることはあるよ。」

「ありがとうございます。考えておきます。」

でもやっぱり文章を書く仕事も諦め切れない。ライターとかコピーライターとか編集者とか。どんな仕事があるのか調べたりはしてるんだけど。

117

家に帰って、やっぱり僕は敬史さんのこと考えちゃう。あの人の書く文章が好きなんだよな。ファッションデザイナーもすごいと思うけど、文章を書く仕事をすることに対する憧れの方が強い。お酒飲んで夜中に帰って来たのに、ライターの学校なんかの検索を始めた。やっぱり授業料は高い。こんな学校出たからって仕事があるんだろうか?もしいい仕事が見付かるんなら、お金出してもいいけど。ポエムや短編小説なら今までたくさん書いてきた。ふと見ると敬史さんの投稿がある。

118

「彼は一度、私の腕の中にいた。


あとひと月だけ待ってるから。


そう言い残して若者は檻の外に消えた。


あとひと月?

私は不可能だと嘆いた。


しかし考えてみたら、

あとひと月もあるんだよ。


ひと月あればなんでもできる。

この病棟から抜け出せる。」

119

僕は大変前向きでいいことだって思ったんだけど、この詩が彼のゲイデビューだなって気が付いた。敬史は本名だけど苗字は出してない。でも今までそういうことは書いてなかったから。ゲイのファンが増えそう。僕は「いいね!」だけをつけてベッドに入った。

120

朝起きたらちょっと二日酔い。でも二日酔いになったことないから、ほんとのとこ分からない。敬史さんにメールを出した。

「いい詩でした。また会いに行きます。」

すぐ返事が来た。

「いつ?」

「今日は二日酔いだから多分明日。」

「そんなに飲んだの?」

「ええ、素敵な紳士に会って。」

こういう風に脅かしとくと、彼のやる気が出るだろう。

「誰、その人?」

「僕の上司の上司。デザイナー。」

「いつ来るの?ほんとに明日?」

「多分。」

121

その日僕は初めてゲイバーに行った時、店長が選んでくれた服を着て病院に行った。渋いストライプのシャツ。グリーンとグレーの。時間も言ってなかったんだけど今日は僕は夜シフトだったんで、適当に1時くらいに行った。鉄のドアが開いて中に入って敬史さんの部屋に行く途中、怖そうな看護師に付き添われた永光を見た。なんだか顔色が悪かったけど、こないだの脱走事件の時よりは元気そうだった。僕にコッソリ手を振ってくれた。敬史さんの部屋を覗くとこの間みたいに、ベッドの上で難しい顔をしながらPCでなにかやっていた。なにしてんのかな?って後ろに回って見ようとしたら、彼はまたこないだみたいにすぐそれを閉じてしまった。

122

彼はしばらく微笑んで僕の顔を見て、僕はハッピーな気持ちになった。やっぱりこの人だなって思った。僕の童貞喪失。敬史さん、なにかちょっと違う。

「髪切った?」

「ちょっとだけどね。社会復帰を目指して。」

「外に出られたの?」

「ここに来てくれる美容師さんがいるんだよ。」

「へー。でもよかった、そのくらいで。僕長いの好き。」

彼のウェーブした髪、前は肩くらいまであったのに、今は首の半分くらい。

「すごく短く刈ろうとも思ったんだけど。」

「いつも長いの?」

「そうだな。ここんとこずっと。オスカー・ワイルドみたいでカッコいいかなって。」

「ああいう雰囲気ありますよ。」

「ほんと?」

123

今日の彼はウツでもハイでもない真ん中くらいのような気がする。

「調子はどうなんですか?」

「ドクターはこのまま薬変えないで様子みようって。極端にハイになったりウツになったりしなければいけそうだって。」

「上手くいけばいいけど。」

「上手くいかせるしかないだろ?」

そういえば前から彼に聞いてみたいことがあった。

「敬史さん。芥川龍之介好きですか?」

「ああ。よく読んだ。」

「僕も好きです。特に最後の方の短編。なんか時々貴方の書く物にイメージが似てます。」

「影響された。『歯車』とか。」

「なんか怖いですけど、あれ。」

「そう?全然怖くないよ。俺なんかもっと怖い物が見えるよ。」

「こないだの黒いイヌみたいな?」

「あんなの可愛いうちだよ。」

彼は楽しそうに笑って、

「でもいくら可愛くても、もうあんなものは見たくない、見ないって決めたから。」

124

そうなると逆に彼の病気、双極性障害について勉強したくなる。前は知らない方がいいような気がしてた。側にいたいんだったら、ちゃんと症状とか分かってあげられた方がいいような気がする。僕が無理させちゃってるのかも。彼を見ていると前よりちょびっとだけど存在感が出てきたような気がする。前は印象が薄くて、なんていうか影が薄い感じがした。

125

「敬史さん、段々存在感が増してきましたよ。」

「俺って存在感なかったんだ。」

「いるんだか、いないんだか分からない感じ。」

「病院にいるから?だってそんなこと言われたことないし。どっちかというと鬱陶しがられる方だし。」

「僕、病院の外にいるとこ見たことないから。」

僕は彼の顔を見て、彼が病院の外にいるってどんな感じかなって想像した。一緒にデートしたりしてみたい。ご飯食べに行ったりバーに行ったり動物園?ちょっと子供っぽいかな?あ、そんなことより童貞喪失。

「敬史さん、ここ出たら、僕とどんなデートしたいですか?」

「そうだな、それ俺も考えてたんだけど、なんか普通の公園を散歩したりしたい。」

「ふーん、いいですね。」

僕は彼と自分が一緒に公園にいるところを想像してみる。今よりもっと存在感がある敬史さん。しかし今以上に存在感が出てくると、僕はきっとまたシャイになって童貞喪失どころじゃなくなってしまう。

「僕ね、クラスの友達に言われたんだけど、僕ってもうすぐ手に入るな、っていう時にいっつも逃げちゃうんだって。」

「それってなに?俺のこと?」

僕は黙ってうなずく。

「それは心配ないよ。俺の方が離さないから。」

126

大人の男にあんなこと言われて、俺の方が離さない、なんて。仕事場でずっとため息をついてて、スタッフの子に、彩飛さん恋してるんですねって冷やかされた。昼過ぎに店長に呼ばれた。

「北川さんが君にアシスタントやってもらいたいんだって。」

「無理ですよ、僕。」

「いいチャンスだから、やってみればいいじゃない。」

「すんごい給料もらえるんなら考えてみます。」

「それはない。」

同じ給料で知らないこと覚えたりとか、もっと大変なことはしたくない。それだったらスタッフの子で夜ファッションの学校行ってて、仕事も頑張ってる子がいるからその子にやらせたい。

「健士どうですか?ああいう子だったらその仕事やりたいと思いますよ。」

それで店長帰っちゃったんで、どうなるかそれは分からなくて、でもそのことがあってから僕の気持ちが決まってきた。やっぱり僕は書く仕事がしたいんだ。

127

休み時間に敬史さんにメールした。

「僕やっと分かったんだけど、やっぱり文章書く仕事がしたいな。これから学校とか色々調べてみる。」

「よかったじゃない、やりたいことが分かって。」

「はい。今日店長に本部で募集してるって言われて、それでハッキリ分かって。それが僕のやりたいことじゃないって。」

「そしたらね、これは俺のアドバイスだけど、君が投稿してるようなのもっと書いて、人に見せられるように。」

「あ、なるほど。そしたら僕、前から考えてたんですけど、書く物をシリーズ化してみたいなって。」

「いいんじゃない?俺もやろうかな。日記とか。エッセイとかもテーマを緩く決めてシリーズ化できるし。」

「なんにしようかな?」

「君の危険な男シリーズ。童貞喪失がテーマの。」

「それはね、もう終わりに差し掛かってるから。」

「へえ、どの男か決まったの?」

「知りません。」

128

「俺、君に頼みたいことがあるんだけど。」

その時は僕、全く見当もつかなくてただケータイを見詰めてて、

「ドクターが社会復帰のために1日外出許可をくれるらしい。」

すごいビックリ。

「でも誰かが1日中ついてないとダメなんだって。」

「もちろんいいですよ。僕でよかったら。」

「まずドクターの面接があるから。俺のこと信用してないんだ。」

さすがドクター。それは正しい判断だと僕は思って、

「いいですよ。いつでも。」

129

その次の日さっそく病院に行った。敬史のドクターに会った。本人は一緒じゃなくて僕だけ。なんだか変な感じ。外出許可ってそんなに大変なことなの?ドクターはドクターだから当たり前だけど、自信に溢れた感じの中年の紳士。

「悪かった。わざわざ来てもらって。」

「いいです。仕事夜だし。ここは家と職場の真ん中くらいです。」

「敬史さんはここに六カ月いるから。」

「そんなにいるんですか?」

「知らなかった?」

「ええ。知り合ったのが多分三ヶ月くらい前です。」

「じゃあ君は新しい友達なの?」

新しい友達って、もしかしてよくないのかなって心配になって、

「でも僕達共通の趣味があって、それで知り合ったから絆は強いです。」

「なんの趣味?」

「文章や詩を書いたり。」

そしたらドクターは僕のことをそれ以上聞いたりしなくて、僕のやるべきことを教えてくれた。

130

「私も彼には早く仕事に戻って欲しい。だから仕事に行くのと同じように朝起きて、服を着て、電車に乗って。」

え、そんなことでいいの?それのどこが難しいの?なんで練習が必要なの?

「彼は人ゴミが苦手だから。不安発作が起こるのは大抵人ゴミだから。」

「もし起こったらどうすればいいんですか?」

「まず電車なら電車を降りて、そういう時飲む薬もあるし。君はそんなに心配しなくていい。ただもしそういう発作が起こるようであれば、まだ退院はできないから。」

「分かりました。」

131

その後敬史に会った。

「僕、ちゃんと面接受かりましたよ。」

「よかったー!」

彼があんまり、よかったみたいに言うから、

「そんなに心配してたんですか?」

「もしダメだったらどうしようかと思ってた。」

「考え過ぎ。貴方はもうすぐ退院するんだから。あ、プレッシャーかけるわけじゃないですよ。」

「多少のプレッシャーは必要だけど。」

「あ、外出するのいつか聞いて来なかった。」

「それはね、今度の君の休みの日。週末じゃなくて平日。」

「ドクターに言われました。朝起きて会社に行くまでの練習だって。」

敬史さんは大きなため息をついて、

「あれはもうないと思いたい。」

「大丈夫ですよ。僕がいれば。」

「でも君が毎朝一緒にいてくれるわけじゃないし。」

「試してみて大丈夫だったら自信がつきますよ。会社はどこにあるんですよか?」

「でも会社のある所で知ってる人に会いたくないから、別の所にしよう。」

「いいですけど。」

長い間謎だったけど、やっぱりこれは聞いた方がいいた思ったので、

「敬史さん、どんなお仕事されてるんですか?」

彼は数秒考えてから、

「まあ、言ってみれば、印刷関係。」

それって、なんかあんまり想像できない。

132

当日。僕は朝早く病院に行った。敬史さんはちゃんと支度をして待っていた。普通のサラリーマンよりカッコよくて、なんだかファッション業界の人みたい。惚れ直しそう。スーツは細かい柄の入ったネイビーでオーダーメイドで作ったと僕はみた。そんなことはどうでもいいんだけど、僕達はナースステーションに行って、色々面倒な手続きがあって、僕は驚いた。夜の9時前に帰って来るように約束させられた。その間に社会復帰のためにできることはみんなやっておこう。鉄の扉が開いて、僕達は病棟の外に出た。

「6カ月いるんでしょ?久し振りだね。」

「2回脱走してるから。」

それから彼は黙り込んで、ふたりで廊下を歩いて受付を通って、病院の外に出た。ここからはもう普通の社会。僕達はここから電車に乗ってとりあえず新宿方面に行くことに決めていた。もし大丈夫そうなら新宿で降りる。それは新宿駅にはどこよりも大勢の人がいるから。わざわざ1番混む時間を選んだ。

133

彼の口数が減って、もうなにも言わなくなる。顔を見たらとても緊張しているように見える。僕達は切符を買って改札を抜ける。僕はなるべく彼の後ろを歩く。僕が見えなくなっても大丈夫かどうか、確かめたかった。あんなに緊張して、やっぱりまだ職場復帰は無理なんだろうか?でも一生病院にいるわけにもいかない。病院のある路線から1回乗り換える。僕は彼の少しあとからついて行く。よかった。ちゃんと乗り継ぎの電車に乗った。新宿行き。僕は彼が見える所で、でもできるだけ離れて彼を見守る。新宿まであと2駅。人々が降りて乗って、座ってる敬史さんの前に誰かが立って、僕の方から見えなくなってしまう。僕は彼の見える場所に行こうとしたけど、電車の中は人が多過ぎてそれができない。

134

次の駅に着いてドアが開いた。新宿のひとつ前の駅。僕は見失った彼が外へ走り出るのを見た。急いで降りようとしたけど、ドアが閉まる方が早かった。新宿で降りて彼がいなくなった駅に戻った。朝のラッシュアワー。人を捜すなんて無理だ。特に自分から去った人を。電話をしてみた。応答がない。どうする?時間は夜の九時まである。急に僕は彼についてなにも知らないことに気付く。職場は?家族は?友達は?なにも知らない。僕にとって敬史さんはあの病院のあの病棟の人。印刷関係?そんな情報だけではなにも分からない。このまま病院に帰らず逃げてしまうつもりなんだろうか?行くところがあるんだろうか?僕は最悪のことを考える。ウツではなかったはずだけど。外出許可が出るくらいだから、そんなに具合が悪かったとは思えない。どうする?警察に捜索願を出す?でももしそれが病院に知れたら。考えてみたら絶対病院には知らされる。自殺願望があるんです、って言ったら、病院はどこですか?とか色々聞かれると思うんだけど。でもそんなこと分からないし。どうしよう?でも警察で色々聞かれたら、僕だったらほんとのことをみんな言ってしまいそう。そしたら彼は捕まって、当分病院を出られない。でも命には代えられない。

135

考えて、考えて、僕はなるべく駅に近いガラス張りのカフェに入った。ここならあっちからもこっちからもよく見える。メールを書こう。でもなんて?落ち着いて、って書く?警察に捜索願を出します、って書く?どうしよう?僕は深呼吸して考えた。僕達を繋ぐ物があったはず。僕は書いては消し、書いては消し、やっと彼にこれをメールした。彼がメールを読まないかも、ということは僕は考えてなかった。僕達を繋ぐ物。

136

「僕が決めたあの人。

絶対他の人じゃダメだって。


他の男も見てみたけども、

全然違う。


絶対他の人じゃダメだって。


僕が怖がって逃げたくなっても、

決して離さないって言ってくれた。


僕が決めたあの人。

絶対他の人じゃダメだって。」

137

ポエムとしてはあんまりいい出来でないような気がする。誘い文句としてもあんまりいい出来じゃないような気がするし。でもこれが僕のほんとの気持ち。これをメールして、30分待とう。なにも言って来なかったら警察に駆け込む。

138

あと20分・・・あと10分・・・。僕が書いたポエムをもう1度見た。バカみたいな稚拙なポエム。でも言いたいことは言ったつもり。あと5分。もし5分待ってもなにも帰って来なかったら、僕は警察に行って、敬史さんは病院に戻されて、僕は言った通り今月いっぱいしか待たない。

139

あと30秒というところで、彼からメールが入った。

「彩飛。」

「大丈夫?」

「ああ。」

「どこにいるの?」

「病院に言った?」

「言おうとしたけど、僕は今月いっぱいしか待たないから。」

「少し落ち着いたから。君から逃げようとしたわけじゃないから。」

そこでメールが途切れた。無事でいるみたい。よかった。9時までに一緒に病院に帰る。それが僕の使命。

140

僕は落ち着こうと思って、そのカフェで朝ご飯を食べることにした。クロワッサンとスクランブルエッグ。それからマフィンまで食べてしまった。お腹いっぱい。作戦を練る。彼と合流しないと。少し落ち着いたって言ってたな。もう少し落ち着くまで待った方がいいな。

141

「でっかいカップでコーヒー飲んで、


クロワッサンと、

スクランブルエッグを食べて、


マフィンも食べたら、

お腹いっぱいになった。」

142

これを彼にメールした。これってポエムっていうより、ただそのまんま。シンプルでいいと思うんだけど。あ、やったー!敬史さんからメール。ただ笑ってる顔のメール。笑えるくらいだったら大分落ち着いてきたのかも。僕は自分がどこにいるのか伝える。

143

どうしてか知らないけど、僕はすごく自信があって、今日は9時までにふたりで病室に戻る。それができると信じてる。

144

「僕の童貞喪失物語。


女の子じゃないんだから、

そんなに感傷はないんだけど、


でもできたらロマンティックで、

そしてできたらワイルドで、


とりあえず一生忘れないような。


あれ、でも相手はだれ?


いつ?だれが?どこで?なぜ?どのように?

なんか足りない。


でもいいや。」

145

やることがないので、それを書いて送った。僕の方は落ち着いてるんだけどな。病院以外の所でやっと会えたんだから、もっと一緒に色々楽しみたいのに。妄想も色々あったし。待ち侘びてボーっとしていると、ネイビーのスーツをカッコよく着こなした男が、ガラスのドアを開けて入って来る。僕もいつかこういう渋い大人にないたいな、っとか思って、焦点の合わない目で見ていたら、その男が僕の向かいの席に座る。敬史さん。僕は3cmくらい飛び上がって、それを見て彼は笑う。

146

「さっきのは、なしにしてまた電車に乗ろう。」

「大丈夫なの?」

「練習だ。もう人も少し減ってるだろう。」

僕達は並んで高架下を歩く。彼が僕の肩を抱いて呟く。

「ゴメンな。」

「ううん。病気だから。練習、練習!」

147

僕達はまた同じことをする。今度は新宿を通り越して池袋に向かう。僕は彼のあとからついて改札を通る。電車の中はさっきよりほんの少し人が減ったけど、あんまり変わらない。僕はさっきより敬史さんに近い所でつり革を持つ。彼は身動きもせずにじっと下を向いている。彼の額に汗が光る。冷や汗?それともただの汗?ちょっと判断できない。電車の中は少し暖かい。

148

池袋に着いた。僕はあんまり来たことないんでキョロキョロする。彼は大きいデパートの中に入って行く。地下の食品売り場。彼は高そうなプリンを買っている。袋に2つ入れてもらうところが見える。そして彼はエレベータに乗る。エレベーターのドアが閉まりそうになって、僕は慌ててあとを追う。途中、人がどんどん降りて行くのに彼はじっとしている。とうとう終点の屋上になって、彼はエレベーターを降りる。そこは小さな公園みたいになってて、僕は彼と肩を並べて歩く。テーブルと椅子を見付けて僕達は腰を下ろす。

「お腹いっぱいでも、プリントかは入っちゃうんだよね。」

僕はそう言って、彼からひとつ分けてもらう。さすが高級なプリン。濃厚なミルクの味。僕こういう時、勝手にコピー創るの好きなんだけど、

「濃厚ミルクにカラメルの苦みが絡み合った絶品プリン。」

敬史さんが笑っている。初めて会った時も一緒にプリンを食べた。この人は大人なのに、それに男なのに、なんでこんな物が好きなんだろう?

「敬史さんは他にも甘い物好きなの?」

彼はちょっと考えて、

「甘い物ならなんでも好きだぞ。でも酒も飲むな。」

「そうなの?夜になったら僕とバーに行こう。」

「バーに行きたいの?」

「うん。カッコいいバー。」

「ドクターは俺に人ゴミに行かせたいから。」

「じゃあ、うーんと混む所に行こう。」

「平日だしな。どこがいいだろう?」

「まだ時間あるから。」

「そうだな。」

まだ時間あるって、まだ午前中だし。僕達夜9時までどこでなにすんの?

「どうするの?これから。」

「もう少し電車に乗る練習がしたい。さっき電車の中で胸がドキドキした。」

それじゃあやっぱりあれは冷や汗だったのかな?

149

僕達は飽きもせずに人の多そうな路線の、人の多そうな駅で降りた。敬史さんはずっと深刻な顔をしてあまり話さず、僕はそれは彼が緊張してるせいだって思ってたけど、もしかしてそれが病院の外の彼の、ほんとの姿なのかなって感じ出した。少なくとも彼はいつもの、僕が病院で会っていたあの人とは違う。僕はなんとかそれを確かめたい。僕が好きなのはどっちの敬史さんなのだろう?僕達は山手線をグルって回って秋葉原で降りた。彼は改札を出て、

「お昼にしよう。」

と言って僕と並んで通りを歩く。今まで僕はずーっと彼の後ろからなるべく彼から見えないような位置で歩いていたから、それはなんだか嬉しい。デート気分。

「わざわざあんまり食べるとこのない場所に来ましたね。」

「そんなことないって。色々あるよ。」

僕達は表通りをしばらく歩いて、彼はその辺りをよく知ってるような感じで、あるビルの地下に入って行く。そこはなんかバーみたいな所で、なんでか知らないけどランチメニューが充実している。僕は真剣にメニューを見る。カウンターの中から男の人の声で、

「あれ、敬史さん。すごいお久しぶりですね!」

「ずっと病気で。でももう大分いいんだ。」

「お仕事も休まれてたんですか?」

「もうすぐ元に戻れる。」

「ああいう締め切りに追われるような仕事、ストレス溜まりますよね。」

それでその人はバーの向こうに消えた。

「僕はこのトンカツ弁当にします。敬史さんは?」

「カツカレーにしなよ。ここの美味いよ。」

「じゃあそうしよう。」

「俺もそれにしよう。」

150

食べてる時の敬史さんはなんとなく病院の敬史さんに近い。

「敬史さんのお仕事ってそんなにストレス溜まるんですか?」

「まあね。でもこれからは楽にやろうと思う。今まで働き過ぎてたから。」

「そうですね。まだこれから電車乗りますか?」

「もう大丈夫だと思う。俺達山手線2回も回ったんだよ。」

「すごい記録ですよね。あと人ゴミってなんでしょう?」

「俺ね、狭いところに人が大勢いるとダメなんだ。」

「じゃあコンサートとか。」

「あ、それダメ。」

「僕ちょっと探してみます。」

ケータイで検索するけどイマイチピンと来るのがない。

「敬史さんどんな音楽好きなんですか?」

「やっぱりクラシックだな。」

「あれ、僕もそうですよ!」

意外な所に共通点が。

「でもクラシックのコンサートなんて普通そんなに人いないでしょう?」

「いや、それでもダメなんだ。いつも後ろの、一番出口に近い所に座る。」

「僕は前の方が好きなんですけど。あ、分かった。じゃあ今日は真ん中くらいに座りましょう。」

「なんだかあんまりないですね。」

「当日だからしょうがないんじゃない?」

「僕思うけど、これから渋谷に行きません?スクランブル交差点を10回くらい渡りましょう。」

僕が真面目に言った提案に彼は笑ってる。

151

僕達は食べ終わって、階段を上がってまた地上に戻る。

「敬史さん、地下って大丈夫なんですか?」

「あんまり人が多いとダメ。」

「そうか、やっぱり人がいっぱいいるとだめなんだ。」

「でもあれだけ電車に乗って、大分感じがつかめてきた。」

秋葉原ってたくさん外国人観光客がいる。ビックリするほど。地図を持ってウロウロしてる外国人。東京のどこでも見る風景。突然敬史さんが立ち止まって、その人達と話し始める。流暢な英語。その人達が行っちゃって、

「すごいですね、英語ペラペラ。」

「小さい時、親がよく交換留学生を住まわせてて。」

「そうなんですか。すごいな。」

152

秋葉原の駅に戻って来た。僕は路線図を見ながら、

「ほんとに渋谷に行きますか?」

「なんか1日乗り放題とか買った方がよかったな。」

「リハビリのためですから。どうなるか分かんなかったし。」

そしたら敬史さんが、ショッキングなことを言い出す。

「俺、1度家に帰りたい。」

「え、家って?」

「俺だって家ぐらいあるさ。」

「マジでですか?」

僕はでっかい声を出す。そんなこと考えてなかった。だって敬史さん半年も入院してるんだよ。

「今、俺の従弟が住んでくれてて。」

彼はその従弟に電話をしている。

「多分、今の時間、彼は大学に行ってる。」

「連絡取れないですか?」

「カギはナースステーションに預けてあって。もらってくればよかった。」

「行きましょうよ。」

「え?」

「病院こっからならそんな遠くないし。」

153

僕達は図らずもこんな時間に病院に戻ることになった。ナースステーションでカギをもらった。最初変な顔をされたけど、家に行くと分かったら、よかったねって言ってもらえた。病棟を出た途端、敬史さんが、

「もうあんなとこにいるのはゴメンだ。なんとか早くあそこを出よう。」

そう感慨を込めて言って、僕はそれを聞いて嬉しかった。病院の外の方が絶対いいに決まってる。

「その気持ちがあればいけますよ。」

僕達はまた広い待合室を通って、警備員のいる病院の入口を出て、娑婆に戻った。

「家ってどこにあるんですか?」

「品川の海の近く。」

「いいですね。」

「6カ月帰ってない。」

「あれっ、脱走した時は?」

「脱走しといて家に帰るバカいないだろう?」

「あ、そっか。」

彼に笑われる。

154

そこは表から見ると普通のマンション。鍵を開けて中に入る。そこにはビックリするほど大きなバルコニーがあって、たくさんのビルの隙間から少しだけ海が見える。

「すごいとこに住んでるんですね。」

僕はバルコニーに出てみる。風が少し寒い。彼が後ろから僕のことを抱き締める。予想してなかったから、今度は10cmくらい飛び上がる。僕は笑って誤魔化して彼の腕から逃れて、家の中に入る。リビングやキッチンを覗いてみる。どこも散らかっててすごいことになっている。僕はいい子でいつも自分の部屋はキチンと片付けている。だからこういうのは理解できない。しかも散らかってるのは女の子の服。ソファの上になんだか色んな服がかかってて、よく見たら下着まで置いてある。

「従弟さんって女の子ですか?」

「そうじゃないけど。」

僕は好奇心丸出しでバスルームに行ってみた。やっぱりそこにも物がいっぱい。その向かいにベッドルームがある。チラって見るとベッドで誰かが寝ている。

155

その子が目を覚まして僕の顔を見て悲鳴を上げる。すぐに敬史が来て、

「俺、賢二の従弟でここの持ち主。」

その子は目がパッチリでまつ毛の長いバンビちゃんみたいな子。

「びっくりしたー!」

彼女は起き上がって自分の服を捜す。僕がそこらにあるのを渡す。僕は自分の働いてる店の名を出して、

「家の服いっぱい持ってるけど好きなの?」

「はい!」

って元気なお返事。僕は当然その子に好意を持つ。彼女は敬史に、

「賢二から聞いてます。私がしょっちゅうお邪魔してて。すいません。」

「俺も6カ月もいなかったから、そんなに長くなるとは思ってなかったし。」

彼女はバタバタそこらを片付け始める。

「いいよ、俺まだ入院中。」

「そうなんですか?」

「今月いっぱいで退院するから。賢二にも言っておいて。」

その子はまた元気いっぱい、

「分かりましたー!」

156

こんなことでは童貞喪失は無理だなって思って、ガッカリするやらホッとするやら。ナーバスになり過ぎて。だって今日の敬史さんはいつも病院で会ってる人とは違うから。彼の書斎みたいな部屋がある。床には彼女の物らしい、大きなスーツケースが開いたまま置いてある。本棚には難しそうな本が並んでいる。外国語の本も多い。僕はひとつひとつの本の背表紙を読んでいく。僕の読んだ本もあるし、読んでない本もあるし、聞いたことのない本もたくさんある。それから芥川龍之介の『歯車』を見付けた。他の本はハードカバーが多いのに、それは文庫本だった。持ち歩いて電車の中とかで読むつもりだったのかな?その部屋に彼が入って来た。本を見てる僕に微笑みかけて、キャビネットを開けてなにやら書類を出す。そしてそれをキッチンのテーブルに並べている。彼は、

「仕事に戻る準備。失礼だけどちょっと電話するから。」

そう言って、誰かに電話して、仕事の話しをしている。僕は遠慮してまたさっきのバルコニーに出てみる。気のせいか霧笛が聞える。都会の喧騒に紛れてよくは分からない。きっと夜だったらもっとよく聞こえる。ちょっとロマンティック、って思ったら霧笛の聞こえるベッドで敬史さんに抱かれるとこを想像して、ひとりで赤くなってしまった。やっと捧げる相手が決まった僕の童貞。でも今月いっぱいしか待たない。もし彼がまた病院に戻っちゃったら?だからといって病気の人に冷たくできない。そんなことを外の風に吹かれながら考えてた。

157

キッチンを見たらそこには敬史さんはいなくて、しばらくリビングの色んな服が置いてあるソファに座ってまた色々考えてた。ウツになる人がなん階だか忘れたけどこんな高い所に住むのよくないんじゃないだろうか?余計なお世話だけど。あ、このワンピース去年のだな、セールにも残らずによく売れたんだよな。あ、それからこのTシャツ、アニメっぽい柄が可愛かったんだよな。僕はソファに置いてある服を見てみる。どれも懐かしい。僕はやっぱりファッションのことは好きだな。でも書く仕事がしたいから。でもそれってどうやって見つけるの?

158

僕はケータイで検索を始めた。求人。ライター、コピーライター、編集者。あんまりない。条件も厳しい。新卒のみとか、大卒のみとか。なんだか気分が落ち込んでくる。僕が本部で働くの断ったの、あれでよかったのかな?なんとなく人生で最悪の選択をしてしまったような気がする。だけど自分の書く能力を信じたのは、それはそれでいいんだけど、それがリアリスティックな選択だったかは分からない。なんかポエムを書こう、盛大にくだらないヤツ。

159

「ここは品川の海の側。

どうして僕がここにいるのか、

それは内緒だけど、


霧笛を聞いているうち、

突然落ち込んで来た。

遠くからやって来た大きな船に哀愁を感じる。


だけど意外と明るいのかも知れない。

クルーズで遠くの国から来て、

日本に着いて嬉しくてみんなでダンスを踊る。


みんなで踊ると船も揺れる。

だからこれから東京に着くというのに、

舵を取るのが難しい。」

160

これを敬史さんにメールした。すると彼は笑いながら奥の部屋から出て来た。スーツが変わっている。さっきまでネイビーだったのに、濃いグレーになった。もっとフォーマルな雰囲気になった。彼はとってもイケメンに見える。僕も嬉しい。それを着てるととても病気の人には見えない。

「それ着てると、とても病気の人には見えませんよ。」

僕は恥ずかしかったけど、少し彼に近付いた。彼のことをもっとよく見たかった。近付いて身体にはあんまり触らなくて、僕は彼の肩に頭を持たせかける。彼は僕の頭を撫でてくれる。

161

その瞬間、乱暴にドアが開いて、若い男が走って入って来る。

「敬史!」

これが賢二とかいう敬史の従弟だなって僕は思う。

「突然帰ってくるから!」

敬史は、

「いつ帰ってくるか分からないから、そのつもりでいるようにって言ったろ?」

「そうだけど、連絡くらい寄こすじゃない、普通。」

「俺、まだ退院したわけじゃないから、今月いっぱいの内に片付けろ。」

「俺もう実家には帰りたくないし。」

「それは俺には関係ない。あそこにいる子と一緒に住めばいいじゃない?」

「俺達ふたりとも学生だし。」

「半年間家賃払わなかったんだから、貯金できただろ?」

「物事そういう風に上手くいかないから。」

そしたら敬史はとんでもないことを言い出して、僕は今度は30cmくらい飛び上がる。

「俺、これから彩飛と住むから、君達の住む場所ないから。」

162

それで僕達はそこを離れて街の中に戻る。敬史はもう1組のスーツとアタッシュケースを持っている。彼がまた別の人のように見えてくる。イケメンのやり手ビジネスマン。

「敬史さん。」

「敬史でいいよ。さっきの従弟、君より若いのに敬史だったろ?」

「だってそれは従弟さんだから。」

「いいよ。」

「分かりました。じゃあ、敬史、さっきのあれは嘘も方便ってヤツですか?」

「なに?」

僕はちょっと身体をモジモジさせて、

「あの、僕と住むって。」

彼は真面目な顔で、

「俺はそのつもりだから。」

え、マジで?僕はショックで押し黙る。敬史はその近くの気持ちのいいインテリアのカフェに入って行く。

163

「まだ晩飯には早いから、ここでひと休みしよう。」

僕は、いい子の子供のように椅子にキチンと座って、可愛い微笑みを浮かべる。

「彩飛。」

「はい、なんですか?」

「俺もちゃんと君に頼もうと思ってたんだけど。君は俺の希望だった。これからもそういて欲しい。」

「それはもう、嬉しいです。」

「だからずっと側にいて欲しい。」

え、マジで?これってなに?プロポーズ?まさかね。

「彩飛、俺と一緒になって、これからも希望になってくれませんか?」

僕の頭がショートして、火花が散っている。僕が固まっているので、敬史が身を乗り出して、

「どうしたの?」

「あの、でも僕まだ童貞だし。」

もう!だからそれがどう関係あるのかよく分からない。彼はひとりでゲラゲラ笑う。

「じゃあそれも俺がなんとかするから。」

「ほんとですか?いつ?どこで?どうやって?」

「病院を出たら。どこか旅行でもする?日常を離れた方が受け入れやすいだろ?」

164

いや、そこまでしなくてもいいんだけど、と思いながら、

「敬史の時はどうだったの?」

なにその質問?どっから出て来たの?

「俺?俺は早かったから。」

「へえ。」

「適当に。友達の家とか。」

なるほど。そういうチャンスは確かにあるよな。俺ももうちょっとの場面はあったもんな。友達の家で。中学生の時と高校生の時。

「その時は中学生?それとも高校生?」

なんでそんなこと聞くの?一応興味を示すために?

「中学3年生。」

「相手の方は今どうされてるんですか?」

「知らない。俺、高校はカナダだったから。」

あ、だから英語ペラペラなんだ。カッコいい!英語もできるエリートサラリーマン。

「でも僕みたいなフリーターの童貞より、もっと素敵な方がいっぱいいらっしゃるんじゃ?」

「童貞にこだわるなあ。これからチャチャっとホテルとか行っちゃってもいいんだけど。」

「あ、それはちょっと。そこまでは急いでないんで。相手も決まったし。」

「相手って?」

「え、それは。」

「誰?」

僕は彼の目を見ながら、第2の頭ショートになって言葉が出ない。彼は僕のアゴを引いて軽くキスしてくれる。素早いキスよりも、ちょっと押し付けたような、ちょっと湿ったキス。眩暈がする。

165

こういうヤバい時は、話題を変えるのが1番。

「敬史、まだ人ゴミの練習しないと。どこ行く?」

そしたら彼は意外と元の話題に戻らず、

「ああ、俺やっぱり電車がいいな。他の人ゴミは避けられるだろう?コンサートとか混んでるバーとか。行かなきゃいいんだもんな。でも電車は避けられない。俺パニックになるから車も運転できない。」

「そうだ!」

「え、なに?」

「これからでもいいから。」

「なに?」

「1日券を買いましょう。」

「なんだ、そんなことか。」

166

カフェでひと休みが終わった頃には、丁度夕方のラッシュアワーになった。僕は、

「今度こそ新宿駅で降りましょう。改札を出て西口のデパートの地下を通って、エレベーターに乗って屋上に出ましょう。」

そう提案する。

「いい訓練だな。俺、普通エレベーターに乗らないで階段上がるから。」

電車の中は信じられない人の数で、離れないように僕は彼の真後ろに立つ。でも彼からは見えない所。新宿に着く。人々が我先に降りて行く。敬史は勇敢に人の流れに沿って電車を降りる。僕もあとについて行く。彼は上手に改札を通り、デパートの方向へ歩く。僕は彼の顔をコッソリ見たけど、緊張もドキドキもしてないと思う。平常心。僕も安心する。新宿駅の乗降者数は日本一。そこをクリアーする。デパートの地下に入る。とても自然。夕食の買い物で大勢の人。彼は大胆にもなにかを買おうとしている。なにを買ってるのかここからはよく見えない。和菓子屋さん、だと思う。

167

エレベーターの来るのを待つ。なかなか来ない。僕は人ゴミはなんともないけど、こうやって待つ、ということが嫌い。イライラ、ジリジリしちゃう。やっとひとつのエレベーターが来て、僕それが嫌いなんだけど、もうひとつのがほとんど同時に来る。僕は敬史と同じのに乗る。少し離れて。また屋上に来た。ここには園芸店やペットショップもある。池袋でやったみたいに、僕達はテーブルと椅子を探して座って、そしたら彼は小さな箱を開ける。たくさんアンコのついたお団子。串に刺さってる。美味しそう。

「これずっと食べたかったんだよな。」

「そんなの僕に言えば買って来たのに。」

「ここのじゃないとダメなんだ。」

僕はクスクス笑う。彼は美味しそうに食べている。それから僕達は次の作戦を練る。僕は、

「やっぱり東京駅ですかね?あそこはまだ行ってない。」

「東京駅ね。怖いな。新幹線もある。」

「そんなことより、僕達まだ渋谷のスクランブル交差点行ってないですよ。」

「じゃあそこにしよう。」

168

僕達は渋谷駅の交番のある改札で降りて、ハチ公前に立ち止まる。僕はふざけて、外国人観光客に混ざってポーズをとる。敬史が僕の写真を撮ってくれる。それから信号が青に変わり、僕達は交差点を渡る。敬史は上手く人を避けて、何事もなくちゃんと向こう側へ渡る。

「上手じゃないですか?全然怖くなかった?」

「まあ。交差点はいいけど、通りに人が多くてイヤだな。」

「じゃあこの坂を上って行きましょう。」

「人の気配がイヤなんだ。あのままカナダにいればよかった。」

「そしたら僕達会えなかったから。」

駅に近いファッションビルに入る。若い人達でごった返している。敬史は、

「やっぱり建物の中の方が怖いな。」

そう言って震えている。

169

そのファッションビルはなんとかクリアした。病院に9時までに帰らないといけない。僕達は病院方向の電車に乗った。病院の3つ手前で降りた。夕食を食べるためにいいレストランはないか少しふたりで歩いた。

「敬史、もう大丈夫ですよ。あれだけ電車に乗ったんだから。」

「さっき上司と話したんだけど、もっとフレキシブルな職種はないかって。」

「そしたら?」

「現場に戻ることになるけどいいか?って。」

「現場?」

「今まで管理職だったから。」

「それでいいの?」

「そしたらラッシュアワーは回避できる。現場の仕事は知り尽くしてる。」

「そう。自信がついたらまた管理職もできるでしょう?」

「そうかもしれない。」

170

そこにファミレスがある。敬史は、

「ファミレス久し振りだから入ってみたい。」

意外なチョイスだけど、僕ファミレス好きだからすぐに賛成した。敬史はメニューをしっかり見ながら、

「病院では絶対食べられない物にしよう。」

と張り切ってる。彼はこれからまた病院に戻って、今月が終わるまであと1週間ある。彼はでっかいステーキを頼んで、僕はパスタにした。

「ステーキどう?」

「まあファミレスだったらこんなもんだろう?」

「病院ではそういうの出ないの?」

「年寄りが多いからじゃないのかな?」

デザートは、敬史がフルーツパフェ、僕が苺のチーズケーキ。でも敬史にいっぱい食べられてしまった。

171

「退院したらどうするの?」

「すぐ仕事だ。」

「大丈夫なの?」

「俺は現場が長かったから、管理職よりずっとストレスが少ない。」

「だったらいいけど。」

9時に近付くにつれ、彼のじゃなくて、僕の口数が少なくなっていく。僕の知らない敬史。これからどうやって会えばいいんだろう?仕事忙しくてなかなか会えないんじゃないかな?だったらつまんないな。僕は大分敬史に食べられてしまったチーズケーキを突っつく。

「なんで静かになっちゃうの?」

彼が優しく聞いてくれる。

「もうあんまり会えないかなって。」

「逆だって、俺が退院したら病院にいる時よりよっぽどたくさん会える。」

「でも敬史仕事忙しいし。」

「君だって仕事してるだろ?世間の人と一緒だよ。」

172

食事が済んで、いよいよ僕達は病院に向かう。駅に行く途中、暗がりで抱き締められた。スーツを着ている敬史。僕は初めて彼を見た時の、ハイで騒いでうるさくて笑ってる彼を思い出していた。彼が投稿を始めた頃は彼はウツで、内容も暗い物が多かった。色んな敬史を見て、僕はどれが彼の本当の姿なのかって考えて、でもきっとそれ全部が本当の彼なんだなって思った。病院を目の前にして、なぜか涙がこぼれる。

「泣きたいのは俺の方だぞ。」

彼は笑う。人のいなくなった病院の待合室にふたりで座る。9時まであと15分。

「すぐ退院できるんだから。泣くことないから。」

僕はそんなんで泣いてるんじゃなくて、なんだか彼がもっともっと遠くへ行ってしまうような気がして。

「彩飛、『ローマの休日』っていう映画観たか?」

「うん。」

「あれの最後の場面。たった1日のローマの休日。王女様が邸宅に帰って行く。」

「ほんと。あれみたい。」

「俺って王女様みたい。」

僕は鉄の扉を通って、敬史をしっかりナースステーションまで見送った。

173

僕の働いてるブティックで、続けて何人か辞めちゃって、丁度セールの時と重なって、僕は忙しかった。敬史には毎日メールをしてたけど、どう頑張っても会いに行かれそうもない。彼はどうせ退院したらいつでも会えるんだから、気にすんなって言ってくれる。さっき遅くに家に帰ったら、彼の投稿を見付けた。短いけど僕の心に響く。

174

「あと数日で魔法のように鉄の扉が開いて、

僕は自由になる。


長い刑期を終えて。

久しぶりの大空で、

上手く羽ばたくことができるだろうか?


でも私には希望がある。

待っててくれる彼がいる。」

175

退院の当日。僕はやっと休みがもらえて、朝早く病院に向かう。敬史のベッドはもう空になってる。遅かった?僕が廊下をキョロキョロしてると、永光が僕に手を振っている。大分元気そうになった。よかったって僕は安心する。

「君に預かってる物があるよ。」

彼はそう言って僕に1枚の紙切れをくれた。初めて敬史を見たあの娯楽室に座って僕はそれを読んでみる。永光が僕の隣に座る。

「彩飛、書く仕事探してるんだったら、この人に会いに行くように。」

名前とメールアドレスが書いてある。田辺さんていう人。どういう人なんだろう?なんの仕事なの?これだけじゃさっぱり分からない。永光はそのメモを覗きながら、

「上手く仕事が見付かるといいね。」

って言ってくれる。その時僕はもうこのイノセントな高校生には会えないのかな、って寂しくなる。彼が脱走して、一緒にコーヒーゼリーを食べた。

176

善は急げと思って、僕は病院の中の大きな待合室に座ってメールを送った。そこにはこないだの夜と違って大勢の人が座っている。病院を出て電車に乗る。敬史からはなにも言って来ない。でもその田辺さんという人からメールが来ている。あっという間にその人と面接することになってしまった。どんな仕事かは向こうからも言ってこないし、こっちから聞くのも変だなと思った。まあ、会えば分かるし。

177

3日後、聞いた住所の場所へ行く。面接にしては変な時間なんだよな。午後7時。大きなビル。僕は1階の受付みたいな所へ行ってみる。何人か座っているんだけど、僕は気が小さいから1番優しそうな若い女性の方に行く。

「田辺さんという方にお会いしに来たんですけど。」

「人事課の田辺でございますね?少々お待ちください。」

彼女は電話をかけてくれる。そして、

「田辺はすぐこちらに来ますので、少しお待ちください。」

と言って僕に微笑んでくれる。

178

田辺さんは中年の女性で、メガネをかけて真面目そうな感じ。これからこの人と面接なんだなって思ったら緊張してきた。僕達はエレベーターに乗って、ビルの屋上に近い階で降りる。オフィスのドアを開けると、とても広い部屋。デスクがたくさんあって、色んな物で雑然としている。人はチラホラいる程度。まあ、この時間だし。田辺さんはそのオフィスの中にどんどん入って行って、そこにはもうひとつ部屋があって、そのドアを開けると人の声がザワザワする。僕は彼女に促されてその部屋に入る。それでその人は僕を置いて部屋のドアを閉めて去って行く。僕はこれからどうなるんだろう?と思って不安になる。その部屋は薄暗くて、なんか社長室みたいな大きなデスクがある。窓の外にはパノラマのような都会の絶景が見える。

179

そのデスクに後ろ向きで座って、両足を窓枠に乗せて夜景を見ている男。髪が長くてオールバックにしている。他には3人の人がいる。女性がひとりでまくし立てている。

「編集長、こんな予算で3ページもできませんよ。フォトグラファーもスタイリストもみんなタダでやれって言うんですか?」

その内のひとりの男が僕の顔を見て、

「君、彩飛君?」

「あ、そうです。」

僕の声が震える。

「これから引き継ぎをするから。」

彼はその部屋から出て、大きなオフィスの真ん中辺りにある彼のデスクに僕を連れて行く。

「僕はもう次の仕事が決まってて、今夜君にこの仕事を渡したらもうここには来ないから。」

え、マジ?と思いながら僕は必死で彼の言うことについて行こうとする。彼は1冊の雑誌を僕に手渡す。

「これ知ってると思うけど、女性のファッション誌。週1回発行。17才から27才までがターゲット。材料は全部揃ってて、レイアウトももう全部できてるから、君はその枠の中に文章を書いてくれればいいから。」

「え、文章って?」

「ここにページ割があるから。君のために冒頭のインタビュー記事だけ書いてあげたから。」

「それはどうもありがとうございます。」

なんか間抜けにそう言って僕は頭を下げる。別の男が来て僕になにかくれる。

「君、新しい人?これ、表紙だから。」

「あ、はい。ありがとうございます。」
最初の男が、

「じゃ、俺もう行くから。」

「あ、ちょっと待って。僕はどうすれば?」

「そこに全部インタビューやら写真やら商品の情報やらがページごとになってるから、それを君が書いてくれればいいから。」

「え、あの、全部?」

「だから僕が冒頭部分だけやっといてあげたから。星占いとタイアップ記事以外、全部書くこと。よろしく。」

「あ、あの、ちなみに貴方はこれからどうされるんですか?」

「俺はあの新しい編集長のお陰でやっと移動になって、もっと書籍関係がやりたかったから、そっちへ行く。」

そしたらその男は逃げるように部屋を出て行った。

180

僕は茫然としてその資料の山を見詰める。すぐに我に返って、とにかくその表紙を手に取ってみる。アイドルの女の子。誰でも知ってるような。写真に字が乗ってる。でもそんなに多くない。ファッション誌にしてはサッパリし過ぎじゃないかな?僕はその男が書いてくれたという記事を読んでみた。そのアイドルのインタビュー。上手くまとまってる文章。若い女の子の元気はつらつな喋りもよく伝わって来る。

「お母さんに内緒で超ミニ買って家の近くで着替えてた。」

とか、

「アイドルやってんのに門限あって、玄関閉められて木登りした。」

とか。僕は表紙にそういう言葉入れたらどうかなって思った。さっきの表紙をくれた男の所に行って、

「あの、その表紙にこの言葉入れたらいいんじゃないでしょうか?」

「なに?」

「お母さんに内緒で超ミニ買って家の近くで着替えた、って。」

「あ、可愛いかも!よかった、さっきもう少しで入稿しちゃうとこだった。」

181

そこへさっき文句を言ってた女性があっちの部屋から出て来る。

「こんな予算で3ページもできるわけないじゃない!あの編集長、頭を使えば金がなくてもページは埋まる、だって。あと5日で締め切りだっていうのに!」

「え、マジ?」

僕が叫ぶ。表紙の男が、

「マジ?ってもう材料揃ってんだろ?楽勝、楽勝!じゃついでに文字の色決めよう。なにがいい?」

僕はとっさに、

「オレンジ。」

「俺もそう思った。あ、でも表紙の変更は編集長の許可がいるから。君、お願い。」

182

君、お願いって言われましても。僕はそのページ割とやらを見て、材料やら写真やらも見て、星占いやタイアップ記事をよけて、僕の書くべき部分を明かにしてみた。え、じゃあ見出しも、小見出しもみんな僕が書くんだ。それに写真のキャプションも。女の子のファッションは仕事でよく知ってる。文章を書くのは得意。ファッションビジネスに関わってきた僕のビジネス感覚がギラっと光る。僕はコンピューターで、でき上ったレイアウトを見てみる。このレディースアタッシュケースの特集、いい感じ。もう1ページあってもいいかも。写真もレイアウトにはない余分なのがある。これ全部使える。そしたらさっきの予算ないって言ってた女性のページをこっちに回せる。彼女にそれを言ってみる。

「えー。そしたら助かるけど、ページ割の変更は編集長に許可もらわないと。君、お願い。」

183

また君、お願いか。でも僕まだ面接もしてないのに。会ったこともない人にどうやって許可もらうの?僕は恐る恐る、

「あの、編集長ってどこにいらっしゃるんですか?」

ふたりがさっきの夜景の綺麗なオフィスを指差す。さっきの男だな。もうやるしかない、って思って、僕はそのドアをノックする。

184

Come in!(入って!)」

なんで英語なの?って思いながら僕はドアを開ける。相変わらず薄暗い部屋。さっきよりもっと暗くなってる。男はやっぱり後ろ向きで夜景を見ていて、僕はプリントアウトした表紙とページ割をデスクに置いて、

「表紙にもう1行入れました。それからこっちのページをそっちに持っていきます。」

ここまで一気に早口で喋る。ここにいるみんなが早口なんで自然にそうなる。編集長とやらは、

「君、来た早々、ふたつも変更出してくれたの?」

え!ええ!聞いたことある声!

男が椅子をクルって回して、僕の方を見る。

「ええ!」

僕が叫ぶ。彼は僕が机に置いた物を見ている。カッコいいスーツ姿の僕の男。

185

「表紙はいい。目を引く。もっと字を大きくしてもいいかな。アタッシュケースの方は・・・」

「あの、3ページ目で色んなバッグを物撮りで並べて、商品説明のキャプションを入れて。」

「なるほど。」

「あとで写真撮った人とかメーカーに聞いてもっと情報を引き出します。」

「君、そんなことまでしてたら書いてる時間なくなるぞ。」

「そうかもしれません。」

「明日、ひとり助手をつけるから。」

「分かりました。」

186

見出し、小見出し、本文。ファッション雑誌って意外と書くことないな。ビジュアルだからしょうがないけど。だからタイトルが大事なんだな。そういうことを考えながら書いてて、チラって時計を見たらもう10時。僕、明日仕事!どうすんの?もう帰ろう。あと5日しかないのに、僕、店の方も毎日行かないと。そんなことできんの?見回すと、もうスタッフは誰もいない。編集長の部屋が少し開いている。僕はコッソリ覗いてみる。中に人の気配。僕はドアをノックする。今度は彼が外に出て来る。そのオールバックが似合い過ぎて失神もの。

「僕、明日もあさってもずっと仕事で。」

「助手をつけるから。それにページをやったヤツ等にどんどん意見言っていいから。君の言う通りだよな。アタッシュケースの特集なのにモデルに持たせて3つくらいの商品じゃ意味ないよな。」

「それより、ほんとに僕ここで働いてていいんですか?」

彼は僕のいたデスクに来て、僕は書いた部分を彼に見せる。

「ほら、やっぱり君の見出しつけるセンス、とってもいい。才能がないとできないから。詩と同じだから。1番重要なことを、パッと伝えられることが重要。」

「今まで僕、雑誌見る時、僕だったらこうするな、ってよく見てたから。」

187

僕達は一緒にエレベーターに乗って1階に下りた。彼と一緒にたくさんの電車やエレベーターに乗ったことを思い出した。さっきの受付にはもう誰もいない。外に出て、高く作った花壇の縁の所に腰を下ろした。

「敬史、じゃなくて編集長。」

「オフィス以外では敬史でいいよ。」

そういえば印刷関係って言ってたな。まあ、印刷関係だけど。

「印刷関係って言ってたでしょう?」

「あんまり出版業界って言いたくなくて。」

「どうして?」

「華やかな世界から入院生活で。落ちぶれたみたいで。」

「関係ないのに。」

「君に嫌われたくなくて。」

「仕事なんてどうでもいいし。」

「しかし、あんな若い女性誌に回されるとは思ってなかった。」

「今まではどんな?」

「文芸誌とか男性ファッションとか。旅の雑誌もあったな。」

「なにが1番よかった?」

「今の面白いぞ!若い子相手だと、すぐ結果が出る。君が来てくれてよかった。」

188

僕は彼が元気そうで安心した。僕はまだ混乱してるけど、一緒にいい仕事をしていきたい。彼のお陰で僕の夢がかなった。疲れてベッドに入ったら、敬史とふたりで温泉で浴衣でエッチしてる夢を見た。

189

次の日、店長に仕事を辞めることを伝えた。心配されたけど、ちゃんと説明して分かってもらえた。一緒に喜んでくれた。ファッション関係ならまだ接点はある。そのうちきっとなにか一緒にやれる。取材とか、タイアップとか。ファッション業界の仕事特集でここの本部を紹介する。いいかも。

190

後ろから敬史の声。

「君のコピーぶっ飛んでんな。『オッサンには任せておけない!いかすレディースアタッシュケース20選』?いつの間に20個も集めたの?」

僕はコンピューターの画面から目を離さずに、

「それ取材した人にやり直しさせました。レイアウトもやり直しさせました。」

「君、すごいな。それ企画の仕事だぞ。君はライターだろ?」

「中途半端な物に記事は書けません。」

「ふーん。なになに?『移動するオフィス。』記事はそれだけなの?」

僕はやっと振り向いて彼の顔を見る。

「あとは見れば分かりますから。写真にそれぞれの商品の特徴と値段とメーカー名を入れます。今、彼女に書かせてます。」

191

僕は助手の女性のデスクに行って、進行状況を確かめる。

「『ポケットがついていて便利なデザイン』?それは写真見れば分かるでしょう?君の言葉で書いてみて。」

「はい。分かりました!」

元気がいい。彼女は眉間にシワを寄せて考える。彼女はターゲットの年齢層に入ってるから、できるはず。

「すごーい!ポケットいっぱいで超便利。」

「よし、それでいい。あと19個よろしく。」

192

彼女が唸りながらキャプションを書いている間に、敬史と僕は夕食に行くことにした。

出版社のあるビルの隣にあるレストラン。半分居酒屋みたいなとこ。締め切りまであと3日。今日はブティックの方は休みで、僕は朝早くからオフィスで働いている。

「編集長、じゃないや敬史。僕、今日は朝ごはんもランチもここで食べたような気がしますけど。」

「気のせいだろ?」

「長時間労働!ブラック企業!」

「締め切り前だけだろ?」

「ほんとですか?」

「しかし締め切り前になるとソイツの本性が分かるな。」

「え、僕は?」

「まあ、ドSなのは間違いない。」

「そんなことないでしょう?」

「『移動するオフィス』。あれだけだったらすごく楽してるじゃない?」

「でもあの恋愛相談みたいなページ、僕ビッチリ言葉で埋めましたけど。」

「あ、それ見てない。」

「ケータイで見れますよ。どこでも打てるようにしたんで。ちょっと待って。」

敬史は意外と真剣に読んでいる。僕はふたり分適当に頼んで、コーヒーも頼んで眠気を覚ます。その恋愛相談って読者からメールで相談を受けてそれに答えるんだど、選んでるヒマないから、実は相談も僕が自分で適当にでっち上げた。相談は全部で4つあって、イラストつきで2ページ。

193

僕は出て来たかつ丼を必死に食べ始める。敬史はまだ一生懸命読んでいる。

「面白いな、みんなちゃんと君の言葉になっている。これ質問も君が書いたんでしょう?」

「よく分かりますね。」

「なになに、『私の夢は素敵な温泉に行って浴衣でHすることです。でも彼氏が優柔不断で、なかなか誘ってくれません。私はこのまま未経験で一生を終えるのでしょうか?』」

僕のかつ丼を食べる手が止まる。

「なるほど。彼氏が優柔不断なんだ。」

彼はゲラゲラ笑い出して、

「自分ばっかり食べて。俺の分は?」

「今、来ますよ。」

「じゃあ締め切りが済んだら、その素敵な温泉とやらに行こう。」

僕はその言葉を頭の違うメモリーに保存して、仕事に戻った。

194

やっと原稿を全部放り込んで、ホッとした。僕は違うメモリーに保存した情報を1日中考えていた。温泉。そういえば僕が小さい時家族で行った所がある。母に尋ねてみると、

「ああ、あそこね。アレは確か石川県の能登半島。」

「なんていう旅館?」

「旅館の名前は覚えてない。あんまり高くないとこ。写真があるでしょう?」

僕は部屋にこもって写真を観る。旅館の名前は結局分からなかった。海の側ですぐそこに大きな島が見える。地図を調べて大体当たりを付けた。そんなに高くないとこの方が風情があるかも。旅館を決めて、部屋を決めて、大分具体的になってきた。

195

敬史にメールした。

「ここに決めちゃっていいですか?」

「いいよ。部屋に風呂あった方がいいの?」

僕は修学旅行でみんなでワイワイお風呂入って楽しかったから、部屋にはなくてもいい。

「大きなお風呂が好きなんで。」

「ふたりっきりで入るのもいいぞ。」

「でもそれ刺激強過ぎ。」

そしたら大笑いしてる絵が帰って来た。旅館には女性だけの女子会プランなんていうのもあるんだな。家の雑誌に使える。ついでに取材して来る?宿が決まってそれから新幹線の予約。面倒だけど楽しい。自分で旅行を企画したの初めてだし。

196

とうとう当日。僕はやきもきして敬史のことを待っている。新幹線もうすぐ出ちゃうのに。ギリギリで彼が走って来る。

「ゴメン、ゴメン。上役連中とミーティングで。」

「大変だったの?」

「そうでもない。家の雑誌の売れ行きはいいそうだ。」

「よかった。」

「文章の切れがよくなったって。」

「ほんとに?」

「アレがよかったって。ええと、『移動するオフィス』。あのひとことが効いてるって。」

「アレ、レイアウトの人があんまりでっかくするから、いいのかな?って。」

「すごくよかった。やっぱり君には才能がある。」

敬史は僕の手をしっかり握ってくれる。新幹線に乗ったばっかりなのに、もうドキドキしてきた。

197

その旅館は他のと比べたらやっぱり小さい方で、海の側で、分かんないけど、小さい時に行ったあの旅館に雰囲気が似てた。着物を着た女の人が部屋まで案内してくれた。お茶入れてくれたり、お風呂の場所とかを説明してくれて、そしたらその人すごく好奇心旺盛な人みたいで、

「おふたりはお友達?」

僕は、

「そんな感じです。」

と言って可愛く微笑む。

「ご兄弟には見えないし。」

「ええとね、上司と部下。」

そしたら敬史が、

「彼が優秀なんで、ボーナスの代わり。」

そしたら彼女が、

「どんなご職業ですか?」

僕が、

「印刷関係。」

そしたら敬史が僕にウインクする。

「お食事までお時間ありますから、先にお風呂どうぞ。」

僕が子供みたいに、

「わーい!」

とはしゃぐ。

198

海の見える露天風呂。僕は恥ずかしくて敬史の方はあんまり見られなくて、って言っても実はコッソリしっかり見てて。長い入院生活で痩せてるけど、この人ほんとはもっと筋肉とかついてたんじゃないかな、って僕は思った。僕達、局部はタオルで隠してる場面が多かったんだけど、背中流しっこしてる時、ちょっとタオルがずれて、僕はしっかり見てしまった。なかなかのモノ。想像してたのより、ワイルドな形と大きさ。わー、どうしよう?

199

部屋で夕食。海の幸。ビールで乾杯。

「敬史、浴衣似合うね。」

「君も可愛いよ。」

「僕、可愛いの?」

「イヤなの?」

「もう二十歳だし。」

「そうだったな。」

僕はカニを食べるのに悪戦苦闘。敬史が上手に中身を取ってくれる。お兄さんだかお父さんだかみたい。カニを食べながら、僕は口の中で、やっぱり僕ってまだ可愛いのかなってブツブツ言う。彼が、

「いいじゃないか。可愛くて。俺、可愛い子好きだし。」

本気かなって思って、彼の顔をじっと見ると、初めて病院で会った時のことや、プリンやコーヒーゼリーを一緒に食べたことや、やたらに電車に乗った日のことを思い出して、胸が熱くなる。単にビールのせいかもしれないけど。

200

さっきの女の人がビールを運んで来てくれた。僕はその人に聞いてみた。

「女子会ってやっぱり多いんですか?」

「そうですね、お若い方が多いですよ。」

「じゃあ男の人は?」

「男性はあんまりお友達同士で温泉ってないでしょ?ビジネス関係が多いんで。だってこちらのおふたりもビジネス関係でしょ?」

「そういえばそうですね。」

その人が行っちゃって、そしたら敬史が、

「なに、彩飛ここまで来て仕事の話し?」

「面白いと思って。僕も今まで温泉予約したりしたことなかったけど、やってみたら楽しい。なにが優先なのか考えて、海のすぐ側がいいとか、温泉の種類とか、食べ物とか。」

「ここはどうやって決めたの?」

「僕が小さい時来たとこ。母に聞いても、ハッキリどの旅館とかは分からなかったけど、写真で見ると大体こんな感じだった。大きな島があっちに見えて。」

「意外と当たってるかもしれないぞ。フロントの1番年取ってそうな人に写真見せてみれば?」

201

僕は食事中なのに走ってフロントまで行って、1番年上っぽい男性に聞いてみた。

「それねー、この隣の旅館。今はあんなに立派なビルになったけど。懐かしいな。」

そしてまた走って部屋に戻る。

「ここの隣の旅館だって。建物は新しいビルになってるって。」

「すごいな、分かったんだ。」

「敬史のお陰。」

なんだか嬉しい。大体この辺だなっていう僕の勘が当たってた。

202

食事が終わって、僕達は散歩に出た。そんなに寒くなくて海からの風が気持ちいい。隣のビルにも入ってみた。小さい時ここに泊まったんだなって思うと、不思議な気がした。敬史はそこにあった観光案内を見て、

「明日はあの島を探検しよう。水族館もあるらしい。」

「レンタカー?」

「うん。」

「ヤッター!」

203

帰るとちゃんとお布団が敷いてある。ここには妖精に似た生物がいて、知らない間に色々世話を焼いてくれる。広い部屋だから僕達の布団の間に、2メートルくらいの間が空けてある。遅くなって僕達はそれぞれ布団に入る。敬史は軽く目を閉じている。僕は2メートルの間をゴロゴロ転がって敬史の布団に潜りこむ。

「彩飛、今どうやってここまで来たの?」

「こうやって。」

僕はまた畳の上をゴロゴロ転がって自分の布団に入って、またゴロゴロして彼の布団に到達する。彼は笑っている。僕が彼の腕の中に入った時、僕はまるでそこに生まれた時からずっといたような、そんな気がした。

204

敬史が僕のPCを覗き込む。

「露天風呂にひとひらの雪?」

「はい。1泊2食海の見える温泉、ひとり¥15,000以下。女子会特集!」

「これなに?次号の企画してくれてんの?」

「面白いと思って。取材とか撮影とか行かなくても旅館に頼めば写真くれるし。予算ゼロ。」

「君、企画の方に回してあげようか?」

「僕、書く方がいい。ただつまんない企画だと、書くのもつまんないから。」

「だから自分で考えてんだ。だけどせめて家の専属モデル使わないと。」

「これやってくれるんですか?」

「どうせこれからページ割作るところだから。」

「ヤッター!」

温泉女子会特集、やりたかったんだよね。可愛い浴衣のレンタルとか。綺麗な花やうさぎや金魚の柄。紙面に映える。エステ付きとか、部屋に露天風呂とか、女子会だけの大特典!これをもっとロマンティックに記事にまとめる。

205

僕は敬史に誘われて遅めのディナーに行った。僕の助手で仲良くなった子が言うには、編集部のみんなは、僕のこと、敬史がどっかから引き抜いて来たとか思ってるらしい。引き抜いて来たのはほんとだけど、僕なんてただのド素人なのに。だから仲がいいと思われているそうだ。敬史と僕は今夜は居酒屋料理を適当に分けて食べる予定。

「それより彩飛、クリスマスはどうすんの?」

「やっぱりファッション誌だから、フォーマルドレス特集。安くて豪華でヨーロッパの王室気分。」

「王室気分ね。って、そうじゃなくてさ、君個人の。」

「さあ。どうせ仕事じゃないですか?」

「締め切り終わってるから、それはないんじゃない?」

「実は下書きできてるんで見てください。」

「写真もレイアウトも上がって来てないんだろ?」

「記事が一番最後だっていうのが間違いなんです。」

206

「クリスマス。今年もパリに行きたかったけど、彼の家族に呼ばれていた。まだ正式じゃないけど、ご両親への紹介。ドレスはグリーンのシルクタフタ。」


「彼の父上が時々私の目を探る様に見る。周りに誰もいない時、明日ひとりでおいで、なにか買ってあげるから。昭和の前からある、有名宝飾店社長。」


「1年で1番賑わう日。彼は私を店の奥に連れて行く。涙型ダイアモンドのペンダント。ドレスは赤いベルベット。彼の唇が私の首筋を這って行く。」

207

全部読み終えて、敬史は難しい顔をしている。

「なに、これで終わりなの?」

「そうですけど。」

「危険な男だな。君の好きな。」

「ええ。」

「ファッションのページならもっと増やせるだろう?」

「でもここで終わりなんです。」

「もうひとつ落ちが欲しい。」

僕はしばらく固まって考える。そこで終わりのつもりだったから。

208

「私は感じているのを悟られたくなくて、人形のように身動きせずにいた。彼は、不思議な子だな。若いのに。どうして人生を知っている? ー 私のクリスマス。」

209

敬史はテーブルを叩いて、

「いい、それ!」

「ほんとですか?ヤッター!デザート頼んでいいですか?」

「いいぞ。じゃあ4ページにしよう。どういう写真にしたいの?」

「最初のショットはリムジンの中。グリーンのドレス。それからレストランの中。」

「へー、レストランなんだ。家に呼ばれたのかと思った。」

「ほんとはそうなんだけど、そうするとクリスマスに彼氏と行きたいレストランの紹介できるじゃない。」

「なるほど。」

「それから宝石店。今年のクリスマスギフトのトレンド。」

「なんなの、それ?」

「知りません。スタイリストがいるでしょ?」

210

僕は出て来たデザートを食べ始める。居酒屋にしては、気の利いたレモンのシャーベット。敬史がスプーンでそれをすくう。

「もー、自分でオーダーしてください。」

「その最後のページはどんななの?」

「えーとね、高級ホテルの一室でランジェリー。」

彼はため息をついて、

「それよっぽどページのデザイン上手くやらないと。」

「僕もそれ考えてたんですよ。文字が浮き上がらないと、物語だって分かってもらえない。」

「それにモデルを誰にするか。」

「女優さんですよね。でも誰かは分からない。若い女性に人気があって、人生を知ってるような顔ができる。」

「クリスマスの特集がシリアスドラマか。面白い。」

ほんとに敬史って甘い物好きなんだから。しょうがないから彼のためにメロンシャーベットを頼んであげた。僕も少しもらうつもり。

211

敬史が出て来たメロンシャーベットを僕の手の届かない所で食べている。さっきあんなに僕の食べちゃったくせに。

「彩飛、さっきの質問に戻るけど。」

「なんでしたっけ?」

「君、クリスマスはどうすんの?」

「分かりませんけど、休みがもらえたら少しポエムを書きためて、忙しくてもすぐ投稿できるように。」

「それ、偉いな。俺もやろう。」

「敬史、僕ね。」

「なに?」

「あの先週号、前の人が冒頭ページだけ書いてってくれたんで、もしこれが実現したら、僕の初めてですよ。」

「実現するだろ。もっとイメージを突き詰めて。俺だったらセクシーにいきたいな。メイクとか。」

「僕はドレスだな。いいのを揃えたい。クリスマスだったら少しくらい高いのでもいいんですよね?」

「まあな。ちょっとビンテージっぽいのがいいな。個人的に。昭和の前からあるんだろ?その宝石屋。」

「そう、そう。どうしてもその、昭和の前から、っていうひとことを加えたくて。」

「そのひと言が君にとって大事なんだ。そこからイメージを膨らませよう。」

デザートを食べ終わってもふたりでそこにいて、絵コンテまで創ってしまった。映像を感じさせるページになりそう。アールデコとモダンを足して割ったくらいの装飾にしたい。文字とかレイアウトとか。

212

やっと一息ついて、そしたら敬史が、

「さっきからずっと言いたくて言えなかったんだけど。」

僕は黙って聞いている。

「クリスマスマスから、俺の所で一緒に住まない?」

一緒に住むってどういうことなんだろう?僕は考えてみる。ふたりで起きてご飯食べて寝て。それから?

「君が側にいてくれるお陰で、俺も調子がいい。ドクターが驚いてるくらい。半年入院してたあとだから。」

213

僕の初めての巻頭特集。やっと決まったと思った女優が、ランジェリーはできない、って言って来た。僕の助手の子が、

「彩飛さん。こっちの女優さんのエージェントから連絡が来て、どうしてもやりたいって言ってるそうです。」

若い女優さん。僕は全然知らない子。オフィスにいる女性全員に集まってもらって相談する。女性誌なんだから、女性に人気ある女優さんじゃないと意味がない。僕は彼女達にどんなストーリーなのかを説明する。みんなはその女優さんはいつも元気いっぱいだから、イメージじゃないって。でもひとりのスタッフが、だからイメチェンしたいんじゃない?って。そうかもしれない。セクシーで退廃的。元気いっぱいとは大分違う。

214

結局その女優さんに決まって、次はスタイリストと打ち合わせ。僕、ライターなのになんで?って聞いたら、

「編集長が彩飛さんに聞けって。」

「レストランのシーンはね、大袈裟なローブデコルテ。プリンセスが着るみたいな。男はみんなタキシード。」

「このグリーンのドレスは?」

「グリーンは濃い色。ほとんどグレーみたいな。」

「タフタなんて見付かりますかね?」

「なかったらいいから。アレはただの物語だから。色だけ捜して。ビンテージ屋さんとか回ってみて。」

「分かりました。」

ほんとに僕ってなにしてんの?なにを証明しようとしてるの?ライターで雇われたのに。だったら編集者になればいいのに。なにしてんの?でも僕は書きたい。書きたい物を書こうとすると、自分で物語を考えて、他の色んなことも考えて。

215

先週号で書いた、恋愛相談。敬史がとっくに他の人に回してくれた。女子会温泉特集は僕が全部記事を書いた。それはやりたかったことで、楽しかった。それを見て読者がほんとに温泉行ってくれたら、僕は嬉しい。スタイリストが写真を送って来た。センスがいい。僕の言ったことが全部伝わってる。敬史が知り合いのフォトグラファーに頼んでくれた。退廃が得意な人らしい。物語の進行と同時にクリスマスのおすすめドレス、レストラン、ジュエリー、ランジェリーの紹介。ちぐはぐなんだけど、かえって面白い。レイアウトの人が唸っている。可哀相だけど、僕はデザイナーじゃないよ。

216

初校が上がって来た。オフィスの女性達から、「可愛い!」と歓声が上がる。僕は背が高いからみんなの後ろから覗く。商品写真のキャプションがみんな横書きになってる。だから僕の縦書きの物語と区別ができる。いいアイディア。写真は昭和40年代くらいの映画の雰囲気。不思議な色使い。フォトグラファーがアートディレクターも兼ねてる。とてもプロフェッショナル。僕が直しを入れたい箇所はどこにもない。そう思ったら部屋がグルグル回り出して、僕は後ろ向きに倒れて、頭をぶつけた。

217

救急車を呼ぶっていう敬史に、大丈夫ですよって言って、そしたらタクシーに放り込まれて病院に連れて行かれた。敬史が入院していたあの病院。夜の緊急病棟。頭は傷とかはなくて、医者は、なんで倒れたんだろう?ということを考えていた。検査をして、でも結果はすぐに出る物とそうでない物があるらしい。敬史はずっと僕の周りをウロウロしている。

「この病院、嫌いなんだ。」

まあ、6カ月もいたんならしょうがない。じゃあ、なんでここに連れて来たの?そしたら彼は突然僕の側に座って、

「君になにかあったら、俺のせい。」

「なんで?」

「あんな仕事させたから。」

「関係ないでしょ?」

僕の方がずっと冷静。さっきの写真ほんとによくできてた。

「あの写真、僕のイメージに相当近いですよ。」

「あのフォトグラファーによく言っといたから。物語だからって。」

「映画みたいだった。」

「あ、そうだよな。あの女優さん、これから飛躍するんじゃないかな?」

「そうかも知れない。頭が少し痛い。」

「大丈夫?多分もうすぐ帰れるよ。」

「ここに泊まって行くのかと思った。」

218

その時、僕の後ろから声がした。

「彩飛。」

母の声。

「来なくてもいいって言ったのに。」

そう言ったけど来てくれて、ほんとはすごく嬉しい。顔が自然にほころんでくる。僕達は仲のいい親子だから。母は僕の頭をグルグル回って見て、

「大丈夫なの?」

「うん。」

敬史が母に挨拶して、

「私が忙しい仕事させたから。」

「でも彩飛、いつも僕の夢がかなったって。ねえ。」

看護師さんが来て、僕にもう帰っていいけど、明日また来るように伝えてくれた。僕は母に付き添われて帰る時、振り向いて敬史のことを見た。寂しそうにしてるんじゃないかって思った。彼はじっと下を向いて、なにか考えてるみたいだった。

219

家に帰って、僕は母にこう聞いてみた。

「お母さん、もし僕がここ出てったら寂しい?」

「寂しくはないわよ。趣味の仲間もたくさんいるし、友達も多い方だし。でもお父さんいつも遅いから、ひとりで晩ご飯食べるのは寂しいかもしれない。」

「そうなの?じゃあ僕、しょっちゅう晩ご飯食べに帰って来るから。」

母は笑って、そしてもう1回、僕の頭のぶつけた所を心配そうに見てくれて、寝室に入って行った。敬史は僕と一緒に住みたいらしい。でも僕が行ってしまったら、母が寂しい思いをする。でも僕が彼と住まなかったら、彼が寂しい思いをする。やっぱり彼と住んで、時々ここへは晩ご飯を食べに帰って来る。それがいいかな?すぐには決められない。まだクリスマスまで時間がある。

220

僕達の雑誌、クリスマス号の評判はなかなかいい。少し危険な香りのする冒頭のファッション特集。社内でも注目されてるって敬史が言っていた。彼は意外にも行事ごとが好きらしく、クリスマスはもちろん、お正月の予定まで僕に聞いてくる。僕はクリスマスもお正月も母と一緒にケーキ食べたり、おせち作るの手伝ったり、いつもと同じに過ごす予定。敬史、寂しいのかな?今日僕は敬史の家にお泊りに来ている。彼は僕が来るといつも、天然記念物みたいに大事にしてくれる。だけど天然記念物ってなんだろう?僕はケータイを取り出して検索を始める。鳥が多いな。オオサンショウウオとか、あんまり可愛くないのも多い。あとは、岩とか木とか。あんまりピンと来ない。ポエムを創りたかったんだけど、上手くいかない。「彼に大事にされて、天然記念物気分。」敬史は始発で会社に行って、昼過ぎ帰って来る時もあれば、夕方のラッシュ前に行って、夜中に帰る時もある。僕は大抵スタッフのみんなと同じように普通の時間に行って仕事をしてる。僕達が一緒に住むってどんな感じかな?でも週末は一緒にいられる。

221

「彼に大事にされて、天然記念物気分。


お料理してくれて、

お風呂沸かしてくれて、

掃除機かけたら取り上げられて、


頭痛いって言ったら、

治るまで一緒にいてくれる。


僕がご飯食べてるとこ、

嬉しそうに見詰めてる。


寒い夜は抱いて寝てくれる。


そのくらい天然記念物。」

222

敬史がそれを読んで笑っている。

「俺、大事にし過ぎるか?」

「いいえ、そんなことは。」

僕がこないだ倒れたの、結局何でもなくて、あの時はもっと天然記念物扱いで大事にしてくれた。

「君は僕の希望だから。」

そう言って微笑んでくれた。

223

それはいいんだけど、今週の土曜日のこと。僕は彼の家のカギ持ってるんで、ちょっと食べる物とかコーヒーゼリーとかの買い物をして、お昼頃行ったら、玄関に男のスニーカー。リビングルームから楽しそうな笑い声。そして若い男のかなり甘ったるい声。

「敬史に会いたかった。」

聞いたことある声。誰だったかな?思わず静かに玄関のドアを閉めた。

224

マンションを出て、通りを歩きながら、別に僕悪いことしたわけじゃないのになんで逃げるの?「逃げる」という言葉で、誰の声なのか思い出した。永光。あの高校生。精神科病棟を逃げ出した。病院出て来たんだな。それはよかったって思うけど。あの甘えた声はなに?どうしよう?家に帰ろうかな?でも母に心配かけたくないし。日曜の夜に帰って来るからって言っちゃったし。でもまだ土曜日の昼間。取りあえず敬史の家の近くのカフェに入る。手持ち無沙汰だからポエムを書き始める。

225

「男の家に行ったら、

男がいて、

なんだか楽しそうだったから、

黙って玄関閉めて外へ出た。


でも僕なんにも悪いことしてないじゃん。


どうすんのこれから?


行くとこないし、

やることないし、


彼のために買ったコーヒーゼリー。

彼の大好物の。」

226

これ書いたらさっきのことがありありと思い出されて、なんか腹立ってアドレナリン全開。そしたらアドレナリン全開って使えるなって思ったから、僕の仕事用のアイディア帳に書いておいた。さっきのポエムの続き。

227

「一緒に食べようと思ったのに。


僕の頭のアドレナリン全開!」

228

なんかどうでもいいポエムなんだけど、気持ちはよく表れてるなって思ったから、特に考えもせずに敬史に送った。すぐ電話がかかってきた。出なかったんだけど、なに言ってんのかな?って思って、留守電を聞いてみた。

「彩飛。永光が君に会いたいって、さっきから待ってたんだよ。」

ああ、そうですか、あんな甘ったるい声で、「敬史に会いたかった。」だって。僕に会いたいって、どのくらい会いたいんだろう?

229

アドレナリンが元に戻らなかったから、僕はそのカフェに数時間いて、それから場所を変えて、またそこに数時間いて、やることないから次の号の企画を考えだして、そういえばクリスマス号の冒頭に出た女優さんだけど、あのランジェリーかなり露出度高くて、彼女のファンの男性が買ってるらしい。その女優さん、こないだ編集部にも挨拶に来て、礼儀正しくてビックリした。誰かが僕があの物語書いたってバラしちゃって、とても気に入りました、素敵ですって言ってくれた。次の号の特集。「女の嫉妬、男の嫉妬」アドレナリン全開。また物語書く?あれはクリスマスだから特別だった。でも評判よかったからいいか。

230

「ある日、男友達に言われたの。セックス用の女は決して彼女に昇格しないって。貴方と彼女を街で見掛けたわ。彼女は賢そうで清楚な美人。私なんて身体がエロいだけのバカな女。でも比べるのはイヤ。私を1番に思ってくれる人を探そう。私の身体から彼の匂いを消した。ケータイも変えた。彼の写真はもう1枚も残ってない。」

231

こんな感じ。これで終わり?もっとハッピーエンドがいいかな?「女の嫉妬、男の嫉妬」というタイトルの特集です。と書いて、敬史にその物語を送った。ファッション特集にしてもいいな。

232

「彼女が着てたみたいなワンピースを買った。メイクも変えた。でもやっぱり似合わない。私じゃない。」

233

そしてそれも敬史に送った。彼からメールが来た。

「君って女の子の気持ちが分かるんだな。いい話しだよ。」

女の子の気持ちか。友達は女性の方が多かった。

234

「君みたいな大きな口開けて笑う子、好きだよ。そんなメールをもらった。私を1番に思ってくれる人。」

235

ハッピーエンド。文章はね、もう少し練らないとだけど。ファッション特集だから、男性の気持ちをつかむ服とか、そういうのもいいな。でも自分の着たい服も着たいし。その辺のアドバイスを専門家に頼む。なんの専門家?ファッション?男女関係?やっぱりファッションの特集だからファッションの専門家。自分に似合って男性にも女性にも好かれる服。でもそんなのつまんないな。今まで着たことのないタイプの服を着せて街を歩かせて、男性の視線を試す。面白そう。女性の友達から嫌われる服。お母さんに怒られる服。そういうのを箇条書きにして敬史に送った。

236

「彩飛、なにしてんの?早く来て。永光もう帰っちゃったよ。明日早いからって。彩飛にはまた会いに来るって。」

「おふたり随分仲睦まじいご様子でしたね。」

「嫉妬してくれるとは嬉しいな。」

「知りません。」

「永光は俺に懐いてるだけだから。兄弟とかそういう関係。」

「兄弟にあんな口利くんですか?」

「どんな口?」

僕はさっきのセリフを書いてあげる。そしたらそれからしばらく経って、

「あれはアイツの性格だから。」

しばらく考えたということが不純だなって思ったから、やっぱりもう少し彼の家に行くのは止めた。

237

また場所を変えた。今度はもう少しいい椅子のあるカフェにした。ますます仕事にのめり込んでいく。ちゃんと実現する企画を考えよう。こないだバックナンバーを色々見てみた。面白いのもあったけど、ありきたりでつまらないのも沢山あった。さっきのキャラクター、いいと思うんだよな。自分のことを1番に思ってくれる人。そんな人を探す。自分らしく。人と比べたりしないで。自分らしいファッション。ファッション雑誌でそこまで掘り下げるのはあんまりない。他にもなんか考えよう。企画を考えてると時間の経つのが速い。もう6時になってしまった。町はクリスマス直前の賑やかさ。カップルもたくさん通る。このいい椅子があるカフェ、窓が大きいから通りがよく見える。人々がお洒落をしている季節。そうだ、僕母になにあげようかな?ブティックで働いてる時はそこの商品が多かった。今からあそこに行ってみようかな。店長に聞いてどれがいいか選んでもらう。店長はいつもセンスがよくて、僕の考えないようなものを選んでくれる。

238

電車に乗った。僕の働いてたブティックのある駅で降りる。店に入って奥を覗くと、店長がいる。僕が手を振る。

「彩飛、どうしてた?」

「忙しくしてた。」

店長は僕の母に会ったことあるし、シルクのスカーフだけどそんなに高いのじゃなくて、毎日使えるのを選んでくれた。ペーズリーなんだけど、明るい色合い。それを包んでもらって、さようならを言ったら、店長が、

「なに、もう帰んの?」

「え、だって、忙しいんでしょ。」

「そうだけど、もう少しいてもいいじゃない?」

なんとなく店長と一緒にバーに行ったことなんかを思い出す。そしてキスされたんだよな。彼は僕のことどう思ってんだろう?

「彩飛、前と違う。遂に童貞喪失?」

僕は恥ずかしくて下を向く。

「じゃあそうなんだ。おめでとう。相手は誰?本気で付き合ってんの?」

「はい。」

「へー。俺ももうちょっと強気で押せばよかった。」

「そんなことしたらダメでしょう?」

「そうなんだよな。彩飛、難しいんだよ。」

239

僕は店長にお礼を言って外に出た。華やかな街。僕はいいギフトを選んでもらって気分がいい。そこへ敬史からメールが来た。

「さっきの嫉妬の話し、使えそうだからふたりで考えてみよう。だから早く来て。」

そんなことで釣ろうとしている。

「あれはまだ未完成なので、もっと色々書いてみます。」

「今どこにいるの?」

「クリスマスショッピングです。」

「彩飛はなに欲しいの?」

「分かりません。そこのデパートに入ってみます。」

「なにか見付けたら言って。」

1階の売り場には人がいっぱいで、だから僕はエスカレーターで2階に上がった。レディースファッション。ブティックで働いてたから知ってるつもりだったけど、そこにあるのはもっと高い服で、やっぱり仕立てが違う。店員が何人も寄って来て、クリスマスのプレゼントですか?って聞いて来る。ひとり感じのいい子がいたので話してみることにした。

240

「いつもどういう服装の方ですか?」

「体型が女の子っぽい、性格も元気な感じ。」

「そうですか。失礼ですけど、かなりご親密な関係ですか?」

「クリスマスになったら一緒に住もうって言ってて。」

「それほどの方でしたら、ジュエリーがいいですよ。」

その店は少しだけどジュエリーもあって、ペアのペンダントとか指輪とか、色々見せてもらった。雑誌の参考になる。こないだのは涙型ダイヤモンドのペンダント。あれはクリスマス号だったから、マジで高価なヤツを使った。僕はジュエリーはあんまり詳しくないんで、一生懸命聞いてあげて、じゃあ考えますから、と言って今度は3階へ行った。3階もレディース。4階がメンズ売り場。別に欲しい物ってないな。服は十分持ってるし。スーツとかはあんまりないけど、そんなに必要じゃないし。僕はエスカレーターでもっと上に行く。ステーショナリー、食器、オーディオ製品。

241

ブラブラしているうちに、屋上へ出てしまった。ペットショップ。クリスマスプレゼントにペットを上げる人もいるんだ。犬やネコより、カメやカエルなんかが面白くて、僕はしばらくそこで時間を潰す。窓の外を見ると、テーブルや椅子が置いてある。こういう場所で、敬史とお団子食べたな、って思い出す。やたらに電車に乗って、デパートの地下に行ってなにかを買って、そして屋上に行って食べる。プリン食べた時もあったな。アレは確か池袋。お団子を食べたのは確か新宿だった。こっから新宿って大分あるな。今日は無理だけど明日にでもあのお団子買って来てあげようかな。そんなことを考えて、と言うことは僕は明日には彼に会いに行くつもりあるんだなって思った。どうせ会うんならやっぱりこれから新宿に行って、あのお団子買って来てあげようかな。あそこでしか売ってないって言ってた。

242

電車に揺られながら、僕はお団子だったら今日中に食べた方が美味しいから、やっぱりこれから敬史の所へ行くんだなって思って、自分で可笑しくなってしまう。あの時まだ彼は入院中で、僕はそこでしか売ってない物を美味しそうに食べてる彼がとても愛おしかった。新宿に着いたらもう8時過ぎてて、もし売り切れだったらどうしようと思って、早足になる。またアドレナリン全開?人ゴミの間を上手く擦り抜けて、お団子の売り場に行く。アンコのをください、と叫んでなんとかひと箱手に入れる。ヤッター!そしてまた電車に乗って彼のマンションに向かう。

243

玄関のカギを開けて黙って入って行って、お団子を彼に手渡す。途端に幸せそうな顔になる。

「大変だっただろ?これ買うの。」

「それ程でもないよ。」

彼は包みをビリビリ破いて、団子を頬張る。

「さっきの嫉妬の話し。タイトルが『女の嫉妬、男の嫉妬』なのに女だけで男のがないじゃない?」

この人マジであの話し考えてたのかな?ただの釣りだと思ってた。

「あれはまだこれから考えるから。」

「でも出だしのアレ、相当インパクトある。」

「なんでしたっけ?」

「セックス用の女は決して彼女に昇格しないって。」

「アレね、ほんとに聞いたんですよ。女の友達に。誰かにそう言われたって。」

「マジで?なにかで読んだのかと思った。」

「リアルなんですよ。やっぱりその話し面白いかも。少し考えてみます。男の嫉妬のことも。」

「それは君がよく知ってるじゃない?」

244

彼は真面目な顔でそう言って、でもお団子食べながらだから、あんまり説得力はない。

「どういう意味ですか?」

僕は食って掛かる。

「あんな子供に嫉妬して。」

「誰のことですか?」

「ま、いいけど。俺、君に嫉妬されて嬉しい。」

僕はまだ永光に嫉妬してたのと、敬史に嫉妬されて嬉しいって言われたのが恥ずかしくて、お団子を1本もらってパクっと食い付く。

「彩飛、なにか欲しい物見付かった?」

「あのね、デパートの子が、かなりご親密な関係ですか?って聞くから、クリスマスから一緒に住もうって言ってるって言ったら・・・」

お団子を食べながらだから、モゴモゴしちゃう。

「言ってるって言ったら、なに?」

「それほどの方でしたら、ジュエリーがいいんじゃないか、って。ペアのペンダントとかリングとか。でも僕そこまで興味ない。」

「なんだ。興味ないのか。クリスマスまであと3日だよ。」

「僕なにもいらない。」

でも僕、敬史に上げる物も全然考えてなかった。プリンとかじゃダメかな?超高級なブランド物プリン。でもコンビニのが好きらしいから、それじゃあダメだな。

「敬史はなにが欲しいの?」

「僕は君がここに住んで、ずっと一緒にいてくれればそれでいい。」

「なんだ、そんな簡単なこと?」

「それでいいのか?」

「え、なんでいけないの?」

「君がなにも言わないから。」

彼は僕を抱いてキスしてくれて、それは甘いお団子のキスだった。

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クリスマスの日、敬史が家に来た。僕は改めて母に紹介して、父にも紹介した。敬史と一緒に住むことを伝えた。母にプレゼントを渡して、できるだけ晩ご飯食べに来るからって言った。出てってしょっちゅう来るのもなんか変なんだけど、母が寂しい思いするのはイヤだし。父はいつものようにクリスマスでも関係なく家で仕事をしてて、あんまり会話に入らず。母は自分の作ったケーキを美味しそうに頬張る敬史が気に入ったみたい。僕もいつものクリスマスと同じように、母の作ったケーキを食べた。でも違ったのは、その晩、僕は服やなんかを大きなバッグに詰めて、敬史と一緒に僕の新しい家に帰ったことだった。



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