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長編小説『男のからだ男のにおい』からベストシーンを抜粋しました。

  05, 2018 11:03
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あらすじ/ピアニストを目指す海帆(みほ)。彼は中性的な外見に悩んでいた。ジム経営者の星五(せいご)と出会い、男らしい身体に。手に深い傷跡のある海帆には、忘れ去られた過去があった。


R18


旗田教授に呼ばれた。

「海帆、どうした?」

「分かりません。なんか怖くなって。後ろばかり振り返って。」

「さっきの課題曲、弾けるかどうかやってみよう。」

左手はちゃんと動くんだけど、右手は痛くて全然動かない。どうしたんだろう急に?手はとっくに治ってるはず。

「右手が痛い。」

「どういう風に痛い?」

「あの時みたいに。」

「あの時?」

「手を切った時。あの時みたいに、とても痛い。」


俺は左手で右手を押えた。そうすると、もっと右手が痛い。俺は思わず悲鳴を上げた。大きく開いた、血が流れるような傷。そんな痛み。俺は、今あの時に戻ってる。ものすごく怖い。

「あの時、俺はどこで?誰と一緒で?なにがあったの?」

「海帆?」

「分からない、思い出せない!思い出したくない!」

ピアノが弾けない。もう弾けないのかな?この先ずっと?俺は自分の後ろに、また人の気配を感じて振り返った。そこには自分がいる!まだジムでトレーニングを受ける前の、星五に会う前の、大学に入る前の、自分。なにかを訴えかけるような目。俺はまた悲鳴を上げて、呼吸ができなくなって、その場に倒れた。


気が付いたら病院にいて、最初は旗田教授が一緒にいてくれて、それから星五にかわった。

「振り向いたら、俺がいて、まだ星五に会う前の。星五とトレーニングして、自分の運命を変える前の自分。」

「海帆。今夜は考えなくていいから、ゆっくり休め。」

「そうだ、俺の右手。さっき痛くてピアノが弾けなかった。」

「まだ痛いのか?」

「今も少し痛い。さっきはもっと痛かった。まだ傷口が開いて、血が流れるような痛み。」

「ゆっくり休もう。」


突然ベッドの下に人の気配がする。

「ベッドの下に誰かいる!」

俺は怖くて星五にしがみついた。星五がベッドの下を確かめる。

「誰もいないよ。」

怖い、なにもかもが怖いんだけど、一番怖いのは、この恐怖から逃げられない、ってこと。叫んでも、走っても、どうにもならない。星五にしがみついてると、涙があふれて来る。前にもこんなことがあった。星五に会ったばっかりの頃。俺は泣いていて、星五の肩に俺の頭を置いて。なんで泣いてたの?そうだ、あのバイオリン科のバカの龍聖に捨てられて。捨てられて?俺って、捨てられたの?いつ?どうして?


「海帆、俺が今晩ここにいてやるから、ゆっくり休め。」

「でも、ベッドの下に誰かいる。」

「誰もいないよ。」

俺は自分でベッドの下を覗き込んだ。そしたら暗くてよく見えない。ベッドの側にあるライトをつけた。そしてもう一度見たら、やっぱり昔の俺がいる。星五に会う前の、大学に入る前の俺。うずくまって、右手の傷から血を流している。

「海帆。誰もいないだろ?」


俺はベッドを降りて、うずくまっている俺からできるだけ遠くへ行こうと、病院の廊下を走る。ドアを全部調べてみたけど、どれも開かない。俺って、ここに閉じ込められたの?あそこにもう一つドアがある。押してみると、それは外に出るドアじゃなくて、なんかの部屋のドアみたい。部屋の中は薄暗くて、でもよく見ると、やっぱり昔の自分がいる。血を流している自分。俺は叫び声を上げる。

「海帆。」

星五が優しく俺のこと呼んで、俺を抱き締めてくれる。でも俺の恐怖はおさまらない。目をつぶっても、なにをしてもおさまらない恐怖。


俺は星五を突き飛ばして、また病棟中のドアを開けようとして、でも開かなくて、その時ドアの一つが開いて、外から誰かが入って来た。俺はその一瞬の隙をついて、外に出て、ドアを閉めた。そのドアは一度閉まると鍵がなくては開かなくなってるらしく、星五は俺の後を追って来ない。誰かがドンドン、とドアを叩いてる。微かに聞こえる。俺の名を呼ぶ星五の声。俺はなにから逃げてる?昔の自分から?


階段があったから、上の階へ行ってみた。入院患者のいる病棟の隅に、小さいキッチンがある。俺の目がなにかを探す。なにを?俺はなにを探してる?フォークやナイフや色んなものが全部鍵のかかる引き出しに入れてある。全部開けてみようとしたけど、全部鍵がかかっている。鍵を探す。鍵のかかってないのは、クッキングの本とか、そういうものが入ってる場所。隅々探したけど、鍵らしいものはない。食器やグラスの入ったキャビネットもみんなカギがかかってる。どうしよう?


俺は注意深く、もう一つ上の階に行ってみる。そこは精神科じゃないみたいで、キッチンも普通に鍵がなくてもなんでも使える。俺は包丁のある引き出しを開ける。なんだかあんまり切れそうなヤツはない。ちょっとガッカリして、でもその中で一番切れそうなヤツを俺の着てる服の中に隠して、その階を出た。どうする?俺はどうしたい?この病院、結構大きい。入口はどこ?エレベーターに乗った。1階で降りた。遅い時間だから受付に人影はない。裏口を探そうか、と思ったが、正面玄関にも警備員のいる様子はない。でも精神科を抜け出した俺を、誰かが捜しているかも知れない。病院の門を出て通りに出ようとしたら、知らない男に見付かった。黒い服の男。


「海帆!」

俺は服の下に隠した包丁を押えて、走って暗い路地へ入って行った。レストランの裏みたいなところがあって、俺は大きなゴミ箱の陰に隠れた。男は俺を通り過ぎて、次の角を曲がった。俺はなにかをしようとしていた?なにを?考えているうちに、さっきの男が戻って来た。そしてまた俺の名を呼ぶ。

「海帆!」

でもなんで俺の名前を知ってるんだろう?


また走っているうちに明るい所へ出た。なんか、飲み屋街みたい。レンガ畳の続く細い路地。互い違いに敷いたレンガが、まるでピアノの鍵盤みたいに長く続く。両側に小さな古い飲み屋がたくさんある。さっきの男が俺のこと見付ける前に、やらないと。でもなにを?なにをやるの?俺はレンガの地面に、握りしめた自分の右手を置くと、隠してた包丁を高く持って、自分の右手に振り下ろす。先の尖った包丁が俺の手の表面をかすった。さっきの男が、俺の後ろから俺の左手を掴む。


「なにしてる!海帆!」

男は、俺の手から包丁を奪い取る。俺は後ろを振り返って叫ぶ。

「なんで止めんの!あんた誰?なんで俺の名前知ってんの?」

「俺のこと忘れたのか?」

「誰?俺の知ってる人?」

「星五。君の婚約者。」

「星五?」

「ほら、俺達同じデザインのリングしてるだろ?」

「ほんとだ。でも・・・でも、俺まだ14才なのに?」

「海帆、よかった、無事で。俺のことはそのうち思い出すさ。一緒に病院、戻ろう。」

「病院って?」

手の傷が治ってる。どうして?今、確かに切ったはず。違う、切ろうとしたら、この人に止められた?どうしてこの人はそんなこと?考えようとするけど、どうしても分からない。

「どうして傷が治ってるの?今、切ったのに。」


「さあ、帰ろう。」

その俺の婚約者と名乗る男が、俺の手を握って歩き出す。大きくて暖かい手。

「俺、どうして病院に行かないとダメなの?」

「海帆が俺のこと思い出すまで、病院にいないと。」

なにも思い出せない。この人のこと。一緒に歩きながら、時々彼の顔を見ながら考えたけど思い出せない。悲しくて少し涙ぐむ。

「いいから、ゆっくり思い出せば。」

「うん、ゴメンね。」


星五さんは次の日も来てくれた。嬉しかった。

「ドクターが、俺はほんとは今、18で、もうすぐ19だって。嘘だよね?」

彼は黙って俺のこと見ながら微笑む。

「俺に、なんか大きなストレスがあって、14才に退行してるんだって。」

彼は夕べみたいに俺の手を握ってくれる。

「でも、なんで14才なのか分からない、って。」

「なにかあったんだろう、その時に。」......



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