新作 『続 貴方と俺のハッピーホワイトリムジン』 - エッチでハッピー!!✩★✩ゲイ要素の高いオリジナル小説✩★✩
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新作 『続 貴方と俺のハッピーホワイトリムジン』

『(本編)貴方と俺のハッピーホワイトリムジン』

中2病の爆弾、玲海はスカウトされてモデルになるが、そのスカウトした秀木を深く愛してしまう。

https://ehappy888175296.wordpress.com/2018/06/18/%E3%80%8E%E8%B2%B4%E6%96%B9%E3%81%A8%E4%BF%BA%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%80%8F%E4%B8%AD2%E7%97%85-2/




『続 貴方と俺のハッピーホワイトリムジン』

1

誰かにつけられてる。気配がする。振り向いて確かめたいけど、こういう時、俺の性格だと、あっちにこっちが気にしてると思われたくなくて、だから振り向かないで、ファッションストリートのショーウインドーに映るヤツの姿を、俺は時々チラって見ている。すごく背の高い男。それだけでも目立つのに、こんなことして、なに考えてんの?俺になにしたいの?少しずつ近付いて来るような気がする。無意識に小走りになる。あっちは歩幅が大きいから苦労なく俺についてくる。俺なんてそんなにメジャーなファッションモデルじゃないし。1番人気のあった3、4年前もファンはほとんど女の子だった。もうすぐ駅に着く。タクシーにでも乗って振り払うこともできるんだけど、金使うのもバカらしいし。夏はいつも調子が悪い。俺の機嫌の悪さがソイツによって倍増されて、ほんとに頭にくる。俺は駅前のガラス張りのカフェの前に立ち止まる。男は俺のすぐ後ろにいる。

2

ヤツの姿は、振り向かなくてもかなりハッキリ、カフェのガラスに映ってる。大きなサングラスに、大袈裟なマスクをして、多分白人かハーフ。俺は仕事上ハーフのモデルは間近でよく見てるんで、骨格でそういうのが分かる。今、ガラスに映る俺達の目が合ったような気がする。あっちはサングラスだから、ほんとのとこは分かんないけど。こういう時、俺の性格だと、丸っきり知らん顔をしてカフェに座って、あっちの出方を伺う。なんで俺に挑戦してくるのか?じっくり理由を探ってやろう。

3

座ってすぐ、俺はケータイをいじってる振りをする。男は俺の隣の隣のテーブルに腰を掛ける。高そうな半袖シャツに、高そうなパンツ。シャツは幾何学模様で、素材や仕立てがいい。俺は14才からファッションビジネスにいるから、そういうのは分かる。コーヒーだけっていうのも貧乏くさいかなって、変なところで敵対心を燃やして、俺はアイスコーヒーとチーズケーキを頼んだ。それから思わずケータイに本気になって、来たメールに返事を出したり、明日のスケジュールをチェックしたりを始めて、学校は今夏休みだからいいけど、秀木のバカにもメールを書いた。

「今原宿で、変な男に後つけられて、これからなんの用か聞いてみる。」

すぐに返事が来る。
「危険なことは止めろ。交番に駆け込め。」

「大丈夫ですよ。あっちは大人しく座ってるんで。今、カフェにいるとこ。」

「どうするんだ?」

「分からない。」

そこで会話を止めた。秀木なんかに連絡しなければよかった。また新たに腹が立ってきた。

4

そもそも人のアドバイスをちゃんと聞かないというとこに、俺の間違いがあった。森詩さんが言ってた。秀木はひとりの男のものにはならないし、なんだっけ?一緒になっても他の男ともヤるって。見てると分かるもんな。いい男を見付けた時、あいつは顔がニヤけて、俺にいつもより手を出してくる。ソイツと上手くいってる時は、当然俺には手を出してこなくなる。そしてソイツと別れた時は機嫌が悪くなって、俺にもっと手を出してくる。バカだよな、俺もそれ分かってんのに、そんな時普段よりもっと燃えたりして。それって退廃?浮気してるって分かってる男とヤるって?1回だけだけど、男の匂いがした。ヤツの身体に残ってた。でも俺はなにも言わなくて。すごく刺激的だった。今行ってる定時制高校、来年は絶対卒業する。秀木とは絶対別れる。まだ親の家にいてよかった。ヤツには一緒に住めって言われてたんだよな。ほんとよかった。

5

気が付くと例の男はさすがにコーヒー飲む時はマスクは外している。大きなサングラスはまだかけている。相当のイケメンだな。俺がなにをしたっていうんだろう?なんだか知らないけど、俺に興味あるのは確かだから、ってどういう興味かは知らないけどさ、コイツとヤって秀木とは別れる。だって俺の問題は、秀木以外とヤったことないってことなんだよな。早くアイツから卒業したい。そんなこと考えてたら俺が14才の時初めて秀木に会って、それから今になるまでの俺の恋心がもったいないような気がして来て、まだ好きなのもあるし、どうしようと思って、そう考えながらチーズケーキ食べてて、でも浮気する男なんて、でも好きは好きだし、でも他人は変えられない、でも自分は変えられるって俺のカウンセラーが言ってた。横目でその男を見る。どっかで会った?そんなことない。

6

明斗さん呼ぶ?それとも数臣?いや、人に頼るのはよくない。自分で立ち向かう。俺ももう20才のいい大人なんだから。そしたらこないだ秀木と行ったファッション業界のパーティーのことを思い出して、その写真なんか観ちゃって、ウットリしたりしちゃって、秀木やっぱり一流のモデルだっただけあって、今でもメチャイケメンだし。ヤツの人脈もハンパじゃなくて。あのタキシード姿。失神モノ。彼の周りにはいつもカメラのフラッシュが光ってた。もったいない?俺は自分の指輪を無意識に触り出す。ヤツにもらった左の薬指のカッコいいワシだったかタカだったか忘れたけど、そういう彫刻のデザイン。これを叩き返すチャンスを狙ってるんだけど、じゃあなんでいつまでも指にはめてんの?深い矛盾。

7

でも待てよ。もしあのサングラスの男が俺に話しかけてきて、英語とかで分かんなかったら困るよな?って、やっとその男に対する興味が復活して、あっちを見たら、ヤバいことにあっちもこっちを見てて、もうサングラスは外してて、やっぱり多分ハーフで、やっぱり相当イケメンで、意外と若くて、その時はもう後戻りできないほど、お互いが見詰め合って、こっちにも好奇心とか期待感とかがあって、もう面倒くさいしどうでもいいやっていうのもあったけど、男が立ち上がって俺の方に来た時も俺達はずっとお互いの目を見ていた。

8

あっちが、

「あの・・・」

って言った時、俺は日本語だ、よかったーと思って、思わず笑いが出た。不機嫌のはずなのに変だよな、って自分でも思って、あっちは割と真面目で、俺はこっちの方が年上とみて、そんなに恐怖心はなくて、もちろんそこがカフェで周りに人もたくさんいるのもあって。そしたら俺のケータイが鳴った。秀木から電話。

「玲海どうした?」

「どうしたもこうしたも。」

俺は調子の悪い脳でケラケラ笑い始める。

「さっきの男は?」

「まだいますよ。俺の目の前に。」

「なに者?」

「さあ。聞いてみます。」

聞いてみますって、どう聞けばいいの?

「貴方はなに者ですか?って。」

男はなにも言わない。なにコイツ?頭悪いの?それともバカなの?って、同じことか。俺はもしかしてほんとは日本語話せない?って焦る。撮影の現場ではよく起こることで。今俺が専属やってるファッション誌でもよくある。えらいイケメンのハーフでそいつは年上で男くさいヤツで、ちょっと秀木に似てて、俺は嫌いじゃないけど、日本語が通じない。ベッドの上のからみとかあって、そういう時困る。でもその人はセンスがいいから大丈夫だけど。

9

秀木が痺れを切らす。

「なんだって?」

「分かりません。またこっちからかけますから。」

そう言って俺は電話を切ってやったけど、別にアイツにかける義理ないよなって思った。秀木は丁度今、男と別れたとこらしくて機嫌が悪い。そして俺もこの暑さで超機嫌が悪い。今会ったら絶対ケンカになる。まあその前にヤるけど、それからきっといつかみたいに、秀木が住んでるマンションの4階から飛び下りるとか叫んで、それでスッキリする。いいな。ストレス発散にセックスとケンカと飛び下りる狂言。前やった時は病院に入れられた。やっぱり止めた方がいいかな?じゃあ代わりになにをする?なにか取り返しのつかないことをしでかしたい。まず、自分がアイツに男が色々いるのを知ってると叫んでやる。そしてもう別れると騒いで指輪を投げる。そういえば最近外してないから、ちゃんとしたタイミングで投げられるか試してみよう。リハーサル。あ、よかった。ちゃんとすぐ取れる。それから俺はもう別れるから、とキッパリ。無理かな?こないだベッドで、君がいつまでも高校生でいてくれると、高校生とヤってるみたいでいいとか、バカみたいなこと言ってたな。あの時、可愛いなって思ったんだけど。

10

その怪しい男が俺のことをじっと見ている。俺は集中力がなくて、それは今、ややハイだからで、それは俺が双極性障害だからで、だから頭が思考でいっぱいになる。俺は秀木ひとりしか知らないから、男と別れたこともないし、だからどうやって別れたらいいかも知らない。また森詩さんに聞いてみる?メールしてみよう。

「やっと秀木と別れる気になりました。でもどうやって別れたらいいのか分かりません。ご指導を願います。」

意外とすぐ返事が来た。

「新しいのを作るのが一番だから、今度俺がもっといい男を紹介してあげる。」

「森詩さんね、それ随分長い間ずっと言ってますよ。」

「そうだったかな?」

あんまり当てになんない。もっといい男ね。コイツはどう見ても俺より若いし。秀木は俺より14も上なんだよ。若いのとヤるってどういう感じなんだろう?

11

そう思って俺はソイツの顔を見た。

「あの・・・」

それさっきも聞いたけど。俺はその言葉の他になに言えるんだろうか?ってしばらく雑念を絶ってそのまま待つことにする。

「俺、今行くとこなくて。」

いきなりそれ?俺にそんなこと言ってどうすんの?

「俺、実家だし。」

「そうですか。」

そしたらその男、いきなり外に出ようとするんで、

「ちょっと待ってよ!」

もちろん好奇心もあったけど、可哀そうな気持ちもあって、彼を俺の向かいに座らせた。ウエイターが飛んで来て、彼の伝票を俺のテーブルに持って来る。俺に払えって?それを見ると、コーヒーだけじゃなくて、しっかり食うもんも食ってる。まあ大した金額ではないけど。

12

そいつ近くでよく見ると、やっぱり可愛い顔をしている。俺はまだ機嫌は悪かったけど、一応フレンドリーな振りをして聞いてやる。

「なんで俺なの?」

「知ってる人が他にいないんで。」

「俺のこと知ってるの?」

「はい。『リタルダンド』で。」

それは俺が今専属をやってる、退廃がテーマの変なモード雑誌。

「俺達一緒に仕事した?」

「いえ、いつも本、立読みしてるから。」

その知ってるなんだ。やっぱりコイツバカなの?俺はちょっとイラっとくる。

「なんであんなサングラスかけてんの?マスクまで。」

「そうしないとうるさいんで。」

「なにが?」

「あの、モデルになれって。」

俺はできるだけ湧いてくる雑念を払って、そのことについて考える。俺の時もモデルにはなりたくなかったけど、あの時は選択の余地がなかった。中2病で親に見離されて。小さい時はお人形みたいに可愛がってた俺を。いい気なもんだよな。俺の頭が壊れているのを知って、壊れたお人形を捨てるみたいに。

「モデルになるんなら俺、オフィスに聞いてみるけど。寮があるし。別に大したことないマンションだけど。結構しけてるし。二段ベッドで。」

「イヤなんです。」

「イヤだったらいいけど。」

13

俺はまた雑念に戻る。あっちも黙って座っている。俺は実家だから男は連れ込めないよ。そしたら勝手に色んなアイディアが浮かんでくる。秀木ってよくあんなに上手く浮気するよな。いつヤってるんだろう?そりゃ俺だって24時間見張ってるわけにもいかないんだから。だったらもし俺が浮気したら?どうなる?これは面白い。秀木の家にこの子を連れ込んでヤってやる。ベッドにふたりで。いいな。どうせ行くとこないって言ってるし。カギならちゃんと持ってるし。いつ?今?いいんじゃない?俺はこのクレージーな計画を実行することに決めた。知らない子だし、なにが起こるか知らないけど。俺の家じゃないし。

「友達に頼んでみるから。」

彼の顔がパッと明るくなる。

「名前なんて言うの?」

「駿也。」

14

俺達はそこを出て、一緒に駅に向かう。彼の幾何学模様のシャツ、すごく俺の好み。

「いいシャツだね。どこで買ったの?」

「盗んで来た。」

「マジで?」

「男の家から。」

「そのパンツも?」

「そう。それに財布があったから、少し抜いてきた。」

「なんで?」

「追い出されて。」

「なんで?」

「浮気したから。」

なんだ。コイツも浮気性か。

「他に荷物はないの?」

「全部置いて来た。」

「置いて来て、高い服を着てきたの?」

彼はうなずく。なんで浮気するヤツって浮気するんだろう?俺なんて14の時からずっとひとりの男が好きで、初キスも童貞も全部ソイツに捧げて、それでも浮気されて。電車に乗り込む。バカでかいサングラスはしてるけど、やっぱり人が彼の方を見る。俺の方も見るけど。慣れてるからいいけど。俺達ふたりでいると余計目立つ。彼はポケットから、またあの大袈裟なマスクを出してかける。そこまで顔を隠したいなんて、なんか病的なものを感じる。俺も病気だからなんか分かる。自分を醜いと思ってる?逆だよな。逆コンプレックス。それは分かる。俺も可愛いと言われるの超イヤだったから。自分のせいじゃないしな。女っぽかったから余計イヤだった。女の化粧されて女の服着せられて。そうだ。このまま秀木の所に行ってもどうせまだ働いてる時間だから、会社の方に行ってやろう。

15

秀木の会社が見えて来た。ドアの前にカッコいい飾り字で、『スケルツォモデルエージェンシー』。駿也がビクっと反応する。

「ここの社長のとこに泊めてもらうから。ちょっと挨拶だけしよう。」

俺は彼のサングラスとマスクを取らせる。俺のもそうだけど、彼の目も大きくてお人形の目。髪は綺麗なウエーブになってて、キラキラ光って見える。俺もそうだけど、天使の役が似合いそう。俺はもういい年になっちゃったけど、彼ならまだいけそう。背は大分高い。秀木よりもっと高い。年は若いし可愛いし。いいかも。俺は彼の髪と着ている物を綺麗に整えてあげる。

16

ドアを開けるといつものように、受付には美夏という女性が座っている。

「あら、玲海君、どうしたの?」

「ちょっと社長に。」

「今、お客さん。野中さん。」

野中さんは俺のやってる雑誌のアートディレクター兼、編集長。駿也を見て数臣が走って来る。

「誰、誰、君?」

背が高過ぎて無理だけど、彼は俺の陰に隠れようとする。

「この子は俺の友達。」

「へー、どこのエージェンシー?」

「ただの友達だから。」

俺が睨むと、彼は駿也に気持ち悪いほど優しく声をかける。

「家で働きたかったらいつでも言って。」

そして残念そうに自分のデスクに戻って行く。プロのエージェントの数臣がそこまで言うなら、駿也は相当可愛いんだな、ヤッター!計画実行決定!美夏が俺達を見ながら考える。

「野中さん、もしかして玲海君に会いたいかも。聞いてあげるから。」

17

彼女が社長室のドアをノックする。

「玲海君が来てますけど。」

中から社長の声がする。

「なんだ?」

俺は首だけ覗かせる。

「ちょっとご挨拶に。」

野中さんが俺を見て微笑んでくれる。

「玲海さん、久し振り。最近私もなかなか現場に行けないから。」

俺は駿也を促して、ふたりで中に入る。

「今日、俺達行くとこないんで、社長のとこに泊めてもらおうと思って。」

秀木は俺達の顔をジロジロ見る。野中さんの前では断れないだろうと思って、俺はほくそ笑む。

「この彼は駿也と言って、『リタルダンド』のファンだそうです。駿也、この方は『リタルダンド』の編集長。」

それを聞いて彼は意外なほど興味を示す。

「そうなんですか?僕、創刊号からずっと観てます!」

立読みのクセに、と俺は思う。野中さんは嬉しそうに駿也の方を見る。

「貴方はどちらのエージェンシー?」

「僕はモデルじゃないです。でも本を作るのには興味あります。」

「じゃあ、そのうちなにか一緒にやりましょう。君はなにがやりたいの?」

「特集を考えたり、コピーを書いたり。」

「企画のお仕事。いいですね。なにかアイディアが浮かんだら教えてください。」

18

俺達は野中さんと社長に、可愛く微笑みながら社長室から出て、数臣と美夏に手を振る。今何時?6時過ぎ。なのになんでこんなに暑いの?俺の脳が文句を言っている。早く秀木の家に行ってエアコンをつけよう。エアコンをつけてから、コンビニに行って食べる物とかを買おう。俺はそういう計画を練った。秀木は俺のためにペリエ買っといてくれるけど、いつもとは限らないし、冷蔵庫チェックしてから買い物に行こう。俺の脳の具合が悪い時、それがあるとスッキリする。炭酸の泡が脳細胞に入り込む。そんな気がする。そういうことを考えてたら、また駿也のことを忘れていた。秀木のとこは会社から10分くらいだから。それ言っとくの忘れた。

「社長の家、歩いて10分くらいだから。」

「分かりました。」

彼は微笑む。サングラスとマスクしてるからよく分かんないけど。

19

秀木のマンション。最後に来たのは3日前。つい習慣で、ベッドの中とかキッチンのテーブルとか、不審な物はないか確かめる。そうだ、いいことを思い付いた。浮気するヤツの気持ち、それを聞いてみたい。でもまずエアコンのスイッチを入れる。それから冷蔵庫を開ける。1晩に十分なほどのペリエが入ってる。これは俺に下手に出てることを物語っている。男と別れたばっかのハズだから、俺の機嫌を取っている。熱帯のようなマンションを出て、俺は駿也を従えてコンビニに向かう。彼は真っ直ぐ雑誌のコーナーに向かう。俺はプリンとかゼリーとか食欲のない病人が好むような物を籠に入れて歩く。『リタルダンド』の新しい号が出ている。俺もまだ見てない。駿也の肩越しにのぞく。

20

巻頭の特集。こんなモデルより駿也の方がよっぽど可愛い。やりたくないヤツに薦めはしないけどさ。俺ってなんでか知らないけど、ヌードが多い。

「玲海さん、身体ほんと綺麗ですよね。」

ドキッとするようなことを言う。それは背中から撮った写真。窓の外に、接近した男ふたりの姿。テーマは嫉妬。俺はベッドで半身起こして、ケツ半分見えてる感じ。なんで俺って、いつもそんなんばっか?なかなか服を着せてもらえない。服着ててもシャツのボタン全部留めてないとか。なんか急になにもかもイヤになってきた。俺はプリンもゼリーも棚に戻して、コンビニの外に出た。

21

人を変えることはできない。変わるとしたら自分。秀木のことが好きな自分。それをどう変えればいいの?森詩さんは新しいのを探せって言ってた。そんな人どこにいるの?どうせならちゃんと俺のことだけ見てる人がいいな。そしてずっと一緒にいてくれる人。やっぱアイツと付き合おうかな?スケルツォのモデルで俺のこと好きで、時々電話かけてくるヤツ。名前も覚えてないけど。でもアイツバカだからな。人のこと言えないけど。俺なんて20才でまだ高校生だし。でもあんな若くで可愛いけどバカなヤツと付き合ってどうすんの?でも俺のことはほんとに好きみたいなんだよな。秀木ってほんとうのほんとうは、俺のことどう思ってるんだろう?今、気付いたけど、もし俺が彼と別れることになったら、絶対とんでもないことになる。死ぬか生きるかの。別れたいけど、きっと別れられない。でも相手の気持ちは変えられない。このままなにも食べずにペリエだけを飲み続けて、行き倒れて死のうかな?そのためにはこの東京の炎天下をどのくらい長い間歩き続けなければならないのか?

22

「玲海さん、どこ行くんですか?さっきの所だったら逆ですよ。」

俺ってどうしていつもコイツの存在忘れるんだろう?イケメンで背も高くて、普通のヤツより断然存在感あるのに。逆コンプレックスで変なマスクとかはしてるけど、でもまあ俺の方がもっと頭可笑しいのは分かってるけどさ。

「なんか歩きたくて。」

そう言った途端涙が溢れて来て、いきなり号泣。

「さっきの所へ戻りましょう。部屋ももう冷えた頃ですよ。」

彼は俺の手を子供にするみたいに握って、さっきと反対の方向へ歩き出す。それからさっきのコンビニの前で立ち止まって、俺はまだ号泣してて、彼はマスクの上からだけど俺にキスしてくれて、マスクの上だからそれは俺には全然影響力がなくて。

「食べる物、買って行きましょう。」

彼はプリンとゼリーを籠に入れてくれる。さっき見られてたみたい。

「他にもなにか食べた方がいいですよ。」

俺は栄養のあまりなさそうな菓子パンみたいなのを籠に入れる。そして俺がボーっとしてる間に彼がレジで払って、また少し歩いて、マンションに着く。さっき電気消して出て来たのに、電気がついている。玄関のドアを開ける。俺はまだ泣いていて、号泣とまではいかないけど、その半分くらいの勢いで泣いてて、ドア開けたら駿也がマスク取って、俺の顔を上に向かせてまたキスをしてくれる。俺は秀木以外にキスしたことないからショックだけど、コイツ未成年のクセにすごくキスが上手で、さすが浮気とかいっぱいしてきただけあって。

23

まだ泣いてたし、少しボーっとしてたら、誰かが俺を呼んでいる。

「玲海!」

「あれ、秀木。どうしたの?こんな早く。」

秀木が俺の腕をつかんで、キッチンの方へ連れて行く。俺はわけが分からずに、

「なに?」

って聞くと、彼は俺の耳にコソコソ語りかける。

「お前、なんのつもりだ?」

「なんのつもりって、なに?」

「あんなヤツとキスして、どういうつもりだ?」

「俺が泣いてたから。」

秀木は椅子に座り、俺の顔をジッと見る。思い出したけどコイツ男と別れたばっかで、俺のご機嫌を取ろうとしてる。でも別れたから機嫌も悪い。そうそう、だから今度会ったら絶対ケンカすると思ってたんだ。すっかり忘れてた。

24

そんなことを考えてるうち、やっと涙が止まった。泣いた後は腹が減る。俺は、まだ玄関に立ったままの駿也が持ってる、コンビニの袋に手を入れて、菓子パンを取ろうとして、そしたらそこには俺の知らないたくさんの食べ物が入っている。俺は、

「一緒に食べよう。」

と言って、駿也をキッチンに連れて来る。俺は菓子パンにかじりつく。

「すいません急にお邪魔して。」

意外と礼儀正しい。秀木は俺の考えでは、俺の機嫌を取ろうとしてるから駿也にもナイスにしようとしてる。でもさっきのキスに関してはいいことだとは思ってない。

「君は玲海とはどういう知り合いなの?」

「僕が『リタルダンド』のファンでそれで。」

「へえ。どうして行く所がないの?」

「追い出されて。」

「なんで?」

「僕が浮気して。っていうか実はそれが2回目で。」

「それは大変だったね。」

「前の時はもっと大変だったから。その時は半分ヤクザみたいな人で、その時も僕が浮気してて、殴られたけど、顔は大丈夫だった。」

俺は菓子パンは食べ終わって、これからプリンにいくかゼリーにいくか考えてるところで、自然にこんな素朴な質問が出て来た。

25

「なんで浮気なんてするの?」

ふたりは俺から目をそらして、でもそれがふたりで反対側だったから、それが可笑しくて俺は笑い始めた。そしてプリンを先に食べることに決めた。駿也がテーブルに置いてある『リタルダンド』の最新号を見付けた。彼がペラペラページをめくり始める。

「玲海さんの身体ってほんとに綺麗ですよね。」

俺はそんなことで誤魔化されてなるものか、と思って、もう1度聞いてみた。

「なんで浮気なんてするの?」

駿也は、まだ本から顔を上げずに答える。

「僕、顔にコンプレックスがあるから、内面のことをちょっと褒められると、いとも簡単に落ちちゃうんです。惚れっぽいのかな?」

罪のない天使の様に微笑む。そしたら秀木が意外な意見を。

「そうだろうな。俺だってその辺を攻めるな。」

俺はプリンを頬張りながら、秀木を思いっ切り睨む。斜め目線で。

「じゃあ秀木はどうして浮気なんてするの?」

俺は今までそんなこと絶対言ったことないし。開き直るかな?と思ったら、意外に穏やかな顔をしている。

「君がいるのに、どうして浮気なんて?」

「どうして、ってそれを今聞いてるんでしょう?」

26

駿也が本から目を上げて俺達の顔を、代わる代わる見る。考えてみたら第三者がいるというのは、ラッキーなことかも。大人の男がどうやって浮気の弁明をするのか、よく伺っておこう。俺はゼリーの蓋を開け始める。

「俺はもう終わりにしたい。浮気するような男とはやっていけない。」

なぜか駿也が俺に共感して、うなずく。

「玲海さんね、浮気は不治の病だから、別れた方がいいですよ。」

「でも俺、14の時から秀木のことが好きで、今20才で、童貞も捧げて他の男知らないし。」

「大丈夫ですよ、そんな。男なんてどれも同じだから、すぐ慣れますって。」

「そういうもんなの?」

それはコーヒーゼリーだから、俺はちゃんとクリームをかけてから食べ始める。そして秀木はなに言うのかな?と思ってチラって見たら、なんかシリアスな顔で黙ってて、なにか言うようには見えない。弁明しないというのは偉いかも知れない。でもこれからするのかも知れないけど。

「森詩さんが、秀木はもし一緒になっても他の男ともヤるって。」

秀木はしばしの沈黙を破る。

「なんでそんなことを?」

「だって森詩さんと付き合ってたんでしょう?」

「あの時は他にはいなかった。」

俺は黙って怒りを抑えるために、コーヒーゼリーに集中する。そしたら駿也が、俺のために反撃してくれる。

「じゃあ、今はいるってことですよね?」

「そうではない。」

「そうですって。」

意外にも駿也が、俺の味方に回る。

27

なんだか息が苦しくなってきた。俺の不安障害。冷蔵庫を開けてペリエを出して飲む。でも全然効き目がなくて、こんな時家にいたらきっとピアノを弾くと思う。そうだ、そうしよう。これから家に帰ってピアノを弾こう。そうとなったら荷物をまとめて。どうせ帰るなら、ここにはもう帰って来ないつもりで、全部は持っていけないけど、大事なものだけ小さいトランクの長い手のついた、ゴロゴロ転がすヤツ、なんて言うのか忘れたけど、あれに詰めれるだけ詰めよう。

28

俺は自分の部屋として使わせてもらっていた部屋に入る。今、名前思い出したけど、キャリーバッグに入るだけ入れる。学校の本とか、服とか。引き出しをガタガタ開けてたら、奇跡的に抗不安剤が出てきて、それを飲む。少し気持ちが楽になる。早くピアノを弾きたい。今バッハをやっていて、俺の好きな『イタリアン協奏曲』。今まで難しいから弾かなかったんだけど、そろそろいけるかなって思って。確かに大変だし長いし。でも時間をかければできそうな感じ。だけどあの曲すごく速く弾かないとほんとのカッコよさが出ないんだよな。早く家に帰って昨日の続きをやろう。

29

玄関を開けたところで、漫画みたいに襟の後ろをつかまれて動けなくなった。

「玲海!」

秀木の声。気がスーって遠くなって、でもヤツの胸に倒れるのがイヤだったから、玄関の床に倒れた。そのまま眠くて目を閉じた。秀木と駿也が、俺をベッドに運んでくれる。秀木のベッドで寝るのイヤなんだけど。もしかしたら贅沢言ってる場合じゃないのかも。駿也の声。

「この箱、あっちの部屋にありました。全部飲んじゃったみたいです!」

30

いつもの病院に逆戻り。俺って進歩ないな。中学生の時とやることは変わってない。あの頃は自傷行為が酷くて、手首にたくさん傷があった。オーバードースだって自傷行為だもんな。やっぱり進歩がない。俺ってまだ中2病なのかな?秀木に初めて会った時はそうだった。コッソリ薄目を開けたら彼がいたから、また目を閉じた。でも見つかってしまった。

「玲海。」

気持ち悪いほど優しい呼び方。俺はこの人から離れたいんだから、あんまり優しくしてもらったらヤバい。少し起き上がる。視界に俺のなんだっけ?キャリーバッグが壁に立てかけてあるのが見える。これを転がして俺は家に帰る。なんだか胸が痛い。胸から血を流しているような痛みがある。俺は着てるTシャツをまくって胸を押さえる。血は出ていない。

「胸が痛い。」

「今、誰か呼んで来るから。」

31

ドクターに診てもらった。でもなんともなくて、多分ストレスだろうって。寝てるとよけい痛いんで、俺は起き上がってベッドに座る。あれからどのくらい経ったか知らないけど、まだ眠い。薬指の指輪。どうしてまだしてるんだろう?あのマンションに置いて来てやればよかった。今からでも遅くない。そう思って俺は指輪を外して、投げたりはしなかったけど、秀木に手渡した。

「これはしばらく預かっておくから。」

また気持ち悪いほど優しく。俺はもうアンタのとこには戻らないよ。中2病の時俺はなにを考えてた?俺は大人になりたくなかった。今20才になったけど、とても大人とは言えない。そういう意味では俺の人生は成功している。胸の痛みが続く。もしかしたらコイツがいるせいで痛むのかもしれない。なんて言えばいいの?少し考えて、

「ひとりにさせて。」

そう可愛く、しかし冷たさも込めて言ってみた。

「君をひとりにはさせられないよ。ドクターにも言われてる。」

ここで俺の不機嫌のスイッチが入って、叫び出す。

「ふたりでこんな風にいたくない!」

枕を投げつけてやろうと思ったけど、思いとどまって、でも床に投げた。秀木は電話をかけ始める。俺は、

「親にも来てほしくない!」

と叫んで、ギャーギャーと泣き出す。この病室から逃げればいいんだって気が付いて、床に下りたら足に力が入らなくて、倒れてしまう。自分のせいだけど、情けなくってまたギャーギャー泣きわめく。どこにかけてるのか知らないけど、秀木はいくつか電話して、終わる。

「森詩も明斗も今晩は来られないけど、明日は来てくれるって。だけど今夜が。」

そう言った時に、廊下の窓から、変なでっかいサングラスとマスクをつけた男が顔を覗かす。

32

秀木がいなくなったら、やっぱり胸の痛みも止まって、ベッドの上で横になった。駿也はやっとサングラスもマスクも外す。

「この病院来たことないから、探検して来た。」

「俺はこの病院、中1の時から入院してる。」

「どこが悪いの?」

「双極性障害。」

「ふーん。僕のはね、身体醜形障害。」

それって自分のことを醜いって思い込むことだよな。俺は自分も双極性障害だけじゃなくて、不安障害や強迫観念があるから、精神の病気についてはそれなりに詳しいつもり。だけどこれだけのイケメンハーフが自分のこと醜いと信じるって、ありえない。そう考えてたらまた寝ちゃって、起きたら昼間で、側に森詩さんがいてくれた。

33

「秀木と別れた。少なくとも俺はそのつもり。」

「あっちはなんて?」

「指輪はしばらく預かっておくって。」

「君のためにもっといい男を探したけど。」

「ダメだったの?これだけ待たされて?」

俺の人形の目から涙がひと滴。

「男ってひとりの人に縛られるのイヤなタイプが多いじゃない?ゲイだとそれが倍になるわけだから。」

よく分かんない。だって森詩さんなんて理想的な彼氏がいるのに。でもいいや。彼が来てくれて俺も少し気持ちが落ち着く。まだトイレにさえひとりで行けない。誰かの肩につかまらないと歩けない。

「玲海、自殺願望があるの?」

「それはね、ずっとずっとある。中学生の時から。」

「すごかったもんね。」

「ずっと聞きたかったんだけど、紅葉さん、俺をモデルにした小説書いたのかな?」

「なんかそんなようなのは書いてた。」

そんなようなのか。3年も森詩さんと紅葉さんの家に住まわせてもらったのに、なんのお礼もできてない。でも今そういうこと考えるのはよそう。疲れちゃった。

「さっきまでここにいた、背の高いイケメンは誰?モデル仲間?」

「そうじゃないけど、よく知らない。若いけど苦労してるみたいで、行くとこないみたい。」

そんなことを話していると、サングラスとマスクをした彼が戻って来た。行くとこないんだから、帰ってくるよな。

34

「玲海さん、起きたんですね。よく寝てた。」

「ありがとう。ついててくれて。」

「丁度いいです。僕ここにしばらく泊まります。お風呂付個室なんて素晴らしい。」

「森詩さんね、この子、駿也っていうの。」

駿也は森詩さんに、礼儀正しく挨拶する。

「駿也君ね。なんでそんなサングラスとマスクしてんの?」

「実は僕。」

「なになに?」

森詩さんはいつものように好奇心が強い。

「身体醜形障害があるんです。」

「なにそれ?」

駿也が色々説明する。

「行くとこないなら、家にいらっしゃい。紅葉に聞いておくから。いい小説のモデルがいるって。」

それはいいアイディア。でもほんとに駿也がモデルの小説書くとは思えないけど。俺なんて3年もあそこにいたけど、全然だし。紅葉さんって、ただ屈折した面白い若者と住むのか好きなだけなんじゃない?

35

森詩さんは昼間ずっといてくれて、一緒にご飯食べてくれて、トイレに連れてってくれて。でも好奇心が旺盛で、しかも喋るのが好きだからすぐどっかに行ってしまう。きっと病院中の人と喋ってるんだと思う。駿也も病院内を徘徊するクセがあって、だからあの2人は丁度2人で1人分くらいの役に立って、だからまあいいや、という感じに俺は思っていた。夜になる頃にはようやく身体に力が戻って、ひとりで歩けるようになった。

36

夕食の時間が始まる頃、明斗さんがお見舞いに来てくれた。

「玲海はもっとクリエイティブなことしてた方がいいよ。」

「明斗さんいつもそう言ってくれるけど。」

「そしたら男のことなんて忘れられる。また俺がメイクして写真撮るから、ふたりで作品創ろう?」

「どんなの?もう俺、疲れちゃってなんにも考えられない。」

そこへ駿也がフラフラ戻って来た、サングラスとマスクで。

「どこ行ってたの?」

「僕も精神科に行ってみようと思って。」

「いいんじゃない?」

「でも僕、住所不定でお金もないし。」

「それは森詩さんがなんとかしてくれるよ。」

明斗さんはジッと駿也のことを見る。

「お金欲しいんなら、ちょっと俺たちの撮影手伝ってよ。」

撮影と聞いて、駿也はビクっとする。俺は急いで言ってやる。

「この子、顔出すのイヤなんだって。」

「じゃあそのままでいいから。」

37

その言葉を聞いて、駿也はゆっくりとサングラスとマスクを外す。明斗さんは彼の顔をプロの目で観察する。

「どうして顔出すのがイヤなのかは知らないけど、それだったら、俺が顔にペイントする。誰だか分かんないように。」

「それでも顔、分かりますよ。」

「それは写真撮る時、できるだけ平面に近く撮るから。玲海とだったら、いいコンビネーションになるよ。君がバックに正面を向いて、玲海が横顔で。」

俺はベッドから半身起こして、話を聞き入る。

「ほらね。玲海はなにか創ってた方がいいんだ。しばらく秀木さんと離れて創作活動をしよう。」

「明斗さん、忙しいんじゃないの?」

「そうでもない。今のうちに作品撮りだめて、営業に使えるし。俺達ずっとそれやってきたじゃない?秀木さんにも言っておくから。」

「秀木にはもう会いたくない。仕事も辞めたい。」

「玲海は仕事してた方が健康になれるよ。移籍したいんなら、俺が紹介するし。」

そういうことができるんだ。でも俺は焦る。俺、秀木にスカウトされて今みたいになれたんだから。でもあんな浮気な男の側にいたくない。明斗さんは微笑んで、俺を見る。

「考えておけばいいから。モデルのエージェンシーなんてたくさんあるし。もっと大きなとこもたくさんあるし。」

「でも秀木を裏切るのはどうかな?」

「もう会いたくないんでしょ?考えて。また会いに来るから。」

彼はそう言って帰って行った。

38

駿也は明斗さんの後ろ姿を見送って、

「今の人、側にいると安心する。」

「俺もそう。初めて会った時から。有名なメイクアップアーティストだよ。一緒に作品創ろう。」

「あの人とだったらできるかもしれない。」

「精神科に行って来たの?」

「もう閉まってたから覗いただけ。」

森詩さんが早く紅葉さんと話し合って、駿也のこと決めてくれればいいんだけど。明日電話してみよう。

「駿也には家がないの?」

「あるけど、帰りたくない。」

「今、いくつ?」

「18。」

「そう。俺も14の時から家を追い出されて、森詩さんの家にお世話になってた。今はまた家に戻って、来年高校を卒業したら、多分ひとり暮らしする。分かんないけど。」

「俺は小学生の時から祖父母の所で暮らしてて。」

「ふーん、色々あるんだね。」

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俺はそれ以上深く聞くつもりじゃなかったんだけど、駿也の口が止まらなくなったみたい。

「僕の母親、顔が不細工で、身体はエロくていいんだけど、それでワーキングホリデーに行って・・・玲海さんそれ知ってる?」

「うん。聞いたことある。」

「交換留学生みたいで、でも1年間働けるの。色んな国が選べるんだけど、母はカナダに行って、ヤりまくって子種を仕入れて日本に帰って来て、それで僕が生れた。もちろんね、ワーホリみんながああじゃないけど。」

「マジで?」

「うん。綺麗なハーフの子供が欲しかったって言ってた。本人から聞いた。でも僕が小学生の時、突然改心して、人間は顔じゃないとか言い始めて、普通の会社に入って普通の人と結婚して、僕のことはただの過去の過ちみたいな。」

40

「母親って子供のことは愛してるもんなんじゃないの?」

「母には普通の子供が2人いて。」

「普通の子って、じゃあ駿也は普通じゃないの?」

「玲海のお母さんは?玲海を愛してるの?」

俺の母親は俺が小さい時はお人形のように可愛がってくれた。でもそれからは?

「確かに。俺の母親も俺のこと愛してないと思う。3人目のいらなかった男の子。ただ、お人形みたいに可愛かったから、女の名前をつけて連れて歩くのが楽しくて、でも中学生の時、頭が壊れて、いらなくなった人形はおもちゃ箱の隅に放り投げられて、忘れられて。」

また胸が痛い。疲れ切ってもう出ないと思ってた涙が頬を伝う。

「ゴメン、玲海。」

俺は彼に微笑む。玲海、って呼び捨てにしてくれたのが、親し気でうれしかった。

「駿也。」

「僕達きっと助け合える。」

森詩さんは駿也の祖父母と話し合って、彼をしばらく紅葉さんの家で預かることになった。紅葉さんは彼の話を聞いて、会うのを非常に楽しみにしているらしい。

41

俺はひどいウツになって、でも医者は身体が治るまで薬を変えたくないって。そのうち俺は、秀木の写真観ながら涙を流すことが多くて、特にあのパーティーの写真。タキシードを着て、人々の中心にいて。駿也はまだずっと付き添っていてくれて、心配してくれる。

「玲海なんで泣いてるの?」

「忘れられなくて。」

彼は俺のケータイを見る。秀木の写真。

「あの人。別れるんなら忘れないと。」

「でも忘れられない。そういう病気だから。」

「病気?」

「強迫観念。秀木のことは、付き合う何年も前からずっと考えてた。1日中、毎日。」

また胸が痛い。身体の力は大分戻ってきたのに。秀木のことを考えるのが止まらない。さっき明斗さんからメールが来て、秀木と話して、俺はしばらく会えないって言ってくれたららしい。でもまだ移籍するとかそういう話はしてないらしい。秀木のことを考えながら枕を濡らしていると、側で駿也がガタガタなにかをしている。

「なにしてんの?」

「『リタルダンド』のあれ。」

「なに?」

「企画考えて持っていこうと思って。こないだの人に。」

「野中さん。あの人とにかく退廃の大家だから。」

「退廃ね。よく考えてみる。でも今の玲海、結構退廃だよ。」

「なんで?」

「だって別れたい人のこと、ずっと考えて泣いてるんでしょう?」

「それって退廃なの?」

「そうでしょう?なんだか意味分かんないし。」

意味分かんないことって退廃なんだ。それは知らなかったけど、それより俺の撮影とかどうなってんのかな?秀木には聞きたくないな。数臣にメールしよう。

42

「しばらく入院する予定です。俺の仕事どうなってるの?」

「広告とか、伸ばせるものは伸ばして、あとのは他の人に回しました。『リタルダンド』の撮影は予定通り来週末だから。」

あの雑誌、いつも俺が具合悪い方が嬉しいんだよな。退廃が好きだから。

「駿也、来週末『リタルダンド』の撮影あるから一緒に行こう。」

「どこでやるんですか?ここで?」

「知らない。あの人達の考えてること。」

「玲海の涙で濡れた目、セクシーですよ。」

見せモンじゃないって。そんなことしながらも、やっぱり俺は秀木のこと考えてる。俺の初キスのこととか、初童貞喪失のこととか。童貞喪失って、初つけなくていいよな。どうでもいいけど、そんなこと。あ、でもこないだ駿也とキスした。あれが秀木以外とした初キス。あれ、悪くなかった。駿也とヤっちゃおうかな?あ、でもコイツ浮気性だから。またトラブルになるだけだな。また秀木のことを考え始めた。やっぱり明日、医者と掛け合ってなんとかしてもらおう。このままだと体力と水分を消耗し過ぎる。涙が止まらないし。なぜか駿也が俺の服を着ている。

「なんでそれ着てんの?」

「すいません。」

「ひょっとして下着とかも?」

「それは下で買って来ました。」

「そうだ、じゃあペリエ買って来てくれない?」

「一応目は離さないようにって言われてるんで。」

「じゃあ一緒に行く。」

「それは看護師さんに聞いてみないと。」

そういえば、コイツと森詩さんと必ずどっちかはいたもんな。入れ替わりは激しかったけど。全然気が付かなかった。じゃあ俺って自殺願望あると思われてるんだ。そんなことないと思うんだけど。しかしやったことがアレだから、説得力がない。

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数日経って、俺の身体はよくなったけど、まだウツで泣いてて、秀木のことはずっと考えていた。駿也はまだ付き添っていてくれて、ありがたいんだけど、鬱陶しい。自分で書いた物を読み上げる。

「どうしても忘れられない人。別れることは大分前から決心してる。なのに涙が止まらない。」

「なにそれ?」

「『リタルダンド』ですよ。なかなかカッコよく決まらない。ビジュアルから決めた方がいいんですかね?」

知らないそんなこと。俺、前に専属やってた若向きの雑誌では、自分で企画考えたりしてたな。それはその雑誌があまりにもひどくて、いつも笑って、って言われてばっかで、笑うような気分じゃない時にそれ言われると腹が立って、だから自分で考えて、笑わなくていいように。あの時俺、どうしてたんだっけ?ビジュアルが先だったような気がする。でも忘れちゃった。

「あ、分かった。嫉妬をテーマにした方がいいんですかね?」

俺に聞かないで。あれ、でも嫉妬って最新号のテーマもそうだった。まあいいか。どうせ恋愛感情なんて全て嫉妬の世界だし。それに雑誌なんていつも同じみたいなもんだし。

「男の嫉妬は激しいですよ。僕、散々殴られたもん。でもそいつ、僕の顔は気に入ってたんでそこは大丈夫だった。」

そうだ、いいチャンスだから聞いてみよう。

「浮気する人って、何考えてすんの?」

彼は少し考える。

「そんな、なんにも考えてないと思いますよ。」

「付き合ってる人を傷つけるとか思ってないわけ?」

「バレなきゃいいわけだし。」

「そんなんすぐ分かるじゃない?」

「それは玲海がお利口さんだからですよ。」

俺ってお利口さんなんだ。

「でも結局バレたんでしょう?」

「それは僕がおバカだからですよ。」

なるほど。じゃあ秀木もおバカなんだ。

「玲海はどうして浮気分かるんですか?」

そんなことを教えて、今後の参考にされても困るんで、その辺は黙っておいた。

44

駿也はまた、なにか書いた物を俺に読んで聞かせる。

「時計をなん度も見てしまう。彼のPCを開けてみたけど、パスワードが分からない。」

「なにそれ?」

「嫉妬。僕、人に嫉妬したことないから分かんないな。」

「ないの?」

「されたことはたくさんある。あ、でも僕は普通の顔したヤツ等には嫉妬する。」

「同じ感情じゃないの?」

「そうかな?じゃあ・・・」

どうもコイツ、あんまり嫉妬については大家でないみたい。まあ、お世話になってるし、助け合える仲だって言ってたし、俺が少しヒントを与えてみよう。

「別れたいのに別れられない人。」

駿也がこっちを見る。

「浮気してるのが分かってる男と寝る。退廃のセックス。」

「いいね!さすが玲海。」

45

もういいや。ついでに言っちゃおう。なんで浮気してんのが分かるのか。

「秀木の浮気。いい男見付けた時は、ニヤけてて機嫌よくって、いつもより俺に手を出してくる。」

「え、そうなんですか?」

「そうそう、それでね、ソイツと上手くいってる時は当然だけど、俺には手を出してこなくなる。そして、ソイツと別れたら機嫌が悪くなって、俺にもっと手を出すようになって、でも同時に俺の機嫌を取るようになる。」

「へー、そういうことで分かるんだ。」

「秀木は今、丁度別れた時。だって冷蔵庫にペリエがいっぱい入ってた。」

「それでバレるんだ。すごいな。お利口な人は騙せないね。」

「まあね。」

このくらいヒントを上げればいい企画練れるハズなんだけど。そうだ。もうひとつ忘れていた。

「1度ね、俺、秀木とヤってて、違う男の匂いがした。」

「わー、それって退廃!それで玲海どうしたの?」

「すごい刺激だった。嫉妬と愛欲の混じった。」

「わー、すごいそれ!」

それから彼は長い間、紙の上になにかを書いている。

46

そしてそれをやっと俺に見せてくれる。

「まずコピーがね、『密通。香りの証拠。』」

密通ね。いい言葉かも。俺にはそんなの思い浮かばない。

「いい線いってる。」

「そうですか?よかった。それからこれが絵コンテ。」

「え、タキシードなんだ。なんで?」

「だって玲海がずっとそれ見てるから。」

俺のケータイ。秀木の写真。別れるつもりの男の写真。

「別れるつもりの男の写真、涙流して見てるなんて。バカみたいに、1日中。」

「大丈夫ですよ。お利口な人には、僕達おバカが計り知れないような感情があるんですよ。」

「じゃあこのタキシード着てんのが秀木役で、こっちが俺?」

「違いますよ。これは本物の秀木さんでやってもらいます。」

「ウソ?マジで?なんで?」

「だってあの人モデルだったんでしょう?」

「今でもなんか、ちょこちょこやってるらしいけど。知らないけど。」

俺、今のところアイツには会うつもりないけど。本物の秀木とこのポーズ?タキシードを半分脱ぎかけて、裸の胸が露になった彼。多分これは秀木がパーティーとかから帰って来て、それで俺が裸で寝てて、それで俺が出迎えて、彼が俺にキスしようとして、その密通の男の匂いを感じて、俺が顔をそむける。なんだ、俺またヌード?

「なんでこの雑誌って、俺いつもヌードなの?」

「そりゃ、読者が見たがってるから。」

そうなんだ。じゃあ駿也もそんな目で俺を見てたんだ。こんなバカげたオーバードースでまた体重減ったから、どうなんのか知らない。もう今週末なんだ。

「撮影もうすぐなのに、俺こんなに痩せてどうすればいいの?」

「いいんですって、それがまた。やつれた玲海。」

「そんなにやつれてるから、男に浮気されんのかな?」

「それは貴方のせいじゃないです。男が悪いんです。」

「でも俺、今は秀木には会いたくない。」

「この企画が通るかどうかまだ分かんないし。あと2ページくらい考えたら野中氏に送ってみます。」

俺、まだ外出許可出そうもないけど、撮影どうすんの?ここでやるの?すごい大仰なセット創らないと無理だと思うけど。

47

看護師さんが持って来てくれた薬飲んだら、眠くなってしばらく寝てた。目を覚ましたら駿也はまだ紙になにか書いている。

「まだやってんの?」

「はい。もうすぐです。」

俺はベッドから下りてそれを覗く。最初のページが秀木との絡み。俺ヌード。2ページ目が、あれ、俺服着てる。珍しい。

「服着てんの、俺?」

「そう、そう。洋服屋も服売りたいだろうし。」

「駿也ってどこでそういうの習ったの?」

「コンビニで。立ち読みして。だってこういうファッション雑誌って、どこもそういうもんでしょう?」

まあそうだけど。服着られるのは嬉しいな。

「カメラ目線。でも俺泣いてんの?」

浮気されて泣いてんのも情けないな、ってほんとにそうだからしょうがないけど。

「今の玲海だったら、涙流さなくても、泣いてるみたいに見えますよ。」

俺、撮影、楽できていいな。

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「このセットどうすんの?」

「僕、この病院全部探検したけど、これだったらこのビルの庭で撮れます。」

「庭で撮るの?」

「健康的な草花と泣いてる顔の対比で。」

「じゃあこの1ページ目は?」

「この部屋を暗くして、上手くライト当てて撮ります。」

すごいな。そんなことできるんだ。あれ、でもそしたら俺、ほんとに秀木に会わないとダメなの?

「俺、秀木に会えるかどうか自信ない。」

「これ言ったら申し訳ないんですけど。」

「なに?」

「会ってもらいます。」

マジで?コイツ実はサディスト?会ったら俺、泣くか叫ぶかだけど。

「説明しますと、この撮影の趣旨は、秀木さんと玲海の間に存在する葛藤のドラマだから。本物の迫力。」

なにが本物の迫力なんだか。人の気も知らないで。でも秀木って基本ナルシシストだから自分が『リタルダンド』に出られたら嬉しいだろうな。

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「じゃあこの3ページ目は?」

「これはね、大逆転のシーンで、立ち直って元気になった玲海を遠くから見つめる秀木。あんまり遠くても絵にならないし。難しい。」

「ここは逆に大接近の方がいいんじゃない?」

「そっか、そうかも。じゃあ・・・」

あ、でも秀木と2回も大接近したくないかも。

「俺、この顔でどうやって立ち直って元気になるの?」

「それはね。」

「なに?」

「やってもらいます。」

またか。まあいいや。明斗さんにメイクしてもらおう。スケジュール空いてたらいいんだけど。今のうちに連絡しとこう。ええと、俺のケータイはどこ?ベッドの上に置いてある。まだ秀木の写真になってる。男のために泣くなんてバカバカしくなってきた。やっぱり明斗さんの言う通りだな。俺はなにか創ってる方が元気なんだ。

「明斗さん、今週末病院で『リタルダンド』の撮影があるかもしれないので、できれば明斗さんがいいなって思うので、時間が決まったら早めに連絡します。」

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駿也がなんだか嬉しそうに、

「こういうのどうです?3ページ目は、秀木さんと玲海が完璧に対等に存在している。」

それ難しいよな。俺なんて14の時から秀木のこと知ってて、会って人生も大きく変わって、あっちはどんだけの数の男知ってるか分かんないけど、俺アイツしか知らないし。対等に写る程の体力も気力もないな。ウォッカに抗不安剤混ぜて飲むと一気にハイになるんだけど。ここ病院だし。

「それ難しいよ。対等になんてなれない。」

「やってもらいます。」

またそれか。俺はバスルームの鏡の前に立つ。目のクマが酷くて、今にも死にそうな人間が映っている。今日は確か火曜日か水曜日。週末まではまだある。俺は冷たい水を顔にかけて、少しは元気そうに見えるかなって、やってみたけど、全然ダメ。駿也が来て、俺と鏡の前で並ぶ。俺もハーフのモデルと散々仕事してきたけど、コイツのイケメン度は超えてる。自分で自分の顔をどう思ってるんだろう?彼はチラって自分の顔を見て、すぐ目をそらす。俺が言えることはなにもないけど。精神科に行くって言ってたし。そんなことより、どうすんのこの顔?

1ページ目と2ページ目は問題ないけど。」

「玲海、もう身体は大分いいんだから、あとは気持ちでしょ?秀木のことほんとにどうでもいい、って思えるようになったら、それが顔に出ますよ。」

51

ベッドに戻ると、すぐ明斗さんからメールが来た。週末は仕事があるけど、そんなに長くかからないから、多分大丈夫だって。明斗さんがいると大分違う。あの人はいつでも俺の精神安定剤だから。ふたりで消灯時間になるギリギリまで考えて、やっと3ページ目ができた。写真に撮って説明書きを入れて、野中さんに送った。駿也はいつも折りたたみベッドに寝てるんだけど、野中さんから返事が来るか、ふたりでコッソリ俺のベッドに潜って待った。彼がごく自然に俺にキスをする。いつかみたいに、未成年のクセに上手なキス。看護師に見つかったらヤバいな、って思いながらなんとなくお互いの身体を抱く。人の身体って温かくて気持ちがいい。そう思ったら、ケータイが鳴った。ふたりで飛び起きてメッセージを読む。

「今週末の撮影については、そちらが病院で様子が分からないということもあって、全く予定を作っていませんでした。駿也さんのストーリーぜひ使わせてください。秀木さんにはこちらからお願いしてみます。」

ふたりで子供みたいにベッドにジャンプする。当然、看護師に見つかって怒られる。でも俺が元気そうだからか、そんなには怒られなかった。

52

秀木のことをどうでもいい、って思えるようになったら、元気に見えるっていうけど、そんなに簡単なことじゃない。彼はもう俺の神経の隅々まで入り込んでる。なん年も前から。本人に会ったらどうなるんだろう?よく食べるようにしてるし、よく眠るようにしてるし、駿也は毎日側にいてくれる。鏡を見ながら研究する。元気って、目の輝きかな?顔が疲れていても、目が元気ならきっと立ち直ったように見える。とりあえず元気になった、という演技をする練習をしよう。俺の生来の大きな目。天使のようだってよく言われた。天使の役も多くて、秀木と初めてやった仕事もそうだった。合掌するポーズがイヤで、監督の言うことを無視して、じゃあ君はなにがやりたいの?って聞かれて、俺は空を飛びたいって言った。その時の空を飛ぶ仕草をやってみよう。この部屋の狭いバスルームではできないから、部屋の中でやってみた。駿也が、

「なにしてるんですか?」

って興味深そうに見る。

「俺は天使で、空を飛んでいる。」

「いいですね。羽が生えて、自由に。天使か。」

53

天使のことを考えている。俺は今まで散々天使の役をやらされて、もう飽き飽きしてるんだから、変なことは考えないで。

「玲海、天使になって飛んでく?」

「イヤだ。」

「なんで?」

あの時、秀木が俺に、ずっと一緒にいたいから飛んで行かないで、って言ったクセに、その約束を全然守ってない。頭にくる。指輪もくれたし、俺も社長から秀木に呼び方を変えて。一緒にいるって約束したのに。ふたりで幸せになって、結婚式は白いリムジンにお花をたくさん飾って。それ思い出すとバカみたいで笑えるんだけど、考えた時はほんとにハッピーだった。現実は厳しかったけど。

「秀木に天使になって飛んで行かないで。これからずっと一緒にいるんだから、ってそれがプロポーズの言葉だった。」

「ほんとに男なんて信用するもんじゃないですね。人のことは言えないけど。」

コイツ自分のことは分かってるんだなって、俺はちょっと感心する。

54

撮影当日。昼間から病室を暗くして、ライティングが行われている。テストショットのシャッター音。俺のヌードを間近に見て、駿也がため息をつく。

「でも俺、こんなに痩せちゃって。」

退廃がテーマの雑誌だからいいんだった。もうすぐ秀木が来る。明斗さんも来るけど、先に明斗さんが来ないかなって願ってたけど、そうはならなくて、秀木が野中さんと一緒に入って来た。野中さんは相変わらず紳士だ。

「玲海さん、ご病気なのに撮影なんてほんとにごめんなさい。」

「いいえ。ドクターも仕事した方が元気になれるって。」

全く、ほんとは俺が病気の方が嬉しいクセに。秀木は駿也からテーマについてや、ポーズについての説明を受ける。その間に秀木は、なん度か俺の方へ目をやる。俺は病人らしくボーっと下を向いている。駿也と一緒に、男なんてどうでもいい、という気持ちになる練習をしたんだけど、秀木の存在感には太刀打ちできない。おまけにタキシード。なんでこんなシーン考えたの?

55

やっとライティングが上手くいって撮影が始まろうという時、明斗さんが入って来た。最初のページは病的に見えてもいいんだけど、明斗さんがそれでも俺が綺麗に見えるようにちゃんとしてくれた。大丈夫なの?って心配してくれて、俺は明斗さんがいつも言ってくれるように、なにか創ってた方が調子いいよ、って答えた。いよいよ本番。テーマは、『密通。香りの証拠。』。ストーリーは、秀木がパーティーから帰って来る。タキシードの前をはだけて俺にキスしようとする。香る知らない男の匂い。俺は顔をそむける。実話だから。演技も何もない。秀木と俺の顔の動きが連続写真に表現される。野中さんがコンピューターの画面を観て感想を言う。

「いいですね。ふたりの姿に綺麗に光と影が出てる。」

俺も見たけど、必要以上に秀木から離れているように見える。駿也はなにも言わない。初めてだから意見言えないのかな?

「俺って、秀木から離れ過ぎ?」

「いいです。あんな感じで。あのくらいが自然です。」

そっか、イヤな男からは自然に体が離れるもんな。

56

2ページ目は俺が泣いてるカメラ目線。場所は病院の外の庭。看護師さんが一緒に来て、俺のことを見張っている。珍しくヌードじゃなくて服を着ている俺。かなりアップになりそうなので、明斗さんが色々考えてくれた。くすんで見える目の周りとかに、透明感の出るようなクリームとかパウダーとか、よく知らないけど、なにか魔法で不思議な病人の肌質なんだけど、幻想的に見えるようにしてくれた。泣くのは簡単で、秀木を見れば勝手に涙が出て来る。服を着替えて、座りポーズとか色々。全部泣いてるわけじゃないけど、笑ってはいない。お人形ポーズ。週末だから病院には人がいないだろうと思ったら、見舞い客がたくさん。みんな俺達のことを見物しながら通って行く。誰かが、「映画の撮影?」って言ってるのが聞こえた。映画じゃないけど演技はしてるよ。

57

3ページ目。俺の不安を察して、駿也が側に来てくれる。そして耳に囁く。

「ここは男なんてどうでもいいんだから、って思うシーンですからね。」

細かいポーズについて、駿也と野中さんが話し合っている。秀木が俺と話しをしたそうにしてる。でも俺は明斗さんと一緒で、メイクしてもらってるから、なかなか近くまで来ない。明斗さんには聞かれたくないことを、言いたいんだろうなって思う。別に今更なにを言われたって、もうアイツは信用できない。いいな、撮影上手くできそうじゃない?そう思った瞬間、また俺の脳裏に6年間の思い出がよみがえる。秀木の衣装はタキシードじゃないけど黒っぽいスーツで、ヤツに初めて会った時もそういう服装だったことを思い出す。これはよくない。明斗さんに頼んで、目に輝きの出るメイクをしてもらう。そんな微妙なリクエストが通じるのも、俺達がいつも一緒に作品を創ってきたから。でも撮影に移るとやっぱり俺の方が上手く表情が出せなくて、なん度かやり直しになって、駿也がマスク取ってキスしてくれたり、いっぱい抱いてくれたりしたんだけど、やっぱり気持ちは盛り上がらなくて、でも秀木の方もうろたえていて、ヤツはプロだからカメラを向けられると大丈夫なんだけど、駿也と俺を見て、動揺してるのは確か。

58

「玲海すごく緊張してる。」

駿也が心配そうに俺の顔を覗き込む。

「アレやってみて。天使が飛ぶの。」

俺はやってみる。速く飛んだり遅く飛んだり。もっと大きく腕を動かしたり、小さく動かしたり。段々楽しくなってそこら中を走ってみたり。気がついたらシャッターを切る音がしている。俺の後ろに秀木がいて、飛んでいる俺を捕まえる。それがベストショット。スタッフのみんなにも、よかったって褒められた。俺はなにがどうなってるのかよく分からない。駿也に、

「終わったんだよ。」

って、教えられる。

「ほんとに?」

「すごくよかった。玲海が自由に飛び回って、それを秀木さんが捕まえようとして、でも捕まらない。」

撮った写真を見せてもらったけど、やっぱり自分にはピンとこない。俺が腕を広げて飛ぶマネをして、秀木がそれを後ろから抱き締めるみたいに捕まえようとする。これも連続写真みたいになってる。捕まえようとするところから、腕を擦り抜けて逃げて行ってしまうところまで。

59

撮影が終わって、でも駿也はまだ俺の病室に住んでいて、それってなんか変なんだけど、まだ付き添いは必要らしい。今日彼は精神科を受診するらしい。身体醜形障害ってどのくらい深刻な病気なのか俺には分からない。彼の場合、俺と同じで親に捨てられたというトラウマがある。駿也がいない間、看護師さんが病室に来てくれた。いつも森詩さんが病院に来ると、ふたりで延々と喋ってる人。ふたりともお喋りだから切りがない。俺はケータイで身体醜形障害について調べてみる。強迫性障害が絡んでいる。俺にもそれがある。どうなるんだろうか?もし彼がよくなって、あんなサングラスとかマスクとかをしなくてよくなったらいいな。そしたら俺はどこへ行くにも彼と一緒で、秀木とは別れました宣言を世間様に向かってできるのに。残念なのはほんとには付き合えないこと。浮気するヤツはダメなから。複雑だよな。外観にコンプレックスがあるから、内面を褒められるとすぐ落ちる、って言ってたな。でも待てよ。もし彼の病気がよくなって、顔に対するコンプレックスがなくなったら、男達も彼の内面を褒めて、彼の複雑な心境を利用しなくなるかも。そうなったらもしかしたら、俺ひとりの彼になるかも。なんて、そんな簡単にはいかないよな。第一、俺が駿也のことどんだけ好きかまだ分かんないし。あっちだってそうだろうし。

60

駿也が戻って来た。サングラスもマスクもしていない。そして俺を見て微笑みかける。俺のベッドの上に元気よく飛び乗る。

「ドクターが僕のサングラスとマスクをゴミ箱に捨てちゃって、それで終わり。」

「そうなの?そんなことってあるの?」

「あるみたい。」

「俺なんてこのバカみたいな強迫思考のために何年も人生無駄にしてきたのに。」

「全然深刻な病気じゃないらしい。」

「じゃあなんだったの?」

「知らないけど。」

「ふーん。」

コイツ意外と単純な男なんだ。あのサングラスとマスクがあるから、複雑で屈折してそうに見えたんだけど。俺ってあんまり健康的なヤツ好きじゃないかも。そう思って彼の方を見てみる。そしたら彼は俺の顔を自分の方に向けて、

「玲海、僕と付き合ってくれますか?」

61

え、マジ?コイツ俺より若いんだぜ。自分より若いヤツとヤったことないし、っていうか秀木以外とヤったことないけど。なんて言えばいいの?あ、そうだ、コイツ浮気性なんだよな。そんなヤツがひとりの男で満足するはずないよな。未成年だし、って関係ないか。

「やっぱり玲海はまだ秀木さんのこと?」

「ひとつ片付けないと次に行けない。」

「でも玲海、僕のことは好き?」

「分かんない。」

「なんで?」

「だって、浮気するし。」

「その辺のことはね、またあとで考えればいいし。」

「どっちかというと、今考えたい。」

だけど俺、どこまでコイツのこと好きなのか分かんない。コイツとセックスできるかな?って思って身体を見ると、いけそうな気はする。男くさい身体をしている。秀木みたいにバリバリに鍛えた身体ではないけど、俺とかの貧弱な身体より何倍も男らしい。

62

「駿也ってなに部だったの?」

「剣道部。」

この顔で似合わないな。剣道部か。あ、でも顔隠せるからいいのか。

「好きな先輩が剣道部で。」

顔隠せるからじゃないのか。

「それに顔隠せるし。」

なんだやっぱりそうなんだ。だけど、どうしても信用できないな、この男。

「そんなに信用できませんか?」

少なくとも俺達考えてることは通じ合えるな。あれだけキスが上手いということは、やっぱりあっちの方も上手いんだろうな。ヤってみる価値はあるかも。でもな、今まで守り通してきた男の操だからな。

「ゴメンね、優柔不断で。」

「いいですよ。考えておいて。」

「駿也はこれからどうすんの?」

「玲海が退院するまでここに住んで、そのあとは森詩さんの所でお世話になります。」

「学校とか仕事とかは?」

「野中さんに企画で採用してもらえそうなんで。」

随分若い企画だな。あの雑誌、確かターゲットが25才からだよ。だからほんとは俺も若すぎるんだよな、あの雑誌には。野中さんって実は若い人好きなのかな?あの人って謎が多いな。付き合ってる人いるのかな?

「雑誌のターゲットからしたら、駿也は大分若いよ。」

「いいんです。苦労してるし。」

「君はこれから素顔でいくの?」

「はい。ドクターに捨てられちゃったんで。」

「そんなに単純なものなんだ。」

「そうらしいです。」

「もう自分の顔にコンプレックスはないの?」

「ドクターには、内面を磨いていくように言われました。」

雑誌の企画の才能はあるよな。センスがいいと思う。きっとバカではないんだよな、単純だけど。内面を磨くってどういうことだろう?自分に自信を持つ。浮気する男のことは忘れて、とっとと次に行く。しかし行くなら、どうせなら、浮気性じゃない人がいいけど。秀木はどう思ってるんだろう?あの指輪、しばらく預かっておくって言ってたけど。しばらく、ってどのくらいのことなんだろう?

63

「また秀木さんのこと考えてますね。」

どうして分かるのか知らないけど、当たっている。どうすればいいの?秀木が紅葉さんみたいな年になって、もう浮気しなくなるまで清い身体を守るの?あれ、誰かからメール。見てみたらなんと秀木から。

「玲海、どう?」

どう?ね。どうだろう?貴方のせいで、この目の前にいる絶世の美男と付き合えません、とは書けないし。秀木だって絶世の美男だけどさ。ため息をつく。駿也は気を利かせてベッドを離れる。返事出さないとダメなの?彼って一応俺の上司っていうか、社長なんだよな。もうビジネスライクにいくしかない。

「ありがとございます。大分元気になりました。」

「退院のめどは立ったの?」

「それはまだです。」

「仕事のことは心配しないで、早く元気になって。」

「分かりました。」

ヤッター!相当ビジネスライク。これからこれでいこう!社長と従業員。前、社長って呼んでた時は、秀木って呼びたかった。こらからまた社長に戻ろうかな?ベッドで社長とかって呼んだら燃えそう。そうじゃなくて。

64

「玲海まだ秀木さんのこと相当好きですね。」

「そんなことないって。また社長と従業員の関係に戻るつもり。」

「顔が嬉しそうですもん。」

「ついでに聞きたいんだけど、男を浮気させないようにするには、どうすればいいの?」

「男はハンターだから。」

「だからなんなの?」

「僕もまだそこまで分かってるわけじゃないけど。」

まあ、そこまでこっちも期待してないからいいけど。駿也は真面目な顔でじっと考える。

「貴方が、この上ない上等な獲物になればいいんじゃないでしょうか?」

この上ない上等な獲物?なにそれ?じゃあ俺って今まで、この上ない上等な獲物じゃなかったんだ。なんだかがっかり。

「じゃあ浮気されるのは俺のせいだってこと?」

「僕、秀木さんみたいな人がいたら、絶対浮気しませんもん。」

「だから俺だってしないじゃん。」

「ほらね。そうでしょう?だから玲海がそうなればいいんですよ。」

「俺がヤツにとって、俺のヤツみたいになればいいんだ。」

「そう、そう。」

秀木って俺にとってなんなんだろう?14の時からずっと憧れてきた、大人でイケメンでやることがカッコよくて。俺のことスカウトして一流の次くらいのモデルにしてくれた。今のまずいな、一流の次じゃなくて、これから一流にならないと。仕事しよう。そうしよう。それから?高校は卒業する。絶対。だから多少は勉強しないと。

「駿也は勉強得意なの?」

「まあ。」

「勉強教えて。」

「いいですよ。前向きですね。」

「俺はヤツにとって、俺のヤツになるから。」

65

数臣にメールする。

「私は大分元気になりました。退院も近いです。早く仕事をしたいと思います。」

それから?明斗さんにもメール。

「早く作品創りましょう。駿也も張り切っています。」

だけどコイツと一緒だと、俺負けるな。バスルームの鏡の前で、ふたりで並んで立ってみる。駿也は俺よりずっと背も高いし。俺の顔相当やつれてるし。どうやったら一緒に作品になることができるのか?

「俺のこと好きで夢中、って顔してみて。」

「僕ほんとに玲海に好きで夢中だから簡単ですよ、そんなの。」

彼は俺の後ろに回って、俺の首の横に舌を這わせる。

「いい、今の。もっとポーズ考えよう。」

俺が横顔で駿也の胸に寄り添う。そして彼は俺の髪を愛おしそうに撫でる。

「駿也、もうひとつ考えよう。」

俺、対等に並ぶと負けるんで、でも俺はいくつになっても女顔だから、カップルにすると負けても絵になる。ベッドの上でふたりで重なってるショット。みんな自撮りして、明斗さんに送った。

66

明斗さんから返事が来た。

「駿也君はサングラスとマスクもう止めたの?」

「ドクターにゴミ箱に捨てられたらしいです。」

「じゃあ早く撮ろう。新人のいいモデルって、なかなかいないから。俺達が一番になろう。」

ヤッター!一番になる。俺は秀木の一番の獲物になる。

「駿也ポーズ上手いね。モデルになりたくなかったにしては。」

「いつも『リタルダンド』立ち読みして、研究してたから。」

「そういえば、なんでいつも立ち読みなの?買わないの?」

「ずっと住所不定だったから。」

駿也はまだ俺の服を着ている。俺は病院の服を着てる。変な水色の紐結ぶヤツ。

「駿也、服買わないと。森詩さんに頼んであげる。」

「いいんですか?」

「いいと思うよ。あの人面倒見がいいから。楽しいんじゃない?一緒に買いに行けば?」

「玲海が退院しないと、僕ここから出られません。」

分かった。さっさと退院しよう。ドクターと交渉して。もう仕事したくてウズウズしてます、とかほんとのことだからいいか?もう自殺願望もないし。そもそもあの時なんであんなにいっぱい薬飲んじゃったの?よく覚えてないや。秀木の浮気に頭にきたんだった。それからピアノが弾きたかった。俺の『イタリアン協奏曲』。せっかく練習してたのに、忘れちゃったかな?早く退院しよう。

「俺、明日ドクターに言って、さっさと退院させてもらうから。こんなにたくさんやることがあって忙しいです、って言うから。」

67

それから3日後、無事退院できた。ドクターは何年も前から俺のこと知ってて、普通は信用されてないんだけど、今回は上手くいった。まず、明斗さんと駿也と3人で作品撮りをした。こないだふたりで考えた3つのポーズ。カッコよくできたと思う。駿也の衣装は明斗さんに借りて、イメージとしては、健康的でさわやかな高校生カップルみたいな感じ。俺には珍しい役柄。いつかみたいに明斗さんの実家にお邪魔して、ピアノと一緒に撮った。ついでに弾かせてもらった。

68

それを持って、『スケルツォモデルエージェンシー』に行った。駿也も一緒だった。数臣に作品を見せたら、すぐに俺のポートフォリオに入れてくれた。数臣もいつもと俺のイメージが違うんで、驚いていた。

「これも年相応でいいよね。健康的。」

「俺、健康だから。」

なんて、生れてから初めて吐く言葉。

今回は駿也も数臣から逃れられなくて、書類にサインさせられていた。これで駿也は無事、『スケルツォ』のモデルになった。社長室のドアが閉まっている。ということは秀木はいるってこと。美夏に断ってからドアをノックする。すぐ返事がする。撮影の時会ったけど、話しはしなかったから、ちゃんと話すのは久し振り。

「新しい写真をポートフォリオに入れたから観てください。」

彼はしばらく写真を観ている。

「ビックリした。今までこういうイメージあんまりなかっただろ?」

「さわやかでしょう?健康的で。」

「若く見える。別人みたい。でも君だからできるんだ。他の人じゃこうはならない。」

「俺まだ20才なのに、『リタルダンド』で退廃ばっかだから。駿也が勉強教えてくれるって言うから、仕事もっとできますよ。」

「俺もこないだの撮影で現役に戻ったと思われて、変な仕事が色々来るよ。」

「どうするんですか?」

「でかい仕事はやろうかな、って思ってる。」

社長室を出ると、まだ駿也は数臣に捕まってて、どんな仕事がしたいかだの、面接みたいになっている。

「やりたくないことはやらなくていいから。」

俺はそう言ってやって、駿也を急き立てて俺達はそこを出た。

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「僕は、『リタルダンド』の企画の仕事がしたいんで。」

「そうだろ?だからそう言ってやればいいんだ。今度の考えた?」

「あのね、玲海っていつも死にそうな役ばっかりでしょう?だから今度のは、ビッチな役。」

「ビッチな役?」

「男達を手玉に取って、貢がせる。」

俺達は近くのカフェに入った。紙とペンを借りて、駿也が絵コンテを描いてくれる。

「美形の玲海はみんなの憧れで、男がたくさん言い寄って来るんだけど、貴方は知らん顔してるんです。」

「いいな、それ。」

上等な獲物。でも誰にも捕まらない。

「玲海の衣装は19世紀の貴族。細身のスーツにフリルとリボンのついたシャツ。髪はもうちょっと長い方がいいんだけど。」

俺の髪は今耳の下くらいで、もっと長かったんだけど、入院してすぐ、病院に来てくれる美容師さんに切ってもらった。こんなにすぐ退院できるとは思わなかったし、どうでもよかったっていうのもあるし。そのスタイルだったら、やっぱり長い方が面白いなって思った。

「まあ、髪はどうにでもなるから。」

「そうですよね。でも周りの男たちは現代のファッションなんです。」

「ちょっとイメージ浮かばない。」

駿也は絵が上手。俺のバックには棚みたいなのがあって、そこには色んな動物のはく製が置いてある。そして俺は4人の男に囲まれている。俺だけ19世紀のファッションで、みんなが欲しがる特別珍しい獲物みたい。

「玲海の知らん顔してるとこ、絶対可愛い。」

俺は試しにやってみる。あんまり上手くいかなくて、彼がやって見せてくれて、可笑しくて大笑い。そこの店はカフェなんだけど、バーみたいな造りになっていて、中にマスターがいる。俺達が笑っていると彼が来て、

「君達、なに者?モデルさん?俳優さん?」

それでも俺達の笑いは止まらなくて、マスターにそんなこと言われて増々可笑しくなって。でもなに者?って聞かれるのイヤじゃない。自分がなに者かになったような気がする。駿也がマスターと話してる。

「僕、全然そんなのじゃないですよ。」

「ふたりでいると、絵みたいに見える。」

「それはありがとうございます。」

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ふたりで、絵っていいね、って話して、じゃあ玲海が絵の中の人物になろう。それを男達が憧れの目で見て、ジリジリするくらい玲海のことが欲しい。貴族の青年の肖像画。次のページで俺が本物になって登場する。それがさっきの4人の男に囲まれるシーン。

「それからどうなるの?」

「それはまだ考え中。」

「王子様に出会う。」

「玲海はそれがいいの?」

「メチャイケメンのゴージャスな王子様。」

「誰がそんな役やんの?」

俺は駿也を指さす。

「僕?」

「俺の王子様。」

「マジで?」

「きっと大騒ぎになるよ。あれ誰?って。」

「絶対?」

「絶対。」

「だけど僕、どうやって登場するの?」

それはね、まだ考えてない。俺の王子様。王子様って、割とおとぎ話の中では目立たない。だから思い浮かばない。チャイコフスキーの作品なら王子様の出番が多い。それは彼がゲイで王子様が大好きだったから。『白鳥の湖』の王子様は白鳥の姿に惹かれて登場する。あの非現実的な美しさはなに?みたいな驚きと憧れ。

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「だからね、君は俺の存在に気付いて、驚き憧れる。徐々に近付いて俺のことを見詰める。『白鳥の湖』の王子様だから。」

「動画じゃないのに?」

「それを考えるのは君の仕事。」

俺達はそのカフェにいるのが心地よくて、そこに長くいて、アイディアを練った。王子様。初めて舞踏会でジュリエットを見たロメオみたい。ショックで、でも好奇心でいっぱい。この人は誰だろう?ジュリエットも彼に気付いて、チラチラ見てる。

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こないだみたいに連続写真にしたいんだけど、あれはもうやっちゃったし。珍しい獲物。どうやって振り向かせる?オデットの美しさにジークフリートは夢中になるけど、彼女はなかなか振り向いてくれない。それかな?ビッチな役なんだから。駿也が突然、

「本物のバレエダンサーを使おう!」

「そんなことできんの?」

「ギャラ払えば出るだろう?ポーズも決まるだろうし。ナイスボディ。」

「王子様は?」

「ほんとはやりたくないけど、バレエの王子様。」

「マジで?」

駿也は自分で言ったクセになんだか黙ってしまって、可笑しい。ジッと下を向いて絵コンテを描いている。

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そしていきなり叫ぶ。

「分かった!『白鳥の湖』だから分かんなくなるんだ。『くるみ割り人形』でいこう。玲海はお人形だったの。それが人間になる。」

「俺は人形はヤダ。だって俺っていつも人形の役だった。」

「これは違うの。博物館に珍しい動物と一緒に飾られてる。」

「標本?」

「そんなようなモノ。」

駿也はサラサラとその絵を描いてくれる。俺は19世紀のフリフリのついた服を着せられている。大きなガラスケースがあって、その中には俺以外にもたくさん珍しい動物の剥製が飾ってある。バレエダンサーが4人いて死んだように動かない俺の姿をジッと見ている。

「それでどこから王子様が出て来るの?」

「それは分からない。考える。」

「でも、博物館ていうのはいいアイディアだと思う。」

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駿也と企画を考えるのはいつも楽しかった。彼と一緒にいると自分も若返って、健康的な気分でいられる。それが本当の自分なのか、それは分からない。もっと不健康で泣いてばっかりいるのが自分のような気がする。じゃあどっちの自分になりたいの?と聞かれたら、それも分からない。俺は自分の家の自分の部屋にいて、『スケルツォ』のウエブサイトを観ていた。秀木の新しい仕事が載っている。名の通ったファッション雑誌の表紙とグラビア。秀木みたいな鍛えたボディじゃないと絶対着こなせないスーツ。俺は彼の裸を想像する。あの身体を包んでいる服。彼は俺に会った時が、自分のモデルとしてのピークだって言ってた。その絶好調の時に仕事を辞めて、モデルエージェンントになった。

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あれから6年経って、今34才。やっぱりプロだなって思う。目線の存在感。俺も勉強になる。俺もこれから仕事していくために、考えることはたくさんある。お人形の可愛さから、人間らしさを見付ける。でも今度の『リタルダンド』で、俺は標本になる。博物館の。死んだ人間。お人形や天使の役はたくさんあったけど。死んだ人間。それは俺の理想の姿。だって俺にはいつも自殺願望がついて回っている。それは俺の病気のせいでもある。どうだか分からないけど。死んだ人間、絶対生き返らない。剥製ってどうやって作るんだろう。ちょっと調べたけど、色々気持ち悪い。これだけのことをしたら、もう絶対生き返らない。そのくらい死んでいる。また秀木の写真を観る。完璧に存在してる身体。彼の体温の記憶がよみがえる。俺達ずっと一緒に寝てないし、指輪も彼が預かったまま。今頃やりたいようにやってるんだろうな。今まで俺のために相当気を付けて浮気に励んでたから。

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なんだろう、この気持ち?俺、自信なくなってる?人の目が気になる。人の言ったことが気になる。どこかへ隠れてしまいたいような気持ち。そんな気持ちの時に、『リタルダンド』の撮影になる。俺が心配そうなんで、駿也がずっと側にいてくれる。剥製の役なら得意だと思うけど、生き返って男達を手玉に取って、なんだっけ?それでなんか色々あって、王子様に出会う。駿也のデビュー作だな。今日も明斗さんがメイクだから、それはすごく助かる。

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剥製の役はすぐOKになった。それは分かってたんだけど。大きなガラスケース入って死んでいる俺。でも目は大きく開いている。お人形のガラス玉の目。男を手玉に取って微笑むのが心配。とてもそんな気持ちにはなれない。みんな俺のせいで、何度も休憩をしながら、スタッフも頑張ってくれてるんだけど、上手くいかない。駿也の提案で、いつもバレエの写真撮ってるフォトグラファーを探した。俺がダンサー達の中心にいてビッチに微笑むんだけど、そのダンサーもプロだし、見たこともないようないい身体してて、イケメン揃い。だけど俺はその表情ができない。もう1度休憩になった。フォトグラファーも困っている。ダンサーが動いているところを撮ってる人。俺が中心にいて、ダンサー達はまるで動いてるような、流れるような感じで撮るみたいな演出。明斗さんが側に来てくれて俺に話しかける。

「玲海はね、アーティスティックだから、プライベートなこととか、気分的なこととか、すぐ顔に出る。なにを心配してるの?」

「分からない。自分が悪いことしてるような気がする。」

どうしてかは聞かないで、俺には分からないから、って思ったらやっぱり聞かれた。俺は分からないって答えた。

78

そこへ野中さんと一緒に秀木が入って来た。ここは本物の博物館で、しかも夜、閉館してからで、雰囲気もバッチリ。照明が眩しそうに、手をかざしながら入って来る秀木がまるで幻のようだった。そしたら俺、それまでナーバスだったのが一気に爆発して、マジでオイオイ泣き出してしまって、もっとプロのモデルになろうとした途端にこれじゃあ、って思うとさらに泣きたくなって、これはきっとしばらく止まらないな、くらいの泣き方になってしまう。

79

さっき、ダンサーの内のひとりが、いつも雑誌観てますよ、あとでサインしてください、って言ってくれて、その人が俺の泣いてんの見て妙に感心してくれたみたいで。

「撮影、こんな風にやるんですね。だから玲海さんいつも泣いてるような顔してるんですね。」

それ言われたら奇跡的に笑いが出て、やっと泣き止んだ。秀木がこんな所に来るから悪い。彼は1番最初に会った時から幻のような気がしてた。俺が14才の時。中2病で親に捨てられそうなところを拾われて。可哀相な明斗さんはまたメイクをやり直し。意外なことに秀木がすぐ側に来て、俺の顔を見ている。そしたら彼の身体の思い出が辛いほどよみがえり、今どんなヤツと寝てるんだろう?って思ったら嫉妬と共に腹が立ってきて、彼のことを泣いたあとの目で睨んでやった。駿也が嬉しそうに飛んで来る。

「玲海、今の表情いいですよ!ビッチな感じ!」

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やっとその場面は上手くいき、なんだかんだ王子様とも出会い、めでたしめでたし。野中さんと秀木は撮影が終わるまでずっといて、ふたり共博物館の人と喋ったりしてて、楽しそう。俺はさっきのダンサーにサインしてあげて、彼等は公演の案内をくれて、また会おうね、と言って別れた。そこまでは、秀木に対して抱いていた嫉妬と怒りのお陰で精神が持ちこたえていたし、明斗さんや駿也がいてくれたから大丈夫だったのに、俺がトイレに行ってみんなの所へ帰る時に秀木に捕まった。博物館の薄暗い廊下で、木の床がきしんで、なんだか昔の学校みたいと思ってて、その非現実感でさっきの嫉妬と怒りより、オイオイ泣いた方の感情が爆発して、俺は今、きっと泣きそうな子供みたいな顔してる。駿也は俺が彼にとって1番上等な獲物になればいいって。そうすれば絶対浮気はされないって。でもこれじゃあ全然そんなんじゃない。

81

秀木に優しく聞かれた。

「さっきなんで泣いてたの?」

「知らない。」

「分かるけど、理由がある時もあるだろう?」

俺はこの場所の、死んだ動物たちの霊気にやられて、本当のことを口走る。

「思い出して。最初に秀木に会った時を。」

彼がどんな顔してんのかな?って思ったから見たら、割と無表情。彼がなにも言わないから、なんでだか、またほんとのことが口から出る。

「幻みたいに見えた。」

「俺が?」

「そう。今までなん回もそう思った。それにさっきもそう思った。」

「だから泣いたの?」

俺は頷いて、やっぱりいつまで経っても俺はこの人の上等な獲物にはなれないな、って思った。

「駿也と付き合ってんの?」

そう聞かれて、俺はまた正直な気持ちを言った。やっぱり俺には男を手玉に取るのは無理そうだし。

「ううん、まだ。」

彼は笑って、

「まだ、ね。」

彼は意外なことを言う。俺の手をしっかり握って。

「玲海も初めて会った時と同じに見えるよ。」

じゃあ俺って、俺達ってやっぱりあれから進歩してないんだな。そのまま部屋まで一緒に歩いて、俺達がしっかり手をつないでいるところを、王子様に見られてしまった。

82

撮影が終わって、珍しく俺達は簡単な打ち上げをすることになった。夜遅くまで開いてるレストラン。駿也は野中さんと秀木と話していて、だから俺は明斗さんと話していた。

「玲海まだなにか心配してるの?」

彼が優しく聞いてくれる。

「明斗さんと初めて会った日、俺言ったでしょ?大人になりたくないって。」

「あの時も盛大に泣いてたね。」

「中2病だったから。今20才でしょ?でも全然大人になった気がしない。だからよかったな、って。」

彼はクスって笑う。

「大成功だね。」

「うん。よかった。」

「玲海はね、これからもきっと変わらない。」

83

俺と明斗さんは出て来た料理を一緒に突っつく。イタリアンレストラン。新鮮な野菜のサラダ。

「変わらないっていいことなのかな?」

「玲海の場合はいいこと。」

「人によって違うの?」

「君はアーティストだから。」

明斗さんっていつもそう言うんだよな。どういう意味なんだろう?俺なんてなんにもしてないのに。明斗さんみたいに絵を描いてるわけじゃない。駿也みたいに企画考えてるわけでもないし。そしたら彼が説明してくれる。

「仕事してても、ただ言われたポーズして、言われた表情して、それで終わりのモデルなんていっぱいいる。でも玲海のは違う。自分の表現になってる。それってアートでしょ?さっきだってあんなになん度も撮り直して、やっとあの表情ができたじゃない?」

あんなになん度も撮り直しさせて、おまけに泣き出して。

「メイクやり直しさせてゴメンなさい。」

「慣れてるからね。君の場合、最初からそうだった。」

それは俺も覚えてる。

84

チラっと向こうを見ると、駿也がまだ俺の服を着ている。あのシャツ気に入ってるのに。こないだから捜してたら、あんなとこに。

「駿也、俺の服。」

彼は大人ふたりとの会話に夢中で、俺にはただ手を振るだけ。明斗さんは、

「駿也とはどうなってんの?俺、こんなこと聞くつもりじゃないんだけど、玲海が少し心配。」

「どうにもなってないよ。アイツ浮気性だし。本人は顔隠さなくてよくなったから、男に内面褒められてすぐ落ちる癖もなくなったから、浮気はしないって。」

「複雑だな。」

もう、これ以上複雑な男はいらないから。かと言って、あんまり単純なのも面白くないけど。これからの俺の計画は1番上等な獲物になって、あんまり上等だから誰にも捕まらないほど。

「明斗さん、俺ね、さっきの剥製の動物、色々いたでしょ?俺は獲物の中でも1番上等で誰にも捕まらないほどの、そういう大人の男になりたい。」

「あれ、さっきは大人になりたくないって。」

「この場合は違うの。もう人前では泣かない。」

「ふーん。」

彼は全然信じてない。俺だってやればできる。上等な大人の男。やっぱりなんだか俺じゃないみたいな気はする。チラっと秀木の方を見てみる。あっちの連中は真剣な仕事の話しにをしてる。それに完全に混じれる駿也はもしかしてすごいのかも。給料もらったら俺のシャツ返してくれんのかな?

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明斗さんがまた心配して聞いてくれる。

「玲海は秀木さんとはどうなってるの?」

「どうもなってない。誰にも捕まらない獲物になって、もっといい男を探す。」

「ふーん。」

やっぱり信じてない。

「じゃあ玲海と駿也で、大人の男がテーマの作品撮ろうか?」

「面白そう。でも俺、実は分かんない。大人の男ってなに?」

俺まだ高校生だし。普通の高校を卒業した駿也の方は、俺より若いのにずっと大人。病院にいる時、駿也に言われた。もしも秀木のことがどうでもよくなったら、それが顔に出るって。明斗さんはどう思うんだろう?

「俺が秀木のこと卒業して、あんなのどうなってもよくなったら、それが顔に出るって言われた。」

「卒業したいの?」

そこで俺、バカみたいに黙っちゃって。本物も目の前にいるし、やっぱりいいな、って思うし。さっきの俺の手握ってくれた時の感触を思い出してしまった。

「でも秀木は俺だけのものにはならない。」

「自分だけのものにしたいの?」

「それはしたい。それが俺だから。」

明斗さんは目を伏せる。今思いついたけど、明斗さんはこの業界で色んなウワサきっと知ってる。

「秀木は今どんな人と付き合ってるの?」

彼はなにも言わない。ということは、なにか知ってる。急に悲しくなる。でもさっきもう人前では泣かないって言ったばっかりだから、泣かないように頑張る。俺達はワインをボトルで頼んで、俺はなんとなくいつもより飲んでて、秀木が今付き合ってる男のことを想像しだして、落ち着かない。俺みたいに、いつまでも大人になれない可愛いタイプかな?それともマッチョなヤツかな?野中さんみたいにインテリっぽいタイプかな?

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そう思って秀木を見ると、野中さんとは相当親しそう。彼はインテリで服の趣味も当然だけど、他の誰よりも洗練されている。あ、今、秀木が野中さんの肩に手を置いた。彼が秀木の顔を少し見る。少し艶のある目付き。そうなの?あのふたりが付き合ってるの?ありうる。だって仕事でいつも一緒だし。今日も現場に一緒に来てたし、その前の撮影の時も一緒に来てた。

「明斗さん、そうなの?」

「なにが?」

「俺には隠し事しないで。そうなの?」

俺はもちろん俺に『リタルダンド』でのチャンスをくれて、いつも優しくしてくれた野中さんは好き。俺の、なにかあるとすぐ死にたいと思う、悪い癖。でもどう振舞っていいのか分からない。しばらく頭の中が真っ白になる。ワインのせいもある。明斗さんの肩と胸の中間くらいのとこに顔を埋める。それから彼の腰に手を回す。

「玲海?」

「こうさせて。しばらくでいいから。」

大人の男は人前で泣かないから。俺はそれを自分に言い聞かせて、でも長年の習慣は急には変えられない。明斗さんに抱き付く俺の顔がきっと相当マジで深刻で、秀木も駿也も野中さんも俺達の方を向く。明斗さんは俺の髪を撫でながら呟く。

「玲海、どうして髪こんなに切っちゃたの?」

「病院にいた時に。」

「早く退院できてよかった。」

「うん。」

俺達ふたりは絶望的に恋愛中みたいな雰囲気になっちゃって、俺は明斗さんがどういう気持ちでいるのかは知らないけど、優しい人が隣にいてくれるのはありがたかった。ずっと彼に抱き付いていたかったけど、さらに食べ物が出て来て、俺は彼の腰から手を外して、あんまり熱心にではないけど、料理を食べ始めた。

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俺は他の人達にはどんな風に見えるんだろうか?たった今やっと好きな男の浮気の相手を知った、バカな男?いつまでも子供で明斗さんに甘えている?ウェイターさんが俺の空っぽのグラスにワインを注いでくれて、俺はそれを短時間で飲み干す。真っ直ぐ座ってられないから、明斗さんの肩に頭を持たせかける。俺はじっと自分の手の平を見る。

「玲海、ピアノ弾くから指が長くて綺麗だよね。」

明斗さんが俺の手を握ってくれる。またあっちの3人がこっちに注目する。彼はこんな風にいつも俺の心の支えになってくれた。俺は泣きたいけど泣けないし、野中さんのことはショックだし。俺、秀木の相手、なん回か知ったことあるけど、その度にタイプが違う。どんな男でもいいのかな?

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本格派イタリアンレストランの、シーフードピザ。一生懸命食べて前のふたりのことを忘れようとしたら、いつか秀木とレストランでシーフードドリアを食べたことを思い出す。俺がまだ17で、18になったら秀木と寝ようって思い詰めてて。あの時の俺は、彼を自分だけのものにしようとは思ってなかった。でも他の男を感じると喚き立ててた。愛してるって言ってくれて、指輪くれて、それでもこうなって、俺ってどんな顔すればいいの?大人の男ってどんな顔?

「大人の男ってどんな顔してんの?」

明斗さんがメイクの道具箱を開く。俺の顔になんかをパフで叩く。

「俺、君が14の時から知ってるけど、モデルに大事なのは、変われること。」

「変われること?」

「大人になって違う魅力が出て。男性モデルの寿命は短いでしょ?10代から20代、1番見てくれのいい時だけで終わっちゃう。秀木さんみたいなのは、例外中の例外。」

明斗さんが俺の目と眉を描いている。鏡がないから自分では見えない。最後に彼が大きめの黒縁の眼鏡をかけてくれる。駿也が俺を見て、空いていた俺の隣の席に座る。

「全然違う。年相応に見える。どうやったの?」

「肌の赤みを抑えて、目の形をアイラインでハッキリさせて、眉で男らしさを出す。」

「今度、玲海と俺で作品撮るって言ってたでしょう?それ今やろう。」

俺は酔ってたし、秀木と野中さんのことがショックだし、どうでもよかったのでなにも言わなかった。明斗さんは駿也には俺みたいなメイクはしなかった。少し髪形を変えただけ。オールバックみたいなスタイル。でももっと凝っていて、前の所に膨らみがある、レトロスタイル。イタリアンレストランだから、カラフルなインテリアもいい雰囲気。この色に負けないように元気な顔をしよう、と俺は思った。

89

明斗さんはバッグから小さなデジカメを取り出す。

「俺、今日はプロ用のカメラ持ってないよ。」

駿也がそのカメラを見る。

「十分いいカメラですよ。やってみましょう。」

俺は大人の男の表情が分からない。いつも泣いてるお人形の役だったから。駿也は俺より年下なのに、しっかり大人の男の顔をして、俺にも指示を出す。俺は自分の顔を見られないから、よく分からない。明斗さんとの1番最初の仕事はメガネの広告だった。それを思い出したら、またそれにまつわる悲しいことやなんかも思い出して、また泣きたいモードに入りそうになる。駿也が俺に囁きかける。

「玲海、大人の男にだって色んなタイプがあるんだから、泣きたいなら泣いてもいいですよ。」

泣いてる大人の男?不幸な男?それならできそうな気がする。

90

俺はいつもそうだけど、撮影でなかなかOKが出ない。駿也がまた俺に囁く。

「玲海、大人の男はもっとこの世に存在してるんです。それに自分のスタイルを持ってるんですよ。」

そんなこと言われたって、俺なんてこの世に存在したことなんて1度もないし。俺のスタイルってなに?男に浮気されて、そのふたりが目の前にいて、でも駿也がさっき俺のこと違う人みたいに見えるって。それにもっと前、駿也が俺に言ってた。秀木のことがどうでもよくなったらそれが顔に出るって。まだどうでもよくはないような気はするけど、そういう顔をしてみる?無理やり?そうなると余計、秀木と彼がどんなセックスしてるのか気になったりするし。俺って才能ない?でも才能ないにしては、6年もモデル業をやっている。駿也がいきなりみんなに聞こえるような声で、俺の正面から深刻に話しかける。

「玲海、いつか俺と付き合ってくださいって言ったでしょう?考えてくれました?」

「ああ、それね。」

秀木と野中さんと明斗さんが、みんなで仲良く固まって聞いている。

「それね、って?」

ほんとはそんなことすっかり忘れてたんだけど、そうは言えないし。忘れてたってことは、大して好きじゃないってことだよな、コイツのこと。これが自然に俺の口から出たこと。

「俺、浮気するヤツ、やっぱ無理。」

それはほんとのことだから。駿也が俺の方を見詰めて、次に俺がなにを言うか待っている。だから俺は、なんか言った方がいのかなって。

「それに俺、俺のこと最高って信じて、絶対浮気しない男を探すから。」

91

明斗さんがシャッターを切る。すぐに3人で、明斗さんのコンピューターのスクリーンを覗き込む。俺と駿也の顔が重なって写ってる。彼が俺の陰みたいになっていて、俺は俺にしては自信たっぷりに写ってる。

「上手くいったね。」

駿也が嬉しそうに言う。もしかして今の、彼の作戦だったのかな?

「さっきの、考えてくれた?って言ったのワザとなの?」

彼は微笑む。

「そうだけど、付き合って欲しいのはほんとだから。」

秀木と野中さんが来て、その写真を観る。ふたり共無言で。なに考えてんだろう?俺の写真、どう思ってんだろう?それは、その夜、最後まで分からなかった。

92

秀木に呼ばれた。『スケルツォ』の社長室。

「君がここを辞めたいなんて。そんな日が来るとは思ってなかった。」

俺は黙って、でもなるべくいい子に見えるように、少し微笑んでみる。

「不服があるならもちろん聞くし。」

表面には表れてないけど、彼は負けが分かってる勝負をしている。俺は昔リストカットが止められなくて、先の尖った物で手首を刺して、治ったと思ったらまたそこを爪で引っ掻いて、それで初めての入院をした。血が流れるほどじゃなくて、血がにじんで来るくらい。今、その血の赤い色を思い出す。身体の中は赤いんだ。みんなはそれを知らないで生きている。知ってるけど意識しないで生きている。

「学校はどうする?向こうは大手だ。どんな仕事が来るか分からないぞ。」

「もうじき卒業だし。」

負けが分かってる勝負。俺はもう新しいエージェンシーの担当者と、細かく打合せをしている。定時制高校を出たら、ちゃんと働いて、親に頼らずに生活していかないと。俺の決心が固いのを彼は感じてるはず。あれがもし野中さんみたいにあまりにも身近な人じゃなく、知らない人だったら違ってたかもしれない。生理的にイヤだという気持ちが強かった。

「『リタルダンド』の仕事もどうなるか分からないぞ。」

「それは野中さんが決めることですよ。」

俺は彼の名前を言う時、平静を保つように努力した。あの雑誌の仕事、勉強になったし、楽しかったし、できれば駿也と一緒にまた仕事したい。野中さんの決定を待つしかない。もしもあの雑誌を辞めることになったら。残念だけど仕方がない。俺は未来に進んでいかないと。

93

秀木に初めて会った時、俺の腕にはまだ赤い引っ掻き傷があった。明斗さんに会って、止めないとダメって言われて、やっと自傷行為がおさまった。

「玲海、家との契約、まだ半年あるって知ってるだろう?」

「それは、向こうの担当者から連絡が来るはずです。」

「もう来た。電話で話しをした。藤田さんていう人。」

俺はそういう交渉がどういう風にされるのか全然分からないけど、俺の担当者の藤田さんは、心配するな、みたいに言ってた。彼は明斗さんの紹介で、あの人なら間違いないからって。

「俺は玲海に、できればここにいて欲しい。」

ほんの少し沈んだ声で言う。でも俺にはどうすることもできない。

94

駿也が社長室の外で待っていてくれた。俺が頼んだわけじゃないけど、ここまで一緒に来てくれた。彼はこないだサインして、ここのモデルになったばかり。

「玲海はもうここへは来ないの?」

「だと思う。分かんないけど。契約のことがどうなるのか。」

ふたりで建物の外へ出た。まだ夏が空気に残ってるみたいな、でも秋もちょっと来てるみたいなそんな気温。

「玲海はまた僕と『リタルダンド』の仕事するの?」

「それは野中さんに聞いてみないと。」

「そうなの?じゃあ今聞こう。」

駿也が足を止めてケータイを取り出す。でも俺は止まらずに先へ進む。どんどん先へ歩いて行く。彼の方へは振り向かない。なんとなく、野中さんの周りから遠ざかりたい。

駿也が追いかけて来る。

「玲海!」

俺はそれでもまだ歩き続ける。止まると、なんだかは分からないけど、感情が湧き出て来るような気がして。

「野中さんは玲海に続けて欲しいって。だから君の新しいエージェントと話しをするって。」

俺は急に立ち止まる。駿也が俺の背中に追突する。

「『リタルダンド』、俺はやりたい。」

「そう?よかった。新しい所だって、やるなとは言わないだろ?」

「まだ聞いてないから分からない。」

「すぐ次の撮影だよ。」

95

駿也は森詩さんに助けてもらって、大分ワードローブを揃え、俺の服はみんな返してくれた。

「僕、森詩さんに随分お世話になって。」

「よかった。」

「行くとこなかったし。」

「でも駿也のサングラスとマスクがなくなっちゃって、紅葉さんのモデルができなくなったんじゃないの?」

「でも、親に捨てられた子供、っていう小説が書きたいんだって。」

「だったら俺もそうだった。」

「だから僕たちきっと助け合える、って言ったでしょ?」

「うん。覚えてる。」

「野中さん、玲海と話したいって言ってたのに。また今度電話するって。」

「俺は話したくない。」

「え、なんで?」

俺はそれには答えなくて、彼は増々不思議に思う。

「玲海、なにか言って!僕達助け合うんでしょう?」

96

俺達は歩道と公園の中間みたいな、人が通るのに邪魔になりそうなギリギリくらいの柵みたいな所に腰を下ろした。

「どうして野中さんと話したくないの?ずっと一緒に雑誌創ってきたんでしょ?」

俺はまだショックから立ち直ってないのもあったし、もうどうでもいいや、とも思ったけど、やっぱり駿也には言い辛くて少し黙ってしまった。道に迷った外国人観光客が駿也に話しかけて来る。彼は英語は普通によく喋れない。学校の英語の勉強はできたらしいんだけど。こんなことよくあるんだろうな、って俺は彼の顔を見る。俺は秀木の会社辞めちゃったら、これから誰を頼りにすればいいんだろう?秀木はずっとあまりにも俺の近くにい過ぎた。親の所は高校卒業したら出るつもり。前からそういう約束だった。俺の1番親しい友達は明斗さん。それから森詩さん。それにコイツか。言ってもいいかな?コイツだったら俺が泣いても分かってくれる。

97

「秀木、野中さんと付き合ってる。」

駿也はなにも言わないし、俺の方も見ないし、聞こえてなかったのかな?って思ったほど反応がなかった。でも今、通りの車は信号待ちで、周りに人もガヤガヤいないし、聞こえてないはずないんだけど。駿也は急に立ち上がる。

「それはない。」

それはない、ってどういうことなんだろう?なにか知ってるの?あのふたりのことは、俺はもう考えたくもないし、ほんとは話したくもないし。

「野中さんには、なん年も前から一緒に住んでる人がいるんだよ。今でも一緒だよ。」

「じゃあ秀木とはヤってるだけなんだ。」

彼は少し黙って考えて、そして口を開く。

「それは俺には分からないけど、付き合ってるとかじゃない。」

「今までは知らないヤツか、顔くらいは知ってるけど、話したことないヤツとか、そんな感じで、でも今度のは違う。」

ここで泣こうかなって思ったけど、今回の件では俺はまだ1度も泣いてないことに気が付いた。どうしてだろう?ショックが強過ぎて?呆れ返って?情けなくて?情けないような気はする。俺っていつも浮気されて、情けない。

「玲海はいつまで秀木さんのこと思ってんの?どうしてあの人が貴方にそんなに影響力があるの?」

駿也にしては強い調子。

「俺はもう秀木のものじゃないし!」

「言ってることと気持ちが違う!」

「なんで駿也に俺の気持ちが分かるの?」

「僕、こんなバカみたいなドラマみたいなこと言いたくないですけど。」

そういう長い変な前置きをして、しばらく経って。

「玲海の気持ち分かるの、僕が貴方に恋してるからですよ。」

98

駿也とはそこで分かれた。ケンカしたわけでもなんでもなくて、ただ行く方向が違っただけで、いつもならこういう時、彼は俺のことを心配して一緒にいてくれるけど、今日は彼自身の気持ちが混乱してるみたいだった。俺ってまだ秀木に影響されてんの?まだ好きなの?駿也はそう思うって。俺はこのまま秀木の会社から離れて、彼からも離れて、新しい生活をしたい。それはウソじゃないけど、じゃあ、その目的はなんなの?ひとり立ちして、大人の男になって、1番上等な獲物になって、秀木に捕まえてもらいたいから?なん度も傷付けられて、また足りないの?これって俺のただの病気?強迫思考?それはドクターに聞かないと分からない。でも愛とか恋とかって、結局、錯覚、思い込みの病気だって。誰に言われたのかも覚えてないけど。

99

野中さんと電話で話した。彼は俺の新しいエージェントの藤田さんと会ったらしい。そして俺は引き続き、『リタルダンド』の専属モデルをやることになった。彼は終始いつも通りの口調で、俺は嬉しかったからお礼を言って、彼は撮影の時に会おうって言ってくれた。そのあと、駿也はいつも通り勉強を教えてくれる。図書館でやることもあるけど、今日はお互いワザとみたいに、ガヤガヤしたカフェで会った。勉強が終わって、駿也はまた変な撮影のアイディアを話し始めた。

「この間の、大人の男、っていうのをやります。」

「どんなの?なに着るの、とか、なにも着ないの?」

「これは表情が大事だから、服はまだあんまり考えてない。」

表情ね。こないだは、駿也が付き合ってくれとか俺に言って、それで俺が浮気しないような男を探すって言ったんだよな。そして明斗さんがシャッターを切って。その時の表情。彼はまた変な絵コンテを描き始める。

「大人の男っていうテーマなんですけどね、実はもうひとつ深いテーマがあって。」

「へー。」

俺はなんだか疲れてて、あんまり興味ないけど、ちゃんと聞いている。

「そのテーマは、恋をする大人の男。」

「イメージが湧かない。」

「そう?」

「大人の男って恋をするの?」

「僕はしてるよ。」

それは聞いた。

100

ドアが開いて、客がなん人か入って来る。それと一緒に風が入って来て、気の早い落ち葉がカサカサ音を立てながら入って来て、俺の足元に落ちる。まだそんな季節じゃないのに、どうして?俺はカフェの外を見る。大きな木の並ぶ通り。まだ木々は緑。じゃあこの落ち葉はどこから来たのだろう?俺はひとりで立って表に出て、木の幹に触って意見を聞く。今ってまだ秋じゃないでしょ?木は笑って、まだだよ、って答える。そうだよな。変だと思った。駿也が後を追って来る。俺はもう帰るからと言って、彼を残して、並木道を歩く。でたらめに歩いているうちに薄暗くなってきた。玲海、大丈夫?って駿也からメールが来る。大丈夫だけど、3日くらいゆっくり休むから、連絡できないよ、と返事をする。ついでに藤田さんにも、もっと丁寧な言葉だけど同じことをメールする。行方不明になりたい。誰にも会わずに。こんなことはなん度もあった。俺が中2病で町をうろついていた頃。俺はあの時より背も伸びたから、あんまり隠れる場所がない。しょうがないからコンビニに入る。ここは明るいから十分に充電して、今日の夜のエネルギーにして蓄える。雑誌のコーナー。少し端の折れた、売れ残りの『リタルダンド』を見付けた。博物館のガラスケースに入った俺。ガラスの目の入った剥製の俺。あの頃より俺の髪は少し伸びた。変な場面だな。文字を読んでもさっぱりストーリーが分からない。4人のダンサー達、上手く踊りが流れるような撮り方をしている。非現実感がする。

101

明斗さんからメールが来る。駿也になにか聞いたのかな?俺は少なくとも3日は行方不明になる予定です。無理をしないで病院に行って、という返事が来る。いいアイディアだなって俺は思う。あの病院。俺はあそこで育ったようなものなんだから。双極性障害の患者が、行方不明になりに行く場所というのがある。人気はホテル、そして空港。知らないホテルに泊まって、最期の時を待つ。空港って行ってみたい。魅力がある。なんでだろう?24時間開いてるし。世界の空に通じてる。狂人の終点。病院は明日にも行けるから、今夜は空港に泊まることにしようと思う。どっちの空港?成田空港はいつも寂しい印象を受ける。大きくて、でもがらんとして、人がいっぱいの時もあるけど、そうじゃない時もある。

102

羽田空港に行く電車の中で、男にジロジロ見られた。この時間だから酔ってるのかも知れないけど、失礼だと思ったから、俺は隣の車両に移った。空港までの間、特に人が住んでいるような場所は通らないから、当然その男も空港へ行くんだろうなって思う。人に見られる仕事してる割には俺はこういうのに弱い。ほっておいて欲しい。隣の車両から、遠くにいるその男を見た。黒っぽいビジネススーツの、キャリーバッグとコンピューターが入りそうな大きなバックを抱えている。高校を卒業するまでは、『リタルダンド』の専属がメインで、他にはほとんど仕事してないから、俺のこと知ってるとしたら、『リタルダンド』だと思う。退廃がテーマの、変なモード誌。こんなに長く続くとは思ってなかった。他に男性のモード誌があんまりないからっていう理由だと思う。

103

空港に着いた。そっちの方が面白そうだから、国際線の方へ行ってみた。ツアー客が多い。どこに行く便なんだろう?こんなに遅く。ウロウロしていたら、電車の中にいた男を見た。後ろ姿だけど間違いない。ソイツに見付からないように来た方向に戻ろうと思ったけど、それもバカバカしいから、ソイツを追い越した。そしてコンビニがあったから入った。ノドがかわいたような気がして。俺がレジに並んでいると、その男が俺の横に来た。俺はチラって顔を見た。遠くで見るより若い。30代だと思う。まあまあイケメン。背はそんなに高くない。いきなり声をかけて来た。

「誰かのお迎えに来たの?」

他に誰もいないから、俺に言ってるのは明らかで、なにも言う義理はないんだけど、ソイツには気迫みたいなのがあって、なんとなく返事をしてしまった。

「いいえ。」

「荷物がないからそうかなって。」

割と素っ気ない言い方。でも俺は、彼の不思議な生命感のようなものに惹きつけられてた。レジが俺の番になってペリエを買った。見るとソイツはなにか買うわけではないらしい。やっぱりイヤだな、こういう状況。知らない人に声かけられるの。だけど駿也の時もそうだった。いい友達になったし。

104

俺は失礼にならない程度に、軽く会釈をして店を出た。男は俺の真後ろからついて来る。

「用がないなら話し相手になってよ。まだ大分時間があって。」

そんなことどうでもいいしって思ったけど、飛行機に乗る人だったら後腐れもないし。

お腹も空いてきたし、なにか食べさせてくれるんだったらいいかもしれない。あと2日あるからそんなにお金使いたくないし。

「それしたらなにくれるんですか?」

「一緒に俺とパリに行くか?」

俺はそのアイディアが可笑しくて、ゲラゲラ笑い出す。

「仕事あるから無理ですよ。学校も。」

俺達は肩を並べて、ショップやレストランのある方へ歩いて行く。エスカレーターに乗る。

「君はここになにしに来たの?」

「行方不明になりに。」

「上手くいきそうなの?」

「はい。」

105

彼は高そうな和食のレストランに入ろうとする。

「俺、こんなとこ金ないから無理ですよ。」

「心配しないで。こっちはビジネストリップだから。」

ヤッター!おまけにこんないいレストラン。席に案内されて向かい合わせで座る。高い店だけあって、中年の客が多い。

「俺、楽しい話し相手じゃないですよ。」

「行方不明中だもんな。空港がそういう目的に使われるとは知らなかった。」

「いいでしょ。安全だし。ホテル代浮くし。」

「君の写真、飛行機の中でよく観る。」

俺のこと知ってて声かけて来たんだ。どうなんだろう?って思ってて、でもどっちでもいいやって、丁度思ってたところだった。

「よく飛行機の中に置いてあるって、編集部の人に聞いたことあります。」

「こんな可愛い子がほんとにいるのかな?って思ってた。」

俺は0.1秒くらい微笑んであげる。

「でもあの博物館のは怖いな。」

俺はあの時の表情をしてあげる。大きなガラスの目の。死んだ剥製の顔。

「やっぱり怖いな。」

「今度のはもっと人間っぽいらしいですよ。」

106

彼のケータイが鳴る。

「失敬。」

カッコよく断って話し始める。でも英語だから全然分からない。この人はなんの仕事してて、なにしにパリへ行くんだろう?それに俺の写真よく見るって。よく飛行機に乗る仕事なんだな。どうでもいいけど。食事奢ってもらってるから、少し好奇心を出してあげた方がいいのかな?でも最初から楽しい話し相手じゃない、とは言ってあるし。

「失礼した。」

「考えてたんですけど、俺、少しは貴方に好奇心持った方がいいのかな?」

「どうでもいいんじゃない?君の好きなようにして。」

「じゃあいいや。」

107

面倒くさいから出て来た食べ物に集中してたら、あっちが自分のことを話し始める。

「俺、インテリアデザイナーで、ブティックが多くて、パリは新しいフレグランスの店。」

インテリアデザイナーで、そんなファンシーな仕事してる割には、ファッションは普通っぽいな。まあ、どんなタイプのデザインする人なのかは分からないけど。地味なヤツかも知れないし。彼がケータイで、いくつか彼の手掛けたブティックを見せてくれる。これってバロック?ロココ?装飾性の高いデザイン。カラフルで。天井に天使が舞ってる。

「もっとモダンなのかと思いました。」

「だからね、君の雑誌、いいなって思ってて。退廃的なイメージ。参考にしたりしてた。」

「ほんとですか?あんな雑誌。今、企画やってるの18歳の家出少年ですよ。」

「今度はもっと人間っぽいってどんなの?」

「それ、ちゃんと聞く前に行方不明になったから。でもテーマは、『恋をする大人の男』だそうです。」

108

「君は恋をする方なの?される方なの?」

どっちだろ?でも俺に大人の男の表情をあんなにさせたがった、ってことは、俺が恋する方なんだろうな。

「俺がなかなか大人の顔できなくて、みんなが困ってたから。」

「今、いくつなの?」

20才です。」

「もっと若く見える。」

「だから困ってるんですよ。」

ひとつだけ上手くいった、あの明斗さんが撮った写真を、ケータイで彼に見せてあげた。

「これ、メガネとかメイクのせいもあるけど、いい表情だね。」

「これをまたやらされるんですけど。」

「だから行方不明になったの?修行の旅?」

「全然、違います。」

どう考えてもこのあとの2日間でこんないい食事できそうもないから、かなり真剣に食べ始める。彼はなぜかそれを嬉しそうに見詰める。きっと俺みたいな死にそうな人間が物を食べてるの見てるから?

109

「俺の行方不明には理由はないんです。」

「よくやるの?」

「はい。中学生の頃から。」

「エキスパートだね。明日はどうすんの?」

「病院に泊まろうかと。」

「入院するの?」

「よく入院してた病院があって、そこのリネン室に忍び込んで。」

彼は俺の顔を見て、こう呟く。

「『恋をする大人の男』ね。」

きっと俺の行動が大人ではない、と思ってる。どうでもいいけど。

「それが大人の行動じゃないのは分かってるけど。」

「別にそれは関係ない。」

「俺、中2病がなん年も続いて、ずっと大人になりたくないと思ってたから、だから難しい。」

ちょっと可愛く下を向いてみる。

「大人って、俺には、決意、っていうことだと思う。」

決意?そうか、あの写真撮った時、俺、決意してたもんな。絶対浮気しない男を見付けるとかなんとか。この人、いいこと言うな。決意。それが俺に欠けてる物かな?

「じゃあ俺には、決意、が欠けてる?」

「決意して行方不明になったんでしょう?」

「しばらく誰にも会いたくなかったんで。」

「決意してるじゃない。」

こんなことが決意?よく分かんない。

「じゃあ、俺と一緒にパリに行く?アシスタントつけてもいいって言われてるんだ。」

「だから無理ですって。」

「ほら、決意してるじゃない?」

こんな決意だったらたくさんしてるし。ついこないだもエージェント変えたし。あれは明斗さんが紹介してくれたからだけど、決意したのは俺だし。

110

3日目はどこに泊まるの?」

「まだ考えてないです。」

「俺んち泊まれば?カギ渡すから。」

「それはちょっと。」

この人とヤバいことになりたいんだったらいいけど。ああそっか、これも決意だよな。こういう決意を毎日してれば、そして決意したなって意識してれば、大人の男になっていくのかな?

「貴方の言うこと、少し分かりました。」

騙された?彼はニヤニヤしながら俺を見る。きっとこの人ワザとパリへ行こうとか、カギ渡そうとか言ってた。

111

大きな空港の窓から、彼のパリ行の飛行機を見送った。彼のデザインしたブティックを、『リタルダンド』の撮影に使って欲しいと言ってた。バロックやロココは雑誌のイメージにも合うし。俺は駿也に彼の作品を写真に撮った物をメールした。

「玲海、どこにいるの?」

「それは言えない。」

「大丈夫なの?明斗さんが心配してる。」

「俺、今、修行中だから。」

あの人に聞いた、修行中、というアイデアをパクる。

「なんの修行してるの?」

「大人になる修行。」

「この天使の飛んでる天井は使えそう。」

あの雑誌、いつも俺が天使の役で。天使はバロックにつきもので。

「その修行はいつ終わるの?」

「多分あさって。」

「僕も付き合うから、どこにいるのか教えて。」

ふたりであの狭いリネン室に泊まるのは無理だな。

「寝るとこが狭くて、ふたりは無理だよ。」

「じゃあ家に来れば?森詩さんのとこ。」

懐かしいな、あの家。俺が3年間お世話になった。悪くない考え。今夜はここにいるけど、明日はあそこへ行こうかな?

112

「森詩さんに会いたい。」

「じゃあ、一緒に行こう。今どこにいるの?」

「今夜はここにいるから。」

空港独特のアナウンスが流れる。

「玲海、空港?」

バレちゃったな、ってちょっと恥ずかしいけど、急にひとりでいるのがつまらなくなってきた。修行ってふたりでやってもいいのかな?大人になる修行。

「どっちの空港?」

「近い方。」

「玲海みたいに可愛いのが、ひとりでそんなとこにいたら、誰かに連れて行かれる。」

「さっき、パリに連れて行かれそうになった。」

「そこで待ってて。」

113

30分程して駿也と合流した。彼は俺を上から下まで見て、それから360度グルって見て、大丈夫なのかどうか確認する。さっき上等なレストランで食べたし、機嫌はいい。

「空港って触発されるな。いい企画を思い付きそう。」

色んな国の人が行き交う空港にいると、駿也の容貌もそんなに目立たない。コイツは日本にいるから、顔にコンプレックスだか、逆コンプレックスだかを持つんだ。ふたりで滑走路の見える、さっきの窓に行ってみた。こんな夜に飛行機がどこかに飛んで行く。そしてどこからか舞い降りる。

「空港って絵になり過ぎて絵にならない。」

18才の家出少年の企画。

「さっき一緒にパリに行こうって言われた時、行っちゃえばよかった。」

「冗談。撮影すぐだから。」

空港って華やかな裏に、物悲しさがつきまとう。またひとつ飛行機が旅立つ。

「玲海、ここでひと晩なにするつもりなの?」

「考えごと。」

俺達ふたりでここにいると、家出少年みたいだな。

「でも考えごとはほとんど終わった。」

114

ふたりで歩き回っていたら、ほんとに空港の警備員に捕まった。俺に身分証を見せろと命令したクセに、駿也には聞かない。どうなってんの?駿也が友達を迎えに来た、と言って、その警備員がどこからの便で、なん時に着くのか聞いて、目の前に到着する便の案内が出てたから、俺がその内のひとつを読んであげた。それで俺達は大丈夫だった。

「なんで俺の方が年下に見えんの?」

バカバカしい。今ので一気に眠くなってきた。補導は中学生の頃から散々やられてたから、緊張感もなにもない。俺達は旅行者に混じってベンチに座る。真面目腐って書類に目を通しているビジネスマン。若い女性の賑やかなグループ。

115

「そういえば、俺達の雑誌、飛行機の中に置いてあるらしいよ。」

「面白いな。そういう方向からも考えられるね。飛行機の中で暇つぶしに読む。どんな記事がいいだろう?」

「非日常の。」

「非日常の?」

「たわごと。」

「それと、恋する大人の男。」

なんだ、そっちのテーマもまだやるつもりなんだ。

「そのテーマ、俺イメージ湧かない。」

「玲海、眠いんでしょ?一緒に森詩さんのとこに行こう。」

「もう少しここにいたい。」

あんまり疲れてて、ひと晩ここにいるのは無理かも知れない。せっかくの行方不明計画が中途半端に終わってしまう。

116

「じゃあ、あと1時間ここにいよう。」

駿也が提案する。

「2時間。」

俺は見栄を張ってみる。

「じゃあ2時間でもいいですけど、その代わり仕事しますから。」

「仕事?」

「企画。今度の撮影の。」

「今やるの?」

「他にやることないし。」

じゃあ、空港の警備員に身分証を求められる俺が、大人の男について考える。あのインテリアデザイナーさん、なんか言ってたな。決意するのが大事とかなんとか。

「俺ね、今晩学んだことがあって、自分で大人になったって感じる。」

「マジですか?よかった。じゃ、ちょっと大人の顔してみて。」

俺はかなり本気を出してやってみる。駿也がケータイで俺を撮る。ふたりでそれを覗き込む。俺は上手くいったと思うんだけど。しっかり決意している表情。

「玲海、これ結構大人だけど、非日常性もある。」

「完璧。」

「これにモードな服着せると絵になると思うけど。」

117

彼はじっと考えて、俺の顔を色んな角度から見る。

「でも、恋、という部分が。」

恋、だの愛だのって考えないようにしてたから。

「どうして、恋なの?」

「大人の男が恋してると、色気が出るでしょう?」

「俺ってそんなに色気ない?」

「今の瞬間は、疲れてるから色気はある。」

疲れてるから色気ある?俺は口の中で、なん回かそれを繰り返す。

「なんで疲れてると色気あるの?」

彼は、なんでそんなこと分かんないの?という口調で言う。

「簡単に押し倒せそうだと思うじゃない?」

考えてみれば野生動物もそうだよな。弱いものが強いものにヤられる。でもそこには愛も恋もない。

「玲海の疲れた顔セクシーだけど、もっと恋してる風に見えるといいんだけど。」

「対象がないし。」

「今好きな人がいなくても、過去に出会った人とか。」

「冗談。それは考えたくない。」

「じゃあこれから会う人。」

「それも考えたくない。面倒くさい。」

「あと1時間半あるから考えて。」

真剣に眠くなって俺はベンチの上に寝転がって、駿也の膝枕で目を閉じる。

「玲海ダメですよ、こんなとこで寝ちゃあ。」

「寝てないし。」

「ちゃんと考えてくれてるんですか?」

未来の男。俺の理想の男。浮気しないのがまず大前提。考えてみたら、あとはどうでもいいな。好きになるのに理由がいる?さっきのインテリアデザイナーさんもいい男だったな。男を誘うやり方とか、スマートだし、いやらしさがなかった。きっとまた会える。

118

急にあることを思い付いた。確かめてみたい。もう1度。俺は起き上がって、さっきのコンビニに入って、1番眠気の覚めそうな缶コーヒーを買う。そして駅の方へ向かう。まだギリギリ終電のある時間。この都会は眠らない。電車の中には人がいっぱい。酔っ払いもいっぱい。俺はこれから降りる駅のことだけを考えてる。誰かが俺の袖を引っ張る。

「森詩さんの家はそっちじゃないでしょう?」

俺が無視したら、ソイツはそれ以上なにも言わない。

これからそこへ行って、なにをしたいのか?それは分からない。もう1度確かめたい。それだけ。電車の走る音と、人々の話し声。それなのに自分の心臓の音が聞こえるような気がする。それは速くもなく、遅くもない。

119

なん度も降りた駅。なん度も歩いた道。もう2度と来るつもりのなかった場所。カギもまだ持ってるけど、俺は部屋の番号を押す。セキュリティーカメラが俺を睨み付ける。すぐドアが開いて、俺はエレベーターで4階へ行く。玄関のドアが開く。

「玲海、どうした、こんな時間に?」

眠そうな、でも本気で心配そうな声。急いで着たみたいなナイトガウン。あの人がここに来てる。きっと今ベッドの中にいる。覚えのある微かに香るフレグランス。揃えて置いてある品のいい茶色の靴。モード好きの彼にふさわしい。いつか俺がいい靴ですねって言ったら、これは鹿革だよって教えてくれた。今度は本当に、俺の心臓の音が聞こえる。それは速くもなく、遅くもない。

「あの指輪、もらいに来た。」

しばらくして、彼の書斎の引き出しが開く音がする。俺は左手を差し出す。彼が薬指にはめてくれる。俺は両手を自分の目の高さまで上げて、指輪を見詰めて、それから指の隙間から彼の姿を見る。

「それ、どうするの?」

変な質問。自分がくれたくせに。

「これでもう1度飛べるかやってみる。」

120

誰かが俺の身体に手を回して、玄関の外へグイって引っ張って、ドアをバタンと閉める。

「駿也。」

彼はなにも言わずに俺の腕を引っ張って、またエレベーターに乗って、通りに出る。彼はそこで初めて口を開く。

「終電。あと10分。」

ふたりで走って、電車に飛び乗る。終電だから夜中にしては少し混んでいる。俺達はドアの側に立つ。俺は左手の指輪を見る。駿也がケータイで俺の写真を撮る。

「なんで撮ってんの?」

なん枚も、なん枚も。

「玲海、いい顔してるから。」

たくさん撮ったのを見せてもらう。よく分からない。いつもとどう違うのか。大人の顔?決意した顔?

「俺、どんな顔してんの?」

「恋する大人の男。」

自分の顔を電車の窓ガラスに映してみる。やっぱりよく分からない。

「撮影、もうすぐだから。いっぱい撮ったから、この顔忘れないで。」

「そんなこと言っても俺、どんな顔してんのか分からないし。」

「ちょっとだけ勝ち誇ったような、自信に満ちた、ハッピーな。」

「あの時、野中さんが中にいたんだよ。」

「知ってる。靴が見えた。」

「じゃあ、どうして俺がそんな風にハッピーに見えるの?」

「玲海がなに考えてるのか知らないけど、僕には自信たっぷりに見える。」

俺はもう1度あそこに行って、確かめてみたかっただけ。俺の気持ちを。

121

行方不明願望が去って、普段の生活に戻った。『リタルダンド』のグラビア撮影は編集部の都合で少し遅れている。でもそのお陰でパリからインテリアデザイナーさんが帰って来た。連絡をくれた。田辺さんという人。彼は俺と駿也を連れて、いくつか彼の手掛けたブティックを案内してくれた。田辺さんのデザインのいい所は、下手にモダンにしないことだと俺は思った。あの時代の雰囲気を忠実に守って、それなのに彼にしかできないデザインをする。駿也はやっぱり、天使の天井が気に入っている。その店は本物の19世紀ビンテージのファッションを売る店で、ほとんどは女性の物だけど、少し男性の服もある。シャツやスーツやロングコート。帽子や靴もある。駿也は興奮してお店の人に話しかける。

「これ撮影の時、レンタルできるんですか?」

お店の人はとても協力的で、もちろん宣伝になるということもあるけど、なにか面白いことが起こりそうだ、という気もしてると思う。

122

とうとう野中さんに会ってしまった。撮影当日。彼は俺に軽く会釈して、俺はいつもと同じように挨拶した。と、自分では思った。気のせいか、彼は俺の左手の薬指を見ていたようだった。あとでスタイリストに指輪取るように言われた。どうしてか聞いたら、編集長がそうしろって。編集長って野中さんのこと。そんなことで議論をしたくなかったから、指輪を今日もメイクをしてくれる明斗さんに預けた。明斗さんはビックリしていた。

「どうしたの、これ?」

「もらいに行った。」

「どうして?」

明斗さんには秀木と別れたいって言った時、色々面倒見てもらった。新しいエージェンシーも紹介してもらった。

「会って、もう一度確かめたかった。」

「玲海。」

その時のメイクはかなり女性的なもので、時間もかかって、でも彼は俺にメイクする間中、いつもみたいに喋らずに、考え込んでるみたいだった。そりゃそうだろう。俺は自分でも理解できない行動をしている。

123

撮影開始ギリギリになって、秀木が現れた。俺は少しビックリした。俺が『スケルツォ』を抜けたから、俺と彼との接点はもうないはず。野中さんがいるから?秀木は野中さんに紹介されて、田辺さんや、お店のオーナーと挨拶している。新人の駿也を見に来たならまだ分かる。彼は今日も出演するから。駿也が側に来て、彼も秀木が来るのは予想外だと言っている。

「玲海、大丈夫?」

「こないだの顔をすればいいんでしょう?」

自分でそう言っておいて、実はどんな顔してたのかよく覚えてない。駿也にあの時電車の中で撮った写真を見せてもらう。思い出せるような、出せないような。

124

田辺さんはいつも飛行機の中で読んでいた、『リタルダンド』の撮影に来られて嬉しそうだった。しかも自分がデザインした店の中で。店の商品はほとんどがディスプレイされたままで、俺がお店でショッピングをしているシーンが最初に来る。また変な、俺には理解できないストーリーがあるらしい。なぜか俺が1920年代風のシフォンのドレスを試着している。豪華な装飾のある試着室。俺は鏡に向かっていて、背中のボタンがまだ半分開いているところを、後ろからフォトグラファーが撮る。鏡の中に映る俺の顔。どんな顔していいのか分からなくて、結局困ったような顔をする。田辺さんがいきなりビックリした声を出す。

「細いなー!君よくそんなドレス入るな。」

俺が微笑んで、シャッターの音がして、それでその場面は終わった。微笑めばよかったらしい。これが「恋する大人の男」というテーマとどんな関係があるのか、サッパリ分からない。駿也の企画はなん回かやったけど、結局、彼のストーリーを理解しなくても撮影はできる、ということを学んだ。

125

次に俺が着せられたのは、やっぱりその店の商品で、19世紀の肖像写真にあるみたいなベストのついたスーツ。シャツと同じ素材で、胸に大きなリボンを結ぶ。俺はこれってこないだの博物館で死んでるのと同じじゃない、と文句をつける。そしたらそれがボウタイに変わる。ほとんど同じじゃないって思ったけど、どうでもいいから黙っていた。死んだ顔をしたらほんとにこないだと同じになるから、俺はなんとか生きてる顔をしようと思う。駿也にあの時電車の中で撮った写真を、もう1回見せてもらう。試着室の鏡で、そんな表情ができるかどうかやってみる。明斗さんが来て鏡の中の俺の顔を見る。駿也が彼にケータイの俺の写真をみせる。明斗さんが俺達にこう言う。

「セクシーだね。」

俺はふたりにこう言う。

「自分では、全く分からない。」

3人で話し合って、俺のメイクは艶っぽい感じになった。これで、「恋する大人の男」の顔ができるのだろうか?俺はまた試着室の鏡を見る。過剰に装飾された試着室。王女様のベッドの天蓋みたい。明斗さんが、モデルは変われないとダメって言ってた。

でも俺の場合は変わらなくてもいいって。でも俺は変わりたいと思う。モデルとして成長して、次の場所に行きたい。田辺さんは、大人って、決意、だって言ってた。そのショットは、モデルは俺と、俺の新しいエージェンシーから来ている、俺よりもっと線の細い美少年タイプ。それから駿也。3人の絡み。その細い少年は新人で、だから俺のエージェントの藤田さんと一緒に来ていた。藤田さんは秀木を見て挨拶はしてたけど、変な感じだった。秀木がなにしに来たのかよく分からない。

126

そのショットは、俺がスーツ着ててボウタイまでしてんのに、その美少年が上半身裸で俺の膝枕で、俺達は店の高そうなカーペットの上にいて、俺は美少年の髪を弄びながら、駿也の方を見ている。また駿也が意味不明のストーリーを書くんだろうな。俺がなん度読んでも分からない。

「玲海、ここであの表情だよ。電車の中の。」

俺がマジで少年の髪を撫でてあげて、彼は気持ちよさそうにため息をつく。

「どんなのか覚えてない。」

駿也がポケットからケータイを出して俺に見せる。この顔ね。俺はこの時なにを考えてたか?なにをしてたか?秀木の家に行って、そこに男がいて、俺は指輪をもらって、駿也が俺を玄関から引きずって、バタンってドアを閉めて、走って終電に乗った。今そのことを考えても、自分がなにをしたかったのか、不明。それで電車の中で、どうしてこの顔ができたのか?ちょっと美少年の脇をくすぐってみる。彼はケラケラ笑う。すごく可愛い。駿也は困惑顔。

「じゃあ、説明するけど、玲海は年下の男性と付き合ってるんだけど、本当は年上の好きな人がいるの。それが僕。」

駿也は俺より年下だけど、年上に見えるらしいから。ややこしいな。

「分かった。」

駿也のことが好きですっていう顔すればいいんだな。でも俺は媚びた顔や、甘えるような顔や、物欲しそうな顔をしたくない。真っ直ぐ彼を見据えて、絶対彼のことを好きだとは悟られないような顔をする。「恋する大人の男」。意外とそれでOKになる。俺は美少年にキスをしてやる。藤田さんが飛んで来て、その子は未成年だからダメだって。つまんない。そんなこと言ったら駿也だって未成年だよな。俺の新しいエージェンシーは規則が厳しいらしい。

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最後のショットは俺と駿也。ふたり共ビンテージのタキシードシャツを着てるんだけど、前ははだけてて、俺が駿也に絶望的な恋をしてて、駿也は余裕で俺をあしらうみたいなポーズ。それは上手くいった。その写真の周りにモザイクのように、いくつか写真を組み合わせることにした。天井の天使の写真を撮った。ライティングでビンテージのドレスを不思議な雰囲気に撮った。それで撮影は終わった。今まであんまりやらなかったのに、前回も今回も、打ち上げがあった。俺はまた明斗さんと一緒で、彼に預けてあった指輪をもらって指にはめた。明斗さんは明らかに困惑してるんだけど、俺にはなにも聞かない。ただ、いつもみたいに、

「玲海、大丈夫?」

って聞いてくれる。俺は大丈夫だよ。ハッピーだよ。なにがハッピーなのかは分からないけど。藤田さんとさっきの美少年は帰っちゃって、田辺さんと駿也が今度の撮影についてアイディアを出し合っていて、秀木と野中さんが一緒だった。秀木になにしに来たのか聞いてやろうかな?思いっ切り失礼な調子で。そうだ、もし俺が駿也にキスして、秀木がなんか言うか試してみよう。俺は駿也と田辺さんの真ん中に分け入って、駿也にパッションを込めたキスをしてやる。俺は舌先で彼の唇をなぞる。マジでヤりたい雰囲気になってきた。そして彼の胸に顔を埋める。駿也はバカじゃないから、俺がなにか企んでるのは知ってる。

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丁度レストランの人がビールを持って来てくれて、俺はそれをほとんど一気に飲み干して、また駿也に抱き付く。田辺さんが俺達を見る。

「なんだ。ふたり、できてんの?俺の出番なし?」

俺は田辺さんだけに聞こえるように囁く。

「付き合ってないよ。じゃれてるだけだから。」

「なんだ。じゃあ俺にもじゃれてみて。」

俺は横目で彼を見て、どうやってじゃれるか考える。ほっぺにキスして、肩を抱いて、一緒に彼のパリに創ったフレグランスの店の写真を観る。

「ロマンティックですね。でも色はシックなんですね。」

俺は彼の肩に頭を持たせかける。

「今度は君と旅がしたい。」

「今度はどこに行くんですか?」

「香港。日本のブランドのブティック。」

「いいですね。俺あんまり遠くには行かれない。」

「どうして?」

「不安障害があって。」

俺はポケットに入ってる、オレンジ色の抗不安剤を見せる。

「君の非現実感ってそういうことなんだな。」

彼は俺の唇に素早いキスをしてくれる。駿也が俺のシャツを引っ張る。

「玲海。」

俺はオレンジの薬を半分に割ってビールと一緒に飲む。秀木がそれを見ている。彼は俺と一緒にいて長いから、薬をアルコールと一緒に飲むのが危険なのよく知ってる。

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あちこちのポケットに手を入れてみる。いつも色んな薬を持って出かけるんだけど、行方不明願望の時、大分飲んでしまって、あるのは抗精神病薬だけ。これをビールで飲む。秀木の見てる前で。すぐに意識が朦朧としてくる。でも俺はビールを飲み続ける。これがいい大人のやる行動?どうでもいいけど。眠くなるから冷たいビールを飲む。そうするともっと眠くなる。秀木の顔を眠そうな見ながら、彼にもらった指輪にキスをする。彼が顔をそむける。関係ないけど。野中さんがどういう顔をしてるのか見たいけど、でもやっぱりそれは止めて、駿也と田辺さんのどっちの方に倒れようかなって、考えたけど結論が出ない。秀木が店の人からペリエをもらって来る。それは正しい考え。

「ありがとう。」

俺は意外と素直にお礼を言う。もう半分の抗不安剤をペリエと一緒に飲む。どういうわけか少し目が覚める。

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突然、俺ももう年を取ったから誰からも愛されない、という狂った考えが浮かぶ。駿也と田辺さんの間を離れて、ひとりレストランの出口へ向かう。明斗さんが一緒に来てくれる。涼しい秋の街。もうすっかり暗くて。それが俺を悲しくさせる。

「玲海、どうした?」

優しい明斗さんの声。俺は頑張ってまともな気持ちでいるように見せる。

「もう飲み過ぎたから帰ります。今日はどうもありがとう。」

「足がふらついてる。君みたいな子がそんなんじゃ、誘拐されちゃうよ。」

「いい大人の男が?」

明斗さんはずっと一緒に歩いてくれるみたいなんだけど、実は俺は全然家に帰る気なんてなくて、俺がもう年を取って可愛くなくなったから、誰にも愛されないということについて、この歩道のガードレールに座って考えたかった。

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俺はガードレールに座って、風に吹かれて、明斗さんは俺の顔を見る。

「最後のメイク全部落ち切れてなかったね。」

そう言って、メイクのバッグからコットンを出して、俺の顔を撫でる。そのメイク落としの冷たさが、俺を少しだけ現実に戻してくれる。

「秀木、今日なにしに来たんだろう?」

「分からないけど。」

「駿也がいたから?」

「『リタルダンド』が好きなんじゃない?撮影、いつも面白いし。」

「野中さんに呼ばれたから?」

「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。」

道沿いにある自動販売機でジンジャーエールを買って飲む。明斗さんも付き合いでジュースを買った。

「明斗さん、よく俺のことアーティストだから、って言うけど、明斗さんもアーティストでしょう?こういう時、俺、どうすればいいの?」

「もう大分酔いも覚めたみたいだから、さっきの所に戻ったら?」

「そういうことじゃなくて、こういうこと。」

俺は薬指の指輪を見せる。

「それをしていたい間はしてて、もう必要ないと思ったら外せばいいんだよ。」

「秀木は俺の親代わりみたいなもんだから。ほんとの親は、俺の病気のこと聞きたくないし、表面上だけ義務を果たしてる。」

「恋愛感情あるから指輪もらいに行ったんでしょう?」

それは自分でもよく分からない。なんでもらいに行ったのか。明斗さんが俺の腕を引いて、さっきのレストランに戻った。

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俺の頭の中に入ってる、オレンジ色の抗不安剤が、俺を秀木の隣に座らせる。反対側の隣には明斗さんがいて、秀木の向こう側の隣には野中さんが座っている。

「秀木は今日なんで来たの?野次馬?」

「この撮影観てると、アイディアが湧く。」

「今日のはどうだった?」

「あの若い子可愛かったじゃない?もっと若いモデル入れようかなって思った。」

「俺は14だったもんね。さっきの子も大体そのくらいだね。」

秀木は明るめのネイビーのスーツを着ている。ネクタイはピーチとラベンダーの間みたいな微妙な色。わざとじゃないけど、俺の膝が彼の足に触れる。前ヤってたヤツと今ヤってるヤツに囲まれて、彼はどう思ってるんだろう。この打ち上げには他のスタッフもいる。スタイリストもフォトグラファーも雑誌の関係者もまだ残っている。秀木はこの中の誰かとヤったことあるのかな?だったらどの人なのかな?秀木が俺に聞く。

「玲海は今、他にどんな仕事してるの?」

「雑誌は『リタルダンド』だけ。あとは学校に差しさわりのない、週末の撮影とか。」

俺は秀木に、今のエージェンシーに入ったばっかりの時やった、ファッションブランドのポスターをケータイで見せた。女の子と手を繋いでいるショット。

「俺、これ見てないな。」

「小さいブランドだから。」

「でも名前は知ってるぞ。」

彼は俺が女の子といる写真をずっと見ている。酔ってるのかな?多分、少し。

「君がいないと仕事が面白くない。」

それは悪いけど、俺にはどうにもならない。

「君は仕事によって全然違う顔ができる。それが面白い。今日だってそうだ。」

「ゴメンね。」

俺にしては素直に謝る。でも今はどうしようもない。

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藤田さんのいるエージェンシーは、そんなに大きい所じゃない。『スケルツォ』よりは大分大きいけど。女性もいるし、子供もいるし、イヌやネコまでいる。俺は秀木に家のネコの写真を見せてあげる。首にリボンをつけて、ピンと胸を張って、とても可愛い。

「ネコもいるんだ。」

「このネコはね、俺よりも稼いでるらしいよ。」

彼と俺は笑い出して、周りにいる連中が俺達の方を見る。ショックを受けてる。別れたはずの俺達、それから、今関係のあるらしい野中さん。人々は俺達3人を興味深く見守る。

「覚えてる?俺は秀木が昔飼ってたネコの生まれ変わりだから。」

秀木が俺の目を覗き込む。視線が揺れている。やっぱり少し酔ってるみたい。田辺さんの声が微かに聞こえる。駿也と話してる。

「あれが玲海の指輪の彼なの?」

知らない人が見ても秀木と俺ってそう見えるのかな?

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今、この一瞬だけ昔みたいに彼と話していたい。あと5分。秀木が俺のしている指輪に触る。そして俺の左手を握る。俺は静かになって下を向く。あと4分。

「君の置いてった服やなんか、まだ預かってるよ。」

俺は思い出して、ポケットのカギ束から、彼のカギを返す。あと3分。

「それは持ってていいから。」

周りの人に聞こえるような声で。わざとなの?それとも酔ってるから?あと1分。俺はカギをもとの所に戻す。

「君はいつでも、俺の一番最初のモデルなんだから、大事に思ってる。」

渋いセクシーな声で言ってくれた。時間切れ。俺は元いた駿也と田辺さんの間に割り込んだ。

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田辺さんが俺に囁く。

「あの人すごく有名なモデルさんだよね。俺と同世代だからよく覚えてる。」

「俺のことスカウトしてくれた人。」

「指輪もらったんでしょ。」

俺は彼の耳に手を当てて、囁く。

「そうだけど。浮気者で。」

「なるほどね。」

田辺さんは俺と駿也に、彼のやった仕事をケータイで見せてくれる。

「これは小さなホテルで、都心から車で1時間半くらいかな?最初、インテリアデザインしてくれって頼まれたんだけど、大正ロマンって言うから、専門外だし。」

駿也が興味深そうに彼のケータイを見詰める。

「ほんとだ。木造ですね。」

「それで断ったんだけど、ライティングだけでもやってくれって言われて。」

長く続いた木の廊下。天井にオレンジ色の裸電球が並ぶ。シンプルな中庭にカラフルなライト。

「このライトは動くんだよ。」

田辺さんは動画で見せてくれる。カレイドスコープか走馬燈みたい。光がねじれて、色が混ざって。駿也が興奮気味にひとつの写真を指差す。

「これ凄いですよ。」

「これは食堂。全部で20個ある。」

小さめの食堂に、20個のシャンデリア!

「昔、シャンデリアって蝋燭だったじゃない?だからそれやりたかったけど、無理って言われて、だから相当暗くしてある。」

駿也が叫ぶ。

「ここだ!ここで撮ろう!まるで鹿鳴館みたいですね。」

鹿鳴館と聞いて、イヤな予感がする。

「俺もうドレスはイヤだから。それに鹿鳴館は大正じゃないから。」

駿也がまた叫ぶ。

「ドレス?それはいい考え!」

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俺は田辺さんのケータイを握ったまま、秀木の隣に座る。

「ほら、ここホテルなんだって。秀木、一緒に泊まりに行こう。」

冗談っぽく言ったんだけど、秀木は深刻な目で俺を見る。

「これどこなの?」

「知らない。都心から1時間半だって。」

「じゃ、行こう。」

「え、ほんとに?大丈夫、冗談だから。」

俺は笑って誤魔化して、駿也達の方へ戻る。ふたりは真剣に打合せをしている。

「食堂は閉められないから、撮影は営業時間の終わったあとだね。」

「このシャンデリアの高さはどのくらいですか?」

「2m。暗くしてあるからその分低くなってる。」

「これはやっぱり着物ですかね?」

着物、と聞いて側にいた明斗さんが叫ぶ。

「着物?俺、着物のメイクしたことない!」

駿也が落ち着いた声で。

「じゃあこれからお勉強してください。あ、でも僕も着物のことあんまり知らない。これから大正ロマンの勉強しよう。」

俺が駿也を肘で突く。

「俺の着物って男物?」

「の、わけないでしょう?」

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俺は野中さんに向かって叫ぶ。

「メンズのファッション誌で、女の着物はないですよね?」

彼は話しが見えないので、ただ笑っている。俺がまた田辺さんのケータイを持って、野中さんの所へ行く。駿也が素早く立って俺と野中さんの間に入る。そして説明を始める。

「このシャンデリアの食堂で、着物で撮影したいんです。」

「シチュエーションは?」

野中さんの質問に、駿也がなにか言う前に俺が切り出す。

「その人は好きな男とセックスすると、ネコに変身するの。」

駿也は俺の言ったことにビックリした様子だった。

「それが玲海のやりたいことなの?」

「そう。」

野中さんが静かに話し始める。

「それ、映画にあった。『キャット・ピープル』。ナスターシャ・キンスキー。」

俺と駿也はケータイで検索する。ストーリーを読むと確かにそんな感じ。セックスするとネコになる。俺は全く適当に言ったのに。

「おふたり、その映画、観て。面白いかもしれない。大分昔の映画だけど、印象的だった。」

138

駿也と俺は一緒に検索して、ざっとストーリーも分かったし、いくつか見付けた短い動画も観た。

「玲海、これとんでもないストーリーだよ。物騒だし。」

そのストーリーは、人間とセックスするとネコになって、人間を殺さないと人間に戻れない。

「おまけに、これネコじゃなくて、でっかい黒豹じゃない。」

「いいじゃない、可愛いネコにすれば。家のエージェンシー、ネコもいるし。」

俺は秀木とセックスして、ネコになって、彼を食い殺して、また人間に戻る、という想像をしてみた。血なまぐさい出来事。セックスとか、情事とか密通とか、そういうのってみんな血なまぐさいような気がしてきた。俺は駿也にそのネコを見せる。

「このネコ俺より稼いでるらしいし。」

「いいネコだね。ロシアンブルー?」

血なまぐさいセックス。俺は駿也とキスして、それがどんな味がするのか試してみる。あんまり血の味はしない。ビールの味はする。この未成年が。もう一度ちゃんとキスをする。駿也は俺の肩を優しく抱いてくれる。その時フラッシュが光って、ヤバいと思ったけど、誰だか知らないけど、俺達みたいなマイナーなファッションモデル、逆に宣伝してもらった方がありがたい。

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俺達はバカみたいに見つめ合って、ふたり共、頭の中では、まだ撮影のストーリーを考え続けてて、

「玲海、じゃあほんとはセックスしたくてしょうがないけど、そうするとネコになっちゃうからできない、っていう顔してみて。」

「そういえば俺、最近セックスしてないから、そんなの楽勝でできるよ。」

ヤりたくてしょうがない顔。とても挑戦的なヤりたい顔。駿也が写真を撮る。

「いいと思う。目がいい。鋭い目。」

「ありがとう。でもそれがほんとの俺の今の気持ちだから。」

「今夜一緒に帰ろう。森詩さんの家。」

「俺、あの家、親に追い出された3年間住んだから、感情的になるかも。」

駿也は俺の手をしっかり握る。

「いいよ、泣いても。僕の胸で。」

わー、誘惑、と思って周りを見渡したら、みんなが俺達の方を見ている。

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どうしよ?ここが人生の分かれ目かも。このなんでか知らないけど俺に恋をしている若者とベッドを共にする。また浮気されて悔しい思いをするかも知れない。でもそうはならないかも知れない。まあ、でも普通に考えたらそうなるな。まだ若いし。ヤりたい盛りだし。

「玲海、なに考えてんの?」

「君とヤって、浮気されて、それでもヤる価値あるかな?って。」

なぜか隣にいる田辺さんが口を挟む。

「そりゃあ、チャンスがあったらヤっといた方が、あとで後悔しないし。」

「ヤって後悔する方が、可能性としてはあるんじゃないですか?」

俺がふてくされてそう言うと彼は自信たっぷり。

「ヤって後悔というのはない。その時がナイスタイムならいい。」

「どういう楽観主義ですか、それって?」

「俺のセックスの哲学。」

「貴方も浮気するタイプですか?」

「人を裏切ったことはないぞ。」

なんかカッコいい。でも状況がよくつかめない。浮気はするけど人は裏切らない?「それってどういうことですか?」

「愛している間はソイツとだけ向き合う。長続きしたことはないけどな。」

愛が長続きしないタイプなんだ。問題が深い。

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藤田さんに呼ばれてオフィスに行った。今度のエージェンシーは大きなビルに入っている。片隅にモデルのポートレートを撮るスタジオまであって、スタッフも多い。藤田さんは俺の顔を見て少し深刻そうな顔をする。そしてコンピューターで写真を見せてくれる。

「え、あの時の?」

駿也が俺の肩を抱いて、キスしてくれた。あのビール臭いキスの写真。俺達全然付き合ってるとかじゃないのに、超ロマンティックな恋人同士みたいに写ってる。ちょっと人に観られるとヤバいかなー、という写真。

「これでよかったら、流しとくから。」

「え?」

藤田さんの言う意味が分からない。

「君達すごく絵になるって、大手の写真週刊誌が載せてくれるって。」

俺はしばらく固まる。俺は全然構わないけど、駿也は未成年だし。まあ、18才以上で高校も卒業してるから、多分大丈夫だろうけど。

「藤田さん、『スケルツォ』の方はなんて言ってるんですか?」

「あっちは関係ない。家の宣伝部がやってることだから。」

へー、そんなことが起こるんだ。

「でも俺なんて全然無名だし。」

「今まではな。」

へー、そういうことなんだ。

「駿也に連絡してもいいですか?」

「いいけど、あっちも急いでるから。普通はモデルに確認取ったりしないで、マスコミに流すから。」

「それはありがとうございます。」

とお礼を言いながら俺はケータイを取り出す。

142

「駿也。」

「玲海、どうしたの?」

「俺達の写真、週刊誌に出るんだって。」

「へー、どんなの?」

「キスしてるヤツ。こないだの打ち上げで。」

「へー、じゃあ、そしたらね、ちゃんと『リタルダンド』の宣伝バッチリしてください。できれば俺が企画やってることも。」

俺はそれを藤田さんに伝えた。そして野中さんに電話をして、雑誌から写真を流用していいか、許可をもらって、こないだのブティックで、タキシードで駿也と一緒に撮影したヤツを、そのキスしてるのと一緒に週刊誌に載せてもらうことにした。

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その次の週、その写真週刊誌が出た。確かに俺達、絵のように写ってる。駿也もいいね、って言ってる。いい宣伝だな。これで忙しくなったらいいな。俺、もうじき高校卒業だし。とっとと稼がないと生活ができない。週刊誌の記事って面白いな、あることないことが色々書いてある。キャプションが、「専属モデル玲海と駿也のプライベートなお熱い場面。」

「『リタルダンド』という奇妙なメンズモード誌をご存じだろうか?毎号グラビアに美しい半裸の男性同士の愛のシーンが現れる。ファッションというよりもアートに近い。なぜならグラビアはストーリーになっていて、しかし誰もその意味が分からない。玲海はモデル歴6年。一方、駿也は全くの新人。彼は同誌の企画も担当している。ふたりの今後が注目される。」

俺は近所のコンビニでその週刊誌を立ち読みしている。買うほどの興味はない。記事もなんだか適当だし、緊張感ないし、俺の方がこれよりいい記事を書ける。藤田さんによると、この記者はいつもお世話になってる人みたいで、確かに俺の新しいエージェンシーにはイヌやネコもいるけど、モデルと芸能人の半々みたいな人もいて、アイドルグループなんかもいて、俺は興味ないけど、大分売れてる人もいるらしい、俺なんてまだネコに負けてる。

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秀木はあの週刊誌の、俺達の熱いキスのことどう思ってんだろ?まあ、あの時彼も目の前にいたから。でもあんなメジャーな写真週刊誌に出ちゃったから、なにか言ってくるかな?と思ったけど、なにも言ってこなくて、俺も別に言うことないし、単なる宣伝だし、秀木には連絡せずに黙っていた。そうしたら、今日の午後突然メールが来た。

「たまには食事にでも行こう。」

「俺、これから学校です。」

「金曜だろ?なん時に終わるの?」

9時です。」

「遅いんだな。会える?」

俺はちょっと考えた。考えることもないけど。

「分かりました。どこですか?」

彼は俺達が時々行く、カジュアルなレストランの名前を言った。彼の会社の近く。

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授業中、ずっと秀木のことが頭に浮かんだ。それはいつものことで、それが俺の病気でもあって。9時ピッタリに教室を走り出て、駅に向かう。走って駅に行って電車に乗って、その間中も秀木のことを考えていた。レストランの前に着いて、いつも俺達同じ席に座るから、そっと覗いたら、秀木はカッコいいスーツを着ている。俺は学校から来たから、お洒落でもなんでもない、定時制高校の生徒みたいなカッコをしている。俺はレストランには入らずに、数件先にある、コスメティックの店に入って、商品を見ている振りをしながら、鏡に自分を映してみる。流行のアイシャドーやリップスティックの華やかな色と一緒に自分を見ると、やっぱり顔は青白いし、目の周りは疲れている。ほんの少しだけ色の乗るリップグロスを買った。その場で塗ってみた。可愛い色だな。ストロベリーレッド。なにか食べたらすぐ落ちちゃうかも。そしたらまたコッソリ塗る。忘れないで。でも秀木にキスされたら、そんなの塗ってるのすぐバレちゃう。

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俺はゆっくりドアを開けて、中へ入る。秀木が俺を見付けて微笑んでくれる。俺はあんまり彼のことを考え過ぎるから、いつも本物に会った時は、幻じゃないかと思う。それもずっと変わってない。俺は少し照れながら彼の前の席に座る。

「学校、大変なんだな。こんなに遅くまで。」

「あと半年もないよ。」

「そしたらどうするつもり?」

「生活費稼がないと。親の所を出たいし。」

気のせいかもしれないけど、彼は俺のはめている指輪を見ている。俺自身もなんで今更その指輪してんのか分からないけど、明斗さんが気の済むまでしてればいいって。

ふたりでワインで乾杯して、前菜をちょこっと食べながら、彼の方を見たら、やっぱり俺が14の時から知ってる秀木だった。あれから色んな事があって。説明するの難しいけど。

「今日君に会いたいと言ったのは、結論から言うと、玲海、『スケルツォ』に帰って来てくれないか?」

彼はきっぱりとそう言って、俺の反応を見ている。俺はなんて言っていいのか分からない。まだ藤田さんとは仕事始めたばっかりだし。

「あの変な写真週刊誌のこと言ってるの?」

「それもある。俺は自分のモデル、あんな売り方しないし。」

「俺達は全然構わないけど。」

「まあ、それならいいけど。君、昔、数臣と営業に回ってたじゃない?あれはすごかった。」

あの時は、秀木の会社が危なくなって、俺は必死で仕事を探してあげた。全部彼のためだった。バカみたいって今は思うけど。でも今日呼ばれたの、こんな仕事の話しするためだったんだな、ってちょっとガッカリ。ワイングラスにちょっとリップグロスがついてる。俺はそれを指でぬぐう。秀木がそれを見て、クスって笑う。可愛いって思ってくれたかな?

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「それから、玲海に指名で来てた仕事がいくつかあって、俺は藤田さんに連絡したんだけど。」

「全然聞いてません。」

「そうだろ?あとでクライアントさんに聞いたら、彼から別のモデルを紹介されたって。」

そんなことするんだな。藤田さんは明斗さんからの紹介で、俺は信頼してた。秀木がまた、きっぱりと言う。

「藤田さんには君よりも先に、もっとプロモートしたいモデルがいるってこと。」

なんだかちょっとがっかりだけど、俺はどうしたいのか分からない。秀木の側にいたくなくて、『スケルツォ』を辞めたんだし。

「法的には、君はまだ家のモデルなんだよ。」

「そうなの?」

「まだあっちで書類にサインしてないだろ?」

「そういえば。」

「家との契約、まだ半年あるから、君を預けるっていう形にしてた。俺も君を離したくなかったし。」

明斗さんに相談しよう。それから決めよう。でも俺ってまた秀木と一緒に仕事したいの?

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「ゴメンなさい。今すぐ決められない。」

「いいよ。でも俺は玲海に帰って来て欲しい。」

俺なんて今、ほとんど『リタルダンド』しかやってないし、大して金にもなんないのに、どうして帰って来てもらいたいんだろう?俺はまたワインをひと口飲んで、グラスについたリップグロスをぬぐう。

「玲海がいないと、仕事がつまらない。前も言ったけど。」

「俺、大して稼いでないし。」

「君には可能性がある。」

「そんなこと考えたことない。」

「君はアーティストだから。駿也と一緒に面白い企画を創って。」

確かにそんなことするモデルってあんまりいないかもしれない。駿也もそうだし。珍しいタイプのモデル。

「秀木は俺達のあの変な企画好きなの?博物館とかビンテージのブティックとか。」

「それから今度のレトロなホテル。俺はああいう仕事をしていたい。普通の仕事だけじゃつまらない。」

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秀木って本気でそう思ってたんだな。藤田さんのこと聞いてガッカリだし、また秀木と働く?今、せっかく会ってるんだから聞きたいことを全部聞いてやろう。

「秀木と一緒にいると、精神が不安定になる。」

「そうなの?」

「もちろん、プロのモデルとして、公私混同はしたくない。でも明斗さんによく言われるけど、俺はアーティストだから、そんなに上手くいかない。」

俺はそこで話を止めた。秀木は俺が次になにを言うか待ってるみたい。なんて言ってやろうかな?もうそのまんま言うしかないしな。俺は落ち着くためにトイレに立つ。顔をゴシゴシ洗って、髪を濡らして、ストロベリーのリップグロスをつける。少し人間っぽい顔になったと思う。彼は俺のこと、まだ可愛いって思ってくれてるのかな?

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「俺は秀木の周りに男を感じたくない。」

彼は黙っているけど、俺の目はちゃんと見ている。俺が今日こんな話を切り出すって、彼は予想してたのかな?俺からすれば、当然こっちから解決していかないと、なにも進んで行かないんだけど。俺もしばらく黙って考える。自分が考えてるそのまんま言おうと思うけど、それは意外と難しい。秀木の視線が俺の目から落ちる。なにを見ているんだろう?と思ったら、俺の指輪を見てる。俺のことを愛してるのか、それを聞きたいけど、それを聞くのは怖い。それとも今日は仕事の話しだけすればいいのかな?もしかしたら秀木はそのつもりで来たのかも。俺のこと愛してるか聞いて、愛してるって言ってくれて、久し振りにエッチなことをして、めでたし、になる可能性は、多分少ない。でも将来的にはそっちに持って行きたい。だから今夜はあんまりそっちの話しをしない方がいいかもしれない。だけどそう考えて上手くいった試しはない。

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「秀木が誰と付き合ってるか、みんなが知ってる。」

「俺は誰とも付き合ってない。」

「じゃあ、秀木が誰とヤってるか、みんなが知ってる。俺はそういうの我慢しないし、それなら秀木とは一緒に働けない。」

だけど、もうあの人とヤってんのみんな知ってるし、今更あのふたり、ヤるの止められんのかな?駿也が言ってたけど、あの人には長い間一緒に住んでる彼がいるって。その彼ってなに考えてんだろう?こんな風にみんな知ってるのに、その人は知らないのかな?それとも知っててなんにも感じないのかな?俺のいつもの習性で、思ったことがそのまま口から出る。

「野中さんの彼氏は、秀木のことどう思ってるの?」

究極の質問。彼は大分長いこと考えてる。正直に言うつもりなら、こんなに長く考えないだろう。

「言えないなら、俺は秀木と一緒には働けない。」

秀木は言葉を選ぶように、ゆっくり話す。

「彼氏は忙しい人で、野中さんは別れたがってる。」

「秀木はどうしたいの?」

「長く関係を続ける気はない。」

「彼を愛してるの?」

「慰めてるうちにそうなって。」

「彼を愛してるの?」

考えているようじゃ、そうなのかも知れない。愛してないならそう言うはず。もっと他にもいるのかも知れない。疑い出すと切りがない。俺はこんなヤツになにを期待してるの?

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「俺は秀木とはもう一緒に働けない。」

「待て。彼のことは正直愛おしいとは思っている。今は彼には誰かが必要だから。長く側にいるつもりじゃない。」

「愛おしいって、愛してるってことでしょ?」

「時間的に短い、愛かも知れない。」

少なくとも彼は正直に言ってくれたと思う。俺は自分にしては泣きもしてないし、喚きもしてないし、秀木に向かって水もワインもかけてないし、よく耐えてる。自分で感心する。秀木は俺にかなりショックなことを言っている。その割には。

「どうせ長く一緒にいるつもりじゃないなら、早く別れて。そうじゃないと俺は、『スケルツォ』には戻らない。それに他にいる男とも全部手を切って。それができないなら俺は半年して契約が切れたら、どこか他に移る。藤田さんの所じゃなくて、もっと違う所。」

男と全部別れて、そこまでして秀木が俺と仕事したいとは思えない。

「それができなかったら、俺はもう秀木とは会わない。『リタルダンド』の撮影にも来ないで。会ってしまうとしたら、あの時だから。」

これで俺が言うべきことは全部言ってしまった。取り返しのつかないことを言ったような気もするし、ただ自分に正直に言ったような気もする。彼の返事を待たずに、俺はもし秀木を永久に失ってしまったら、どんな人生が待っているのだろうか?と考えていた。

153

俺がよくここで食べる、シーフードドリアが来た。俺達の会話はしばらく途切れて、俺は真剣にシーフード達に大ランドスケープを作ってあげる。山や谷や川や、それから彼らの住んでいる海。俺はシーフードを全部海に放してやる。

「玲海、さっきから山作ったり海作ったりしてるけど、全然食べてないじゃない?」

「これやってからじゃないと食べる気がしない。」

「上手にできたね。」

俺は川に沿ってご飯を食べ始める。下流から上流に向かう。時々シーフードをつまむ。

秀木は、俺が18になる直前に一緒にここに来たこと、覚えてるのかな?食べながら、段々ナーバスになってくる。俺の目がなにかを探して左右に動く。もう2度と秀木に会えない。こんな日が来るとは全然思ってなかった。俺は秀木と別れて、藤田さんの所も辞めて。俺みたいな不健康なヤツ、雇ってくれる所、あるのかな?さっきからずっと俺の食べる手が止まっている。秀木の食べていた前菜の皿が空になって久しい。俺達はどっちも食べてないし、どっちも喋ってないし。きっと変な客だと思われてる。

154

俺は秀木のいない人生について考えている。これから高校を出て、親の家も出て。今まで秀木が親代わりみたいなものだったから、彼がいなくなっても、しっかり生活していくことを考えなくては。モデルのギャラだけで食べて行けるの?ひとりで家賃払ったり。食費だけはそんなにかからないような気がする。駿也と一緒に住む?あっちは俺のこと好きらしいし。人を頼ってはいけない。バイトして貯金して、モデルの仕事ない時に備えて。また営業する?それも数臣がいないと難しい。ギャラの交渉とか、契約のこととか分かんないし。多分もう、『スケルツォ』にはいられない。誰かの愛人になる。田辺さんは?あの人、愛人を持つほどの財力あるかどうか分かんないし。一応聞いてみようかな?俺は田辺さんにメールを送る。

「男を全部整理して、ひとりっ切りになりました。俺のこと愛人にどうですか?食費はあんまりかからないと思います。」

それを送る前に、秀木が久し振りに声をかけてくる。

155

「玲海、誰に書いてんの?」

「田辺さん。俺のこと愛人にどうですか?って。」

「どうしてそんなこと聞くの?」

「どう考えても俺、ひとりでやっていけそうもないし。あの人、俺のこと多少、好きみたいだし。」

「玲海はあの人のこと好きなの?」

「好きですよ。才能あるし。いまいちどんだけ財力があるか、不明なんですけど。もし駿也と一緒に住むことにして、アイツ稼げるようになったら、俺、ワイフやろうかな?」

「なんで人のこと頼るの?」

「だから、ひとりで生活できるとは思えないし。」

秀木は長年の経験で俺の飛躍にも慣れてるし。でも俺、飛躍してる?秀木が男と別れられないなら、俺は他のエージェンシーに移る。でも俺のこと雇ってくれるとこあるかどうかも分かんないし、生活できる給料もらえるか分かんないし。このどこに飛躍があるのか?

156

考えながら奇跡的に食欲が盛り返し、俺は一生懸命食べ始める。食べたら、なぜか不安感が襲ってくる。生活できないのに生きている価値があるの?消えてしまう?手に職ないし、学力ないし、高卒の退廃的なファッションモデル。きっと野中さんが秀木と別れたら、俺ともそれまでで、俺は完全に職を失って。また秀木が久し振りに声をかける。

「さっきからなに考えてんの?」

「秀木こそなに考えてんの?」

「じゃあ、君から言って。」

「やだ。」

「ちょっとだけでいいから。」

ちょっとだけならいいか、と思って、俺は話し始める。

「秀木が野中さんと別れたら、『リタルダンド』のキャリアもそれまでで、生活力ないし、そのまま消えて行く。」

「どこへ消えて行くの?」

「そこまでは考えてない。じゃあ、秀木はなに考えてたの?」

少し間が開いて、でも話す前に、なんだかニヤニヤして俺の顔を見ている。

「俺はただ。」

そこでまた間が開く。

「ただ、なに?」

「君がどうしてその指輪してるのかな?って。」

「あ、それですか?それはね、俺にも分からない。明斗さんに聞いたら、したいうちはしてて、外したくなったら外せばいいって。」

157

「いつ外すつもりなの?」

「それは気持ちの問題だから、その時になってみないと。」

「彼は君のこと気に入ってるから、『リタルダンド』から降ろすことはないよ。君はほんとにあの雑誌のコンセプトにピッタリだ、ってよく言ってる。」

俺のことそんな風に思ってくれてるなんて。俺なんていつも撮影でバカみたいに泣いてばかりで。今度の撮影、どうなるんだろう?俺は秀木のと藤田さんのとどっちのモデルなんだろう?どっちでもいいかも知れないけど、気持ち的に違う。

「今度の撮影。あのホテルの。俺ってマジで着物なのかな?」

駿也に聞いてみよう。

「撮影の衣装決まったの?」

しばらく返事が来ないから、また秀木とちゃんと向き合う。でもなに言っていいかは分からない。そしたら駿也から返事が来る。

「スタイリストさんと一緒にビンテージの着物探してるとこ。」

駿也ってそんなことまでするんだ。俺には雑誌の企画の仕事なんてできないな。今度はどんな顔しろっていうんだろう?大正ロマン。勉強しないと。

158

「玲海は最初から人の言いなりにはならなかった。自分の意見があって。」

秀木と一緒に仕事始めた頃の話し。14の時。

「イヤなことは絶対やりたくなかった。それだけ。」

「今でもそうだろ?作った顔はしないだろ?気持ちから入って、それが表情に出る。」

20個のシャンデリア。着物着てる俺。どんなストーリーなんだろう?どうせなん回読んでも分かんないけど。

「野中さんって、駿也の書くストーリー分かるのかな?」

秀木はクスって笑う。

「分からないって言ってた。」

「秀木は?」

「あの博物館のあったろ?あそこでどうしていきなり王子様が出て来るのか、さっぱりわからなかった。」

「こないだのブティックも、なんで俺がいきなりドレス着てんのか、全然分からなかった。」

ふたりでしばらく笑って、そしたら秀木が意外な質問をしてくる。

159

「玲海はどこで田辺さんと会ったの?」

「ああ、あの人ね。」

俺はワザと少しじらす作戦に出る。

「あの人はよく飛行機の中で、『リタルダンド』を観てたんだって。」

「飛行機の中にあるって聞いたことあるな。」

「それであの人、俺のこと、こんなに可愛い子がほんとにいるのかな?って思ってたんだって。」

俺はビッグなスマイルをする。そうだ、俺のことそんな風に思ってくれる人もいるんだ。愛人作戦がよみがえる。

「だから彼にはどうやって出会ったの?」

「ああ、あの人ね。あの人は俺が行方不明願望の時に。」

ウエイターがオーダーを取りに来て、俺はデザートを頼んで、秀木はビールを頼んでいた。

「行方不明願望ってなに?」

「急に行方不明になりたくなって、それで空港に行ったの。羽田の方。そしたら田辺さんったら。」

そこでじらしてしばらく、クスクス笑う。

「行方不明になって大丈夫だったの?」

「うん。駿也に迎えに来てもらった。あの時だよ。指輪もらいに行った時。」

そうだ、あの時羽田空港で急に秀木にあって確かめたいことがあったんだ。でもなにを確かめたかったんだろう?あの時秀木のとこには野中さんがいた。でも俺が確かめたかったのはそんなことじゃない。

160

「その時に田辺さんに会ったの?空港で?」

「そう。もう少しであの人に、パリまで連れて行かれるところだった。俺、ああいう人好き。男ひっかけるの上手で。」

俺はあの時のことを思い出して、ニコニコする。

「あのひと俺のファンなんだって。やっぱりあの人にメールしてみよう。」

「なんて言うの?」

20才の可愛い愛人いりませんか?って。」

「冗談だろ?」

「冗談じゃないよ。俺、藤田さんとこも秀木のとこも『リタルダンド』も追い出されたら、生活できないし。」

「君のそういう思考、慣れてるけど。」

「それより、駿也にあのシャンデリアの、どういうストーリになるのか聞いてみよう。」

どうせ聞いても分からないとは思うけど。

161

駿也から返事が来た。

「玲海は世界的に有名な指揮者の愛人で、でも貴方はオーケストラのバイオリニストと恋に落ちてしまう。そして駆け落ちをしてあのホテルに。」

すごい分かりやすいストーリーだな。愛人っていうところが、俺の愛人願望と合致するし。バイオリニストの役は多分駿也だな。じゃあ指揮者は?

「それはまだ決めてません。割と若い人がいいかなって。」

ふーん。若い世界的に有名な指揮者か。面白くて分かりやすい。駿也も反省したのかな?誰にも理解できないストーリーばっか書いて。

162

秀木のことをすっかり忘れていた。

「今度のは分かりやすいストーリーみたいです。」

「よかった。」

「俺が誰かの愛人で、でも駆け落ちするんだって。」

「大正ロマンしてるな。」

「え、そうなの?」

「駆け落ちなんて、今時ないだろ?」

なるほど。駆け落ちってロマンティックなんだな。

「秀木と俺、駆け落ちしよう。」

「なんで?どうやって?」

「知らない。」

「君のそういうところ、慣れてるつもりだけど。」

163

俺は突然思い出す。

「あれっ、そういえば、セックスしたらネコになるっていう話しはどうなったんだろう?」

さっそく駿也にチェックする。そしたら、

「あ、それもね、ストーリーに入ってますよ。」

「どんな風に?」

「ラストのシーンで、玲海がネコになるんです。」

俺って、化け猫?秀木が興味深そうに、話しの行方を待っている。

「駿也によると、俺はストーリーの最後でネコになるそうです。」

「いきなり?」

「その辺は分からない。」

「そこへ行くまでの伏線があるわけだろう?」

「普通ならね。」

少し酔ってる?彼はセクシーな目で俺を見る。俺はまだネコのことを考えてる。俺ってイヌ科よりやっぱりネコ科だよな。人にあんまり懐かないネコ。すぐうるさく鳴くネコ。

「秀木、俺ってネコっぽい?」

彼はうなずく。やっぱりそうなんだ。

「駿也なに考えてんだろう?あの映画のストーリーは、セックスするとネコに変身して、人を殺すとまた人間に戻るんでしょ?」

でもさっきの愛人と、駆け落ちストーリーとどう絡まってくるんだろうか?結局いつもみたいに誰が読んでも分からないストーリーになるのだろうか?

「駿也と君のストーリー、俺はほんとに魅力的だと思う。」

「意味不明なのに?」

愛人と駆け落ちと、最後にネコになる。どうしてネコになるの?それはセックスしたから。してはいけない人としたから?それが駆け落ちしたバイオリニスト?あんまり考えるのはよそう。駿也にメールした。早めにストーリーを教えるように。心構えがいるから。

164

してはいけないセックス。それってあるよな。他の男を愛おしいと思ってる、目の前の男。あの人と長い時間付き合うつもりはない、と言ってもそんなこと、未来のことは誰にも分からない。だから俺は待たないといけない。待ってどうすんの?田辺さんならそう言いそう。チャンスがあったらヤっといて損はないし、なんだっけ?変なこと言ってたな。その時ナイスタイムを過ごしたら後悔はしない、とかなんとか。

「ミャーオー。」

俺は試しに鳴いてみる。俺っていいネコになれるかな?人を食い殺すネコ。

「怖いな、今の気迫があった。」

「人を食い殺すネコだから。」

「ハロウィーンに丁度いい。」

もっとちゃんとネコになる勉強をしないと。化け猫伝説。大正ロマンの着物を着た。

「やっぱりラストシーンはライティングだね。ネコの爪と牙。それが壁に大きく映し出される」

「ほらね、玲海達はいつもそんなこと考えてる。」

「それがそんなに面白いの?俺達にはすごく普通。」

「とてもクリエイティブだ。」

165

秀木に聞いてみようかな?今度の撮影に来るつもりなのかどうか。俺はもう会いたくないって言った。彼と別れないんだったら。

「秀木、今度の撮影観に来るの?」

「できれば行きたい。」

「俺さっき言ったけど、秀木が彼とか、他の男とかとヤってるうちは、俺は会いたくない。だから撮影にも来て欲しくない。」

数秒、間が開いて、それは長い数秒に感じたけど、ほんとはそんなに長くなかったかもしれない。

「分かった。」

「あと2週間でどうやるつもりなの?」

「普通に。普通に説明する。」

「じゃあもし撮影に秀木が来たら、もう誰ともヤってないってそういうことだから。」

「分かった。」

その答えは何秒も考えずに即座に出て来た。

166

撮影当日。俺と駿也と明斗さんは、撮影のツアーバスに乗り込んで現場入りした。他のスタッフも一緒で、ネコは俺の同僚のロシアンブルーじゃなくて、他の動物専門のエージェンシーから来た、日本っぽいネコだった。毛並みのいい三毛。ということは、俺は藤田さんの所からは抜けたということ。明斗さんとも話して、俺が決断したことだから。俺は少なくともあと半年間は『スケルツォ』に在籍することになる。俺達はかなり早く着いた。ホテルのお客さん達が食堂にちらほらいて、遅い朝食だか早いランチを食べている。俺達はホテルをウロウロしたり、ネコと遊んだり、駿也だけはまだ変なストーリーを考えているみたいだった。数時間後に野中さんが来た。秀木は一緒じゃなかった。いつも野中さんの車で一緒に来るのに。駿也はさっそく、アートディレクターの野中さんと打ち合わせを始める。駿也が俺と明斗さんに説明してくれる。

「着物は赤で、牡丹の柄。メイクは軽めで、退廃的な感じ。」

当然だよな。退廃がテーマの雑誌なんだから。

「最初のショットは、暗くなって食堂の営業が終わってから。玲海が着物でネコを抱いて、シャンデリアの並ぶ食堂に立っている。」

スタイリストは着物に詳しい人を頼んだらしい。その人に言わせると、大正ロマン風の独特の着方があるんだそう。俺は明斗さんと相談してどんなメイクがいいか、決めていった。全部で3パターンある。

167

ホテルは木造でアンティークな感じなんだけど、ここは旅館じゃなくてホテルだから、布団じゃなくてベッドなんだって。駿也がちょっと悔しそう。畳に布団がイメージだったらしい。そのベッドのシーンというのを教えてくれた。

「玲海が着物を脱いで。」

「え、俺またヌード?」

「脱ぐ少し手前くらいで、駆け落ち相手と絡み。」

「誰?駆け落ち相手って?」

「あ、それ俺だから。バイオリニスト。」

「ネコは?」

絵コンテを見せてもらったんだけど、ネコは障子に映っている。とても怖い。化け猫っぽい。

「それをCGじゃなくて、ほんとにライト当てて撮りたい。」

「へー、ネコそんなに上手く演技できるの?」

「やってもらいます。」

いつものセリフ。

168

そんなことをやってると、田辺さんが到着した。ホテルのオーナーと一緒に、中庭の動くカラフルな照明をチェックしている。

「少し直さないとダメだな。もっと赤みが出るはずなんだけど。」

田辺さんはそう言って、伸び過ぎた木の枝を切ってみたり、ライトを分解してみたり、ライティングのアーティストも色々できないとダメなんだな、と俺は感心する。俺と明斗さんは控室用にとってあった部屋で、メイクを始める。

「えー、こんな風にやるんだ。」

いつも使ってるものと全然違う。もっと粉っぽいっていうか、粒子が荒い白粉を使う。そしてアイラインやリップラインの描き方も全然違う。俺はいつもよりもっと女性っぽくなった。それはあんまり好きじゃない。

「このメイクは最初の、ネコ抱いてるのだけだから。」

「じゃあ次のシーンは?」

「ベッドのシーンは色が少なくて、もっとメイクが崩れた感じ。」

「他にはどんなシーンがあるんだろう?」

明斗さんも、それは知らない、と言っている。なにかイヤな予感がする。駆け落ちと言えば、見付かって殴られる、そして連れ戻される。俺のイメージはそういうの。

170

メイクが終わって、俺達は食堂に移る。もうお客さんもいないから、これで撮影に入れる。ネコはどこかに隠れて寝てるので、俺だけシャンデリアの下に立つ。着物は赤い牡丹。くすんだようなライムグリーンの光。不思議な色。着物の赤がグレーっぽく見える。ヘアスタイリストも日本髪が結える人。大正ロマンだから大分崩した感じ。かつらって結構重い。ヘアアクセサリーもなし。俺の顔がシャンデリアの下でどんな風に見えるのか?フォトグラファーが来て、テストショット。まだネコは出て来ない。田辺さんがホテルのオーナーと一緒に入って来る。

「玲海、綺麗だなー!」

そう叫びながら俺の目の前まで来て、ジロジロ見られる。

「こんなに色んな顔になれるって、すごいことだな。」

そんなに感動してもらっちゃって、照れちゃう。彼は俺のファンだから。俺は色んな着物美人調の流し目をしてあげる。フォトグラファーがコンピューターで写真をチェックしている。明斗さんも写真を観ながらメイクを手直ししている。

「もう少しアイラインを長くしよう。ネコっぽい感じ。」

「そういえば、ネコどこ行っちゃったんでしょう?」

俺は相棒のネコを捜す。

「なんか食べる物で釣るとか?」

俺はキッチンの方へ行きかける。

171

食堂の入り口から、俺の1番の男が現れる。いつもみたいに、幻のように。見たことのないライトグレーのスーツに白いシャツ。今まではここで泣くというパターンが多かったけど、俺は彼の腕に抱かれた、三毛を見て、それを受け取って、自分の胸に抱いて、そこから本当の撮影が始まる。俺は長い袖をどうしていいのか分からずに、スタイリストに聞く。彼女は野中さんと駿也を呼びに行く。ふたりはなにやら議論しながらやって来る。スタイリストがふたりに聞く。

「着物のポーズ、どうしますか?」

野中さんが秀木を見て、微笑みかける。俺は秀木と彼がどうなったのか気になったけど、撮影の時はちゃんと撮影のことを考えないと、って思った。駿也は色々考えてる顔をしてる。野中さんが俺を見て、こう提案する。

「着物は関係なくて、玲海の身体が一番エロく見えるように。」

ネコを抱いて赤い振袖を着た俺が、どうすればエロくなれるのだろう?最近セックスしてないし。恨みがましく流し目で秀木の方を見る。身体が少しねじれる。ネコが逃げようともがく。その時ネコ科の鋭い爪が俺の手の甲に当たり、一筋の血が流れる。フォトグラファーが、ネコが俺の腕から飛ぶ瞬間をとらえていた。そして、その次のショットで俺が驚いて、流れる血を舐めているところ。明斗さんが深い血の赤の口紅を塗ってくれて、そこでまたショット。

172

みんなでネコの飛んでる瞬間のショットを見た。コンピューターに映し出された不思議な絵。シャンデリアの光がブレて流れる。駿也がそれを観て面白いことを言う。

「玲海のビックリした顔、人間っぽい。」

「俺の顔、人間っぽい方がいいの?」

「ここではその方がいい。お人形みたいに立ってちゃつまらない。」

血を舐めているところと、赤い口紅の写真は、シャンデリアもブレてなくて、クリアで、だから余計に非現実感がある。20個の古風なシャンデリア。非現実感のある空間にいて、人間っぽく見える俺。俺はコンピューターのスクリーンを見詰める。でも、なんか違う。思ってたのと違う。

「田辺さん。昔はシャンデリアって蝋燭だったんでしょう?なにかが燃える感じが欲しくないです?」

「俺、映画で観たんだよ、ヴィスコンティの。蝋燭が燃えると部屋中が暑くなって、風で炎や煙が飛んで行くんだ。」

「すごいイメージですね。」

フォトグラファーがそれを聞いて提案する。

「それはあとでキャンドルを撮って、合成できますよ。」

田辺さんはケータイで調べて、映画のタイトルを彼に教えた。

「えーと、ヴィスコンティの『山猫』1963年。」

「分かりました。観てみます。」

「最後の10分か20分くらいのところだから。全部観たら3時間だから。」

「分かりました。」

フォトグラファーがクスクス笑う。

「合成できたら誰に送ります?」

俺が手を挙げる。駿也が真面目な顔で。

「ここでは玲海がアートディレクターなんだ。」

「そうじゃないけど、煙の出る本物のシャンデリアが見たい。」

173

そこでやっと休憩になった。俺は帯を緩めてもらって、やっと息をついた。誰かが俺の手を持って、キスをする。ヨーロッパの紳士が淑女にするみたいに。

「痛い!」

そこはネコにやられた所だったから。秀木が俺に微笑む。

「ゴメン。」

見たことのない新しいスーツを着た彼は、ちょっとだけ知らない人みたいだった。すぐ見慣れると思うんだけど。自然に彼に対して身体を閉じる。まだ信じてないのかな?俺って疑い深いし、嫉妬深いし。彼は俺の長い袖を弄ぶ。なにも言わずに。お互いの存在だけを感じてる。

174

駿也が絵コンテを持って現れる。

「次のシーン。」

かなりあられもない姿の俺。着物が側に脱ぎ捨ててあって、なんていうの?着物の下着みたいなのを羽織ってる感じ。そして若いバイオリニストの駿也。駆け落ちの相手。

バイオリンのケース。

「駿也、これは聞いてたけど、この後はどうなるの?」

彼はやや口ごもる。

「実はそれはまだ。」

「え、マジ?どうすんの?」

「それは、次のシーンが終わってからその場で決めようと。」

いい加減だな。

175

俺達とスタッフは客室に移動。そういえば、ネコはどこ行っちゃったんだろう?

「化け猫は?」

「さっきから捜してるんだけど。」

駿也は、いつの間にか着替えて、超古風なカッコいい燕尾服を着ている。

「それ、よく似合う。バイオリニストに見える。」

「ほんと?玲海に言われると嬉しい。」

彼は、可愛く頬を染める。

「ここでは僕達、ラブラブなシーンだから。」

「分かった。あの絵コンテの感じ?」

「あれはね、適当に描いただけだから、欲望の赴くまま。」

「分かった。」

「束の間のラブシーン。」

「束の間っていうことは、やっぱり俺達、追手に捕まる運命?」

「それはね、まだ考えてないから。」

どうすんの?俺、知らない。あ、ネコが来た。俺のことを無視して通り過ぎる。俺のことは好きじゃないんだな。化け猫のくせに。障子に映し出された大きな化け猫を作る役の人が必要なんだけど、って駿也が言うと、田辺さんがやってみたいと申し出る。

ライティングのアーティストだから。予行演習をしてみた。田辺さんがネコを持ち上げる。ライトに照らされた巨大な化け猫。みんなが可笑しくてゲラゲラ笑う。駿也は満足そう。

「田辺さん、最高です!いい化け猫です。」

ネコが田辺さんにゴロゴロ言っている。彼のことは好きらしい。

176

俺と駿也はラブラブモードに入っていく。最初可笑しくて笑っちゃったけど、俺達セックスはしたことないけど、キスはいつもしてたから、キスから入る。彼が俺の帯をほどく。一気にエッチなモード。既にシャッターを切る音がしている。彼は燕尾服のジャケットを脱ぐ。そして自分で白いボウタイを取って、シャツのボタンをいくつか外す。着物を半分くらい脱いだ俺と彼はロマンティックに、しかし、激しいキスをする。しかし、そこで化け猫が障子に映って、スタッフ全員大爆笑。俺も爆笑。駿也が大きいため息をつく。

「せっかくいい所だったのに。」

もう一度やり直し。なぜかさっきみたいに盛り上がらない。なんで?考えても分からない。きっと駿也がナーバスになってる。俺は彼に心底夢中という顔をして、彼の頬を愛撫する。駿也が俺の乱れた、大正ロマン風の日本髪をほどいて、俺の髪が腰まで流れ落ちて行く。そして彼は、俺をきつく抱きしめる。わー、ロマンティック。もうなにされてもいいモード。俺がついうっかり彼の股間に触る。彼はベッドの上に倒れるように横たわる。俺がその上に跨って、彼のシャツのボタンを全部外して、裸の胸にキスする。そこで俺は考える。絵になる絡みってどんなの?そこでまた化け猫が登場して、みんなが爆笑する。俺は見てはいけないと思いながらついつい、見てしまう。そして爆笑。

177

俊也がまたため息をつく。俺は呆れる。

「これ、自分で考えたんでしょう?化け猫のこと。」

「そうだけど。」

「じゃあさ、駿也がいつも俺にやってみたかったことをやってみて。」

彼はまだ彼の上にいる俺をグッと引き寄せて、なんと下着の前を開いて俺の乳首を舐める。俺は小さく飛び上がる。その時の俺の顔をフォトグラファーが撮っている。俺はいきなり乳首舐められて、しばらくボーっとしてたけど、考えてみたら、俺の方が化け猫なんだから、って思って彼の頬を舐めて、少しかじってみた。セックスしたらネコになり、人を殺したら人間に戻れる。その時、障子の隙間から三毛がのそのそ入って来る。俺はさっき引っ掻かれたのを思い出して、部屋の隅に逃げる。三毛は寝ている駿也の上に乗って、顔を覗き込む。そこでシャッターの音。野中さんが部屋に入って来る。

「今のショット、3ページ目にしましょう。」

駿也とネコが向き合っているところ。ネコになった俺。これで撮影は終わりなの?俺は誰も殺さないの?なんだかほんとにこれでよかったのか、少し疑問が残る。

178

みんなで食堂に戻って、撮った写真を観る。大きなコンピューター画面。俺の腕から逃げるネコ。たくさんのシャンデリアの下で。そしてベッドシーン。俺が乳首舐められてマジで感じてるシーン。そして駿也とネコが向き合うシーン。これでいいのかな?俺と駿也はまだかなり乱れた格好。彼のはだけたシャツ。俺は赤い牡丹の着物を羽織って、椅子に座ってる駿也の膝に乗る。俺は彼の肩に手を回して濃厚なキスをする。そして彼の首に噛みつく。結構マジで。それでも駿也は声を上げない。でも身体中が痛みに反応している。フォトグラファーが長い時間をかけて、俺達を舐めるように撮る。駿也の首にはキスマークみたいな痣が残った。俺は謝る。

「ゴメンね。」

フォトグラファーが今のショットをコンピューターで観る。

「綺麗ですよね、色が。」

今日のフォトグラファーは初めての人だったんだけど、アイディア豊富な人みたいで、そのあと三毛をたくさん撮って、それと今の俺が噛みついた写真を合成するって。

179

やっと撮影が全部終わった。俺と駿也は着替えて、帰る支度して、俺はもう1回、噛んでゴメンね、って言って。彼は黙ってて、いつもの彼らしくない。どうしたの?って聞いてもチラって俺の方は見るけど、なにも言わない。そしたら野中さんと一緒に写真選びを始めて、彼とはちゃんと普通に喋ってる。キャプションやストーリーの打ち合わせとか。田辺さんが椅子の上に乗って、シャンデリアの下にいる俺の写真を撮っている。

「玲海、こっち見て。綺麗。いい感じ。」

俺は田辺さんのカメラを見せてもらう。

「ほんとだー。顔に光が当たって。もしこれがほんとの蝋燭だったら、どんな風に見えるんでしょう?」

「蝋燭にこだわるな。」

「分かんない。なんでかな?火、かな?火に憧れる。」

燃えるような愛?そういう情熱。火がつく。なににつくの?心に?そんな火があれば生きて行けるのかな?自信ないけど。俺の自殺願望。決してなくならない。燃え盛る火を想像してたら、心が不安になる。さっきの化け猫にやられた手の傷が痛い。

180

俺はテーブルに頭を乗せて、20個全部のシャンデリアが自分の視界に入るかどうかやってみた。シャンデリアを吊るす位置が低いから、20個全部いっぺんに見るためには床に寝ころばなくてはならない。それにテーブルが邪魔をして、結局全部は見えない。田辺さんが床に寝そべってる俺の顔を覗き込む。

「なにやってんの?」

「全部のシャンデリアを1度に見てみたい。」

「横から見たんじゃダメなの?」

「下から見てみたい。」

「周りのテーブルをいくつか動かせば見えるよ。」

俺は田辺さんと一緒に食堂のテーブルを動かす。俺はもう一度床に寝ころぶ。

「あ、見える。20個全部。」

「狭い部屋だからね。でもなんでそんなの見たいの?」

「心が安心する。」

俺はケータイでいくつも写真を撮る。いつでもこの写真を見て、今の安心する感じを思い出せる。

181

俺の隣に寝そべる人がいる。

「玲海なにしてんの?」

「秀木。今までどこにいたの?」

「ずっと見てたよ。君のことを。」

それってナイスなことだな、って俺は思う。

「ここに寝てるとなにかいいことがあるの?」

20個全部のシャンデリアが全部視界に入るでしょ?」

「そうかな?そしたらなにがあるの?」

「安心するでしょ?」

「綺麗だけど。安心するかどうかは分からない。」

「きっとそれは俺の心に不安があるから。」

182

編集部のスタッフが俺達に声をかける。

「バスもう出ますよ。」

秀木は寝たままそれに答える。

「俺達ここに泊まっていくから。」

俺は飛び起きる。

「え、部屋あんの?」

「そりゃあるだろ?オフシーズンだし。」

食堂から出て行く時、駿也が俺に小さく手を振る。俺は床に座り込んでまだ寝ている秀木と話をする。

「秀木ここまでどうやって来たの?」

「普通に電車で来たよ。俺、車運転しないし。」

みんなが帰ってしまって、やっと彼は起き上がって、俺がスーツについた埃をはたいてあげる。

「今晩一緒にここに泊まって、明日から俺達一緒に住もう。」

そんなことを急に言われて、俺の頭は真っ白。しばらくそのまま固まって、そのあと1番最初に出て来た言葉。

「あ、でも俺、ピアノがないと。」

「ピアノ買うから。」

「え?」

「ずっとそれ考えてたんだけど。でもマンションだから、本物は無理かも。」

「じゃあ電子ピアノの1番いいヤツ。」

「1番いいヤツ?」

なんで俺そんな話ししてんの?秀木と俺が一緒に住むってどういうこと?今までだって泊まったこといっぱいあったし。服とか本とか色々置いてあるし。自分の部屋だってもらってるし。でも一緒には住んでなかった。

183

「なんで俺と一緒に住もうなんて?」

「君と一緒にいたい、と思ったから。」

「他の人達は?」

秀木は笑って俺のことを見る。俺は思い出す。出会ったばっかりの頃の彼。変わらない笑顔。秀木はあの頃、日本で1番売れてる男性モデルだった。

「他の人達は誰もいないから。」

俺はまだ納得がいかない。他の人達はどこへ行っちゃったの?

「みんなにさようならを言ったから。」

俺は間抜けな質問をする。

「なんで?」

「玲海。君を失いたくないから。」

184

部屋にはベッドがふたつあって、でも俺達はひとつのベッドに寝て、狭いんだけどそうするしかなくて。彼はベッドの中で、思いっ切り俺を抱きしめてくれる。俺は考えて、これがもし現実にほんとに起こってるのだとしたら、俺も生まれて来て、なにか少しでもいいことをしてきたのかな、って思った。

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Profile

千本松由季

Author:千本松由季
東京都出身。カナダ在住。
男同士の恋愛を、様々なテーマで書いています。作品は長編を中心に50作以上。
本にしてくださる出版社を探しています。お問い合わせも歓迎しております。
bridgetteyuki@hotmail.com
イラストも描いています。

©Yuki Sembommatsu 2017-2018